2017-05-28(Sun)

わたしは命のパン 2017年5月28日の礼拝メッセージ

わたしは命のパン
中山弘隆牧師

 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。主が命じられたことは次のことである。『あなたたちはそれぞれ必要な分、つまり一人当たり一オメルを集めよ。それぞれ自分の天幕にいる家族の数に応じて取るがよい。』」
出エジプト記16章13~16節


 ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
ヨハネによる福音書6章41~51節


(1)人間にとって不可欠な神との関係
 わたしたち人間が生きるために、最も必要なものは何でしょうか。
 健康でしょうか。能力でしょうか。金でしょうか。社会的地位でしょうか。様々な商品を製造している会社、或いはそれを販売している多くの会社はこれまでの利益を確保することは困難な時代になりました。競争の激しい時代に以前通用したことを守っているだけでは、会社の経営状態も悪化し、倒産することにもなりかねません。従いまして、就職しても、それで将来が保証されているから安心できるとは言えなくなっています。
 このように社会の在り方が大きく変わる時代にこそ、人間とは何であるかをしっかりと認識して、自分の人生を逞しく生きることが最も必要です。そのために、人々は人間としての幸福とは何かを考え、各々が自分の人生観を持つことが必要であると言えます。
 それにしても、そこでは人生を見る視点が何よりも重要です。具体的に言えば人間は縦と横との関係の中で存在しています。人間は誰でも縦と横の関係の交点の中に立っています。縦の関係とは、社会の中での、上司と部下の関係ではなく、神と自分との関係です。そして、横の関係とは自分と他の人々との関係であり、人間社会のすべての関係は横の関係なのです。従って人間同士の関係と神と人間との関係を混同することはできません。すべての人間同士の関係の中心には神がおられ、神との縦の関係が確立されているときに初めて、人間の横の関係が健全に保たれるのです。なぜならば、神様だけが全知全能であり、人類の歴史におけるご自身の目的を実現される恵み深い支配者であるからです。それゆえ、人間は神との関係を第一とすべきなのです。
 しかし、どうして人間が神との関係を第一にすることができるのでしょうか。人間が自分の知恵と力で出来るのでしょうか。それは不可能です。神様だけが、ご自身と人間の関係を創り出してくださったからです。言い換えれば、神様が人間を愛し、人間を選び、主イエスを通して、人間との関係を創設されたのです。
 このような方として、神は御子・主イエスを人間の歴史の中に派遣し、主イエスを通して、人間にご自身を示し、人間の神に対する不信仰と神に敵対している人間の罪を取り去り、人間を神と和解させ、人間を神との人格的関係に入れてくださいました。これこそ、罪の中にある人間を救う神の行為です。実にそれは地上における主イエスのただ一回限りの生涯を通して実現したのです。
 しかし、その一回限りで創設された神と人間との関係がどうして永遠の関係になったのでしょうか。その根拠は人類の罪を贖うためにただ一度、十字架の死を引き受けられた神の御子イエスが、死人の中から復活し、最早死ぬことなく神の主権をもって、すべての人の救いの為に働いておられるからです。実にこれこそ神と人との人格的関係が永遠に存続する理由です。
 同時に、神の御子イエス・キリストが人類の救い主として達成して下さった永遠の事実は、常に神の言葉として、福音として、宣べ伝えられなければならないのです。常に語られる神の言葉を通して、人間の神との関係及び人間同士の関係が確立するのです。
 
(2)ユダヤ人のイエスに対する誤解
 本日の聖書の箇所でありますヨハネ6章26~27で、主イエスはこのように仰せになりました。
 「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを探しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」
 群衆は主イエスが五千人の大衆に食べ物を与えられたとき、非常に感動し、主イエスを来るべき大預言者であるとして、主イエスを自分たちの王にしようとしました。生活に一番必要なパンを与える者を自分たちの王・救い主メシアにしようとしたのです。
 しかし、イエスは彼らの期待に応えてメシアになることを拒否されました。なぜならばイエスは本当の意味で父なる神の主権を委任された天地万物の支配者であり、人類の救い主メシアであったからです。
 ところで、民衆が期待したメシアとは、超自然的な力を働かせ、人間の生活を守り、生活を豊かにする神的なカリスマを持った指導者でありました。このような民衆の考え方からすれば、「いつまでもなくならないで、永遠の生命に至る食べ物のために働きなさい」というイエスの言葉を誤解し、イエスが与えてくれる食べ物は、どれだけ食べても尽きることのない不思議な食べ物であると思い込み、そのような食べ物を与えられるようにと願ったのです。
 その理由は、6章に記されているように、イエスがガリラヤの湖の対岸にある山に登り、5000人の人々に食べ物を供給されたからです。これはイエスが五つのパンと二匹の魚の干物を小さく引き裂いて、弟子たちに配らせられたとき、イエスの中に働く神の力によって、奇跡が起りました。
 それでは、どうしてイエスがそのような給食の奇跡を行なわれたのでしょうか。それはイエスの神の国の宣教活動を通して、今や神の救いが到来していることを示すためでありました。今やイエスを通して開始している神の国が完成する暁に、すべての人間が神の国で、神様が最終的に与えられる救いとその宴会を象徴するためでした。
 言い換えれば、人類の救いが完成する終わりの日に、すべての人間が神の国に入り、永遠の命を受け、神を賛美する救いの饗宴を象徴するために、5000人の給食の奇跡を行なわれたのです。
 それゆえ、給食の奇跡は民衆が誤解したように、この地上の生活を保証する食料と豊かな物資を与えるためでは決してありませんでした。
 この地上で始まっている神の国の中で生きるための、永遠の霊的命を主イエスは授与されることを象徴し、証するためでした。

(3)御言葉と聖餐式を通して
 ここで、主イエスは次のように仰せになりました。
 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(6:51)
 「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば----。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(6:61~63)
 「人の子」とは主イエスがご自身を呼ぶときに、用いられた独特の名称です。この名称は、ご自分が真の神であり、真の人間である方として、人間に神を啓示し、人間に神の性質を完全に現す方として、神と人間との「仲保者」であること表しています。
 「永遠の生命」は父なる神の本質的な所有物です。この永遠の生命を父なる神が御子イエスに与えられました。そこで、御子イエスの生命は完全に父なる神に依存しています。このことについては、57節で説明されています。「生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」(6:57)
 ここで、御子が父なる神によって生きる仕方は御子が父なる神の内に内住することによってです。他方父なる神も御子の中に内住しておられます。このことについても他の箇所で説明しておられます。
 「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる。」(14:10)
 それゆえ、信仰者が「人の子」の中に働いている永遠の命を受けるためには、父と御子との存在的な関係と同じような関係が、すなわち「人の子」と「信仰者」との間に設立されることが必要なのです。
 主イエスは問題の核心をズバリと次のように仰せられました。
 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。」(6:56)。ところで、この御言葉の要点は二つあります。
 一つは主イエスがその人の内におられ、その人が主イエスの内にいるという主イエスと信仰者との相互内住の関係です。新共同訳聖書では、このことを信仰者が「主イエスと結ばれる」と表現しています。
 もう一つは、相互内住の関係を通して与えられる永遠の命とは、人の子の「肉」と「血」なのです。
 言い換えれば主イエスの「人間性」です。実にそれは御子イエスが、地上の全生涯を通して、父なる神に従われた従順を意味しています。特に、十字架の死に至るまで従順であった御子の人間性それ自体が、人間の受けるべき永遠の命なのです。
 ここで、イエスが人の子が「もといた所に上るのを見るならば」と説明されていますが、この発言はイエスが十字架の死を全うして、復活された霊的な力強い現実を指摘しています。それゆえに、今や人の子イエスご自身が地上で達成された永遠の命の所有者として、人の子を信じる者にご自身の永遠の生命を与える、と約束されたのです。
 「それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば、--。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(6:62、63)
 ここに至って、主イエスを信じる信仰者が食べなければならない肉とは、地上におられた主イエスの肉ではなく、「復活の主イエスの人間性」です。
 さらに「わたしがあなたがたに話した言葉が霊であり、命である。」と仰せられました。これはイエスの言葉が、「霊」であり、「命」であるという意味です。これは復活された主イエスが、地上におられたときの御言葉を通して、信仰者と出会い、聖霊を与え、聖霊を通して信仰者の中にご自身の永遠の生命を与えられるという意味です。
 つまり、復活の主イエスは礼拝の中に臨在され、御言葉と聖餐式を通して、ご自身の永遠の生命を授与されるということです。クリスチャンが主の御言葉を実践して、主に従うとき、主が共におられ、クリスチャンの中に働き、導いておられることが分かる、という状況です。
 さらに、主イエスご自身が、聖霊を人間に授与される方であることも同時に説明されました。従って、「わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」との意味は復活し、主となられた主イエスの地上で語られたすべての言葉が霊であり命であるということです。
 ここに至って、今や命を与える「言葉」と、命を与える主イエスの「肉」とは決して対立し、矛盾するものではありません。肉は何の役にも立たないと仰せられたのは、地上での主イエスの姿を見て、主イエスをこの世的考え方で判断したユダヤ人の見方は何の役にも立たないと言う意味です。
 主イエスの肉こそ、神の創造された真の人間であり、真の人間性です。従って、主イエスの御言葉は「主イエスの人間性」が達成した「歴史的であり、しかも霊的な事実」を説明するものです。
 しかし、他方肉とは有限な過ぎ行く存在です。そういう意味で、クリスチャンは有限な人生の中で、永遠の神の国につながる霊的な実を結びつつある存在です。使徒パウロはこのように言っています。
 「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」(コリント二、4:16)
 外なる人とは、生まれながらの人間の体です。クリスチャンはこの体を使って、信仰と愛と希望の人生を送るために奉仕し、苦労しています。その奉仕は必然的に体の衰えを伴います。
 それゆえパウロは「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父なる神の御前で心に留めているのです。」(テサロニケ一、1:3)と言います。このように信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐をする体は有限であり、その奉仕によって必然的に消耗します。
 しかし、わたしたちの存在の最も深い所で、主イエスはご自身の復活の生命を絶えず供給して下さいます。それゆえ感謝と喜びと霊的力に溢れて、わたしたちは主イエスに従い、信仰と愛と希望の労苦を喜んで担うことができるのです。
 実にこの生き方こそ、クリスチャンが主イエスの贖いによって、主イエスの中に既に与えられている「新しい人間」、「内なる人」、「真の自分」として生きることです。



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