2017-05-21(Sun)

新しく生まれる 2017年5月21費の礼拝メッセージ

新しく生まれる
中山弘隆牧師

 そして今、わたしの僕ヤコブよ/わたしの選んだイスラエルよ、聞け。あなたを造り、母の胎内に形づくり/あなたを助ける主は、こう言われる。恐れるな、わたしの僕ヤコブよ。わたしの選んだエシュルンよ。わたしは乾いている地に水を注ぎ/乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ/あなたの末にわたしの祝福を与える。彼らは草の生い茂る中に芽生え/水のほとりの柳のように育つ。ある者は「わたしは主のもの」と言い/ある者はヤコブの名を名乗り/またある者は手に「主のもの」と記し/「イスラエル」をその名とする。
イザヤ書44章1~5節


 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
ヨハネによる福音書3章1~8節
 

(1)神の国の秘密と新生
 ここにニコデモと言うユダヤ人の指導者が、イエスのもとに来たときの状況が説明されています。3章2節に、「ある夜、イエスのもとに来て言った。」と記されていますが、彼は人目をはばかって夜こっそり一人で訪ねてきました。彼はイエスの弟子になりたいと言う切なる願いを持っていたと思われますが、いろいろな事情で弟子になることを公表せず、いわば隠れた弟子でありたいと考えていたのでしょう。ところでニコデモはイエスを訪ねたとき、言いました。
 「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことはできないからです。」(3:2)
 このようにイエスに対する彼なりの信仰を言い表しました。イエスは彼の信仰の表明をそのまま受け入れ、さらに一歩踏み込んで彼に仰せられました。
 「はっきり言っておく。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」(3:3)
 これはニコデモの最大の関心が「神の国」であったことを示しています。と言いますのは、イエスによる神の国の宣教に先立って、洗礼者ヨハネが活躍しており、イスラエルの人々の間では神の国到来に対する期待が非常に高まっていたのです。
 言い換えれば、旧約聖書が約束している「神の救い」が実現する新しい時代の到来です。しかし新しい時代と言いましても、歴史の中で絶えず繰り返される種類の新しさではなく、これまでの歴史全体を根底から新しくする終末論的な視点を持っています。
 終末論的という特殊な言葉は、これまでの歴史全体を終わらせ、もはやそれを越えていく新しさは存在しない永遠の新しさであります。それが聖書の語る神の国の開始です。
 イエスの教えと業はこれまでの教師や預言者の場合とは異なり、「神の業」そのものであると言わざるを得ない力強い霊的現実でした。事実、イエスは「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたがたのところに来ているのだ。」(ルカ11:20)と仰せになっています。
 この終末論的状況がイエスとニコデモの会話の背景になっています。このようにイエスは、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。」と言われたのです。それはまた、「あなたはわたしを神から遣わされた者と言うのか。それならば、あなたがわたしを本当に理解し、わたしの居るところにあなたも居るためには、あなたは新しく生まれなければならないのだ。」と言う意味が含まれています。
 しかし、この言葉はニコデモを大変驚かせました。なぜなら神の国が到来すると言うのは、人間の住んでいる社会環境や政治体制が変革され、そのような領域に神が直接介入されることであると彼は考えていたからです。それに対して、イエスがあなたは神の国がわたしの宣教と共に始まっているのを見ることができるために、あなた「自身が新しく」生まれなければならない、と言われたのです。
 特に7節の「『あなたがたは新たに生まれなければならない』とあなたがたに言ったことに、驚いてはならない。」と言う表現は非常に強調した言い方です。ギリシャ語の「--しなければならない」と言う表現は、絶対に必要であると言う響きを持っています。
 イエスのこの重大な発言を聞いて、ニコデモは肝がつぶれるほど驚き、「年をとった者がどうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」と反論しています。
 しかしここで「新しく生まれる」と言うイエスの言葉は、「上から生まれる」と言う意味も含まれているのです。むしろここでは「上から生まれる」と言う意味でイエスは使用されています。
 なぜならば5節では「だれでも水と霊とによって生まれなければ」とイエスは言っておられます。
 水とは洗礼式の水のことです。霊とは洗礼を受けるときに与えられる聖霊のことです。イエスが新しく生まれると仰せになった意味は、ここに至って極めて明瞭になっています。それは主イエスが救い主であると信じて洗礼を受けるとき、聖霊が与えられることです。その聖霊によって、イエスと結ばれることによって人は新しい人間となるのです。
 神の御子イエスが、地上の生活によって達成された人類の罪の贖いにより、イエスを信じる者は罪を赦され、さらに神の意志を実行するために、イエスの義と聖が与えられるのです。すなわち、聖霊を通して、復活のイエスの命が与えられるのです。
 このことをキリスト教では「新生」といいます。そもそもクリスチャンとはキリストを信じる信仰による信仰義認、新生、聖化、そして復活の希望の人生を歩むことによって、地上の生活を続けながら神の御前に生きる者たちです。但し、信仰義認と新生とは結びついています。
 わたくしは未だ伝道師として、木更津教会で伝道牧会していましたとき、長年牧会して引退されました村上先生を特別伝道礼拝にお呼びしたことがあります。先生の親戚の村上さんの家族が教会の古くからの会員でありましたので先生に来てもらいました。
 その時、先生は「福音の中心はいうなれば人間の魂の入れ替えです」と力強く語られた言葉を覚えています。しかし、魂の入れ替えとは、その人が全く別人になってしまうことではありません。
 そうではなく、生まれながらの個性はそのままでも、自分の存在の中心が入れ替わり、もはや自分の中にではなく、主イエスの中に自分の中心が移されること、そして神様が主イエスの中で与えて下さっている「本当の自分」を発見することです。
 そのような者として神様が自分に計画し、歩ませようと欲しておられる人生を歩み始めること、これが新生です。

(2)人の子と永遠の生命
 次に、イエスはご自身を「人の子」と呼んでおられます。
 「天から降ってきた者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。--人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の生命を得るためである。」(3:13~15)
 イエスはご自身について「人の子」と言う神秘的な呼び方をされました。マルコによる福音書では、人の子とは終末論的な人間であり、神の主権を委ねられ、黙示文学的な描写によれば、終わりの日に天の雲に乗って地上に現れ、すべての人間を裁く「審判者」です。
 同時に、その人の子は人類を罪から解放するために、十字架の死を引き受け、三日目に復活して「贖い主」の使命を果たすために来たと仰せられました。
 さらにイエスは「メシア」としての使命を果たされましたが、ご自身がメシアであると公言されたことは一度もありませんでした。従いまして、人の子は謎に満ちた神秘的人物でした。
 しかし、イエスにとっては、ご自身が父なる神から与えられた使命とご自身が神の独り子であるというご自身の人格に対する自覚をメシアではなく「人の子」として表明されたのです。
 それでは人の子とはどういう意味でしょうか。端的に言えば、それは「天的な人間」「神的な人間」と言う意味です。そして神がこの世界と人間を創造される前から、神の御前に神と共にあった人間と言う意味です。
 従って、それは単なる人間ではなく、神との人格的な交わりの中にあった人間、人間としての性質の中に神の性質を完全に反映させている人間です。従って、神であり同時に人間である方、言い換えれば人間となられた神の御子なのです。そのような方として、人間となられた神の御子は、この世界と人類が造られる前から、神の御前に存在していたのです。
 しかし、未だ「受肉」して、他の人間たちのもとで一人の人間として生きるために、人類の歴史の中には遣わされていませんでした。
 従って、神は最初の人間アダムを神の性質を映し出す人間とする目的で、土からアダムを創造されました。しかしアダムは自分が神のような知恵と力を持って、この世界を支配しようとして、神に反抗したために、堕落し、神との交わりを失ってしまいました。そのアダムによって罪が人類に広まったのです。それにも拘らず、神は憐み深い方ですから人類を救うため、人の子を遣わされたのです。
 それゆえ、神の独り子であり人間である「人の子イエス」が自分は天から降って来た者であると、次のように仰せになっています。
 「天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。」(3:13)
 明らかにここで、イエスは御自分が「父なる神のもとから、神に反抗している罪深い人間のもとに遣わされている者である」と仰せになっています。言い換えれば、父なる神と共にいる天的な人間としての地位を捨てて、低い弱い人間の所に降って来た方です。
 しかも、罪深い人間の弱さと苦悩のどん底まで下り、すべての人間の罪を担い、贖うために自分の命を与える使命を果たさなければならないと、仰せられました。これが人の子イエスの自覚なのです。
 しかし、その使命を果たすとき、父なる神は人の子を復活させ、ご自身の右に座らせ、父なる神の主権を人の子に委任されることもまた認識し、自覚しておられました。それゆえ、次のように、ニコデモに仰せになっています。
 「人の子は上げられなければならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」(3:14~15)
 しかも人の子イエスは、ご自身が父によって、父の右に上げられると仰せになっているその道が、十字架を通って行く道なのです。
 人類の罪を贖うために、人類に代わって、人類の代表として、十字架の苦しみと死を全うする道を行くのです。しかし、ここに人間の到底考えられないことがあります。天に上げられた人の子の主権と十字架の苦難を受ける苦難の僕とはどうして結びつくのでしょうか。二つの使命が結びつくことは人間の考えでは全く不可能です。
 それを可能とするのは、神の独り子である人の子イエスの自覚と信仰だけです。その結合はイエスの心の中の最も神聖な領域で起こっているのです。ここに人間を救う人の子の力の源泉があります。

(3)復活の主イエスの働き
 最後に、そのような人類の救い主として、使徒パウロは「主は命を与える霊」であると言っています。
 「『最初の人アダムは命のある生き物となった』と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。」(コリント一、15:45)
 ここでパウロが「最後のアダム」と言っているのは、「人の子」のことです。パウロは人類の始祖アダムと人の子主イエスとを対比しています。アダムは土から創られ、再び土に帰った。それに対して、人の子主イエス・キリストは人間が神の御前に生きる「永遠の生命」を与える方となったと言っています。
 しかも主イエス・キリストは「霊」であると言っています。その意味は、今や主イエス・キリストは復活し、主権者なり、神として人間の上に、人間を貫き、人間の中に働いておられる救い主であると言うことです。その働きを指して、パウロは「主イエス・キリストは霊である」と言うのです。言い換えれば主イエス・キリストは父なる神の主権を委任されている方として、人間に聖霊を与える方なのです。そして聖霊は主イエスの霊なのです。
 その聖霊によって、主イエスはご自身の意志と働きを信仰者に理解させ、信仰者をご自身と結び合わせ、主イエスに従わせられるのです。それゆえ、聖霊は主イエスの救いを信仰者の中で前進させる方として、主イエスの救いの協力者なのです。これほど大きな救いは他にはありません。
 わたしたちはこのことを心から感謝し、確信し、救いの完成を待ち望み、どこまでも主イエスに従う人生を歩む者たちです。



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