2010-06-13(Sun)

キリストの香りとして 2010年6月13日の礼拝メッセージ

キリストの香りとして
中山弘隆牧師

 アカシヤ材で香をたく祭壇を造りなさい。寸法は縦一アンマ、横一アンマの正方形に、高さ二アンマとする。そして、四隅に角を祭壇から生えるように作る。祭壇の上の面と四つの側面と角を純金で覆い、側面に金の飾り縁を作る。二個の金環を作り、それを金の飾り縁の下の両側に相対するように取り付け、担ぐための棒を差し入れる環とする。この棒もアカシヤ材で作り、金で覆う。それを掟の箱を隔てる垂れ幕の手前に置く。この掟の箱の上の贖いの座の前でわたしはあなたと会う。アロンはその祭壇で香草の香をたく。すなわち、毎朝ともし火を整えるとき、また夕暮れに、ともし火をともすときに、香をたき、代々にわたって主の御前に香りの献げ物を絶やさぬようにする。あなたたちはその上で規定に反した香や焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物などをささげてはならない。アロンは年に一度、この香をたく祭壇の四隅の角に贖罪の献げ物の血を塗って、罪の贖いの儀式を行う。代々にわたって、年に一度、その所で罪の贖いの儀式を行う。この祭壇は主にとって神聖なものである。
出エジプト記30章1~10節

 わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。
コリントの信徒への手紙二 2章12~17節


(1) 福音の伝道者パウロの在り方
 本日の聖書の箇所でありますコリントの信徒への手紙二、2章12節から17節で、パウロは使徒としての生涯を顧み、キリストの香りを世界の至る所に持ち運ぶ務めであった、と言っています。14節でこのように言っています。
「神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進につらならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。」
キリストの使徒としてのパウロの務めは、キリストを知る知識の香りを周囲の世界に漂わすことでありました。香りは目には見えませんが、著しい効果を持っています。例えば、バラの甘美な香りは人の心を魅了します。その他にも季節ごとに心地よい香りを放つ多くの花があります。バラの香り、百合の香り、レンゲの香り、あるいは金木犀の香りとそれぞれの特徴があり、その香りは異なっています。そのため何種類ものお香をたいて、その香りを言い当てることを楽しむ趣味もあります。ともかく、香りは外面的な見栄えや偉大さではなく、そのものの内実を示す働きをすることが特徴です。従いまして、香りによってその内実が識別されます。
ところで、パウロは福音の使徒として語り教える内容は、すべてキリストの香りに満たされていると言っています。他方、キリスト教会に巧妙に侵入してきて、福音とは異なる教えを広めようとする偽使徒、偽預言者たちが多くいました。彼らはキリストによる神の救いを受け入れず、モーセの律法によって、自分の救いを獲得するように説得し、クリスチャンをキリストから引き離そうとしていたのです。しかし、彼らの教えは、キリストの香りではなく、モーセの香りを放っていたのです。彼らは、神に対して熱心であるかのように見せかけていても、実は自分の利益のためであり、自己を誇るためでした。
全くそれとは対照的に、パウロは誠実な生き方をし、忠実に福音を語りました。17節で、次のように弁明しています。
「わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。」と言っています。
神から啓示されたキリストの福音を語るために、神の御前で、パウロは誠実に語っていると、説明しています。それだけでなく、キリストに結ばれて語っているのです。キリストを知り、キリストを語るのは、知識だけの問題でなかく、キリストと結ばれ、キリストと交わっていることがその内実であるからです。実はこのことがキリストを知ることの香りなのです。また、そう言う関連で、15節の後半でこのように言っています。
「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」
ここで、良い香りとは神殿において礼拝する場合の献げ物を意味しています。つまり、神がそれを喜んで受け入れられる献げ物を意味します。ところで、神が受け入れられる献げ物は究極的に言えば、ただ一つであり、それは主イエス・キリストの十字架の死による自己奉献でした。またそれは永遠の献げ物であります。従いまして、わたしたちはキリストに結ばれて、キリストによって自己を献げるとき、神はそれを受け入れてくださいます。
ここでパウロの言葉を、言い換えますと、「わたしたちは神に献げられるキリストの香です。」あるいは「わたしたちはキリストの香りとして、自分を神に献げるのです」と言う意味になります。この箇所の関連では、「わたしたち」とは福音を宣教する使徒パウロとその同労者について述べていますが、これを拡大解釈すれば、「わたしたち」とはキリストに結ばれたすべての信仰者であります。
それゆえ、すべてのクリスチャンはキリストの香りとして、神に献げられ、キリストの香りとして生き、キリストの福音を周囲に伝える使命を与えられているのです。香りはその外面の美しさや価値ではなく、内面の美しさや価値を伝えるように、クリスチャンはその内面に持っているものによって福音を伝える使命があります。しかし、内面と言いましても、生活全体に関係しています。内面はその人の生きる動機、態度、目標、行動として、生活の中に必ず現れます。もし生活態度として表れないとすれば、その内面はただの空虚に過ぎません。 
こういう意味で、パウロはまたクリスチャンは「キリストの手紙である」と言っています。このことも同じコリントの信徒への手紙二、3:2~3で、述べています。
「わたしたちの推薦状は、あなたがた自身です。それは、わたしたちの心に書かれており、すべての人々から知られ、読まれています。あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として、公にされています。墨ではなく、生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書き付けられた手紙です。」
つまり、要約しますと、クリスチャンの心には、聖霊によって、福音の言葉が書き記されていますので、クリスチャンの生き方全体が、心に記された福音を、具体的に示している、というのです。クリスチャンの生活全体が、福音を具体化していますので、その具体例をすべての人が見ることによって、すべての人に福音の手紙が読まれているという意味です。従いまして、クリスチャンは生まれながらの人間としての自分ではなく、常にキリストと人格的な交わりをし、その中から自分の行動や生活が出てくるように心がけることが必要です。

(2) キリストとの交わり
 次に、クリスチャンとはキリストによって、神との交わりの中で生きている者たちです。この点について、ヨハネの手紙一、7~12節で、深遠な真理が感銘深くしかも単純明解に語られています。
 「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち、命の言葉について。――この命は現れました。御父と共にあったが、わたしたちに現れたこの永遠の命を、わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです。」(1:1~2)
 「初めからあったもの」とは、天地創造の前から、神のもとにあったもの、という意味です。つまり、それは永遠の命です。そして、福音とは永遠の命を神様ご自身が、わたしたち人間に啓示してくださったことを告げるものです。しかも、永遠の命が極めて具体的に啓示されたのです。
なぜならば旧約聖書の言葉と福音を対比しますと、この点が明らかです。たとえ預言者たちが語ったものは神の言葉でありましても、もし言葉として止まっている限り、それは抽象的な概念です。しかし、今や神の言葉は人間生活の中に具体化されて現れました。すなわち、神の御子が人間としてこの世に生まれられた主イエス・キリストの人格と歴史的な活動を通じて、永遠の命が具体的に現されたのです。
それゆえ、使徒たちは、約三年間、主イエスに従い、その言葉、信仰、行動、生活全般に渡って、主イエスをつぶさに観察し、また主イエスに質問し、自分で確かめ、納得した事柄を知らせました。
そこで、使徒たちが知らせた永遠の命とは、本来それは天地創造以前に神ご自身の中に存在する父・子・聖霊の交わりです。ところが今、神の内部の交わりが、地上で生活された主イエスと父なる神の交わりの中に、具体的に現れたのです。
本来、永遠の神は父と子と聖霊の三つのパーソンとして存在し、パーソンが互いに愛と平和の交わりを持っておられる唯一の神です。そこには命と力の充満があります。そしてその交わりの中に働いている愛が神の本質です。このことをヨハネの手紙一、4:7、8は宣言しています。
「愛は神から出るものです。」「神は愛です。」
この神の愛が、地上における主イエスと父なる神との交わりの中で活発に働き、主イエスに人類の救い主としての使命を達成させたのです。特に主イエスの十字架の死の犠牲の中で最高に現れました。その結果、主イエスの死によって人類の罪の贖いが成就しました。
それゆえ、主イエスを信じる者はだれでも、神との人格的な交わりの中に入れられるのです。しかも、その交わりは、信仰者個人のものと言うよりはむしろ、信仰者たちが「わたしたちと神との交わり」として、互いに共有し、互いに調べ、互いに確認できるものとして、教会の中に与えられています。こういう意味で、ヨハネの手紙一は、1:3節で次にように言っています。
「わたしたちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」
この交わりとは、わたしたち信仰者と神との交わりを意味しています。そこで、今や、教会の中に与えられている神との人格的な交わりに入ることが、永遠の命なのです。そこにこそ、わたしたち人間が体験できる本当の喜びであります。こう言う意味で、ヨハネの手紙一は、1:4節で、「わたしたちがこれらのことを書くのは、わたしたちの喜びが満ち溢れるようになるためです。」と言っています。
しかも、この喜びは聖霊がわたしたちの心の中に常に湧き出させる喜びです。この喜びこそ、クリスチャンが漂わせているキリストの香りです。その喜びは天から来る喜びです。それは神が御子イエスにおいて、ご自身を低め、ご自身を人間に与えてくださったことにより、実に人間を神の御許へ引き上げてくださったからなのです。そのことによって今やクリスチャンは神が喜ばれることを、自分の喜びとして感じることができるからです。
次に、クリスチャンが漂わせているキリストの香りとは、神の愛を実行することであります。神の愛をもって、教会の兄弟を愛し、社会の隣人を愛することです。「神は愛である」という言葉を聞いて、神は自分たちが知っている種類の愛と同じであると考える人がいるかも知れませんが、それは大いなる誤解です。聖書が言う愛とは、「アガペー」のことで、これは人間の愛ではなく、神の愛です。アガペーは神の本質です。
わたしたちが主イエスによって、神との人格的な交わりに入れられるとき、わたしたちの中に聖霊によって、神の愛が働きます。そのことによってのみ人間は神の愛を知ります。そのことによってのみ、わたしたちは兄弟や隣人に対してアガペーを実行します。そこに永遠の命が働きます。従いまして、わたしたちがアガペーをもって、他者を愛するときに、そこにキリストの香りが漂います。
しかし、ここで留意すべき点はわたしたちが主イエスによって神と交わるという事態は、視点を変えて言えば、わたしたちが神の御子、主イエス・キリストの十字架を仰ぐことです。そのとき、父なる神は聖霊によって、「主イエスの犠牲の死こそ、わたしがあなたを愛していることの現実である」とわたしたちの心に語られます。わたしたちはこの神の言葉を聞くときに、神の愛アガペーがわたしたちの中に働きます。そこから、わたしたちは兄弟や隣人との係わりの中で具体的な愛の実行へ出かけて行くのです。このような神との交わりから感謝と喜びを抱きつつ、わたちたちの行動が期待されている生活の場へと、出かけて行くのです。それがキリストの香りを漂わすことです。
最後に、神の愛アガペーは神の御子・主イエスの地上での生活と十字架の犠牲による自己譲与により、歴史の中に、わたしたち人間生活の中にしっかりと根を下ろしました。このことにより、わたしたちが人間として、社会人として、教会のメンバーとして、果たすべき道徳、様々な良き性質、信頼、寛容、赦し、忍耐、根強さ、堅忍不抜といった良き働きは、すべて神の愛によって可能となっていることが理解できるのです。逆に言えば、神の愛アバペーはそのような日常的行為、振る舞い、表情として具体化されるのです。そのようしてキリストの香りを漂わせているならば、わたしたちの身近にいる人たちが自分もそのようになりたい、自分もキリストを信じたいと思うようになります。これが伝道です。
それゆえ、わたしたちは絶えず、神に祈っていることが必要です。絶えず、神の言葉を心に留め、神の言葉を実行することを心から願って、祈ることが必要です。そのようにしていることも、またキリストの香りを漂わすことです。




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