2017-06-18(Sun)

父・子・聖霊の神 2017年6月18日 三位一体主日礼拝メッセージ

父・子・聖霊の神
中山弘隆牧師

 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。
申命記6章4~9節


 イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。あなたがたがわたしを知っているなら、わたしの父をも知ることになる。今から、あなたがたは父を知る。いや、既に父を見ている。」フィリポが「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである。
ヨハネによる福音書14章6~10節


(1)聖書の神と神の言葉
 わたしたちは本日、「三位一体の神」を賛美し、祈るために定められた「三位一体主日礼拝」を守っています。三位一体の神とは、唯一の神が御自身の内部に持っておられる父・子・聖霊の交わりを通して、わたしたち人間と深く関わり、わたしたちを救いに導いておられる神様です。
 このことを神様は人類の救いの歴史を通して啓示されました。本日はこの点を特に覚えたいと思います。先ず、神は唯一の神様であることを、本日の聖書の箇所である申命記6章は強調しています。
 「イスラエルよ。われらの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:4~5)
 わたしたちは日常生活の中で、思い煩うことの多い者ですが、新緑の森を渡って吹いてくる微風を体に受け、心身がリフレッシュされるとき、野辺に咲く小さな花、或いははるばる南洋から飛来し、巣作りのために川や、田んぼを飛び交うツバメの姿を見ると、思い煩っている自分の愚かさに気づきます。そして自分が生かされているということが何物にも代えがたい幸いであるとつくづく思います。
 従って、人間だれしも自分を生かされる神を知ろうと欲し、神を探求します。しかし、人間が神を知り得る唯一の方法は、神ご自身が「神として」、人間と深く関わり、人間が神の御前に生きるようにしてくださること以外にはありえないのです。この点に聖書の神が唯一の神である所以があります。
 初めに、神様は人間に対するご自身の恵み深い意志により、イスラエルの民を交わりの相手として「選び」、民が神を理解するように教え、導き、訓練を与えて来られました。
 この神様のイニシャティブによって、「結ばれた関係」の中で、イスラエルの民は唯一の真の神を、「われらの父」と呼びました。しかし、神とのこの関係によって、イスラエルが神の身分になると言うのでは決してありません。そうではなく、彼らが神の配慮と訓練の中で、神に従い、神の命令である律法を忠実に実行することによって、神の御前に生きる人間となること、これがイスラエルを選ばれた「神の目的」でした。
 この目的によって、神様はイスラエルの歴史の中で、預言者たちを召し、彼らを通して神の言葉を語られました。また神は預言者を神の代理と定め、イスラエルと全人類に対する神の支配を代行させられたのです。それゆえ、神はエレミヤに仰せになりました。
 「見よ、わたしはあなたの口に、わたしの言葉を授ける。見よ、今日、あなたに諸国民、諸王国に対する権威を委ねる。抜き、壊し、滅ぼし、破壊し、或いは建て、植えるために。」(エレミヤ1:9~10)
 それゆえ、唯一の主権者である神との人格的関係に入れられた預言者たちの特質は神に対する「従順」です。
 神はエレミヤに対して直接に御言葉を語り、「御言葉と共に聖霊」を与えられたので、エレミヤは神の言葉を自分の知性で理解し、人間の言葉で、神の意志と命令を語ることができました。
 またキリスト教の初期には、聖霊によって、異言を語るクリスチャンが多くいました。彼らは聖霊によって、主イエスを告白し、神を賛美していたのです。しかし彼らの言葉は不明瞭で、何を言っているのか他の人には分かりませんでした。なぜなら、そこには信仰による認識がなかったからです。

(2)究極的な神の言葉
 イエスは父なる神を知り、ご自身の言葉で、父の意志を語り、行動されました。それは父に対する御子の従順をもって、語り、行動されたのです。罪人に対する神の赦しを語り、病人を癒されました。神はその時、イエスを通して働かれたことが、一目瞭然となり、現場でその出来事を目撃した人たちは皆驚き、イエスの人格の秘密の前に立たされたのです。「イエスご自身」が神の言葉であると言う人智を超えた霊的現実を前にして、驚いたのです。
 しかし、その現実が躓きとなる点は、イエスが神の御子であり、真の神であるゆえに、人間となってこの世界に父のもとから遣わされた方であると言うことです。その結果、この世的な権威は一切持たず、貧しく、日々の生活の苦しみを経験された方ですから、ユダヤ教の指導者たちは、イエスを信ぜず、安息日に病人を癒したことによって、神の律法を破った最悪の罪人であると断罪しました。
 しかし、イエスによって神に赦され、真の神を知らされたサマリアの女性はイエスに向って告白しました。
 「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。」(ヨハネ4:19)
 このように、旧約聖書の信仰の伝統の中に生きている人たちは、イエスを先ず預言者と理解しました。しかし、良く知れば知るほど、イエスと預言者たちの相違は明瞭になります。預言者たちの場合には、自分が神から知られていることを自覚していましたが、同時に自分は神を完全には知っていないこともよく自覚していました。 それとは対照的に、イエスは神を完全に知っておられたのです。イエスはユダヤ教の指導者たちにこのように仰せられました。
 「わたしに栄光を与えて下さるのはわたしの父であって、あなたがたはその方を『我々の神だ』と言っている。あなたがたはその方を知らないが、わたしは知っている。」(ヨハネ8:54~55)
 さらに、イエスは自分が神の御子(独り子)であることを自覚しておられました。この点が非常に重要です。イエスの自覚はヨハネによる福音書の随所に見られます。「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」(6:57)「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」(16:28)
 実にイエスの自覚はイエスの人格の中心で働いている神秘ですが、正にイエスが神であることを示しています。同時にイエスは父によって、人間世界に遣わされた者として、正に人間であることを示しています。その結果、イエスは父との直接的な交わりの中で、語り、行動されました。これはイエス以外のいかなる人間にも見られない全く特異な点です。
 イエスの人格の深い秘密は、イエスが聖霊によって処女マリアから生まれ、人間としての知性と意志とを持たれたのですが、イエスの人格は誕生以前の永遠の御子の人格であるという点です。さらに、永遠の御子は「受肉する前に」すでにご自身のうちに人間性を持っておられたのです。この深い神秘について、イエスはご自身を「人の子」と呼ばれました。それは「神的な人間」と言う意味です。
 ヨハネ福音書は冒頭で「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(ヨハネ1:1~3)。と言っています。
 このように「神の言葉」は世界と人類に対する神の「自己伝達」です。それゆえ、御子イエスは神の自己伝達として真の神・真の人であります。すなわち、神と人間との「仲保者」なのです。
 勿論、幼子イエスは成長と共に知性が発達し、成長に伴って、父なる神を知るようになられました。しかし、幼い時からすでに、「父に全く依存し、父に求め、父に従う」という「御子の従順」により、イエスは父なる神を完全に知られたのです。
 この点がイエスの人格の神秘です。「子としての従順」による認識です。同時に、イエスの場合は、「直接父を見る」ことによる認識です。これは人智を超えた認識であり、正に聖霊による認識です。
 「はっきり言っておく。父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父のなさることは何でも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。」(ヨハネ5:19~20)
 従いまして、御子としての特質により、イエスと父との関係は、父・子・聖霊の「三位一体の神」の「現実」を示しています。
 この状況こそ、父が子を愛し、ご自身を子に与え、ご自身のすべてのことを子に示されることです。他方、子は父を愛し、父の栄光を求め、自分の栄光を求めず、父に従い、父の意志を実行されることでした。ここに父と子との愛の関係が働いています。言い換えれば、聖霊が子を愛する父の愛として、父から子に向かって移動し、他方、聖霊は父を愛する子の愛として、子から父に帰るのです。ここに、父・子・聖霊の「三位一体の神」の存在と働きがあります。
 そこに働いている意志は父から出て、子の意志として働き、他方また父と子に全く従順であり、自らの栄光を求めず、御子の栄光を求める聖霊の意志と働きなのです。このようにして、父と子と聖霊の中で、「一つの意志と一つの働き」があります。正に父・子・聖霊の交わりと働きこそ、一つの神の存在と働きである所以です。
 本日の聖書の箇所であるヨハネによる福音書14章10節で、イエスは次のように仰せになりました。
 「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを信じないのか。わたしが言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行なっておられるのである。」
 これは父と子の関係と交わりについての証しです。父と子とは互いに相手の内に内住し、互いに相手を完全に知っていると、仰せになっています。つまり、イエスの言葉と行為、意思と性質は「そのまま」で、父の言葉と行為、意思と性質を現しているのです。それゆえイエスは仰せになりました。
 「わたしを見た者は、父を見たのだ。」(ヨハネ14:9)
 父なる神はイエス以外のいかなる人間も「見る」ことのできない神です。これが神の「特性」です。その神がイエスにおいて、人間にご自身を「完全」に啓示されているのです。それゆえわたしたちは人間として知らなければならない「範囲内」において、イエスによって父なる神を「完全に知る」ことができるのです。他方、またわたしたちはイエスが知らせて下さる以上には、神を知ろうと欲しないのです。この点も信仰者の特質である神に対する従順です。
 さらに、人間に対する父なる神の創造的な意志は徹底的に父に従われたイエスの従順によって、実現しました。その結果、人間を神の御前に生かす永遠の命がイエスの中に働いたのです。否、イエス自身が「永遠の命」となられたのです。
 なおこの永遠の命は、イエスが、父の意志に徹底的に従い、ご自身を人間に与え、ご自身が代理となって、人類の罪のために死なれたことによって「完成」しました。
 「人間を神の御前に生かす」父の主権の目的は、人間の罪に対する裁きを通して執行され、裁きに対して徹底的に従順であったイエスの死において成就したのです。
 この現実をヨハネによる福音書はイエスにおいて真理が現れた、と言います。「真理」とは神がご自身の性格と目的に一致した方法で、人間に対して行動される、人間の問題を解決されるときに現れます。その結果、イエスが「人間の救いそれ自体」となられたのです。
 それゆえ、「イエスは恵みと真理とに満ちていた。」(1:14)「イエスにおいて恵みと真理とが現れた。」(1:17)と聖書は証言しています。言い換えれば、神を知り、神に従う従順な「新しい人間」が、「イエス」によって、「イエスの中」に、創造されたのです。
 それゆえわたしたちは「主イエスにあって」生きるのです。イエスの中にある「新しい人間」として、主イエスを「信じ」、主イエスに喜んで「従う」のです。さらに、このようにさせる方が聖霊です。

(3)わたしは道である
 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない。」(14:6)
 イエスは今や、十字架の死によって、人類の罪と神に敵対する闇の力に勝利し、人類を罪と闇の力から解放されました。その結果、神の主権を委任された復活の主イエスはわたしたちを支配し、導き、わたしたちを父のもとに連れ出されるのです。救いの究極目標である永遠の国に導くために、神様はわたしたちをご自身との交わりの中で、日々新たに生かされるのです。神は正に活ける神様です。



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