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2017-07-16(Sun)

御言葉の実行 2017年7月16日の礼拝メッセージ

御言葉の実行
中山弘隆牧師

 わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり/わたしの道はあなたたちの道と異なると/主は言われる。天が地を高く超えているように/わたしの道は、あなたたちの道を/わたしの思いは/あなたたちの思いを、高く超えている。雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。
イザヤ書55章8~11節 


 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」そして、百人隊長に言われた。「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。
マタイによる福音書8章5~13節


(1)聖書の神に対する信仰
 従来の日本社会には、神々を祀る神社や仏に祈願する寺が多く見られますが、それらは聖書の神と根本的に異なっています。
 そのような神や仏は自己の意思と働きを持たず、神や仏としての性質が人間や自然の中に宿っていると思われています。そのような神は人間や動物、木や花、或いは山や川、すべてのものと融合している神々であり、汎神論的な神です。決して人格的な神ではありません。
 それに対して聖書の神は「わたしとあなた」、「我と汝」との対面の中で人間と出会い、交わりを持たれる人格的神です。その交わりの手段が神の御言葉です。さらに、御言葉は人間との交わりの手段だけでなく、実は神ご自身の存在と働きの仕方なのです。
 従いまして、問題は神がご自身を人間に現すために語られる御言葉を人間がどのように聞いたか、そして御言葉に応答して、何を為したかということです。そこに神の啓示と、神の救いが歴史的な出来事となって現れています。
 このような御言葉こそ、世界を創造し、人間を救う神の権威と力を秘めています。預言書イザヤ55章11節では、次のように証されています。
 「そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」
 このように御言葉は神の目的を表し、しかもそれを実現する神の力と働きなのです。それゆえ、神が永遠に生きる存在であるのと同じく、御言葉も永遠なのです。
 このことをイザヤ書40章8節は証しています。「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」
 同様に、「神の言葉それ自身」であります神の御子・主イエスも次のように仰せになりました。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ24:35)。
 ここで、神の御子イエスは、ご自身を神として語っておられます。それゆえ、イエスの語られる言葉が常に生きて働く神の力なのです。イエスの語られる言葉は何と力強い人智を超えた壮大な展望を持っていることでありましょうか。

(2)イエスの御言葉に対する信仰
 本日の聖書の箇所、マタイによる福音書8章5節によれば、ローマ兵の百人隊長の忠実な部下が中風で、ひどく苦しんでいるので、隊長自身がイエスのもとへ来ました。そして部下が癒されるように懇願しました。イエスは彼の切なる願いを知って、「わたしが行って、いやしてあげよう。」(マタイ8:7)と言われました。
 そのとき百人隊長が言った言葉が、記されています。
 「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。」(マタイ8:8)
 ここには、イエスを通して、神が働いておられるという信仰と、イエスの語られる御言葉こそ、生きて働く神の言葉であるという信仰が見事に告白されています。この人はイエスを本当に信じていました。
 百人隊長は言葉の持つ権威と効力を、軍人としての立場から、認識していたものと思われます。彼は中間職として、上の大隊長の命令を受け、自分の部隊では部下に命令を与える立場でありましたから、上官の命令が絶対的な権威であることを日頃から熟知していたのです。しかし、その命令の権威は、軍隊の中にだけ通用する権威です。それに対して、イエスの命令は通用範囲のいかなる制限もありません。あらゆるところに通用する権威です。
 クリスチャンの中には、信仰は心の中の問題であり、信仰と政治とは別問題である、と考えている人がいますが、それは神の働きの領域を自分勝手な考えで制限しているだけです。
 さらに神の働きは、社会体制の区別を越えて有効です。資本主義社会であろうと、または社会主義的社会であろうと、或いは民主主義的な現代社会であろうと、国王が独裁的な主権者である古代や中世の社会であろうとも、神の求められる正義と公平と憐みが具体的に実行されるならば、そこに神の働きが現れているのです。
 問題はただ一つ、神の働きはイエスに対する信仰を通して現れるという事実です。なぜならば、主イエスの到来が旧約聖書で約束されていた神の救いの実現であり、神の究極な啓示であるからです。従って、ヘブライ人への手紙はその冒頭で言っています。
 「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」(ヘブライ1:1~2)
 このように神は旧約聖書の時代に語られた多くの神の言葉の集大成として、そして御子イエスを通して、究極的な神の言葉を語られたのです。それゆえ、イエスを信じることが、旧約聖書の神を信じることなのです。逆に言えば、旧約聖書の神を本当に信じているかどうかの試金石はイエスを信じるかどうかなのです。
 実に、隊長は神の究極的な言葉であるイエスを信じました。イエスはここで隊長の告白に接して、次のように仰せられました。
 「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」(マタイ8:10~11)
 ここでイエスはイエスの御言葉に対する信仰によってのみ、イスラエルの民であれ、異邦人であれ、人は誰であっても神の国に入ると、仰せられました。言い換えれば、人はだれでもイエスに対する信仰によって救われると言われたのです。
 しかしここで注意が必要です。神の力によって病気が癒されると言うことは、体だけのことではなく身も心も魂も全部救われると言うことなのです。それゆえ、イエスの言葉に対する信仰を言い表した百人隊長に、イエスは仰せになりました。
 「帰りなさい。あなたが信じた通りになるように。」(マタイ8:13)
 ここで、「あなたが信じた通りになるように。」と言うギリシャ語の原文は、「あなたが信じたよう通りに、なれ。」と言う命令形なのです。
隊長はこのイエスの命令を信じたのです。
 わたしたちはどうでしょうか。きっと、皆様は信じておられるでしょう。正に、イエスの命令を信じることが、生ける神と出会い、神を信じることなのです。
 この点をヨハネによる福音書はもっと強調しています。ヨハネ4章50節で次のようにイエスは仰せになりました。
 「『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」
 ここで、「あなたの息子は生きる」とイエスが言われた言葉は特別の表現の仕方です。「生きる」という言葉はギリシャ語の文法で「動詞の現在形」です。しかし、それは普通の現在形の意味ではなく、特別の意味を持っています。つまり、イエスがこの言葉を口から発せられると同時に、「あなたの息子は生きるのだ」と言う意味です。言い換えれば、イエスの発言と同時に、その言葉を通して、神の力が働くので、「あなたの息子はまさに今生きる」と仰せになったのです。
 このとき百人隊長は、息子に対して発せられたイエスの御言葉を信じました。それゆえ、イエスは彼に仰せになっています。「帰りなさい。あなたが信じた通りになるように。」
 彼はこの御言葉を頂いて、帰って行きました。言い換えれば、御言葉に従って、行動したのです。信じるとはイエスの御前から生活の場に帰って行くことが必要なのです。そうすればイエスの御言葉の威力と働きが体験できるのです。家にたどり着いたとき、イエスが御言葉を発せられた「ちょうどその時、僕の病気は癒された」と言う事実が判明しました。これは正に驚きです。イエスの御言葉に対して、わたしたちもこの隊長と同じように行動することが重要です。それではわたしたちはそのようにしているでしょうか。
 誰でもイエスの御言葉を聞いて、御言葉は必ず実現すると信じて行動するならば、その人は神の力を体験し、そして知ることができます。

(3)クリスチャンに対するイエスの命令の意味
 最後に、クリスチャンに対するイエスの命令の意味について、聖書から学びたいと思います。主イエスの命令は単なる命令ではなく、その中に命令を実行することのできる力を持っています。この点が、イエスの命令の特徴です。
 ところで、クリスチャンの場合に、主イエスの命令とは何でありましょうか。使徒パウロは主イエスの律法は、「隣人を自分自身のように愛しなさい」と言う一句に集約されると教えました(ガラテヤ5:14)。また使徒ヨハネは、イエスの命令を次のように要約しています。
 「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネ15:12)
 それゆえ、わたしがあなたがたを愛したように、隣人を愛しなさい、あなたがたは互いに愛し合いなさい、という主イエスの命令は、その命令と同時に、実行を可能とする「神の愛」が、「わたしたちの中」に働きます。このことを信じて実行することがわたしたちの生き方です。
 ところで、イエスの命令である神の愛の実行は、教会の中だけでなく、一般社会の中でも、実行する必要があります。その場合には、社会が必要としている神が命じられた道徳律を満たすことが重要なのです。この点を軽視しては、家庭や社会の中で、神の愛を実行することはできません。クリスチャンが教会の中でクリスチャンらしい振る舞いをしていましても、社会で通用しないのであれば、その信仰は未熟です。信仰は善良で、親切で、人に寛容であり、人の誤りを赦し、正直で、責任を果たし、社会でも人から信頼される人間を造り出します。

 しかし、神の愛がクリスチャンに働く場合、それ以上のことが実行でるし、実行しなければなりません。その意味で主イエスは「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは天の国に入ることはできない。」(マタイ5:20)と仰せられました。
 ファリサイ派や律法学者が代表しているユダヤ教では、自分の能力と努力によって律法の命じる業を行い、それを自己の功績としました。そして人は自分の功績によって神の救いを得られると信じています。また愛の対象を「自分たちの仲間」に限定しました。さらに貪欲は罪ではないと主張し、富を得ることを人生最大の目標としました。

 それに対して、主イエスはクリスチャンが神の御心に従い、神の栄光を現そうという一心で、善い業を行いなさいと命じられます。また主イエスは「敵を愛しなさい。神は善人にも悪人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせておられる」と仰せられます。さらに、「だれでも、二人の主人に仕えることはできない。あなたたがは、神と富とに仕えることはできない。」と言われます。
 因みにマタイによる福音書の「天の国」とは、他の福音書では「神の国」です。さらに、パウロの手紙では「復活の主イエスが支配される国」です。コロサイの信徒への手紙はこの点を明瞭にしています。
 「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。」(コロサイ1:13~14)
 それゆえ、復活の主イエスが支配される神の国に移されたクリスチャンは神に従い、隣人を愛する「自由」が与えられているのです。今や主イエスの支配は御言葉と聖霊とを通して、この世界の中に特にキリスト教会の中に、そしてクリスチャンの中に働いています。このように主イエスを通して働く御言葉の力は何と壮大なことでしょうか。
 しかしクリスチャンが自分に与えられている自由を使用して、イエスの命令を実行するためには、主イエスの命令を「自分の心」で直接聞くことが必要なのです。つまり、わたしたちと日々出会われる復活の主イエスを、わたしたちは「聖霊によって」見つめて、御言葉を信じ、実践することがクリスチャンの生き方です。



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