2011-02-20(Sun)

しかし、わたしは言う 2011年2月20日の礼拝メッセージ

しかし、わたしは言う
中山弘隆牧師

 人々がけんかをして、妊娠している女を打ち、流産させた場合は、もしその他の損傷がなくても、その女の主人が要求する賠償を支払わねばならない。仲裁者の裁定に従ってそれを支払わねばならない。もし、その他の損傷があるならば、命には命、目には目、歯には歯、手には手、足には足、やけどにはやけど、生傷には生傷、打ち傷には打ち傷をもって償わねばならない。
出エジプト記21章22~25節


 「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
マタイによる福音書5章31~48節


(1)神の命令としての道徳
旧約聖書における道徳的な要求は神によって律法の中で規定されています。
第一に、それらは単なる道徳、社会通念というのではなく、神の命令として規定されています。この点が聖書の道徳の特徴です。なぜならば、万物の創造者であり、支配者である神が道徳的な性質を持っておられる人格的存在であるので、神はご自身の性質を人間に啓示されたとき、人間もその性質を持つように要求されたからです。このことに関して、レビ記19:2は次にように説明しています。
「あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」
この冒頭の言葉に続いて、道徳的な命令と礼拝に関する諸々の規定が記されています。
その中でも特に、19:17~18にはこのように命じられています。
「心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。そうすれば彼の罪を負うことはない。復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」
第二に、旧約聖書における神の命令は神の僕である預言者たちを通して啓示されました。ユダヤ人の間では特にモーセが神の啓示の媒介者であると見られています。しかしこの神の意志を知らせる任務は、モーセやその他の預言者だけでなく、旧約聖書の長い時代にわたって、祭司や智者たちもそれぞれの役割を担っていました。
イエスの時代には神の命令として、成文化された「律法の書」が存在し、すでに長い間、正典としての権威が与えられていました。
しかし、成文化された律法の書だけでなく、それに並んで、膨大な分量の「口伝」が存在していて、口伝は律法学者たちが律法の書を解釈し、新しい状況に適用したもので、律法の書と同等の権威を持っていました。
第三に、これら諸々の律法は神の民イスラエルに無条件の義務として課せられた令であります。律法が存在することによって神の民は異邦人と区別され、それを守ることによって、神の祝福を得る手段であったのです。
 このような律法の存在が、旧約聖書における道徳的な義務の根拠でありました。また新約聖書においても、イエスが教えられた倫理、あるいは道徳的な要求も、根本的な視点は旧約聖書の三つの視点と一致しています。従いまして、イエスの要求は、一般道徳や社会的通念ではなく、新しい神の民であるイエスの弟子たちに対して、神様がイエスを通して与えられた命令であります。 
 第一点は、旧約聖書の預言者や祭司たちとは異なり、イエスの教えが神の命令であることは、イエスの人生が神の意志に対して無条件の従順であったという事実に基づいているからです。その意味でイエスの命令は神の永遠の意志を啓示しています。
従いまして、イエスの行動を支配する原則は「父なる神の御心がなりますように」でありました。父なる神と神の御子である人間イエスとの密接な直接的で人格的な交わりの中で、イエスが聞かれた神の要求は、イエス自身がそれに従われたものであり、イエスが父なる神の意志として理解されたものです。それゆえイエスの命令は本当の神の命令なのです。
イエスは神の御子でありましたが、人間として父なる神に完全に従われました。そこにイエスの命令の力強さがあります。イエスの命令は決して抽象的な理念ではなく、先ずイエス自身が実行された具体的で人格的な神の意志なのです。わたしたちはイエスのように神の御心を完全には実行することはできませんが、それでもイエスの力が与えられるならば、人間に実行可能な命令なのです。
それゆえに、イエスの命令は完全な神の言葉であります。
 イエスが「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マルコ13:31)と言われたのは、イエスの教えが神の言葉であることを主張されたのです。
第二点は、ご自身が神の意志の啓示における主体であるという意識がイエスの教えに権威を与えています。
「わたしはあなたがたに言う」とイエスが仰せになったとき、父なる神がイエスを通して語っておられるとの自覚をもっておられた。
「わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。」(ヨハネ14:10)
イエスが教えられるのをその場で直接聞いた人々は、そこにイエスの権威を感じました。聖書はこのように伝えています。
 「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようではなく、権威ある者として教えられたからである。」(マタイ7:28~29)
 第三点は、 イエスの道徳的な要求は、神の要求としてすべての人間に向けられてはいますが、その適用範囲は主としてイエスの教えを受け入れ、イエスに従って神の国に入った者たちの共同体です。
 イエス自身の中に父なる神との人格的な交わりがあり、父なる神がイエスの中に臨在し、イエスの心に神の愛と霊的な力を常に注ぎ込んでおられましたので、イエスは神と人とを完全に愛されました。他方わたしたちは罪人であるにもかかわらず、イエスを信じることによって、神が自分の恵み深い父なる神であることを知り、心の中に神の愛が注がれるのです。そのことにより、心が神の愛で満たされた新しい人間となるのです。
その結果、主イエスが命じられた神の二つの律法、すなわち、「心を尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛せよ」という第一の律法と「あなた自身のように隣人を愛せよ」という第二の律法を実行することができるのです。
 従って、イエスの道徳的な教えは、神の国に生きる仕方であり、天におけるように、この地上でも、神の御心が行わる生き方である、と言えます。

(2)神の意志であるイエスの命令
 本日の聖書の書は、「わたしは言う」というイエスの言葉で始まっています。ここで、神が旧約聖書の中で、与えられた古い戒めを、イエスはご自身の体験を通して理解された神の意志として、新しく語られました。5:31で、次にように命じられました。
「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。」
イエスが引用された律法は申命記24:1「人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。」の言葉です。
人は結婚に失敗して、離婚することがあります。律法はこの人間の弱さに適合させ、最小の良き業として離婚の際に離縁状を与えよと命じています。イエスはそれに対して、二人の男女が結婚するということは神の意志によるものであると理解されました。神の意志に従うことを第一とし、離婚を絶対に認められませんでした。ここで、もし人間が神と人とを愛するならば、離婚することはありえない、と教えられたのです。
 また、38節では、次のように仰せられました。
 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。誰かが、一ミリオン(約1500m)行くように強いるなら、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとするものに、背を向けてはならない。」
 ここで引用されている聖句は、出エジプト記21:23~25の律法です。しかしそこでは、加害者が被害者にする弁償が命じられています。喧嘩をして相手の目を損傷した者は自分の目で弁償し、相手の歯を損傷した者は自分の歯で弁償する規定です。しかし、口伝の中で、それが復讐の規定として解釈されていたものと思われます。それも復讐を無制限に認めるのでなく、「目には目を、歯には歯を」という限度内で認めたのでしょう。
 それに対して、神の愛を心に受け、神と隣人を愛している者は、自ら進んで加害者を赦すであろう。悪人に手向かわないであろう。悪人に対して善をなすであろう。とイエスは仰せられたのです。
 このイエスの命令は、しかし、もはや旧約聖書の律法とユダヤ教の律法ではありません。それは律法ではなく、神の国に生きる者の生き方の実例であり、行動の指針なのです。すなわち、愛の原則なのです。

(3)自由なる律法
律法について、宗教改革者ジャン・カルヴァンは次のように言っています。彼が言う律法の中で、ユダヤ教の律法についても言及していますが、そこに重点を置くのではなく、イエス・キリストが聖書の中にある二つの律法を父なる神の命令であるとされた「キリストの律法」について教えています。
 しかし、その福音的な律法は律法本来の働きであり、聖霊が心の中に臨在し、聖霊によって支配されているクリスチャンに対して三つの効用があると言っています。
第一に、律法はそれによって、神の意志と性質を日々学び、確信し、さらに神の意志を行うように心が鼓舞されるための最良の手段である、と教えています。われわれは教えを必要としているだけでなく、それを行うように奨励される必要がある。強制ではなく、奮起させられる必要がある。
律法をしばしば熟慮することによって、それによって強められ、神の意志への従順にと奮起される、とカルヴァンは教えています。そしてまた罪を犯す道から引き戻されると言っています。
第二に、われわれは律法を読むことによって、神の御心を教えられるが、同時に神は信仰者の心に、自ら進んで喜んで行うようにする恵みをしみこませられる、と言っています。すなわち、「わたしは恵みを与えるので、あなたはわたしの意志を行うであろう」という神の約束を律法は語っていると教え、カルヴァンは律法の中に潜む約束こそ、救い主キリストを預言し、証しているのであり、その事実はキリストと隠れた形でつながっている、と言っています。
 第三に、律法は信仰者を最早罪に定めないのです。その意味で律法の呪いは廃止されているといえます。律法はそれを完全に行わない者に対して、呪いと恐怖を与え、外からの強制力によって、律法の業を実行させようとするユダヤ教の律法の働きは廃止されたのです。
従って、信仰者の良心は最早律法の呪いによって、恐怖に陥り、破壊されることはない。なぜならば罪人に対して律法が宣告する死と虚無の淵から、人はイエス・キリストの十字架の贖いにより、解放されたからです。そのことを信じるクリスチャンは、律法を行わないことによる有罪判決を最早受けないし、イエス・キリストによる罪の赦しによって、律法は最早人を罪に定めることはないとカルヴァンは言っています。それゆえ、クリスチャンが律法を行うことは神の恵みに対する感謝の応答であり、心からの神の意志への従順なのです。

(4)キリスト者の自由
それでは信仰者の自由について、聖書は何と言っているでありましょうか。ガラテヤの手紙5:13~14に次のように教えています。
「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。」
神は救いの歴史を通して、キリストにおいて「自由なる人間」を造るという目的をもって働いておられます。しかしこの新しい自由とは、「人が互いに仕え合う」という自由なのです。
兄弟の益のために、全体の益のために、自ら進んで、仕えるという自由なのです。しかし、自ら進んで人に仕える者を自分の有利のために利用しようという不心得なことは認められません。すべての者は他の兄弟を自分よりも優れた者として尊敬しなければならないのです。従って、クリスチャンは他の者に対して、「わたしは頭です。それゆえあなたはわたしの命令に従わなければならない」と言うことはできません。そうではなくこのように言うことができるのです。
「わたしたちは神の前で平等です。わたしたち両方とも神の恵みに依存しています。わたしたちの持っている物で神から受け取らなかった物は何一つないし、わたしたちが今日在りえるのは神の恵によるのです。それゆえ、神から与えられたどのような賜物も他の者の益のために用いて、お互いに神への奉仕のため働きましょう。」
そのようにして、それぞれが自分の重荷を負いつつ、お互いに他の者の重荷を負うことが、隣人を愛することです。使徒パウロはキリスト者の自由をもって、互いに重荷を担うことが、「キリストの律法」を全うすることである、と強調しています。そこではイエスの実例や行動の指針、あるいは原則が「神の愛」を隣人に対して実行するクリスチャンのモデルであるという意味で、パウロは自分たちがキリストの律法の下にあると言っているのです。
「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。」(ガラテヤ6:2)
パウロはキリストによって鼓舞された隣人愛を行うことは、隣人愛を命じる律法に従わなかったとき、罰せられるという理由で、行う愛のではないし、またそれを実行したら報いを受けるという理由で行うのでもない、そうではなく、そうすることが新しい性質であるから自ら進んで、喜んで行うのである、と教えています。
人に良き業を強制する律法は人が果たすべき良い業の最小限度を規定しています。それとは対照的に、新しい性質を持っているクリスチャンはそれを越えて実行すると言っています。また、新しい状況の中で教えられる新しい義務を律法は命じていなくても、その義務をクリスチャンは「愛の義務」として、それを果たすと教えています。
そのようにして果たす愛の義務は、果たせば果たすほど増えてゆくのです。パウロは愛の義務は愛の借金という言い方をしています。それは自ら進んで隣人をそしてすべての人を愛する義務を感じるからです。しかしそれは自分で感じる義務であって、外から強制される義務ではありません。
従って、キリスト者の自由を知っている人は、愛の借金は自分が生きている限り残るとことを心得ています。しかし、パウロは愛の借りがあることを他にして、人に借りがあること、借金をしてはならないと言っています。しかし、愛の借りがあっても、人は神の国に生きているのです。そして最後に天国に入れられるのです。



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