2017-07-09(Sun)

誘惑に勝利する 2017年7月9日の礼拝メッセージ

誘惑に勝利する
中山弘隆牧師

 イスラエルの人々、その共同体全体は、第一の月にツィンの荒れ野に入った。そして、民はカデシュに滞在した。ミリアムはそこで死に、その地に埋葬された。さて、そこには共同体に飲ませる水がなかったので、彼らは徒党を組んで、モーセとアロンに逆らった。民はモーセに抗弁して言った。「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。なぜ、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか。」モーセとアロンが会衆から離れて臨在の幕屋の入り口に行き、そこにひれ伏すと、主の栄光が彼らに向かって現れた。主はモーセに仰せになった。「あなたは杖を取り、兄弟アロンと共に共同体を集め、彼らの目の前で岩に向かって、水を出せと命じなさい。あなたはその岩から彼らのために水を出し、共同体と家畜に水を飲ませるがよい。」
民数記20章1~8節
 

 さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』/と書いてある。」次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、/あなたの足が石に打ち当たることのないように、/天使たちは手であなたを支える』/と書いてある。」イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ』/と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
マタイによる福音書4章1~11節


(1)誘惑する者とは
 わたしたちの人生には様々な試練と誘惑があります。初心を貫いて最後まで努力することは非常に難しいことです。その理由は人には誘惑が多いからです。目に見える誘惑には良く抵抗することができましても、目に見えない誘惑には非常に弱いからです。
 それゆえ、絶えず目を覚ましていて、誘惑に打ち勝つのでなければ人生の目的を達成することはできません。信仰生活においても同様です。むしろ信仰生活は特にそうであると言えます。
 それでは誘惑に勝利するためにはどうすればよいでしょうか。その唯一の方法は、誘惑に完全に勝利された主イエスのもとから離れないでいるということです。また、自分が日々出会う事柄に対処しなければならない場合、自分の思いではなく、主イエスの思いが行われますようにと言う一貫した態度を持つことが必要です。そして主イエスに真剣に祈ること、これが勝利するため有効な手段です。
 実に救い主としてのイエスの第一の使命は、人間としてわたしたちと同じ弱さを持ち、同じ誘惑を経験し、しかもその誘惑に勝利してくださることでした。しかし、このことを口で説明することは簡単ですが、現実の人生の歩みの中でそれを達成することは他のいかなることよりも難しいのです。まことに至難の業です。

(2)救い主の使命
 次に神の御子イエスがこの世に来られた目的は、罪のために神から離れてさ迷い、行き倒れの悲惨な状態の中にある人間を神のもとへ連れ戻すことでありました。人間を神のもとに立ち帰らせることでした。そこで、この使命を果たすために、御子イエスは神の御心に従ってどのような仕方で取り組むべきかを熟慮する必要があったのです。イエスの行動の基本方針をじっくりと考える必要があったのです。そのためイエスは一人で荒れ野に行かれました。そこはだれも住んでいない全く孤独の世界です。
 エルサレムと死海との間には、長さ57キロメートル、幅24キロメートルの荒れ野が広がっています。それは高原地帯で、黄色い砂地と石灰岩でできています。一面に小石が転がっており、ごつごつとした岩肌が至る所に露出しています。そうした高原が死海まで続き、そこから一気に380メートルも下降する恐ろしい絶壁になっています。
 イエスはこの恐ろしい淋しい世界の中で、ただ一人自分自身と対面し、神の使命を果たすために自分の進むべき道について熟慮されたのです。わたしたちも自分の人生の曲がり角に立った時、自分一人になってすべてのことよく考える必要があります。
 普段は仕事や雑用に追われて見失っている自分を見いだし、自分のすべての問題を神の御前に置くためには、一人にならなければならないのです。孤独に耐え、自分一人でよく考える機会を持たなければなりません。そのようにして自分の人生を直視するならば、自分に対する神の意志や計画を知らされるようになります。

(3)イエスの受けられた試練
 本日の聖書の箇所では、次のように記されています。
 「イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。『神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。』」(マタイ4:1~3)
 ここでは「空腹を覚えられた」となっていますが、それは「飢えられた」すなわち餓死の危険に直面されたという意味です。
 また聖書では「誘惑する」という言葉は「ペイラゾー」と言いますが、この言葉は「テストをする」という意味もあります。人が神に用いられ、役に立つようになるために「鍛える」という意味もあります。金属が純粋になるため精錬されなければならないように、人も試されなければなりません。神がアブラハムを試されたのも、彼が神に対して忠実な者となるためでした。
 神の与えられる試みは、人を悪くするためではなく、良くするためです。弱くするためではなく、一層強く、清くするためです。試みとは人間に対する刑罰ではなく、それは神が御用のために用いようとする者に与えられる試練なのです。ここに人が神の目的に沿う者となるためには、試練を受けなければならないという崇高な真理があります。
 そこで、悪魔の誘惑は第一にパンの問題でした。今イエスは40日間の断食によって痩せ衰え、飢えのただ中で苦しんでおられたのですから、パンを得ることは最も切実な問題です。
 できることなら石をパンに変えて食べたいとの思いがイエスの脳裏に浮かんできたことでしょう。その機会を逃さず悪魔はイエスの耳に囁きました。
 「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」(4:3)
 「お前が神の子である」というからには、この石がパンとなるように命じて見よ、と悪魔はイエスを誘惑したのです。なぜならば、イエスは神を「ご自分の父」として知り、父との人格的な交わりの中で今まで歩んでこられた方でありますので、ご自分が「神の子である」という明確な自覚を持っておられたのです。
 特に、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられた時、ルカによる福音書によりますと、次のように記されています。
 「イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」(ルカ3:21~22)
 この声は父なる神が直接にイエスに語りかけられたのです。イエスは普段から御自分が神の御子であるとの自覚を持っておられましたが、父の御声を聞いて、それは不動の確信となりました。
 そこで、悪魔はイエスが御子であるからには何でもできる筈である。それゆえこの石に命じて、パンに変えよと誘惑したのです。しかし、そのように考えることは御子の性質に反します。なぜならば父に対してどこまでも従順であることが御子の本質であるからです。
 イエスは父なる神が全能であることを信じておられましたが、その全能とは父なる神が自ら欲せられることは何でもできるという信仰です。従ってイエスは父なる神が石をパンに変えるように欲しておられないことを十分知っておられましたので、悪魔の要求を拒否されたのです。
 それゆえ、イエスは聖書に「『人はパンだけで生きる者ではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」と言って、悪魔の誘惑を退けられました。これは申命記8章3節の言葉すなわち「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きる。」の引用です。
 要するにイエスが仰せになった意味は、だれでも神の言葉を聞くとき「内的な生きる力」が与えられると言う「御言葉に対する信仰」です。同時に摂理によって、神様はわたしたちが自分で働き糧を得る道を必ず開いてくださるという「神の摂理に対する信仰」です。
 神の摂理とは、現在この世界の中に働いている神の全能の支配のことです。神様は人間が計画し、実行しているすべての事柄を、人智を超えた知恵と力を持って支配し、ご自身の思いと目的を実現される方です。しかも、神は恵み深い方でありますから、一人一人の人生を配慮し、わたしたちが働いて生きる道を開いてくださいます。この信仰が聖書の信仰です。
 さらに悪魔はイエスに挑戦しました。
 悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、もちろんこれもイエスの心の中でそのように思わせたのですが、神殿の屋根の端に立たせ、「神の子なら、飛び降りたらどうだ。」と言い、同時に、詩編91篇11~12節の聖句を引用しました。
 「主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る。」
 これはイエスが大いなる奇跡を行うならば、すべての人間はイエスを神から遣わされたメシアであるときっと信じるだろう、と悪魔は誘惑しました。正にこの点は信仰の問題であり、イエスにとって重大な意味を持っています。
 実を言えば、イエスは神の国の宣教をしておられた時、常にこの誘惑にさらされていました。なぜならイエスがメシアであることを証明する天からの「しるし」をユダヤ人はイエスに求めました。イエスは心の深い嘆きをもって、次のように仰せになっています。
 「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」(マルコ8:12)
 なぜならば人がイエスを信じるということは、イエスの言葉、行動それ自体を見て、信じることが本当の信仰なのです。イエスの言動それ自体が信仰を要求している神の事実であると思って信じるのが、本当の信仰なのです。
 言い換えれば、信仰とはイエスを通して父なる神が人間のもとに臨在し、働き、イエスによってご自身を啓示しておられることを信じることであるからです。

 「更に悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』と言った。」(マタイ4:8~9)
 ここで、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せたというのは、国々の繁栄と富を実際に目で見えるようにしたのではなく、イエスの心に映るようにしたのでしょう。それでも実にそれは偉大な感動的光景であったに違いありません。
 外見的にはすべての人々がその国の権力者と富に服従しているように見えます。もし救い主がそのような絶大な権力を持つならば、すべての人々に神を信じさせることが容易にできるように思えます。事実、ユダヤ人はそのような政治的権力と軍事力を持った救い主の出現を待望していたのです。もしイエスがそのような救い主になりたいと思うならば、悪魔は「わたしを拝みなさい、そうすれば世のすべての富と権力を与える」と誘惑したのです。
 さらに、現代の諸国家の状況は悪魔の誘惑に捕らえられていると思われます。現代のグローバルな世界は、資本と製品と人間が自由に移動できるように公平なルールを多国間の協定により定め、経済的規模を拡大させようとしています。その結果、総生産量は飛躍的に拡大しますが、世界の何処にでも貧富の格差が拡大しています。悪魔はこの世界の権力と繁栄があたかも自分のものであるかのように見せかけ、人間を騙しています。悪魔はイエスに世界の富と権力を示して、わたしを拝むなら、すべてをあなたに与えようと約束しました。このときイエスは悪魔の本質を見抜かれたのです。この悪魔の挑戦に対して、イエスは人間が礼拝すべき方は主権者である唯一の神であると仰せになって悪魔の誘惑を退けられました。
 「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」(4:8)と仰せになりました。これは出エジプト記20章1~6節までの要約です。
 その結果、御子イエスの道は必然的に人類の罪を贖うための十字架の死に至る道となりました。人類の罪を裁かれる父の意図が成就することによって、人間は救われるのだとイエスは確信し、人類に代わって神の裁きをご自分の身に引き受けられたのです。
 このイエスの従順こそ、御子の栄光であり、人間を救う神の力です。それゆえ父なる神は御子イエスを死人の中から復活させ、天地の万物の主権者である「主イエス・キリスト」とされました。
 今や主イエスは神の力をもって世界と万人を支配し、罪と闇の支配から解放されるのです。主イエスの支配とは、人間が神の意志に従い、隣人を愛し、正義と公平と憐みを実行することによって、諸国家やその社会を人々が共に生きる共同体とすることです。



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