2011-08-14(Sun)

神の愛の広さ 2011年8月14日の礼拝メッセージ

神の愛の広さ
中山弘隆牧師

 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」主は言われた。「お前は怒るが、それは正しいことか。」そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。「生きているよりも、死ぬ方がましです。」神はヨナに言われた。「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか。」彼は言った。「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです。」すると、主はこう言われた。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
ヨナ書4章1~11節


 こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように。また、あなたがたがすべての聖なる者たちと共に、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
エフェソの信徒への手紙3章14~19節


(1)ヨナ書の特徴
 ヨナ書は霊的な意味で、旧約聖書のなかでそびえ立つ高い峰の一つです。しかし、この書は偉大な預言書でありますが、普通の預言書のタイプとは違っています。預言書では、そこに記されている内容の90パーセント以上が預言の言葉であるのとは対照的に、ヨナ書では預言の言葉は非常に僅少です。
 「ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。『あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。』」(3:3~4)
 このように、ヨブが語った預言は「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」というたった17文字に過ぎません。これはヨナ書全体の1パーセントに満たない分量です。このようなヨナ書の形式から判断しますと、ヨナ書は預言者的な譬え話である、と言えます。従いまして、ヨナ書は譬え話の形式を用いて、預言の偉大なメッセージが語られているのです。

(2)第二イザヤの影響
 次に、ヨナ書の内容の背景を考えてみますと、それは「神の主権と万民の救い」を預言した第二イザヤから強い影響を受けています。
エルサレムはバビロン帝国の軍隊により西暦前587年に陥落し、同時にイスラエル国家は滅亡しました。それ以後は国家ではなく、信仰共同体としてイスラエル民族は存続することになりましたが、彼らはバビロンに連行され、捕囚の苦しみを受けました。 
しかし、ペルシャ帝国が勃興する時期に、第二イザヤと呼ばれている無名の預言者がイスラエル民族の捕囚からの解放を預言し、預言が実現して彼らはパレスティナの土地に帰還したのです。西暦前530年ごろです。
 それ以後、バビロンから帰還した律法学者エズラによる改革が西暦前444年に行われ、また神殿再建を励ました無名の預言者マラキの時代に渡って、イスラエルの信仰復興が起こりました。しかしその運動は国粋主義的で、民族主義的な、排他精神が強く、ファリサイ主義の方向がすでに芽生えた時代でした。
ヨナ書は西暦前400年ごろそのような傾向を批判し、イスラエル民族を選ばれた神のご計画と民の使命を明らかにするために書かれたのです。そういう意味で、ヨナ書には旧約聖書の中でも最高の啓示が語られています。それゆえ、多くの聖書註解者たちはヨナ書を高く評価しています。
ヨナと言う言葉は「鳩」と言う意味であり、選民イスラエルの象徴です。このような偉大な預言者が自分の名を隠したままで、この書を後世に残したのです。

(3)ヨナ書の内容
ところで、ヨナ書の中で、ヨナとは預言者であり、神からニネベの都に行って、預言するように命じられています。このことは1書の初めに書かれています。
「主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨んだ。『さあ、大いなる都ニネベに行って、これに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。』」(1:1~2)
 ここで、ニネベの都とは、チグリス川の畔に建設されたアッシリア帝国の首都でありました。堅固な城壁に囲まれ、イスラエルを初めてとして諸民族から略奪した富で飾られた壮大な古代都市でありました。ニネベの都は西暦前612年に、バビロン帝国によって破壊されましたが、それまで約150年の間、世界に君臨していたのです。
 従いまして、ヨナ書の内容はヨナが神様から命じられてアッシリア帝国に出かけて行って預言したのですが、その時代はヨナ書が書かれた時代はより300年余り昔です。すなわち、ヨナ書は300年余り過去にさかのぼって語っていることになります。
 しかし、イスラエル民族にとりまして、アッシリア帝国はいわば民族に悲運をもたらした最大の敵でありました。それまでは北イスラエル王国が栄え、南のユダ王国も古代世界で繁栄を享受していたのですが、アッシリア帝国の勃興により、たびたび侵略され、北イスラエル王国は消滅し、ユダ王国はアッシリア帝国の属国とされてしまいました。そのため、ユダヤ人はアッシリア帝国を特別に憎み嫌っていたのです。恨み骨髄に達していたのです。

 従いまして、ヨナも自分たちにこれほどの悲運をもたらしたニネベの町を好むもはずはありません。もし自分がニネベの町に遣わされて、神の審判を語るならば、きっとニネベの町全体が悔い改めるに違いない。そうすれば憐みに富み給う神はニネベの町を赦されるであろう。そのような結果にならないために、ヨナは今から遠くの国に行って神から自分の身を隠そうと、考えたのです。
 そこで彼はニネベとは逆の方向にあるタルシシに向かって出航する船に乗りました。
 しかし、彼の乗った船は大きな嵐に遭遇し、今にも沈没しそうになりました。忽ち乗客はパニック状態に陥りましたが、ヨナは船底に行って寝ていたのです。それを船長に見つけられ、皆の前に連れ出されました。誰のせいでこの災難が起こったのかを知るためにくじを引くと、くじはヨナに当たりました。そのとき、ヨナは自分がこの嵐の原因であることをあっさりと認め、自分を海に投げ込むならば嵐は止む、と言ったのです。
 「わたしの手足を捕らえて海に放り込むがよい。そうすれば、海は穏やかになる。わたしのせいで、このような大嵐があなたがたを見舞ったことは、わたしが知っている。」(1:12)
 これを聞いた一同は、ますます驚き、恐れ、躊躇したのですが、仕方なくヨナを海に放り込みました。すると海はたちまち凪となり、一同は助かったのです。
 ヨナは預言者ですから、どこに逃げて行っても神の御前から離れることはできないということを、初めから知っていたはずです。それにも拘らずヨナは神の御前から遠ざかったのです。しかし、こうなった以上、ニネベに行くことを拒否するためには、死ぬよりほかに選択肢はないと決心しました。これほどまでにヨナの態度は、ニネベに対する憎しみで凝り固まっています。それはユダヤ人のニネベの町に対する感情を反映していました。

 しかしながら、ヨナは死ぬことなく、大きな魚に呑み込まれて、三日三晩、大魚の腹の中で過ごしたのち、ある海岸に吐き出されてしまったのです。そこでヨナは悔い改めて、しぶしぶニネベの町に行って、神から命じられたように預言したのです。
 その預言の言葉は、極めて簡潔明瞭であり、「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる」と言うだけでしたが、ヨナは丸一日、都の通りを巡り歩きながら同じ言葉を繰り返して語ったのです。
 突然現れた預言者の言葉を聞いて、ニネベの住民たちは、その言葉を真剣に受け止め、大いに自分たちの態度を反省し、悔い改め、神に赦しを乞い求めました。
 「このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、荒布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。」(3:6~7)
 するとどうでしょうか。王を初めとして、身分の高い者も、低い者もニネベの全住民が真剣に悔い改めているのを神はご覧になって、彼らを憐れみ、彼らの罪を赦されたのです。

(4)ヨナの態度
 これら一連の事の成り行きを観察していたヨナは決して快く思わず、怒り心頭に達し、ついに叫びました。
 「主よ、どうか今わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」(4:3)
 「生きるよりも死ぬ方がまし」というのは、自分が生きている意味は宿敵ニネベが神に赦され、救われることであるとするならば、それは自分が最も好まないことである、というヨナの激しい怒りと抗議です。
 ところで、このような態度はまことに預言者らしくありません。預言者としては恥ずかしい限りです。喜ぶべきことを喜ばず、悲しまなくてもよいことを悲しんでいるのです。預言者であれば、たとえ異邦人であっても悔い改めて神を信じるようになれば、自分のこととして喜ぶはずです。そのため自分が用いられたとするならば、預言者として大きな光栄であるはずです。
 ところが、ヨナの態度は正反対です。彼はニネベに対する神の審判の言葉を語るならば、神は恵み深く、憐み深い方であるので、必ずニネベを赦されることを知っていました。しかも、そうすることが預言者の使命であることも知っていました。
 しかし、頭で分かっていても、心では反対していたのです。決して喜んでいなかったのです。その理由はヨナが神の愛を本当の意味では理解していなかったからです。ヨナは自分の個人的な感情に捉えられ、自分の好まない相手が救われることに猛反対しています。ヨナは預言者でありますので、この状態は一層滑稽に見えます。

(5)ヨナ書の意図
 次に、ここまでヨナ書を読んできたイスラエルの民は、それでもヨナよ、お前は預言者なのか。お前はそれでも神を信じているのか。預言者として恥ずかしいと思わないのか。----このように一斉に非難するでありましょう。そこでヨナ書は読者に向かって言うのです。
 「イスラエルの民よ、あなたがたはヨナを罪に定めようとするのか。確かにそのことは正しい。しかし、イスラエルの民よ、ヨナとは実はあなたがた自身のことなのだ。」

 わたしたちは他の人たちの態度や性格については、比較的公平に見て、正しい判断を下すことができます。しかし、一旦自分のことになりますと、甚だ困難なのです。わたしたちは神の力によらなければ、自分を冷静に見つめて、自分の中にある大きな矛盾に気づくことはできないのです。
 そのようなわたしたちに対して、ヨナ書は「読者よ、あなたがたの目にヨナの態度は滑稽に映るのか。それは当然である。しかし読者よ、ヨナとは実はあなたがた自身に他ならないのだ。」と、わたしたち一人一人に向かって語っているのです。このことを抜きにしてはヨナ書を正しく理解することはできません。

 聖書註解書によりますと、アッシリア帝国よりも約300年後のペルシャ帝国の初期にヨナ書は書かれたと見られています。
この時代のユダヤ人の考え方は極めて国粋主義的でありました。狭い選民意識に捉えられていたのです。

 ヨナが大魚の腹の中に三日三晩いたことは、イスラエルの民がバビロンの捕囚となっていたことを象徴しています。またヨナが大魚の腹の中から吐き出されて陸地に上がり、悔い改めてしぶしぶニネベの町に行って預言をしたことは、イスラエルの民が捕囚から解放され、エルサレムに帰還し、エズラの改革を進める信仰復興が起こったことを象徴しています。しかし、彼らの国粋主義は、神の贖罪行為による全人類に対する神の愛と神の目的をまだ理解していないことを示しています。捕囚から帰還したイスラエルの民の信仰復興には心の頑なさが依然として残っていることを指摘し、それを取り去ることの必要性をヨナは強調しました。
 ここで、ヨナは帰還して信仰の復興をもたらしたイスラエルの民が神の贖罪愛を知り、もう一度本当の意味で悔い改め、神の贖罪愛による神の救いを異邦人に語ることが、イスラエルの使命であると訴えているのです。神は全人類を救うという大目的をもって歴史を導いておられること、そしてこの大目的を実現するために、神はイスラエルを神の僕として選ばれたことを、強調しているのです。

 最後に、神はヨナの心に神の贖罪愛を焼き付けるために一つのことをされました。すなわち、神はヨナを強い日射しと砂漠の砂嵐から守るために、一本の「トウゴマの木」を生えさせられました。トウゴマとはヒマシ油をとる植物で、その葉が非常に大きいので日陰を作るのに適しています。ヨナはトウゴマが作る日陰に身を置いて非常に喜びました。しかし神はそれを一日で枯れさせられました。ヨナはトウゴマを非常に悲しみ、神はどうしてこのような残酷なことをされるのかと、抗議しました。神はヨナに向かってこう仰せられました。
 「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのトウゴマの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大きな都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」(4:10~11)
 この言葉の中には、計り知れない深くて広い神の愛が脈打っています。ヨナはこの時初めて、神の恵みは一人の例外もなく、すべての人間に及ぶ愛であることを悟ったのです。この愛の広さは神の愛の性質なのです。自分だけが救われるのではないのです。クリスチャンだけが救われるのではないのです。全人類の救いが神の御心です。その目的を果たすため、神は人類の歴史を支配しておられるのです。

 さらに、神の救いはただ一つなのです。それは神の御子が真の人間となって人類の歴史の中に入って来られ、神は御子を通して人類の罪を贖われるのです。そのことによるただ一つの救いです。神はこの目的を実現するために、イスラエルの民を選ばれました。しかし、イスラエルの選びは再び一点に集中し、ただ一人の主イエス・キリストが選ばれたのです。全人類の中から、神の御子であり、真の人間となられたイエスが選ばれたのです。実に、イエスの十字架の死によって、人類の罪が贖われ、神の愛が啓示されたのです。

 旧約聖書のヨナ書の著者である無名の預言者が体験した神の愛の広さと深さとは、今や主イエス・キリストの十字架の贖いと聖霊の働きを通して、今日すべての人間に救いをもたらすために働いています。そのために、キイスト教会が主イエスの僕として用いられるのです。



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