2010-12-12(Sun)

御言葉がなりますように 2010年12月12日の礼拝メッセージ

御言葉がなりますように
中山弘隆牧師

 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻のサラはどこにいますか。」「はい、天幕の中におります」とアブラハムが答えると、彼らの一人が言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう。」サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。主はアブラハムに言われた。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。」サラは恐ろしくなり、打ち消して言った。「わたしは笑いませんでした。」主は言われた。「いや、あなたは確かに笑った。」
創世記18章9~15節

 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
ルカによる福音書1章26~45節


(1)時が満ちる
 わたしたちは次週にクリスマスの礼拝をいたしますが、主イエスのご降誕は神様の救いの歴史の中の出来事であることを覚えたいと思います。そうすることによって、クリスマスの恵みが一層よく理解できます。
自分はこれから先どうして生きて行けばよいか分からない試練の中で迎えたクリスマスのことを、今でも忘れることはできない、と言われる人たちがおられます。それらの方は辛い境遇の中で、神様が共にいてくださり、神様を一層身近に感じられることを感謝し、一日一日を過ごされた結果、試練の歳月を乗り越えることができたのです。このような慰めに満ちたクリスマスの恵みをわたしたちが体験するためには、クリスマスをまず神様の歴史の視点から聖書に聴き、理解することが必要です。
神様は人間をご自身との交わりの中に招き入れるという永遠の目的を実現するために、人類の歴史の中で働いてこられました。
 このため最初に選ばれた人がアブラハムです。神はアブラハムと出会い、御言葉をもって救い主の到来を約束されました。それは創世記12:1~3に記されています。
「アブラハムは祝福の源となり、地上の氏族はアブラハムによって神の祝福を受ける。」
この御言葉は、アブラハムが自分に現れた神を信じ、神に従う生活を続けるとき、アブラハムを通して神の祝福が諸民族に及ぶという約束でした。
 しかし、どれほど信仰の熱心な人であっても、自分が聞いた御言葉の深い意味を最初から十分理解することはできません。生涯を通して御言葉により頼みながら真剣に生きているならば、自分を取り巻く歴史の状況が変化していく中で、徐々に神の目的が鮮明になって来るのです。
アブラハムは信仰の生涯における一つの峠を越えましたとき、神様は約束を一層鮮明にされました。それは創世記22:18に記されている神の御言葉です。
「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって、祝福を受ける。」
このように神様の祝福の本当の担い手は、アブラハム自身ではなく、彼からでる一人の子孫であることが明らかになりました。
 このように、歴史を貫いて働く神様の約束は、一人の信仰者の生涯だけでなく、さらにイスラエル民族を取り巻く世界の歴史の経過が必要だったのです。
アブラハム当時のアラブ世界がより広範なペルシャ世界へ移行する歴史の転換期に、神は預言者たちを通して、イスラエル民族だけでなく、世界の諸国民の救い主の到来を約束されました。
これは決して神がアブラハムに与えられた約束が変わったというのではありません。イスラエル民族が浮き沈みをする長い歴史の経験を経て、イスラエルに与えられていた神の最初の約束と計画とがいよいよ明らかになってきたのです。
しかし、救い主が到来されるためには、さらに人類の歴史が展開する必要がありました。ペルシャ時代から、さらにギリシャ帝国時代へ、そしてローマ帝国時代へと変遷することによって、新しい世界が出現したのです。
それはローマの支配のもと、多民族が共存し、ギリシャ語がどこにでも通用する言語となった世界です。そこに至って、選民イスラエルは自分たちだけの救い主ではなく、一つの青空のもとで多民族が共存する「エキュメニカルな世界」の救い主を待望する必要に迫られたのです。
 このように最初にアブラハムに与えられた神の約束は、その約束の内容が明確になるために、1500年に及ぶ歴史の展開が必要でありました。実に神の御言葉は人類の歴史を貫いて、目的実現に向かって行きます。このような性格をもっているものが神の御言葉なのです。
 それゆえ、御言葉の実現には歴史の中で「時が満ちる」ことが必要なのです。ガラテヤの信徒への手紙4章4節で、パウロは次にように言っています。
 「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」
 アブラハムに与えられた神の約束は、その後1000年に及ぶ律法の時代を経て実現しました。この1000年の期間は、アラブ世界の垣根が取り壊され、ギリシャ・ローマの世界になるために必要でありました。そのような歴史の時が満ちて、人類の救い主が到来されたのです。
従いまして、わたしたちは神の御言葉を聞くときに、歴史を貫いて実現する神の恵みに入れられ、神の救いの歴史に参加するのです。言い換えれば、歴史を貫いて前進して行く神の民の歩みに、わたしたち一人一人の信仰者が参加しているのです。このことを確信する者でありたいと思います。

(2)恵まれた人
今や時が満ちて、神の約束が実現するために、処女マリアのところに天使が現れ、神の御子の受胎を知らせました。
「ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来ていった。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』(1:27~28)
ここで、聖書は天使ガブリエルが神からマリアのもとに遣わされた、と言っています。ガブリエルは旧約聖書では、神の面前で仕えている天使である、と考えられていました。
ガブリエルがマリアに現れ、神の御言葉を語りましたのは、目に見えない神の言葉と行為をビジョンによって鮮明にするためでした。それは神様が生ける人格として、マリアに出会い、直接御言葉を語っておられるのを見える形で示しています。
旧約聖書の中では、天使がしばしば神様と区別しがたい形で、神の言葉を告げています。
例えば、創世記18章16節以下で、悪徳の町ソドムを裁くために降って来られた神と二人の天使をアブラハムは見た、と書いてあります。その際、神は見える姿を持った方として、ご自身がソドムの町に対して行おうとしておられることをアブラハムに話されました。その情景は実に生き生きと述べられています。さらに二人の天使がソドムの町に向かって行ったので、後に残られた方が神ですが、もうアブラハムの目には見えません。それでもアブラハムは面と向かって神と対話しながら、ソドムのために執り成し祈りました。
そこでは二人の人格が出会い、語り、応答するという出来事が起こっています。神をあたかも人間であるかのように見る擬人化した表現で、神の心の動き、決断、発言をそのとき、そこで生起した事柄として語っています。しかしこれは目には見えない霊的な神の人格的な行動を正しく表しているのです。
なぜならば、神は永遠であり、時間を超えた存在ですが、また同時に、時間の中で語られる方なのです。それこそ「神の時」です。時の中で、語り、決断されるのです。

天使はマリアに恵まれた人として挨拶しました。この挨拶に戸惑うマリアに、一層詳しいメッセージが語られました。
「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みを頂いた。あなたは身ごもって男の子を生むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(1:30~33)
これは神がマリアを選んで、マリアからイスラエルと全人類の救い主である王が生まれるという知らせです。救い主は神の国の王となられ、その支配は永遠に続く、と告げられました。従いまして、これはマリアから偉大な一人の王が生まれるという人間世界の事柄ではありません。そうではなく、神の国の支配者として永遠に王であり続ける方の誕生なのです。
父ダビデの王座を受け継ぐということは、単なる比喩です。それに対してマリアから生まれられる方は、人であり、同時に神である方なのです。その方を預言者たちは終わりの時に神のもとから到来する「メシア」として語っていました。イザヤ書9章5~6節で次のように預言されています。
「ひとりのみどり子がわたしたちのために生まれた。一人の男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」
このように預言者イザヤは、アブラハム以来、イスラエルに約束されていた救い主の到来を預言しましたが、その内容はダビデ王の後継者では決してありません。あるいはダビデの王国を理想化したような国の到来を預言したのでもありません。そうような枠をはるかに超えた全人類を永遠に支配される唯一の王として語っているのです。
実に、一人の男の子であり、驚くべき指導者、平和の君であると同時に、力ある神、永遠の父なのです。

マリアは、この神のご計画があまりにも尊く、神の恵みがあまりにも大きいことを知って、恐れました。また、神の恵みを受け、神のご計画に参加するには、自分があまりにも貧しく、弱い人間であることを知って、恐れたのです。
そして本来、人間にはそのようなことが起こりえない、不可能であると思ったのです。そのような神の恵みは、人間である自分には信じられない、と考えたのです。
マリアはこれまで、神を信じ神に従うことを一番大切にして、信仰深い敬虔な人生を歩んできました。しかし、神の御子の受胎だけは、信じることが不可能でした。これは逆説的に聞こえるかもしれませんが、信仰的な人は、神の御子の受胎が自分の身に起こるということは信じられないのです。もしも自分は信じるという人がいるとすれば、その人は不信仰な人なのです。
それゆえ、マリアは天使ガブリエルに言いました。
「どうして、そんなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(1:34)
恐れ、疑うマリアに対して、天使は答えました。
「聖霊はあなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」

ここでは、神ご自身が天使を通してマリアに語られたのです。「神にはできないことは何一つない。」「人間にはできないが神にはできる。」「神は自ら意図されることを、実現することができる。」
このように、神ご自身がマリアに語られましたので、マリアは御言葉を信じることができました。そして、その信仰を言い表しました。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(1:38)
自分は何をなすべきかが分からないままで、自分の困惑を静め、躊躇することを止め、不信仰を御言葉によって乗り越え、「神の御言葉は必ず実現する」ことをマリアは信じました。そして、自分のすべてを神に献げたのです。
まことに、神の御子がマリアから誕生されるという驚くべき恵みは、マリアの信仰的応答により、人格的な献身により、人類の歴史の真ん中で実現したのです。

(3)信仰と従順が意味する内容
最後に、天使がマリアに、「恵まれた女よ」と言った祝福を受け入れることは、世の多くの女性たちが躊躇する種類の恵みでありました。
マリアはその恵みによって、出産が直前に迫ったとき、ローマ皇帝の勅令により、ガリラヤからベツレヘムまで長くて辛い旅をしなければなりませんでした。ベツレヘムでは冬の寒い夜に陣痛が起こり、出産するための宿はなく、馬小屋の飼い葉桶に赤ん坊を寝かさなければなりませんでした。マリアの身の回りには何ら見るべき栄光はなく、その後のナザレの山郷における生活は、貧しく目立たない長い年月でした。
その少年が成長すると母の心が突き刺されるような危険な生涯を送ることになります。謙遜な人々は彼を愛しましたが、他の多くの人々、ことに権力ある人々は彼を憎みました。ついにユダヤの指導者たちによって、ローマ政府に訴えられ、嘲笑する群衆に取り囲まれて、十字架に架けられるのを、マリアは自分の悲しみとして目撃しなければならなかったのです。
これが「おめでとう。恵まれた方。主が共におられる。」という天使が祝福した生涯でした。もしマリアが自分の幸福を欲していたら、明らかにその祝福を受け取らなかったでありましょう。
しかし、真理はより深い次元にあります。この世は神の恵みを安楽と繁栄の中にあると考えています。確かにそれらのあるものは神の手から受け取るのですが、しかし、それらは神の祝福と同一ではありません。神の恵みは、どうすることもできないほど困難な状況の中で、最後の勇気を振り絞ってその事態に直面するとき、現れるものです。
まさに、マリアはそのようにして、主イエスの十字架に直面した時、神の恵みが主イエスの復活となって現れました。
マリアは復活の光を身に受けたとき、すべての苦しみと悲しみが喜びに変わったのです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR