2010-06-06(Sun)

父・子・聖霊の御名 2010年6月6日の礼拝メッセージ

父・子・聖霊の御名

中山弘隆牧師


 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28章16~20節


 そして、そちらを経由してマケドニア州に赴き、マケドニア州から再びそちらに戻って、ユダヤへ送り出してもらおうと考えたのでした。このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、わたしが計画するのは、人間的な考えによることで、わたしにとって「然り、然り」が同時に「否、否」となるのでしょうか。神は真実な方です。だから、あなたがたに向けたわたしたちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。
コリントの信徒への手紙二 1章15~22節


(1) 日本キリスト教団の信仰告白

 最初に、日本キリスト教団の信仰告白は、わたしたちが信じ、礼拝すべき神を三位一体の神として、告白しています。
 「主イエスによって啓示され、聖書において証しされる唯一の神は、父・子・聖霊なる三位一体の神でいましたもう。」
 この三位一体の名称は、わたしたちの信じる神の現実を現しており、単なる名前ではありません。救いを与えられる生ける神、礼拝において、わたしたちと対面し、ご自身の霊的な生命を与え、わたしたちが神の御言葉に聞き従うとき、神の交わりの中で、わたしたちを生かす恵み深い主権者としての神を言い表しています。
言い換えれば、偶像や他の神々、または唯一神論的な抽象的な神、または哲学的な理神論的な神とは、全く異なる唯一の真の神であります。従いまして、神はご自身を自ら人間に現される神です。日本キリスト教団の信仰告白は、「主イエス・キリストによって啓示された」神と呼んでいます。
 啓示とは、これまで隠されていた神秘が現されることであり、神様が主イエス・キリストによって、人間にご自身を完全に現されたと言う意味です。従いまして、それまで神様は預言者に聖霊を与え、神の言葉を預言者を通して語られました。しかし、神についての預言者たちの知識は部分的でありましたので、決して究極的な啓示ではありませんでした。彼らは自分たちが神に知られているように、自分たちが神を知っている、とは決して言えないことを自覚していました。それに対して、主イエスは神を完全に知っておられました。これは真に驚くべきことです。この点につきまして、主イエスご自身が「すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。」(マタイ11:27)と仰せになっています。また、ヨハネによる福音書8:54~55で、主イエスはユダヤ人に次にように仰せられました。「あなたがたはその方(聖書の神)を知らないが、わたしは知っている。わたしがその方を知らないと言えば、あなたたちと同じくわたしも偽り者になる。しかし、わたしはその方を知っており、その言葉を守っている。」
このように、神をわたしたち人間に完全にお示しになる方は神以外にはありません。しかし同時に、人間に神を示される方は人間であることも必要です。従いまして、神がご自身を啓示するために、神の御子が真の人間に成られました。その方が主イエス・キリストです。

 次に、神の啓示は人間を救う神の行為の中で達成されました。この神の救いこそ、神の啓示です。人間を罪から救うために、神の御子が人間となり、人間と自ら連体して、人類の罪をご自身の上に担い、人類に代わって十字架の死を全うされました。このことによって、人類の罪は神の御前で取り去られ、人間が神に近づき、神を礼拝し、神の恵みを受けて、神と交わる幸いを与えられたのです。
しかしこの場合に、主イエスの十字架の死が、人類の罪を永遠に贖う力を持つためには、主イエスは人間であると同時に神でなければならなかったのです。罪人である人間は他の人間の罪を背負い、それを贖うことはできません。この点に関して、ヘブライ人への手紙9:12~14はこのように教えています。
「まして、永遠の霊によって、ご自身を傷のないものとして、神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。」
この「永遠の霊」とは御子としての神の本質、すなわち神性を意味しています。それゆえ御子イエス・キリストはご自身の神としての力により、十字架の死において、人類の罪を完全に贖い、人類の罪を神の御前から完全に取り除かれたのです。


      (2)神の救いの現実

 次に、神は主イエス・キリストの十字架と復活において、ご自身を完全に啓示されました。ここに、人類の救い主である主イエス・キリストの救いは、それゆえ、神の救いであることが明瞭にされています。さらに詳しく言えば、それは三位一体の神の救いなのです。なぜならばそれは父、子、聖霊の共同の業であるからです。
父なる神は主イエスを死に渡し、主イエスにおいて人類の罪を裁かれました。同時に、死に至るまで父なる神の意志に従順であられた主イエスを、父なる神は死人の中から復活させ、主イエスをご自身の右に座らせ、神の国の主権者とされたのです。そして主イエスを信じる者の受けるべき義と霊的生命を主イエスの中に備えられました。従いまして、主イエスの救いの行為は、同時に父なる神の救いの行為である、と言えます。
尚、それに加えて、主イエスの救いの行為は、聖霊の救いの行為であります。聖霊は父と御子から出て、主イエスを信じる者を主イエスと結び合わせられる神であります。聖霊は主イエスを信じる者の中に永遠に住み、主イエスの霊的生命と神の愛が信仰者の中に働くようにされる神であります。そして信仰者を救いの完成へと導かれるのです。そう言う意味で聖霊は救いの完成者と呼ばれています。そして、信仰者の中に住んでおられる聖霊によって父なる神は最後の日に信仰者を復活させて、神の国に永遠に生きる者とされるのです。
このように神の救い、神の恵みの行為は父・子・聖霊の三位一体の神の絶対的な自由によって人間に授与される恵みであります。

 次に、本日の聖書の箇所のマタイによる福音書28:19には、次のように書いてあります。これは復活の主イエスの命令です。
「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。父と子と聖霊の名によって、洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
主イエスを救い主として信じる者は、父と子と聖霊の御名による洗礼を受けます。そして洗礼を受けることを通して、主イエス・キリストの十字架の永遠の贖いによって、神との人格的な正しい関係に入れられるのです。そうするならば、神は常に赦しをもってクリスチャンと出会い、主イエスによってご自身を示し、聖霊を通して主イエスの霊的な生命を与えられます。また聖霊を通して神の愛をクリスチャンの中に働かせられるのです。そしてクリスチャンは聖霊によって、心の中に喜びと平安が常に湧き出るのです。
さらに、信仰者が洗礼を受けるとき、神は聖霊によって、その人を新しく生まれさせらます。これは人が新しく生まれ変わることです。そして神を父と呼ぶ神の御子イエスの心を信仰者に与えられるのです。それゆえ御子イエスの思いを抱いているクリスチャンは父なる神に祈り求め、父なる神の御心に従うことを喜び、そのことを人生の最大の目標とするようになります。そのようにしクリスチャンは神の子としての実質を段々と備えるように成長して行きます。
また、わたしたちが神に祈るとき、聖霊はわたしたちのために執り成しの祈りを父なる神に献げられます。それによって、わたしたちの祈りは神に聞き上げられるのです。
以上で述べましたような方法で、神様は日々わたしたちと出会い、御言葉をもってわたしたちと対面し、わたしたちをご自身の交わりに入れてくださいます。この生ける神の現実こそ、父・子・聖霊の御名であります。

 また、使徒パウロはわたしたちクリスチャンの交わり、わたしたち信仰者の果たすべき課題について、次にように勧めています。ここにも三位一体の神の現実が告白・賛美されています。
コリントの信徒への手紙二、1:15~22で、次のように語っております。まず、パウロの確信は神の約束が主イエス・キリストにおいてすべて「然り」となっている。すなわち、主イエスの中ではすでに成就している、ということです。この基礎の上にしっかりと立って、パウロは福音を伝道し、教会を形成してきました。今や、異邦人教会がローマ世界の中で、その足場を固め、いよいよ世界伝道に邁進する時が来ている、と感じていました。この際、パウロはユダヤ人キリスト教会と異邦人キリスト教会が主にあって一つとされていることを、身を以て示すことが必要で、パウロは以前から大きな計画を立てていました。つまり、経済的に困っているエルサレムの教会を異邦人教会が支援するために献金を募っていました。今その献金を諸教会から集めて、エルサレムに持ってくことを実行しようとしていたのです。これは異邦人教会の使徒としてのパウロの活動を区分する大きな転機となりました。
「神の約束は、ことごとくこの方(主イエス・キリスト)において、然りとなったからです。そこでわたしたちは神をたたえるため、この方を通してアーメンと唱えます。」
そして、「わたしたちとあなたがたとをキリストに堅く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。」(1:21)
ここで「油」とは聖霊のことです。クリスチャンは互いに聖霊を心に受けていますので、キリストと堅く結ばれています。そのことにより、パウロたちがキリストにあって集めている献金をエルサレムに持っていく計画が必ず達成されるという確信を互いに共有しているのです。
「神はまた、わたしたちに証印を押して、保証としてわたしたちの心に霊(聖霊)を与えてくださいました。」(1:22)
実に、聖霊の働きにより、この計画が必ず実行できるというのです。聖霊の保証こそ彼らが依り頼んでいる唯一の力であります。ここにも、三位一体の神の現実が彼らを取り囲み、彼らと対面し、彼らに使命を果たすことを理解させ、肯定させ、実行に当たらせられる、と述べられています。このような確信、堅忍不抜の強さ、実行する不退転の決意をクリスチャンが互いに共有しているのは、実に三位一体の神の働きなのです。


        (3)三位一体の教義

 最後に、三位一体の唯一の神は、決して孤独な神ではありません。神はご自身の中に父・子・聖霊の交わりを持っておられる唯一の神です。それは愛と平和の交わりであり、そこに対立や矛盾は全くありません。
神について語るときに、わたしたちが認識しなければならない点は、神は人間のように身体をもっておられません。それゆえに人間と成られた御子イエス以外には目に見えない方です。しかし、神は人格的な存在であり、全知・全能・永遠であります。ご自身の意志と知恵と威力を持って働き、目的を実現される方です。その働きは無限であります。そして、それらの性質は愛であります。この方こそ神なのです。
それでは、ご自身の中に父・子・聖霊の交わりを持っておられる神が唯一であるというのはどういうことでしょうか。それは父と子と聖霊の中にそれぞれ同じ意志、同じ知恵、同じ威力、同じ愛があって働いているということです。
他方、父なる神のパーソンと子なる神のパーソンと聖霊なる神のパーソンはそれぞれ異なっています。それぞれのパーソンは自意識と主体性があります。それゆえ、そこに父と子と聖霊の間に、人格的な自覚をもった交わりが成立しているのです。
そして、パーソンの間には一つの関係があります。子は父から生まれ、聖霊は父と子とから出るという永遠の関係です。しかし、これは決して人間のパーソンのような関係ではありません。子が父から生まれると言うことは、父が子に対して自己を与えられることであり、聖霊が父と子から出るということも、聖霊に対して父と子とが自己を与えられることです。それゆえ、三つのパーソンは独立していますが、互いに結び付き、互いに相手の中に内住しているのです。このことによって、神の本質である全知と全能と永遠と愛の働きの無限を父、子、聖霊が共有しておられるのです。
それゆえに、神は唯一の神なのです。その唯一の神は父と子と聖霊の三つのパーソンの中に存在し、働いておられます。パーソンは神の存在の仕方であり、神は三つのパーソンとして存在しておられます。しかし、神は唯一なのです。
それゆえ、わたしたち人間と出会われる父なる神、子なる神、そして聖霊なる神は、それぞれ同じ全知、全能、永遠と愛の働きの無限を持っておられる神として、わたしたちに対面されるのです。そしてそれぞれのパーソンが、わたしたち人間に示し与えられる恵みの性質は同じです。その性質は主イエス・キリストの性質であります。これが三位一体の唯一の神です。自らの中に愛と平和の至福の交わりを持っておられます。
しかし、神の本質が愛でありますので、神としての絶対的な自由な恵みを人間に与え、人間を神ご自身との人格的な交わりに入れるために、御子のパーソンにおいて、真の人間となられました。この方がわたしたちの主イエス・キリストであります。
主イエス・キリストは御子として永遠の神でありますが、自らのパーソンの上に、処女マリアより人間性を取り入れ、人間としての意志と自覚をもった真の人間となられました。
従いまして、主イエス・キリストは真の神であり、同時に真の人間であります。しかし、そこには御子としてのパーソンとマリアから生まれた人間イエスとしてのパーソンと二つのパーソンが存在するのではありません。あくまでもパーソンは一つであり、それは御子としてのパーソンです。御子としてのパーソンにおいて、神と人間とのそれぞれ異なる二つの本質が結び付いたのです。その結びつきは、主イエスの十字架の死においても分離することなく、復活の主イエスにおいても永遠に結び付いています。
以上が使徒的な教会の神に対する信仰と理解であります。そして神の御子が人間となられた主イエス・キリストについての理解であります。このように三位一体の神とキリスト論が正統的な信仰と教義の中心であります。この教義が示している観点から聖書を読むときに、聖書を正しく読み、生ける神の現実に直面し、溢れ出る神の恵みを体験することができるのです。
三位一体の教義は、315年のニケア公会議で制定されました。キリストのパーソンに関する教義は、451年にカルケドンの公会議で制定されました。他方、使徒信条についてはその起源が確定されていませんが、ニケア信条以前の教会の信条を表現していると見られています。わたしたちのプロテスタント教会は、この使徒信条、そして正統的な信条と教義を基礎とするときに、福音の真理を知ることができるのです。そして神の恵みの豊かさを体験し、神を賛美するのです。





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