2011-01-30(Sun)

霊的な賜物 2011年1月30日の礼拝メッセージ

霊的な賜物
中山弘隆牧師

 わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても、穀物の献げ物をささげても、わたしは受け入れず、肥えた動物の献げ物も顧みない。お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。
アモス書5章21~24節


 兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
コリントの信徒への手紙一12章1~11節


(1)教会とは
 教会とは何かということは、使徒信条では聖霊に対する信仰告白の項目として告白されています。
 「われは聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の命を信ず。」
 わたしたちは礼拝のたびに、この使徒信条を告白することによって、教会を信じるのです。すなわち三位一体の神である父、子、聖霊を信じるように、教会を信じるのです。確かにキリスト教会はキリストを信じる者たちで構成されている信仰共同体であります。共同体である以上、制度や組織が定められ、構成メンバーによって具体的な活動が行われています。そういった面では、人々が何らかの意義を感じて、参加している様々な団体と同じです。しかし、教会の存在と活動は目に見える範囲だけではありません。むしろ目に見えない部分に教会の特質があります。
 それは何かと申しますと、教会は聖霊の働きによって存在し、活動が維持されているということです。これは神の事実でありますので、人が認識しえる現実ですが、それは信じることによって認識できるのです。
 聖霊の働きによって、復活の主イエス・キリストが教会の中に臨在され、ご自身の救いの業を前進させ、完成へと導いておられるという神の事実によって、教会が存在しています。このことをわたしたちは信じることが非常に重要なのです。教会の問題について、検討し、反省し、目標を立てる場合に、先ず教会に対する信仰を持ち、その上に立って行わなければなりません。
 主イエスを信じること、神を信じること、聖霊を信じることと、教会を信じることとは本質的に同じなのです。
 それゆえ、13節では、主イエスと結びつくために洗礼を受けることは、教会に属するために、洗礼を受けることと表裏一体をなしていると言っています。
 「つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです。」(12:13)
従いまして、ここで「皆一つの体となるために」と言われていることは、「キリストの体である教会」に属するために洗礼を受けた、という意味です。明らかにキリストの体である教会は神的な、霊的な事柄である、と聖書は言うのです。
使徒信条では、教会を信じることと、聖徒の交わりと、罪の赦しと、永遠の命を信じることが一つにまとめられています。別の視点からすれば、「聖徒の交わりと罪の赦しと永遠の命」が教会の実質であり、教会そのものである、と言えます。
 このように、教会と聖霊とは本質的に不可分離なのです。それでは、聖霊は教会の活動においてどのように働くのでしょうか。この点に関しまして、本日の聖書の箇所が教えています。わたしたちはこの御言葉に聞き、理解を深めたいと願います。

(2)教会における聖霊の働き
 第一に、聖書は聖霊の働きを次のように言っています。
「聖霊によらなければ、だれでも『イエスは主である』とは言えないのです。」(12:3)
 人類の救いのために十字架につき、三日目に死人の中から復活し、天地の支配者となられた主イエスを信じて、「わたしの救い主」と告白することは、聖霊の働きによるのです。
その経緯は次のように説明できます。
神が主イエス・キリストの中で「すでに実現し」、これから「キリストを通して完成しようとしておられる人類の救い」を「福音の言葉」として、キリストの使徒たちに知らされました。実に福音こそ「聖霊による神の啓示」なのです。さらに啓示されたキリストの福音は「語られること」を通して聖霊が働きますので、福音を聞いた者たちは主イエスを信じたのです。
次に、教会における聖霊の働きは、霊的な賜物を通して、行われていると聖書は教えています。
「賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。」(12:4~6)
教会においてクリスチャンがする働きは、クリスチャン自身の意図と努力とが必要であり、それらを通して行われるのです。これは当然なことです。しかし、もっと深い次元で、事柄の最も重要な面では、クリスチャンの中に、神が働かれ、主イエスが臨在され、それぞれに務めが与えられているのです。そしてクリスチャンはその務めを果たすことができるために、聖霊の賜物が与えられます。
この点が、社会における他の団体や人々の活動とは違っています。ここに教会の特異な性質とクリスチャンの特徴があります。この点をわたしたちは絶えず熟慮し、心にしっかりと受け止め、自覚していることが必要です。そうでなければ、教会も他の団体と何ら変わるところが無くなってしまいます。クリスチャンに与えられた地の塩としての務めは果たせません。塩の味が抜けてしまえば、塩は何の役にも立ちませんが、クリスチャンもその特質を失えば無に等しいのです。
このような特徴をもっているクリスチャンの活動は、一つの明確な目的が与えられています。このことは7節に記されています。
「一人一人に、“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。」(12:7)
クリスチャンの務めとそれを果たすための霊的な賜物とは、決して自分を誇るためではなく、実に全体の益になるためなのです。自分を高めるためでなく、教会全体を高めるためなのです。自己を形成するためでなく、教会を形成するためなのです。
それゆえに、教会に属する一人一人にそれぞれ異なる霊的な賜物が与えられています。
教会における霊の賜物の多様性は、その務めの多様性と互いに呼応しているのです。従いまして、教会における一致は多様性の中での一致です。そこに本当の豊かさがあります。
教会のメンバー全員が同じ賜物をもち、同じ働きをし、同じ務めを果たしているならば、確かに一致はあると言えるでありましょうが、それでは教会としての働きが非常に貧弱になり、教会が弱体化してしまいます。主イエスの命が教会の中で豊かに現れるためには、教会の働きの多様性とそれを担う賜物の多様性はどうしても必要なのです。
実際教会の中で自分とは異なる賜物を持った人たちの働きを心から喜ぶには、多様なクリスチャンの働きによって会員全体が高められるためであることを理解する必要があります。
その意味で、聖書は教会をキリストの一つの体、一人一人のクリスチャンをそれぞれ異なる肢体として教えています。
「体は一つでも、多くの部分からなり、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様です。」
一つの体には、多種多様な部分があり、それぞれの働きが有機体としてつながっていますので、体全体の機能が健全に働くのです。信仰共同体である教会の場合にも、多様な働きが多様な賜物によって支えられ、しかも、有機的な一致が聖霊によって保たれ、神の愛によってすべての働きが統一されているのです。
使徒信条で言う「聖徒の交わり」とは、「サンクトールム コムニオ」と言いますが、「交わり」をラテン語では「コムニオ」、ギリシャ語では「コイノーニア」と言います。両方とも「共有」「共同」「持分」という意味があります。
このギリシャ語のもとの意味は「パートナーシップ」「組合員の責任」という意味で、また「共同所有」という意味でもあります。聖書がこの意味で、クリスチャンの交わりを表すようになった理由は、クリスチャンたちは正に永遠の生命の「共有者」であるからです。従いまして、クリスチャンは霊的な資産の「組合員」である、と言えます。永遠の生命を持つ者としてクリスチャンの本国は天にありますが、教会はその出先機関です。従いまして、出先機関である教会は、この地上において霊的な資産の増大のために働く責任があります。
そのために、組合員が一生懸命に働いて霊的な資産を増やせば、会員すべてが配当を受けることができるのです。霊的な資産を増やすということは、もちろん金を儲けることではなく、わたしたちの信仰を成長させ、霊的な実を結ぶという意味です。従いまして、「コイノーニア」としての教会において、わたしたちは教会員一同の霊的資産を増大させる責任をお互いに持っています。
それゆえ、クリスチャンは互いに学び、互いに励まし合い、互いに協力し、福音に仕え、隣人に仕えることによって、霊的賜物を増大させる責任を持っています。

次に、霊的な「賜物」とは、ギリシャ語で「カリスマ」と言いますが、それは神の「恵み」すなわち「カリス」の具体的な現れとしての賜物を意味しています。わたしたち信仰者に与えられる神の無償の恵みは、いろいろの形をとって現れますが、具体的な表れが「多様な賜物」なのです。
従いまして、賜物を与えられた者は、それを誇ることはできません。賜物は神から無償で与えられた恵みの具体的な現れですから、賜物を受けた者は、自分を誇るのでなく、教会の霊的な資産を増大させるために、喜んで奉仕すべきです。
また、賜物はそのように教会のために、お互いのために、隣人のために、用いて奉仕することにより、増大します。賜物は奉仕の努力を通して、奉仕の中で、絶えず利己主義を乗り越えることによって増大します。
賜物は、全体の益のために、福音の伝道のために、クリスチャンが主イエスの性質に似るために、用いて努力することによって、その目的が達成されます。
一つは、教会形成と伝道という面から、必要な賜物が12章28節では、教会の職務と活動に沿って挙げられています。
「神は、教会の中にいろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。」
これらの職務を遂行するために、神は聖霊を通してそれぞれに賜物を与えて下さっています。そして職務を遂行することによって、与えられた賜物を増大させることができるのです。
もう一つは、すべての者がキリストの性質を映し出すために、すべての信仰者に共通した賜物があります。この点はガラテヤの信徒への手紙5:22~26で教えられています。
「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。----わたしたちは、霊の導きに従ってまた前進しましょう。うぬぼれて、互いに挑み合ったり、妬み合ったりするのはやめましょう。」

(3)聖霊を通して働く神の愛
 最後に一番大切なことは、聖霊の働きの中心である神の愛です。なぜならば、神の愛とは、神が聖霊を通してご自身を人間に与えられることに他なりません。もちろん神は人間とは絶対的に異なる方として、ご自身だけが持っておられる威光と威力をもって、人格的にわたしたち人間と対面してくださるのです。同時にわたしたちの中に臨在され、働かれるのです。
この場合、聖霊による神の愛は、聖霊による賜物とは、違っている点があります。それは神の愛が一旦わたしたちの心を、人格を、存在を捕らえたなら、それ以後絶対に離すことはないのです。困難も、苦悩も、病気も、迫害も、死もわたしたちをキリストの愛から切り離すことはできないのです。神の愛は片時たりともわたしたちから離れることはありません。
他方、わたしたちが神を愛するということは、神が聖霊を通して、わたしたちの中にご自身を与えていてくださる神の愛にわたしたちが応答することです。わたしたちは全存在をもって、全生涯に渡って神を愛するのです。時々愛する。ある時は愛さない。ある時は多く愛し、ある時は少ししか愛さないということは絶対にありえないのです。常に神を愛している者であるか、そうでなければ、常に神を愛していない者であるか、二つのうちのどちらかなのです。オール オア ナッシングです。それゆえ、聖霊により神の愛を知った者は、神を愛している者であり、これからも愛する者であり、常に愛している者であり、愛さないということは最早ありえないのです。
このような者として、神の愛をもって、様々な聖霊の賜物を用いて、兄弟と隣人に奉仕するのです。信仰者は神を愛する者として、自分の責任に対する神の審判と裁きを受けます。聖霊の賜物を忠実に用いて、自分に委ねられた務めをよく果たしたかどうかを、神の前で問われます。しかし、同時に常に新しく与えられる罪の赦しの中で、神に祈り求める者なのです。祈りによって与えられる神との人格的な交わりにより、再び賜物を頂き、務めの場に向かい、喜んで自分の務めを果たし、兄弟と隣人に奉仕するのです。
さらに、そのような聖徒の交わりの中で、相手の中に復活の主イエスが聖霊を通して臨在されていることを知り、そこにおいて再び主イエスと出会うのです。これが聖徒の交わりの中で体験できる大きな幸いです。



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