2011-06-12(Sun)

聖霊を与える 2011年6月12日のペンテコステ礼拝メッセージ

聖霊を与える
中山弘隆牧師

 そして今、わたしの僕ヤコブよ、わたしの選んだイスラエルよ、聞け。あなたを造り、母の胎内に形づくり、あなたを助ける主は、こう言われる。恐れるな、わたしの僕ヤコブよ。わたしの選んだエシュルンよ。わたしは乾いている地に水を注ぎ、乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える。
イザヤ書44章1~3節


 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」イスカリオテでない方のユダが、「主よ、わたしたちには御自分を現そうとなさるのに、世にはそうなさらないのは、なぜでしょうか」と言った。イエスはこう答えて言われた。「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。
ヨハネによる福音書14章14~28節


(1)ペンテコステ
 本日の礼拝は聖霊の降臨を覚えて守っています。ペンテコステとはもともと「五旬祭」と言う意味で、旧約聖書の中に規定されている「過ぎ越しの祭り」の日から数えて50日目の祭りでありました。世界各地に離散しているユダヤ人たちが五旬祭を守るために、巡礼の旅をしてエルサレムに集まって来ました。
ちょうどその日にキリストの使徒たちも、エルサレムにおいて、キリストによる神の救いを宣教し始めました。その時、聖霊が彼らの上に降臨し、彼らは聖霊の力によりキリストの救いを「福音の言葉」として力強く語りました。その福音を通して聖霊が聴衆の上に降り、三千人もの大勢の人たちが主イエス・キリストを信じ、洗礼を受けて、教会に属しました。これがペンテコステの出来事です。

神は全人類を救うために、神の御子をこの世に遣わされました。神の御子は永遠の神であると同時にマリアより生まれた真の人間として地上の生涯を全うされました。
その間、人々に神の御言葉を語り、御言葉を通して、罪を赦し、病める者を癒し、ご自身の言動をもって神の愛と救いを示されました。同時に、人々に主イエスに対する信仰を要求されたのです。そのようにして人々は主イエスに見いだされ、召され、従い、主イエスとの交わりの中で、神を知るようになりました。
それゆえ、主イエスの人格と言動そのものが、人間に神を知らせる「啓示」である、と言えます。
他方、啓示の内容とは神が御子イエスを通して人類の罪を贖い、人類を神と和解させてくださったことです。さらに、贖罪と和解において、御子イエスが罪人のためにご自身を与えられたことであります。言い換えれば、人類の罪を背負われた御子イエスが十字架の死に至るまで父なる神に対する従順を全うされたことにより、神の御前に生きる「人間の正しさと命」を実現してくださったということです。
それゆえ、主イエスにおいて神が実現してくださったことを信じる者は、主イエスにあって、神の御前に生きるのです。
このように主イエスはわたしたち人間を罪の束縛から解放し、神との交わりの中に入れる「救済者」であります。

但し、主イエスの生涯は人類の罪を贖う十字架の死によって終わったのではありません。十字架の死が必然的に主イエスの復活と、そして昇天を伴いましたので、主イエスの生涯は十字架の死と復活と昇天を含めた全体の出来事であります。これらは神が主イエスを通して人類と関わられた神的出来事でありますので、主イエスの人格と業の重要な構成要素なのです。それゆえ主イエス・キリストは地上の生涯と十字架の死と復活と昇天とを全うされた方として、「救い主」となられました。
今や、昇天されたキリストは「キリスト教会」に神の啓示と救いである「ご自身」を全世界の人々に宣べ伝えるように命じられました。
それゆえ、教会は聖霊の働きを受けて、この使命を果たすことによって、世界の中に存在するのです。

ペンテコステの日に語られたペトロの説教は、使徒言行録2:32~36の箇所で次のように述べています。
「神はこのイエスを復活させられた。わたしたちは皆、そのことの証人です。----イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主として、またメシアとなさったのです。」
この福音を聞いて、イスラエルの人々は大いに心を打たれて、ペトロと他の人たちに、「兄弟たち、わたしたちはどうすれば救われるのでしょうか」と尋ねまたした。
そのとき、ペトロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」と勧めました。
このペテロの言葉を受け入れた人々が洗礼を受け、教会に属しました。その数は約3000人でした。
ここで見逃してならない点は、使徒たちが「キリストの福音」を確信に満ちて語ったのは、聖霊が彼らの上に臨んだからですが、それだけではありません。彼らの宣教を聞いて、洗礼を受けた人たちの上に聖霊が臨んだのです。彼らの心に聖霊が働きましたので、彼らはペトロの語る言葉を信じ、受け入れたのです。
他方、聖霊の働きを受けなかった人々も多くいました。彼らは依然としてユダヤ教の立場に固執し、ペトロの語る言葉を拒絶しました。
従いまして、神の啓示であり、人類の救い主である主イエスを「福音の内容」として宣べ伝えることが、聖霊の働きなのです。

ここで、ペンテコステの日を迎えるまで、使徒たちがどのようにして福音を理解し、確信するに至ったかは、非常に興味深い事柄です。復活の主イエスに出会って以来、彼らは共に祈り続け、主イエスの言葉を熟慮し、旧約聖書が主イエスの贖いの死をどのように預言しているかを熱心に研究したことでありましょう。
そして、主イエスが宣教された「神の国の福音」を自分たちの語る福音の基本的な枠とし、そこに主イエスを内容とする「キリストの福音」をどのように配置するかを決定するため、相当の日数を必要としたでありましょう。その間、使徒たちの共同の業を導いたのは、聖霊でありました。
使徒たちの語った福音は今日「ケールグマ」と呼ばれているもので、福音の中核を構成しています。二十世紀の前半に聖書神学者たちが使徒言行録とパウロの手紙を比較する分析的手法によって、ケールグマを発見しました。
使徒たちは主イエスの委託に応えて、語るべき福音の内容を聖霊の働きにより認識し、それをケールグマに結集しました。すなわち主イエスの死と復活と昇天によって可能となった新しい視点から、主イエスの教えと業を再検討することにより、ケールグマが誕生したのです。
二十世紀を代表する神学者の一人でありましたティリッヒは、キリスト教会の歴史の中で、聖霊が特に活発に働いた時期が二つあるとし、一つは初代教会の時代であり、一つは宗教改革の時代であったと言っています。初代教会の時代は、聖霊の働きにより、福音が誕生した最も重要な時代であり、宗教改革の時代は初代教会以来忘れられていた福音の再発見の時代でありました。このことは聖霊と福音との密接な関係を物語っています。

(2)聖霊の働き
次に、聖霊の授与について、主イエスは弟子たちとの最後の会話の中で、このことを特に強調しておららます。本日の聖書の箇所でありますヨハネによる福音書14章16節でこのように仰せになりました。
「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」
これは聖霊とは父なる神が主イエスの願いのゆえに、教会に送りくださる「弁護者」である。そして聖霊は教会の枝である一人一人のクリスチャンに内住され、クリスチャンと共に永遠にいてくださる方である、と言う意味です。
また、16章7節で、主イエスは次のように言われました。
「しかし、実を言うと、わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。」
主イエスが十字架に架けられて死に、復活し、昇天することによって、言いかえれば主イエスが名実ともに「救い主」となり、救い主の地位に就き、万民のための救い主の働きを発揮されるとき、「弁護者」を教会と一人一人のクリスチャンに送ると約束されました。これは主イエス・キリストの昇天により、主イエスが聖霊を教会に送られる、と言う意味です。
従いまして、「聖霊」は父と子とから派出する三位一体の聖霊なる神であります。聖霊は「ご自身のパーソン」を持った神であります。決して単なる力ではありません。従いまして、奇跡を行い、また超自然的な業をする力を聖霊と考えるのは、聖霊を正しく理解しているとは言えません。聖霊は父・子・聖霊の交わりの中で、存在される神でありますから、聖霊の力は神様ご自身の働きなのです。
また、聖霊が父なる神と子なる神とから派出して、主イエスを信じる者たちの中に内住され、永遠に信仰者と共にいますということは、聖霊なる神が人間の心と精神の中で神として働かれることであります。しかし、それは聖霊が人間の精神と合一し、一体となることでは決してありません。そのような考え方は、人間の精神を神的なものにすることであり、異教的で非聖書的であります。聖書的で福音的な考え方は、聖霊が人間の心に直接働き、神の思い、性質、行為を知らせるという聖霊に対する認識であります。他方、聖霊の働きは神の働きなのですから、それが何であるかは人間にとって知ることのできない神秘です。人間の理解を越えた神の絶対的自由に属することがらです。あくまでもそれは隠れた神の働きなのです。
聖霊は隠れた神の働きをもって、直接わたしたちの知性と意志に神の意志を知らせ、それを実行する霊的能力を与えられるのです。そのようにして、わたしたちが神を礼拝し、喜んで神に従い、仕える者としてくださるのです。
それでは、聖霊は神としての隠れた働きによって、わたしたちの心と知性の中に何を知らせ、何を運び、何を与えてくださるのでしょうか。この大切な働きを主イエスは次のように説明されました。14章26節でこう仰せになりました。
「しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起させてくださる。」
ここで、聖霊はすべてのことを使徒たちに教え、主イエスがすでに使徒たちに教えられたことをもう一度思い出すようにする、というのです。つまり、聖霊がわたしたちに教えられることは、主イエスが話されたこと、なされたことを思い起こさせ、その意味を本当に理解させられるのです。人は理解しなかったことは忘れてしまいます。一度忘れてしまえば、再び思い出すことはありません。そのようなことにならないため、聖霊は働くのです。
主イエスが地上の生涯で達成されたすべての歩みが、それらは一回限りの出来事であるゆえに、神の御前に永遠に有効な歩みなのです。それゆえ、主イエスご自身が、わたしたちすべての者を真に生かす永遠の生命の泉となられました。
言い換えれば、主イエスが父なる神との間に、愛と従順の交わりを持っておられましたが、その祝福された神と人間との交わりに、わたしたち罪人を招き入れるために、主イエスは人間の罪を贖い、ご自身の命を犠牲にされました。そのことによって、人間を支配している罪の勢力を打ち破り、罪の束縛から人間を解放してくださいました。同時に、主イエスはそこで達成されたご自身の義と聖と命を人間に与えられたのです。
これらすべてのことは、罪人を救うためになされた神の業でありますが、それは父なる神と子なる神の共同の業でありました。この神の救いを人間に知らせ、理解させ、そのことを受け入れさせ、そのことに感謝の応答をさせる働きが、実に聖霊の働きであります。

(3)福音宣教の主体である聖霊
そのような聖霊の働きについて、主イエスは16章の13~15節で説明されています。これは非常に簡潔で意味深長な言葉です。
ここでは、聖霊を「真理の霊」と呼んでいます。人間のための真理と命の源泉は父なる神です。父なる神と御子イエスとの間で、共同の業として、この真理が樹立されました。聖霊の働きは、この真理を信仰者に告げ知られることです。
さらに、聖霊は主イエスが仰せられた「わたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げる」という働きをされるのです。
聖霊は自らの計画と目的をもって働かれるのではありません。神が主イエスにおいて計画し、実現された人間の救いの業を、推進させ、完成させられるのです。
聖霊が推進される救いの内容は主イエスご自身です。その意味で聖霊は栄光を主イエスに帰される方なのです。
従いまして、聖霊の働きの重要な点は、聖霊を通して、主イエスの思いと命が、信仰者の中に働くことです。主イエスの思いと命が日々新たに信仰者の心に注ぎ込まれるのです。そのことによって、クリスチャンは昇天して名実ともに救い主となられました生ける主イエスとの人格的な交わりの中で、生かされるのです。
聖霊は復活の主イエスの意志と性質と愛と行為と信仰と祈りとそして命をクリスチャンの心の中に働かせ、クリスチャンと主イエスとの人格的な交わりを与えられるのです。
その意味で、主イエスは聖霊を通して、クリスチャンの中に「神」として臨在され、同時に「人間」として達成し、保持しておられる「聖なる命」をクリスチャンに絶えず供給されるのです。

それゆえに、人間の救いは父・子・聖霊の共同の業なのです。その聖霊を通して、わたしたちが主イエスの心をもって、父なる神に祈り求め、聖霊によって、わたしたちの心に主イエスの愛と命が注がれ、わたしたちが愛と従順、謙遜と奉仕、忍耐と希望の歩みを続ける中で、主イエスの性質を映し出しながら、福音を宣教するのです。
教会は聖霊によって、主の名を告白し、賛美し、証して、福音を全世界に宣教するのです。
この宣教の主体は教会ではなく、聖霊なる神であります。ペンテコステの日以来、教会の証と宣教の主体は聖霊であります。聖霊が宣教の推進者であります。



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