2011-04-17(Sun)

この人は神の御子であった 2011年4月17日の礼拝メッセージ

この人は神の御子であった
中山弘隆牧師

 なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して、主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか、「我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう」と。天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り、憤って、恐怖に落とし、怒って、彼らに宣言される。「聖なる山シオンで、わたしは自ら、王を即位させた。」主の定められたところに従ってわたしは述べよう。主はわたしに告げられた。「お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。求めよ。わたしは国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする。
詩編2篇1~8節


 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、、その服を分け合った、、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
マルコによる福音書15章22~40節


(1)歴史的な事実としての十字架
 教会歴によりますと本日は棕櫚の主日と言います。エルサレムに入場された主イエスを民衆は各々手に棕櫚の枝をもって迎えましたことから、このように呼ばれるようになりました。今週の金曜日に主イエスは人類の罪の贖いのため、十字架の死を遂げられました。このことを覚えてわたしたちは礼拝をささげています。
キリスト教の強みは、イエス・キリストによる神の啓示と救いが、歴史の事実であり、実在したイエス・キリストを通して与えられているということであります。神の御子イエス・キリストは決して架空の人物でなく、一つの明確な人格と意志と性質と行動を持っている方です。さらに十字架の刑が執行された場所もはっきりしています。
 「そして、イエスをゴルゴダという所--その意味は『されこうべの場所』--に連れて行った。没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。それから、兵士たちはイエスを十字架に付けて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。イエスを十字架につけたのは、午前9時であった。罪状書きには『ユダヤ人の王』と書いてあった。」(15:22~26)
 ここで、イエス・キリストが十字架に付けられたゴルゴダの丘は、今日の考古学者たちによって発見されています。1849年にオットー・テニウスによってその場所が特定されました。今ではその場所は建物にすっかり覆われていて、外からは見えませんが、地下を発掘しますと、聖書にしるされているように、人間の頭蓋骨のような地層が確かめられています。このようにイエスの十字架は歴史の事実であります。
 また、聖書はイエスと共に二人の犯罪人が十字架に付けられたと言っています。従って、イエスは処刑された犯罪人たちと共に、しかも、「ユダヤ人の王」として、すなわち「救い主」として、十字架の刑を受けられたのです。ユダヤ人の王という罪状書きを付けた者はローマの総督ピラトです。さらにローマの兵たちは茨の王冠をイエスの頭に乗せました。そういう姿でイエスは十字架に付けられたのです。
 確かに、イエスが十字架に付けられた経過を見ますと、そこにはこの世の権力や意志が支配しているように見えます。しかしそれはあくまで歴史の表面的な現象であり、歴史を動かしている原動力は神の意志なのです。神の意志こそ歴史を貫いて働いている真の力です。

(2)人間の罪に対する神の審判
 イエスの十字架の死は、全人類の罪に対して神が究極的な審判を下された出来事です。自分たちの宗教的、政治的、社会的な権利を擁護するために、それと根本的に相いれない神の御子イエスをユダヤ教の指導者たちやローマ帝国の総督ピラトが十字架に付けました。しかし、事柄の真相は神がユダヤ教の指導者やローマ帝国の行政官だけでなく、わたしたちも含めてすべての人間の罪を裁くために、神の御子イエスを犠牲とされたのです。
 自己の罪によって神から離れ、神に敵対している人間を赦し、神との交わりの中で生かすためは、神が人間の罪を処理し、取り除く必要がありました。すなわち人間の罪を贖うことが必要でした。そのために、父なる神は人類の罪を御子イエスに負わせ、御子イエスにおいて、人類の罪を裁かれたのです。この裁きを通して、神は神の義を樹立し、信じる者に神の義を与え、神の御前に人間が生きる道を開いてくださったのです。
 天地の創造者であり、人間の歴史の支配者である神は憐み深い愛なる神です。しかし、同時に義なる神であります。神において義と愛が矛盾することは決してありません。愛も義も共に神の性質であるゆえに、互いに調和しているのです。さらに言えば、神のすべての性質は愛によって統一されているのです。
 それゆえ、神は人間の罪に対して徹底的に正し裁きをするため、人間の罪を御子イエスに負わせ、御子イエスを裁かれたのです。ここに神の無限に深い愛が啓示されています。
 イエスの十字架は、限りない神の愛を示すものです。しかし、それだけではありません。神の義がそこに究極的に啓示されているのです。なぜならば、十字架において先ず神の義が啓示されなければ、神の愛は啓示されないからです。
 キリストによる贖罪を論じましたジェイムス・デニーは1900年ごろに書いた「キリストの死」という本の中で、十字架の死は神の側と人間の側との両方から見て必要であったとし、その必要性を論じています。たとえば、二人が海の渚を並んで歩いて行ったとき、突然一人が「わたしはあなたを愛している」と言い出して、そのまま海に飛び込んで溺死してしまったなら、残された者は戸惑うだけです。どうして自分が愛されているのかその理由はさっぱり分かりません。身代わりになって死ぬ理由があるときにだけ、愛を示したことになるのです。

(3)十字架上の御子の叫び
 十字架による死刑は人類史上、最も残酷な刑罰です。それゆえローマ政府は奴隷の死刑に対してだけ、十字架刑を適用しました。
伸ばした両手を横木にロープで結びつけるか、または釘付けにしました。足は延ばしたまま縦の杭に結び付けるか、または釘付けしました。さらに体がずり落ちないように、腰掛のような小さな突起が杭に付けてありました。そして、罪状書きが十字架の上に掲げられていました。このことから推測しますと、キリストの十字架はT字型の十字架であったかもしれません。
ところで、十字架が残酷である理由は、十字架に付けられた者がすぐに死んでしまうのでなく、昼は熱い太陽に照らされ、夜は寒さに凍え、猛烈な喉の渇きを思えながら、何日もそのままで放置され、見物に来た人たちの嘲笑にさらされながら、次第に体力が消耗し、いつとはなしに息絶えるのです。
「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。」(15:23)
この苦しみを和らげる緩和剤として十字架の死刑囚には「没薬を混ぜたぶどう酒」を飲ませるのが習慣でした。兵士たちはイエスに没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしましたが、イエスは少しも飲もうとはされませんでした。それは十字架の死を明確な意識と感覚をもって体験し、最後まで父なる神に従順であろうとする御子イエスの強固な意志によるのです。
「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。『おやおや、神殿を打倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。』」(15:29~30)
今や全く無力になっている十字架のイエスに向かって人々は侮辱し、嘲りました。このイエスのように自分を救う力を持たない者が、人類の救い主であるはずがないという世間一般の見方をもって、民衆はイエスを嘲笑したのです。
また、祭司長や律法学者たちも民衆と同様の考えでイエスを愚弄しています。
「他人を救ったのに、自分を救えない」(15:31)
これは民衆の考え方を一層正確に言い合わらしたものです。確かに、イエスは多くの人々を癒した。しかし、自分自身を救うことのできないイエスは結局、救い主でなかったのだ、というのです。
イエスへの侮辱は彼らの本心から出た言葉であり、それこそ彼らの神に対する無知と彼らの罪の現れであると言えます。
このような人々の侮辱や十字架の苦痛をイエスは耐え忍び、一言も喋られませんでした。そこに沈黙が続きました。長い沈黙は、世の罪と闇の勢力が支配する「時」であり、御子イエスが神から切り離され、孤独の中にあった「時」であることを示しています。
その沈黙は3時間にも及びました。ちょうどそのとき、太陽も光を失い、闇が地方一帯を覆ったのです。多分「シロッコ」と呼ばれる砂漠から吹く砂嵐が太陽を遮り、辺り一面が夜のように暗くなったのだと思われます。
「三時にイエスは大声で叫ばれた。『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これは『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」(15:34)
『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。』これはアラム語です。イエスはアラム語でこのように叫ばれたのです。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味です。
何という悲しみと苦しみに満ちた言葉でありましょうか。しかし、この叫びは民衆や祭司長たちから嘲笑され、侮辱されたという苦しみを表しているのではありません。そうではなく、実に神との交わりから切り離され、ただ一人にされ、全くの虚無の中で孤独な死を迎えることの恐ろしさを表しています。
これまでイエスは神の御子として、つねに父なる神との交わりの中で、御言葉の真理と力を受け、命と喜びに満たされ、父なる神の御心を行い、父なる神と共に歩んでこられました。その御子イエスが今、父なる神から切り離された闇の中におられるのです。これこそ人類の罪をご自身の上に担われたイエスの状況でありました。
虚無の苦しみの中で、御子イエスはなお父なる神に従順であったのです。イエスの他にいったい誰が、そのような状況の中でなお神を信じ、神への従順を貫き通すことができるでしょうか。誰にも不可能です。きっと神を疑い、神に反抗し、自分を裁く神を汚す言葉を吐いてしまうに違いありません。そのような人間に対して、神が正しく裁き、神の義を確立することはできないのです。
「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」というこの悲痛な叫びは、神を「わが神」と呼んでいます。正に神から見捨てられたという状況の中で、イエスの心の底から湧き出た言葉です。「わが神」という言葉は父なる神への信仰を言い表しています。これは次の二つの事柄を告白しています。
第一に、主イエスはわたしたちに代わって、わたしたちの罪を告白し、罪に対する神の裁きとしての死をご自分の上に引き受けられたということです。
第二に、主イエスは徹底した正しい裁きを通して、神が人類に新しい命を与えられることを確信されたのです。そして必ずご自身を復活させられると信じて、死なれたのです。
このように死に至るまで父なる神に従順であられた結果、神の御子イエスは人類の罪とその結果である虚無に勝利されたのです。これこそ、御子イエスが人類の救い主としての使命を完全に果たされたことを意味しています。実に、御子の死に至るまでの従順こそ、死であるよりもむしろ生命なのです。それゆえ、御子が十字架の上で流された血は霊的生命を表しています。
 ヨハネによる福音書19:30はこのとき、主イエスが「成し遂げられた」と言われたことを記しています。この言葉には、たった今自分は救い主の使命を果たし終えたという感無量の思いが込められています。そして主イエスはこのように仰せられると、頭を垂れて最後の息を引き取られた、と証しています。
 また、マルコによる福音書15:37~39では次のように証しています。
 「しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、『本当にこの人は神の御子だった』と言った。」
 イエスの十字架の一番近くでそこに起こっていた一部始終を監視していたローマ兵の百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった。」と深い感動をもって証言しました。
この隊長は、十字架の肉体的な苦痛、精神的な苦悩と恐れは普通の人間が正気のままでは耐えられないことを熟知していました。
それだけでなく、イエスは極度の衰弱の中で、臨終の際に大声を出して、息を引き取られたのです。多分イエスはまだ幾分か体力が残っていたでありましょうが、極度のストレスのために心筋梗塞に陥り、最後の力を振り絞って、ヨハネによる福音書が伝えているような言葉を大声で叫ばれたのだと思います。イエスのこの精神力の強さを目の当たりにした隊長はこの人こそ神の御子であると信じたのです。
 十字架の前に立ち、十字架上のイエスの姿が、他の場所には決してない見られない荘厳な正しさと、そこに秘められた神の愛の霊的現実を示していることを心で直観した隊長は、イエスに対する信仰を告白しました。マルコによる福音書ではこの告白は、1章の冒頭の言葉、「神の子イエス・キリストの福音の初め」と一致しているのです。そこにこの告白が持つ深い意義があります。

(4)千歳の岩
 最後に、神が主イエス・キリストにおいて人類の罪を裁き、同時に人間に神の義と新しい命を与えられたということが正に主イエスの十字架の秘儀であります。
 そこにおいて、御子イエスがわたしたちの罪を贖うために、自ら進んでわたしたちの罪を負い、わたしたちに代わって、裁かれました。そしてその裁きの中でわたしたちのために、わたしたちに代わって、神への従順を全うし、そのことによってわたしたちのために義と生命と達成してくださいました。
この主イエスによるわたしたちとの結びつきは、神の御前に永遠に有効であります。その結びつきは、主イエスの人格的な、愛による、そして霊的な結びつきであります。それゆえ、主イエスを信じる者は、信仰によってのみ、主イエスの十字架の死において実現した神の義によって、罪が赦され、神に仕える自由が与えられるのです。
しかし、誤解してはならない点は、わたしたちが既に罪のない者となったのではありません。罪の赦しの中で、古い自分に死に、主イエスの命に生きることによって、罪に勝利する人生へと召されているのです。
地上での信仰生活を送る者には、主イエスの十字架こそ、救いの岩であり、永遠に変わることのない千歳の岩なのです。
讃美歌21の449番は次のように歌っています。
「千歳の岩よ、わが身を囲め、裂かれし脇の 血潮と水に 罪もけがれも 洗い清めよ。--世にあるうちも、世を去るときも、知らぬ陰府(よみ)にも、さばきの日にも、千歳の岩よ、わが身を囲め。」
わたしたちはこのように歌いつつ、十字架を見上げて進んでいくのです。
十字架こそ、主イエスがわたしたちのために、ご自身の命と義を与えてくださったことであり、今も後も永遠に与えてくださることなのです。そういう意味で十字架こそ神の愛の啓示であります。



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