2011-01-09(Sun)

和解の務め 2011年1月9日の礼拝メッセージ

和解の務め
中山弘隆牧師

 主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して、嘆いている人々を慰めシオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木と呼ばれる。
イザヤ書61章1~3節


 主に対する畏れを知っているわたしたちは、人々の説得に努めます。わたしたちは、神にはありのままに知られています。わたしは、あなたがたの良心にもありのままに知られたいと思います。わたしたちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようというのではありません。ただ、内面ではなく、外面を誇っている人々に応じられるように、わたしたちのことを誇る機会をあなたがたに提供しているのです。わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
コリントの信徒への手紙二5章11~21節


(1)新しい契約
 聖書は一貫して神は唯一であり、恵み深い主権者であると言っています。そして聖書は神が旧約聖書の時代にはイスラエル民族を選び、新約聖書の時代には、キリストを救い主として信じるクリスチャンを諸民族の中から選ばれた、と言っています。しかし神は唯一の同じ神であり、同じ主権者でありますから、旧約聖書の時代と新約聖書の時代とで、神の目的が変わることはありません。実に神の目的は旧約聖書の時代を経て新約聖書の時代に初めて達成されたのです。
 旧約聖書では、神は御自身が恵み深い主権者であることを示すためにイスラエルの民を選ばれました。その中で神は万物の創造者であり、救済者としての神の力を現されたのです。この働きと導きのもとで、イスラエルはなぜ自分たちが世界に存在するのかと自らの存在理由を問うことにより、神の恵みに対する理解を深め、神に対するイスラエルの責任と使命を果たすためでした。一言で表せば、感謝の応答です。神を感謝し信頼して、神の御心を実行するためでした。
そして聖書ではこの神と民との人格関係は契約という形で表現されています。つまり、あらゆるものに先行する神の恵みの中で、民が神との関係を信仰と自覚をもって受け取るために、神は契約を制定されたのです。その際に、民は神がイスラエルの神となり、イスラエルが神の民となることを、神の前で誓約しました。
 さらに契約の中で、神はイスラエルの民に対して、民の守るべき神の意志を律法によって示されました。しかも律法の中で特に中心的な律法は一つです。それが有名な「聞け、イスラエルよ」であります。申命記6章4~5に明記されています。
 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神を愛しなさい。」
 ここで、神はイスラエルの民に向かって、恵み深い主権者である主に対して、感謝と信頼の純粋なる思いから、神の御心に従う生き方を命じられました。その純粋なる思いを、申命記は「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして神を愛する」こととして表現しています。それでは、これは何を意味しているのでしょうか。これは正に「無私なる愛」であります。イスラエルの民は神に対する無私なる愛をもって、答え、神に従い、神の御心を行うことであります。
 しかし、イスラエルは無私なる愛が何であるかを知りませんでした。彼らは契約を神と民の相互の義務を表すものと理解しました。その結果、彼らは神の命じられた諸々の戒めを実行することを自分たちの功績と考え、神は自分たちの功績に報いる義務があると考えたのです。旧約聖書に記されている諸々の律法を忠実に遵守するなら、神はイスラエルの民とその領土を守り、生活を支え、繁栄を与えられると理解しました。他方、律法を守らないならば、神は民と領土を敵の手に渡され、民は苦難と滅亡に陥ると理解しました。
 しかし、そのようなイスラエルの契約理解は契約本来の精神に反するものであります。それは彼らが利己的な愛によって契約を誤解したのです。彼らの利己的な愛こそイスラエルの罪の根幹でありました。  
イスラエルの心の暗さと危機の真相を見抜いた預言者がエレミヤであります。エレミヤ書17:1~2節でこのように告発しています。
 「ユダの罪は心の板に、祭壇の角に鉄のペンで書きつけられ、ダイヤモンドのたがねで刻み込まれて、子孫に銘記させるものとなる。」
 ここにおいて、エレミヤは神の無償の愛を、利己的な愛をもって、自分の利益のために利用しようとするイスラエルの罪を神が贖われることの必要を知らされたのです。
 それが新しい契約の預言です。エレミヤ書31:31~34節に記されています。
 「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。----すなわち、わたしの律法を彼らの胸に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。----わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪を心に留めることはない。」
 ここで律法が民の心に記されるとは、民が無私なる愛をもって、神の無償の愛に応え、神の律法を行うという意味です。これが新しい契約です。従いまして、古い契約の目的は新しい契約の中で実現しているのです。
 ここでわたしたちが心にしっかりと受け止めなければならない点は、新しい契約はイスラエルだけでなく全人類の罪の贖いによって、可能となったのです。
これは正に神の無償の愛の頂点であります。神は人類を罪から救うために、すなわち人間を罪の責任と罪の束縛から解放するために、神の御子主イエス・キリストが十字架の犠牲の死によって、ご自身を人類に与えられたのです。このことによって、新しい契約が可能となりました。
 次に、わたしたちが新しい契約に入れられるために、神が定められた方式があります。それは主イエス・キリストの福音、すなわち和解の言葉を聞いて、主イエスを信じることによって、人はいかなる民族に属していても、いかなる者であっても、例外なく新しい契約に入れられるのです。
 それでは、新しい契約の中に入れられ、その中で生きるということはどういうことでありましょうか。それこそ主イエス・キリストにおいて与えられた神の無償の愛に対して、信仰者が無私の愛をもって、神に仕え、神の御心を行うということです。これが人間に与えられた神との交わりの中で生きる「人間の真実の在り方」です。
主イエスはこの神と人間との人格的な交わりを「神の国に入る」という言葉で言い表されました。マタイによる福音書6:31~33でこのようにお教えになりました。
 「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」
 人は衣食住を保証されるために神との契約を与えられているのではなく、神ご自身との人格的な交わりの中で、神の御心を行うためである、と主イエスは仰せになりました。

(2)和解の務め
 次に、「和解」とはギリシャ語で「カタラゲー」と言います。これは「神との親密な交わりの中に入れられていること」という意味です。もちろん、わたしたちをご自身との親しい交わりの中に入れてくださる方は神であります。本日の聖書の箇所は5:18~19節でこのように言っています。
 「これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちをご自身と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世をご自身と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちに委ねられたのです。」
 明らかに「神はキリストを通してわたしたちをご自身と和解させられた」のです。

 従いまして、神との和解し、神との親密な交わりの中にあるわたしたちクリスチャンに、神はまた和解のために奉仕をする任務を与えられました。ここでもまた「和解」という言葉が使用されていますが、この言葉は、「他の人々を神との親密な交わりに導く」という意味です。
 このように新約聖書が強調しているクリスチャンの特質は、自分自身が主イエスを通して神との和解の中で生きることと、同時に周囲の人々を神との和解に導く「和解の奉仕」をすることです。
 この特質は旧約聖書のイスラエルの民には与えられていませんでした。これは新約聖書のクリスチャンに与えられている「光栄ある務め」です。そういう意味で、クリスチャンが聖書の中で神の本当の民なのです。あるいは別の表現をしますと、キリスト教会は「霊的なイスラエル」なのです。
 だから使徒パウロはわたしたちクリスチャンを励まし、「和解のための奉仕」の務めに誠心誠意、努めるように勧めています。
 「ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。」(5:20)

 ここで常にわたしたちの心に刻みつけていなければならないことがあります。それは「神ご自身がわたしたちの中で働いておられる」ということです。人格的な神がご自身であるままで、わたしたちの心の中に働き、わたしたちを通して、人間が神との和解を受け入れるように勧めておられるのです。実に神ご自身が人格として、クリスチャンの心の中に住み、働いておられるのです。
このことを旧約聖書の時代には預言者の中の特定の偉大な預言者以外には誰も経験したことがありませんでした。他方、旧約聖書の時代に、聖霊の力によって、カリスマ的な働きをした人々は多くいましたが、それと神ご自身が人格として人間の心の中に住み、働かれるということは別の種類に属しています。そこには天と地の隔たりがあります。
 それゆえ、和解の務めを果たすクリスチャンのことを、宗教改革者ルターは「クリスチャンは隣人に対して小さきキリストである」と言いました。
ルターのいう「小さいキリスト」とは、隣人に対するキリストの使者、つまり代理となって、キリストのために、神との和解を受け入れるように、勧める者です。
そのためにクリスチャンは自分が無私なる態度をもって、ひたすらに隣人に対するキリストの熱い思いと隣人に対してご自身を与えられるキリストの愛をもって、神の和解を受け入れるように、勧めなければなりません。その場合に、強い者が弱い者に、持てる者が持たない者に、相手を憐れむという態度ではなく、相手と全く同じ立場に立ち、否それ以上に相手の心を尊重し、相手に対して乞い願う態度です。
聖書は「キリストに代わってお願いします」と言っています。「お願いします」というギリシャ語は「デオマイ」です。これは「乞う」「懇願する」という意味です。
つまり「キリストに代わって懇願します」ということは、実にキリストご自身が懇願しておられることを意味しています。そのキリストの思いを身にひしひしと感じながら、相手に懇願するのです。これがクリスチャンに与えられた「和解の奉仕」なのです。
相手の心は何物にも隷属しない自由と尊厳をもっています。この心を尊重しながら、相手に乞うのです。しかし、そのことは決して無力な嘆願ではありません。なぜなら、人間の真実な思いは、神の御前に明らかであるからです。そして神の御前に明らかな思いは、他の人の良心に明らかになるようになるからです。それは神を媒介にして、人間の良心は互いに通じるからです。

パウロは「和解の言葉」すなわち「キリストの福音」を「恥としない」と言いました。それはたとえ世の中の多くの人が福音を何か恥ずかしいもののように感じていても、キリストは福音を通してご自身を与え、神との和解を受け入れるように願い、切望しておられるからです。そのキリストの熱い思いを知るならば、福音を恥とすることは絶対に有り得ないのです。
キリストによる和解を通して神がご自身の人格をもって、和解を受け入れる者の中に住み、働かれるという絶大な恵み、無尽蔵の霊的な宝を思うとき、人は誰でも「無私の愛」をもって生き、小さきキリストとして、隣人に対して、和解の務めを果たすのです。
キリストの「ご自身を与える熱い愛」とそれに応答するクリスチャンの「無私なる愛」とは、従来の人間が知っている「愛」とは異質です。この点について、パウロは実に印象的な表現をしています。

「わたしたちが正気でないとするなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。」(5:13)
神の愛に対して、パウロは気が狂ったかのように応答しました。すなわち、14節で説明している通りです。
「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」
つまりパウロをキリストの愛が捕らえましたので、彼は通常の人間から見ると気が狂ったように思われました。しかしパウロは決して気が狂ったわけではありません。彼がキリストの真理を洞察し、それに基づいた健全な自己理解をしていることは、彼が正常な意識を持っていることの証拠であります。
和解の務めに奉仕をするクリスチャンは、キリストによって古い自分に死に、キリストの思いを知り、キリストの思いを抱き、神に仕える者であります。無私なる愛をもって、キリストの思いを実行する者の中に、神ご自身が神として、人格として、わたしたちの中に働き、和解の務めをさせてくださるのです。
キリストは弟子たちに次のように命じられました。
「わたしの後に従いたいと者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコ8:34~35)
ここで自分の十字架を負い、自分の命を捨てるとは、要するに古い自分、利己的な自分に死ぬことであり、主イエスの思いをもって行動するために、自分の中に潜んでいるこの世的な考えを自分の決断をもって勇敢に捨てるという意味です。
しかし、そのことが可能になるのは、主イエスがわたしたちのすべてを担い、わたしたちの心の中で働いておられるからです。そして利己的な自分を捨てるのは、無私なる愛をもって神の御心に答えるためであり、キリストの思いを自分の思いとするためであります。
さらにまた、そのような自分に死にキリストに生きるということは、日々繰り返されるべき決断であります。隣人に対して「小さなキリスト」として神との和解の奉仕をするためには、わたしたちはキリストに担われて古い自分に日々死に、キリストの思いを日々確かめ、キリストの思いを常に自分の心に抱いて行動しなければなりません。
そうするならば、神は恵み深い主権者であることがわたしたちには「自分にとって」最も確実なこと、当然のことと思うのです。このことを証明する外面的な手段は一切不要となり、このこと自体が自明であると思うのです。これがクリスチャンの特質であり、そのように生きる者が和解の務めを果たすのです。



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