2011-08-07(Sun)

主が求められること 2011年8月7日の礼拝メッセージ

主が求められること
中山弘隆牧師

 何をもって、わたしは主の御前に出で、いと高き神にぬかずくべきか。焼き尽くす献げ物として、当歳の子牛をもって御前に出るべきか。主は喜ばれるだろうか、幾千の雄羊、幾万の油の流れを。わが咎を償うために長子を、自分の罪のために胎の実をささげるべきか。人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。主の御声は都に向かって呼ばわる。御名を畏れ敬うことこそ賢明である。聞け、ユダの部族とその集会よ。まだ、わたしは忍ばねばならないのか、神に逆らう者の家、不正に蓄えた富、呪われた、容量の足りない升を。わたしは認めえようか、不正な天秤、偽りの重り石の袋を。都の金持ちは不法で満ち、住民は偽りを語る。彼らの口には欺く舌がある。わたしも、お前を撃って病気にかからせ、罪のゆえに滅ぼす。お前は食べても飽くことなく、空腹が取りつく。持ち物を運び出しても、それを救いえず、救い出しても、わたしはそれを剣に渡す。お前は種を蒔いても、刈り入れることなく、オリーブの実を踏んでも、その油を身に塗ることはない。新しいぶどうを搾っても、その酒を飲むことはない。お前はオムリの定めたこと、アハブの家のすべてのならわしを保ち、そのたくらみに従って歩んだ。そのため、わたしはお前を荒れるにまかせ、都の住民を嘲りの的とした。お前たちはわが民の恥を負わねばならぬ。
ミカ書6章6~16節


 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
コリントの信徒への手紙二5章17~21節


(1)平和聖日を迎えて
 本日は日本キリスト教団では平和聖日として、各教会が礼拝を守っています。戦後日本の再出発の日となりました終戦日の前後では、特に広島と長崎の原子爆弾投下による多くの人々の犠牲を覚え、平和の祈りと核兵器廃絶の集会が持たれております。
今年は東日本の大災害の中で、福島の第一原子力発電所の事故が発生し、まだ収束していない中で、原子力を平和利用する分野でも、人間社会とは調和しがたいということが分かり、原子力に頼らない電力の確保と経済の仕組みを変えていく必要が叫ばれています。
第二次世界大戦の終わりから今年は66年を迎えました。この66年の歩みの中で、世界には依然として多くの戦争が発生し、新しい問題が山積しています。しかし日本の場合には侵略戦争を行った当事国として、再び戦争を起こさないための基本的な思想や道徳観の育成が甚だ不十分です。
日本キリスト教団では、平和聖日の礼拝で、教会が戦時中に日本の侵略戦争を黙認することによって、戦争に加担したことが重大な罪であったことを反省し、神の御前に罪責を告白し、神の赦しを求めることを重視しています。さらに平和のため教会が果たすべき使命を認識し、特にわたしたちの教会が属しています「関東教区」では、日本キリスト教団の罪責を告白する「礼拝式」を定めました。
それは「主の祈り」を幾つかに区切り、会衆が一つの区切りを唱えるごとに、司会者がその区切りに適応している罪責を告白し、会衆がそれに応答する仕方でなされます。
そのようにして、主の祈りが最初から終わりまで唱えられる中で、日本基督教団の犯した罪を告白し、神の赦しを願い、明日に向かっての教会の使命を果たすことを神の御前に決意するようになっています。
罪責の第一は、神を神として崇めず、天皇を神として拝み、天皇制に基づく軍国主義によって推進された侵略戦争に加担したという罪です。これは「日本教」の中にキリスト教が飲み込まれたという基本的な認識による罪責です。日本教に従って、侵略戦争を神の「聖戦」として理解し、聖戦の勝利を祈ったという罪です。
第二は、日本国民の生活を守るために、占領した国々を植民地化し、アジアの人々の資源や生活の糧を奪ったという罪責です。
隣国の人々を人間として尊重せず、人権を踏みにじったという罪です。明らかにヒューマニズムに反する罪で、人類に対する罪です。

現在の日本では、戦後生まれた人たちが定年を迎え、戦争の悲惨さは既に風化しています。従いまして、多くの人たちが戦争を知らないし、どうして戦争責任が自分たちの世代にまで及ぶのか、そんなことはおかしな話であると感じています。
これは日本の戦争責任を連合国軍事法廷によって押し付けられたものとして受け取り、新しく出発するために必要な道義的問題を直視しようとしてこなかったことが一番大きな原因です。 
確かに、憲法で戦争を放棄し、基本的人権を認め、思想の自由と結社の自由を認めていることは、民主主義に基づいて、平和を守る国家であることを内外に宣言したことになります。
しかし、日本の政治家や文部科学省の官僚の中には、次の世代に対する愛国心教育の必要性を重視し、日本はそんなに悪い侵略戦争をしたのではないと主張して、人類に対する道義的な責任を回避する人が多くいます。他方、侵略戦争の犠牲になった戦没兵士を靖国神社に祭り、戦犯として国際法廷で死刑になった軍人も靖国神社に合祀し、彼らを日本国家の守護神として参拝させようと考えています。これは世界の諸国家の愛国心とは基本的に異なる精神です。これは各国の文化の違いとして済まされる問題ではありません。ここに日本国の倫理的気風が世界に理解されない大きな原因があります。

(2)聖書の神
わたしたちクリスチャンが信じている聖書の神は、諸々の偶像ではなく、生ける真の唯一の神です。なぜならば、神は聖書の御言葉をもって、人間にご自身を示される神であるからです。
そして、人間を愛し、人間の罪を贖うために、神の御子である主イエス・キリストによって人類の罪の責任を取り、罪を根本的に処理し、神の御前に人類が生きる新しい道を主イエスの中に備えられた神であるからです。この主イエスがご自身を人間と結び合わせ、人間の責任を自ら担い、処理された連帯性は、すべての人間、全人類を包含しています。 
神は確かに真理と命の唯一の源泉であります。しかしこの点については、多くの偶像も同じように主張しています。ただ聖書の神が偶像と異なる点は、人間を顧み、主イエスによって、ご自身を人間と結びつけ、人間の問題を自ら担っておられることです。
それゆえに、神は人間の創造者であり、人間の救済者であり、万物の支配者であり、人間の歴史の支配者であり、万人の審判者なのです。 
この神がご自身の目的を実現するために、人類の歴史を支配しておられるのです。それゆえ、神の御心に反して、歴史を支配しようと企てる諸国家を神は罰せられます。神は侵略戦争に「ノー」という判決を下されます。
神の判決により、日本は敗戦国となりました。日本国家が敗北した原因は、軍事力が連合国に劣っていたからでもなく、日本人の戦争遂行の熱意が足らなかったからでもなく、実に神の審判です。これが多くの人々を巻き込み、交戦国が相互に自分たちの正義を叫んでいたことに対して下った神の審判です。

(3)万民に公平な神
それではクリスチャンの神はどういう神でしょうか。このことにつきまして、ペテロの手紙一の1章17節の御言葉が説明しています。
「また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、「父」と呼びかけているのですから、この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。」
ここで、神は「公平に裁かれる」方であると言われています。これは聖書の神の特質です。聖書の神は真理であり、万人に対して正しい方であることを示しています。ある人々にえこひいきをし、差別されることは絶対にありません。一人一人に対して、良心と理性に基づいて判断し、自己責任をもって行動することが要求されるのです。日本人は、悪いことでも、多数で行うならば見逃されるという甘えの精神構造があります。赤信号でも多数で渡れば怖くないという駄じゃれは、無責任が蔓延していることを示しています。

さらに、主イエスはわたしたちが日々の糧のことで思い悩んでいるのを誰よりもよくご存じでありますので、次のように仰せられました。
天の父は必要なものを必ず与えられる恵み深い方であるから、クリスチャンに必要なことは、先ず神の国と神の義を求めることである、と仰せられました。
「それらはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要であることをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(マタイ6:32~33)
神の国とは神の恵み深い支配を意味しています。従って、神の国は信仰者が神の支配を受け入れ、自ら進んで神の御心を行うことにより、地上で存在するのです。
それゆえ信仰者が行うべきことは、神の御心を実践することであるといわれました。そうするならば、必要な日ごとの糧は必ず与えられると約束されました。これはクリスチャンが富を得るというのではなく、必要な範囲で物質的な糧を得ることができるといのです。クリスチャンは霞を食べて生活せよというのではありませんが、富を得ることを第一としてはならないというのです。神の支配を受け入れ、神の御心を実践することを第一とするように命じられました。

(4)国家に対する神の意志と支配
聖書の神の支配はクリスチャンやその共同体である教会に限定されているのではありません。教会とは全く異なる組織である国家も神の直接的な支配のもとに置かれています。この点が聖書の神の特質です。
神は人類の創造者であり、救済者であり、歴史の支配者であります。従って神は教会と国家の両方の主権者なのです。神の国は教会と国家の両方を含んでいます。これが聖書の信仰です。
それでは、真の神と偶像との違いはどこにあるのでしょうか。偶像とは石や木で作った像を拝むということよりも、神でない者を神として拝むということです。その場合に、人間を神として拝むこと、あるいは国家を神として拝むということです。たいていの場合に、国家を絶対化して神に祭り上げました。日本の場合は、国家の元首である天皇に対する忠義を極端に推し進め、天皇を現人神に祭り上げました。そして、天皇は軍隊の総司令官でもありましたので、天皇制に基づく軍国主義的な国家を作ったのです。
国民は天皇の命令に盲従し、侵略戦争に突っ走りました。その結果、だれも制御できなくなりました。日本国家を中心にした大東亜共栄圏を樹立するための戦争であると信じ込ませて、国民を侵略戦争に総動員したのです。このように国家を絶対化して、すべての人間に忠義を誓わせることは、悪魔的思想であり、国家の破滅は必然的であったのです。

それに対して、旧約聖書ではイスラエルの国家に対する神の支配はどのようにして行われたのでしょうか。イスラエルは信仰共同体であると同時に国家でありました。
その国家に対する神の意志は預言者たちを通して示されたのです。本日の聖書の箇所でありますミカ書は神がイスラエルの民とその指導者たちに繰り返して語られた神の言葉を語った本当の預言者たちの一人です。ミカ書の6章8節で、次のように語っています。
 これは聖書の宗教の根本であり、旧約聖書における霊的な意味で高くそびえる連山の一つの頂上です。
「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」
神が告げられた人間にとっての「善」を預言者ミカは単純明快に示しています。それは一つが正義を行うこと、一つが慈しみを根本とすること、一つは神の御前に謙遜になり神と共に歩むこと、この三点であります。これは包容力のある霊的な宗教を発展させるに十分な条件である。これ以上のものは何も要らないと、ミカは断言しています。
「正義」とは人間の社会生活全般、国家の営みのすべての面での様々な公正です。その公正が何であるかは、人間の歴史の支配者である真の神に直面し、謙遜に、正直に、良心と祈りをもって神から聞こうとするときに、神ご自身が示される正しさです。
「慈しみ」とは同胞、隣人に対する親切さであります。つまり、真実な愛であります。このことについても、人間は良心と祈りをもって、神と直面し、謙虚さと正直な心をもって、神に求めるならば、神から示され、同時に、神の愛が人間の中に働くのです。
そのようにして神と共に歩むことが、神の支配の中で、生きることです。そのことによって、社会や国家は危機に直面しても、それを克服し、平和を守ることができるのです。
しかし、イスラエルの国家はミカを通して語られた神の言葉に耳を傾け、悔い改めようとはしませんでした。イスラエルの支配者階級は不正を行って自分たちの利益を追求していました。当時の富は主として不動産から成り立っていましたので、社会の有力者たちは脅迫、詐欺、暴力をもって、同胞から家や土地を奪いました。貧民や中産階級が先祖から相続した財産を強奪しました。彼らの犠牲になった家族は実質的に奴隷の生活を余儀なくされたのです。
さらに悪いことは、そのような不正を行っている有力者たち、国家の指導者たちは、自分たちが聖書の決められた礼拝を忠実に行っている最も敬虔な者であると自負していたことです。彼らは神の主権に対する畏敬の念を全く持たず、その信仰は外面的であり、自分たちの財産を蓄積する手段であったのです。
しかも、そのような信仰が立派な信仰として社会から認められ、宗教界を代表していました。このような偽りの信仰を持っていた富裕階級とそれを擁護した偽預言者の集団、すなわち国家の手下になっていた職業預言者たちに対して、ミカは容赦のない神の審判を宣言しました。そでもエルサレムの指導者たちは悔い改めようとはしなかったのです。
この預言がなされたのは、紀元前、700年ごろです。それ以後100年の間イスラエル国家はアッシリア帝国の属国として、わずかに余命を保っていましたが、西暦587年に新しくアラブ世界の覇権を掌握したバビロニア帝国によって滅ぼされました。その結果イスラエルの民は、神の民として、国家を持たず、信仰共同体として存続し、キリスト教出現の準備としての使命を果たしました。
要するに、神は教会と国家の支配者です。そして世界の諸国に対するご自身の意志と行為を旧約聖書の預言者たちを通して語られたのです。実にそれは、正義を行い、慈しみを根本とする生き方です。神は有神論者であろうが、無神論者であろうが、キリスト教国であろうが、他の宗教国であろうが、国家や人類の歴史を導かれるのは、正義と慈しみを世界に実現するためであります。
神の世界支配を本当に知っているのは、もちろんキリスト教会です。それゆえ、旧約聖書の預言者たちがイスラエル国家に対して、神の言葉を語った使命が、今日ではキリスト教会に与えられているのです。
今日において、世界の平和にとって核兵器がもっとも危険な問題です。核によって侵略戦争を阻止できるという核の抑止力に頼る政策は、明らかに神の意志に反しています。正義と慈しみだけでは世界平和は維持できないという考え方は、正義と慈しみが発揮する国家的、国際的な力を全く認識しない、いや認識しようとしない人間の傲慢と怠慢です。わたしたちクリスチャンは、神様が世界の歴史を支配しておられることを自覚し、世界平和のために祈願する者であります。



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