2011-06-26(Sun)

三位一体の神を信じる 2011年6月26日の三位一体主日礼拝メッセージ

三位一体の神を信じる
中山弘隆牧師

 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
申命記6章4~5節


 イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。
ペトロの手紙一1章1~9節


(1)キリスト教の信仰
 わたしたちはクリスチャンとして、共通の信仰を持っています。それは聖書において証されている唯一の神を信じている、ということです。神は唯一であり、万物の創造者であり、恵み深い支配者であり、万人の救済者であります。それゆえ、神は信じ、祈り、礼拝し、従い、賛美されるべき神であります。唯一の神こそ人間を生かす永遠の命の泉であります。その唯一の神が三位一体の神であります。
しかし聖書のなかでは、三位一体と言う神学的な用語は使用されていませんが、父なる神と子なる神と聖霊なる神が告白され、しかも神は唯一であることが告白されています。
実に神は真の人間となられた神の御子・主イエス・キリストにおいて、人間の救いを達成し、人間を神との人格的な交わりに入れられたのです。この恵み深い現実が、三位一体の神の存在と直接に関係しています。
 使徒言行録4章12節で記されているように、使徒ペトロとヨハネはユダヤ教の法廷に呼び出され、どうして「イエスの名」による救いを宣教しているのかと尋問されました。そこで次のように答えています。 
 「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と証言しています。
 そして、ユダヤ教の法廷は、二人に対して今後は決して「イエスの名」によって語ったり、教えてはならない、と厳しく命じました。
しかし、ペトロとヨハネは、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(使徒言行録4:19)と公言しました。
このようにイエスの名、すなわち主イエス・キリストの名こそ、人類の救い主として神から遣わされた方であるというのが、使徒たちの確信であります。また、それはキリスト教会の確信であります。そのことを使徒パウロはコリントへの信徒への手紙一、12:4~6で、教会の中に働く神の働きや賜物に関して、次のように説明しています。
「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。」
このように教会の中に臨在し、クリスチャンに賜物を与え、務めを与え、クリスチャンを通して働いている方は、同じ神であり、同じ主であり、同じ聖霊なのです。従いまして、キリスト教は同じ神、同じ主イエス・キリスト、同じ聖霊を告白する信仰共同体です。

科学者であり、実存的哲学者であったパスカルが福音的信仰に回心しましたのは、1654年11月23日の夜でした。10時半から12時半頃まで、熱烈にまた苦しみ悶える祈りの後に、パスカルは神の恵み深い「並外れた助け」について言葉では言い表されないような体験をしました。それを最初に紙片に走り書きし、その後羊皮紙に書き写して、コートの裏地に縫い付け、生涯身に着けていました。それは次にように語っています。

       恵みの年1654年
          火
 アブラハム、イサク、ヤコブの神;哲学者と科学者との神ではない。
確かさ、確かさ、感動、喜び、平安

       イエス・キリストの神
 あなたの神はわたしの神となるであろう。この世と神以外のすべてのものの忘却。神は福音書の中で教えられた方法でのみ見出されるべきである。
 
       人間の魂の偉大さ
 ああ、義なる父よ、この世はあなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知っています。喜び、喜び、喜び、喜びの涙
 わたしは彼からわたし自身を引き離していました。わたしが彼から永遠に離されないようにしてください。彼らが唯一の神であるあなたと、そしてあなたが遣わされたイエス・キリストを知ることが永遠の命です。

       イエス・キリスト
 わたしは彼からわたし自身を引き離していました。わたしは彼から逃れ、彼を否認し、彼を十字架に付けました。わたしが彼から引き離されないようにしてください。
彼は福音書において教えられた方法でのみ保たれるべきです。
完全なる心地よい放棄。

 以上のパスカルの告白から、推察できることは、唯一の真の神は、聖書に登場する信仰者たちの知っている神であり、哲学者や科学者が考え出した神ではないということです。なぜならば、神が遣わされたイエス・キリストを知ることが神を知る唯一の方法であるからです。
 このように神は唯一の神であり、神の御子である主イエス・キリストを通してご自身を啓示されました。そしてその啓示は人類の罪の贖いによる救いであります。この神的事実が、必然的に三位一体の神を現しています。

(2)使徒ペトロの教え
 本日の聖書の箇所でありますペトロの手紙一は、具体的な個々の教会ではなく、全キリスト教会に宛てた信仰の教えと奨励であります。
 1章1~2節は挨拶の部分ですが、1節でペトロは「イエス・キリストの使徒」であると言っています。主イス・キリストによって使徒として選ばれたと言っています。十字架につき復活し、昇天された主イエス・キリストが天地の支配者であり、教会の頭であることを告白し、この主イエスによって、それぞれのクリスチャンが選ばれ、それぞれの務めと働きに任じられていることを言い表しています。
 使徒たちは復活の主イエスを見た者たちであり、十字架の死によって人類の罪を贖われた主イエスが救い主であることを内容とする福音の言葉を聖霊の導きによって語った者たちであります。
 他方クリスチャンは、2節で次ぎのように呼びかけられています。
「あなたがたは、父である神があらかじめ立てられたご計画に基づいて、『霊』によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。」
 人間の救いはすべて父なる神の目的によるものであり、クリスチャンは父なる神の目的が実現する過程で選ばれ、イエス・キリストの命を受け、イエス・キリストに従うために、聖霊に導かれ、聖化の過程にある者たちである、と言っています。

 次に、ペトロはクリスチャンに生き生きとした希望を与えられた父なる神を賛美しています。
 「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、萎まない財産を受け継ぐものとしてくださいました。」
 神の豊かな憐れみとは、罪人を愛する神の愛を意味しています。神は主イエスの十字架の贖いと復活により、わたしたちを主イエスと共に復活させ、新たに生まれさせ、「わたしたちの新しい存在」を「主イエスの中」に保管されました。このことを、天に蓄えられている永遠の財産と呼んでいます。つまり、神の国の市民権を与えられたというのです。この現実が「生き生きとした希望」なのです。このような大きな恵みを与えてくださった神はわたしたちが自分の全存在をもって賛美すべき方です。
 それゆえ、わたしたちの救いは、父なる神の愛によって計画され、実現されたものです。しかも、神の御子である主イエス・キリストの死と復活を通して実現しました。主イエス・キリストが同じ神の愛によってご自身をわたしたち罪人のために与えられたことによるのです。
 ここに、人間の救いは父なる神と子なる神の共同の業であることが告白されています。しかも、それだけではありません。父なる神が主イエス・キリストにおいて達成された救い、そして主イエスの中にわたしたちの新しい存在が保管されていることを、わたしたちに信じさせ、確認させる働きが、聖霊の働きなのです。
従いまして、神がわたしたちに与えられる救いはすべて父・子・聖霊の神の共同の業であると言えます。
さらに重要なことは、救いのすべての局面で、わたしたちと神との間にいかなる媒介物を用いず、父・子・聖霊の神が直接に関係し、直接に働いておられるのです。そういう意味で、わたしたちの救いと信仰生活は、神の存在と働きの現実の中で行われ、導かれているのです。
しかもこの神の現実的な働きは人間の目には見えない、人知をはるかに超えた神の神秘ですが、わたしたちの救いと新しい命はこの神の現実を離れてはありえないのです。これが聖書的な信仰です。

次に5~9節で、わたしたちの在り方について、すなわち「聖化の過程」にあるわたしたちの信仰生活について、それは聖霊の働きによるものであると言っています。同時に、聖霊の働きはわたしたち人間の側の信仰と表裏一体となっているのですから、わたしたちの「信仰」の重要性について教えています。
「あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰により守られています。」
 すなわち、信仰を通して働く神の力によって、わたしたちは終わりの救いを受け継ぐまで、守られているというのです。信仰は聖霊の働きなので、信仰を堅持していることこそ、わたしたちの信仰生活が神の力に支えられ、守られていることに他ならないのです。
 「それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物とされ、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、賞賛と光栄と誉とをもたらすのです。」
 信仰は人間の主体的な働きでありますが、同時に聖霊の働きなので、人間の利己的な思いによる偽の信仰ではなく、聖霊の働きである「本物の信仰」であるかどうかを試す試練の時を必要とするのです。そのテストは試練の時にも喜んでいるかどうかです。本物の信仰は試練の時にも心から喜んでいるのです。それは聖霊を通して、神の愛が絶えず心に注がれているからです。喜ぶ、しかも試練の時にも喜んでいると言うことがクリスチャンの特質であり、神の子とされている者たちの特質です。
 「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ち溢れています。それは、あなたがたの信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。」
 この喜びは福音の言葉を通して、信じる者に復活の主イエスが臨在されるからです。復活の主は十字架の事実を通して、信仰者にご自身の愛を示されるのです。クリスチャンがこの「主の愛」に「応答する」ことが「主を愛する」ことです。それは聖霊がクリスチャンの中に作り出す愛です。言い換えれば主の愛が信仰者の中に働き、その愛によって、クリスチャンは主を愛するのです。愛するゆえに主を信じており、主に従うのです。このことが言葉では言い尽くせない喜びなのです。
 ペテロの手紙は、クリスチャンのこの状態を「信仰の結果として魂の救い」を受けていると言っています。この事実は、パウロの手紙では、「信仰によって義と認められている」すなわち、「信仰義認」と言われています。信仰により、神との人格的な交わりの中にあるということです。神は常に罪の赦しをもって、クリスチャンと出会い、聖霊を通して、主イエスの中に保管されている新しい存在としての命を供給してくださり、クリスチャンが喜んで神の命令を実行するようになるのです。このような路線を進んでくことが聖化の道です。
 試練の時の長さは救いが完成する神の国における永遠と比較すれば、
ごく短いのです。この短い時を耐え忍び、信仰を堅持することによって、無限の祝福に入れられることは、なんと言う素晴らしい神の計画でありましょうか。このことを認識させて、聖化の道を歩ませるのは聖霊の働きであります。同時に、それは父なる神、子なる神、聖霊なる神の共同の業によって、成り立っているのです。
クリスチャンはこのことを体験し、認識し、告白し、賛美するのです。三位一体の神は決して抽象的な概念ではありません。それは絶えず、クリスチャンを訪れ、出会い、対面され、クリスチャンを新しい存在に生かす神の現実なのです。

(3)三位一体の神
最後に、三位一体の神は、決して孤独な神ではありません。神はご自身の中に父・子・聖霊の交わりを持っておられる唯一の神です。
それでは、ご自身の中に父・子・聖霊の交わりを持っておられる神が唯一であるというのはどういうことでしょうか。それは父と子と聖霊の中にそれぞれ同じ意志、同じ知恵、同じ威力、同じ愛があって働いているということです。
他方、父なる神のパーソンと子なる神のパーソンと聖霊なる神のパーソンはそれぞれ異なっています。それぞれのパーソンは自意識と主体性があります。それゆえ、そこに父と子と聖霊の間に、人格的な自覚をもった交わりが成立しているのです。
そして、パーソンの間には一つの関係があります。子は父から生まれ、聖霊は父と子とから出るという永遠の関係です。しかし、これは決して人間のパーソンのような関係ではありません。子が父から生まれると言うことは、父が子に対して自己を与えられることであり、聖霊が父と子から出るということも、聖霊に対して父と子とが自己を与えられることです。
それゆえ、すべての意志、知恵、力は父なる神から出ます。子なる神は絶対的に父なる神に依存しておられますから、完全に父なる神を啓示します。聖霊は絶対的に父と子に依存していますから、完全に父と子とを啓示します。そのことによって、神の本質である全知と全能と永遠なる愛の働きを父、子、聖霊が共有しておられるのです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR