2017-05-07(Sun)

心の平安 2017年5月7日の礼拝メッセージ

心の平安
中山弘隆牧師

 主はわたしに与えられた分、わたしの杯。主はわたしの運命を支える方。測り縄は麗しい地を示し/わたしは輝かしい嗣業を受けました。わたしは主をたたえます。主はわたしの思いを励まし/わたしの心を夜ごと諭してくださいます。わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし/わたしは揺らぐことがありません。わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく/あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず/命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い/右の御手から永遠の喜びをいただきます。
詩編16篇5~11節
 

 「わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。わたしがあなたがたのために父に願ってあげる、とは言わない。父御自身が、あなたがたを愛しておられるのである。あなたがたが、わたしを愛し、わたしが神のもとから出て来たことを信じたからである。わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」弟子たちは言った。「今は、はっきりとお話しになり、少しもたとえを用いられません。あなたが何でもご存じで、だれもお尋ねする必要のないことが、今、分かりました。これによって、あなたが神のもとから来られたと、わたしたちは信じます。」イエスはお答えになった。「今ようやく、信じるようになったのか。だが、あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る。いや、既に来ている。しかし、わたしはひとりではない。父が、共にいてくださるからだ。これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
ヨハネによる福音書16章25~33節


(1)何よりも必要な心の平安
 本日の聖書の箇所は、主イエスの次の言葉です。ヨハネによる福音書16章33で、主イエスはこのように弟子たちに約束されました。
 「これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しない。わたしは既に世に勝っている。」
 だれでも平穏無事な人生を過ごしたいと思っています。しかし、現実の生活には様々な困難と悩みがあります。それは突然に襲ってくる困難に打ち勝ち、苦境を乗り越えて行く力が自分にないからです。従いまして、言葉で勇気を出しなさい、頑張りなさいと励まされても、もしその困難を解決する力を与えてくれるのでなければ、その言葉は空しく感じられます。
 しかし、主イエスの場合には、主イエスの言葉がわたしたちに力を与えます。それゆえ困難の嵐が襲うときにも心に平安が与えられ、嵐が去るまで耐えることができるのです。なぜならば、主イエスは「既に世に勝っている」お方であるからです。
 わたしは約55年前に、わたしは未だ神学生でありましたが、岐阜県の恵那市から電車でいく田舎の田瀬教会を訪問したことがあります。そのわけはわたしの出身教会であります名古屋の金城教会の牧師が田瀬教会の牧師と親しく、また田瀬教会の方々も金城教会と深い関係がありましたので、牧師に連れられて、夕方家庭集会に出席し、その晩は田瀬教会に一泊させてもらいました。
 その日、家庭集会のために場所を提供してくださいました糸魚川さんと言う夫人の話を伺うことができました。もうその時に教会の会堂もできていたのですが、戦後の開拓伝道で出来た教会です。東京から移住して、地域の中学の英語の教師になられた牧師が、校長先生に連れられて、村の人々に挨拶に回られました。
 その挨拶の中で、わたしは英語の教師を務めることになりましたが、元々牧師でもありますので、聖書の御言葉を自己紹介とさせていただきますと言われ、ヨハネによる福音書に記されているイエスの言葉を語り、皆様の心に主イエスの平安をお伝えしたいと願っていますので、よろしくお願いします、と挨拶をされました。
 この話を聞いて、糸魚川さんは自分に心の平安が是非欲しいと思い、舅さんに教会へ行かせてくださいと頼まれました。ところが舅さんは一家の主人である息子が徴兵で戦地に行き、残された嫁が一人で稲作をしている農家なので、嫁の健康を心配し、日曜日に教会へ行くことを反対されました。しかし、糸魚川さんは、わたしに一番必要なのは心の平安でありますので、教会へ行かせてくださいと頼むと、舅さんも分かって下さり、忙しい農繁期でも、教会の礼拝を一度も休むことなく出席し、クリスチャンになられました。そして二人の息子さんもクリスチャンになられました。
 糸魚川さんのご主人は戦地に行かれたまま、通知がなかったのですが、戦死され、とうとう帰って来られませんでした。村では戦地から帰ってこられる方々がおられるのに、ご主人が帰って来られないので、毎日田んぼの片隅で泣いておられたそうです。しかし、教会に出席するようになり、心の平安が与えられ、家業の農業を守り、当時中学生であった二人の息子さんを立派に育てられました。その後、兄は家業を継ぎ、弟は大学を出て東京に就職し、教会の役員をしておられるとのことを田瀬教会の牧師から聞きました。
 あるとき、兄さんがお母さんを手伝って、田んぼの仕事をしているとき、近くで遊んでいた弟さんが何気なく投げた石が、運悪く兄に当たり、兄が怒って二人は掴み合いの喧嘩となりました。糸魚川さんはどうしてよいか分からず、黙って一生懸命に祈っておられましたが、二人は反省して喧嘩が治まったことを家庭集会で話されました。わたしは大いに感銘を受けたことを思い出します。
 さらに田瀬教会の二人の男性は、仕事の面でも協力し、農業水を確保するため山間の谷間に貯水池を完成されました。お二人に案内されて現場を見せていただきました。
 このように、主イエスによって与えられる心の平安と神の愛は、どのような困難や試練の中でも、その人の生活全体を包み、支え、その存在そのものを生かす霊的な力を持っています。

(2)生ける主イエスとの人格的な交わり
 次に、主イエスが与えてくださる心の平安とは、死人の中から復活し、全人類の救い主となられた主イエスとの生ける人格的な交わりの中に働くのです。
 十字架につき、人類を罪の責任と罪の束縛から解放するために、人類の罪をご自分の上に担い、人類に代わって死なれたイエスを父なる神は死人の中から復活させて、「名実ともに」全人類の救い主とされました。その方が、主イエス・キリストです。それゆえ、主イエス・キリストは二度と死ぬことのない永遠の命の保持者であり、つねに生きて働いておられ方です。
 この主イエス・キリストは神の御言葉、とくにキリストの福音の言葉を通して、わたしたちと日々出会われる方です。困窮に直面し不安と迷いの中に閉ざされてしまったわたしたちを主イエスの方から探し出し、出会ってくださいます。
 そしてご自身を示し、ご自身を通して父なる神が人類のために達成してくださった救いの恵みを示されます。そのことを通して、神がいかに恵み深い、正しい、無限の力を持っておられる方であるかを示してくださいます。このようにして、主イエスは生ける救い主として、わたしたちと出会ってくださるお方です。
 主イエスは十字架の死が目前に迫っているときに、弟子たちに次のように仰せになりました。
 「しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見るようになる。(16:19)
 「見なくなる」とはイエスが十字架の死によって、この世界を去られるという意味です。「またしばらくすると、わたしを見るようになる」とは、死人の中から復活された主イエス・キリストは弟子たちと出会われると言う意味です。
 しかし、復活の主は十字架について死なれた身体ではなく、復活し永遠に生きている身体を持っておられますので、その身体はわたしたちの目で見ることはできません。神の救いが完成するときに、人は皆、死人の中から復活させられます。そのとき初めて主イエスの姿をわたしたちは自分の目で見ることができるのです。
 それにも拘らず、復活の主イエスは神の力によってわたしたちと出会って下さいます。ご自身のうちに永遠の命を持っておられる救い主として、ご自身が生きておられることの「確かさ」を示されます。それはわたしたち人間を新しく生かす「最も確かな霊的現実」であると言うことができます。
 わたしたちの目に見えないけれども、生ける主イエス・キリストがわたしたちに直面し、わたしたちと出会っておられることを信じるならば、わたしたちは神との「正しい関係」の中に入れられるのです。
 神は御子イエスの十字架の死によって、わたしたちの罪を御前から取り去り、十字架の死によってわたしたち人間のために達成してくださったイエスの義をわたしたちに与えて下さるのです。そしてわたしたちが神の子として、生きるための新しい存在と命とが主イエスの中において、すでに与えて下さっているのです。
 このことを信じるとき、人は誰であっても、神との正しい関係に入れられ、主イエスの中に存在する新しい人間として、言い換えれば神の子たちとしての人生を歩み始めるのです。
 使徒パウロはこの点に関してローマの信徒への手紙10章9節で、このように言っています。
 「口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。」(ローマ10:9~10)
 しかもその新しい歩みの到着点は、救いの完成した神の国であり、永遠の御国です。このことを信じるとき、心に平安と喜びが沸き起こります。
 「しかし、わたしが再びあなたがたと出会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」(16:22)
 神はこの世界と人間の創造者であり、救済者です。これが聖書の示す真の神です。この自然は初めからあったのではありません。神は御自身の目的をもって、人間が神との人格的な交わりの中で永遠に生きる「神の国」を実現するために働いておられる方です。そういう方として神は世界と人間の創造者であり、救済者です。このことが絶対的な真理なのです。人間の知るべき真理はこの真理以外には何もありません。
 それゆえ、キリストの使徒パウロは、弱肉強食、あるいは永劫回帰の中に閉じ込められている自然界の呻きを聞き取っています。しかし彼はそれを悲観せず、肯定的に捉え、自然界が新しい霊的な自然に生まれ変わるための「産みの苦しみ」であると言うのです。
 なぜならば、自然界は人間の始祖であるアダムの堕落によって、虚無に従属するものとなりました。しかしキリストの救いが完成する暁には、人間だけでなく、自然界も神の恵みと栄光を反映する不滅の自然界に変貌する希望が自然界に与えられているからです。これが聖書の信仰であり、聖書の人間観と世界観です。
 このような恵み深い、真理と力の源泉である人格的な神の働きを信じて、神との正しい関係に入れられるとき、わたしたちは今後どのようなことが起ころうとも、自分の人生と存在は「もうこれで大丈夫だ」という確信が与えられます。
 次に、神との正しい関係の中で、神がすでに主イエスの中に備えておられるイエスの義と真理と命を与えて下さり、主イエスに従い、主イエスの命令を実行するとき、わたしたちは主イエスに似る者へと段々と聖化されて行きます。
 また、主イエスとの交わりの中で、自分自身で気が付いている罪の思いと行為を捨て去ることができます。そのとき、わたしたちはこの世の様々な誘惑と悪に打ち勝つことができるのです。
 次に、そうすることにより、わたしたちは友人や社会生活の中で出会う人々と、共に生きることのできるのです。主イエスがわたしたち人間同士の関係の中心に来られ、主イエスの思いが実行さるときに、わたしたちは仲間や相手の人と互いに理解し、相手を人格の尊厳と自由を持つ者として互いに尊敬し合い、協力することができるようになります。
 それゆえ、主イエスを抜きにしては、わたしたち人間は利己的で、自分中心的な考えに捕らわれておりますので、相手と人格的に出会い、お互いに自由であるという幸いを体験することは不可能です。

(3)神の愛の働きのチャンネル
 最後にクリスチャンの幸いは自分たちが神の愛の働きのチャンネルとされることです。
 人間の利己的な愛の働きは、死をもたらします。それは有限であり、虚しいものです。しかし、神の愛は真実であり、永遠であり、価値あるものを造り出す創造的な力を持っています。
 但し、このような神の愛は、決して人間の所有物ではなく、神の賜物であり、人間は神の愛が働くチャンネルとなることによって、神の愛に生かされ、神の愛を実行することができるのです。
 実に愛こそ神の本質であります。ヨハネの手紙一、4章8節は「神は愛である」と言っています。この神の愛は、神の御子イエス・キリストが十字架の死を遂げて下さいましたことの中で永遠に啓示されました。さらに、主イエス・キリストの復活により、聖霊が教会に与えられ、教会に属するクリスチャンに与えられました。
 その聖霊を通して、今や神の愛がクリスチャンの中に働くようになりました。この事実こそ、心の平安であり、わたしたちクリスチャンの尽きることのない喜びと感謝です。



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コメント

今までの説教となんか違うね

こういう牧師自らの癒しや救われた経験談もっとしてほしいね。
結局教会に来ない人たちから言わせると「あいつらなんで熱心に祈ってるわけ?」と疑問に思ったり馬鹿にしてるわけであって、その具体的な答えが欲しいわけなんですよね。
そんでもって教会はまず第一に楽しい場所であれ。
まあ、そこは任せて下さいよ。昨年のクリスマス滑っていたけど笑
何が言いたいってこの日の牧師の行動力と説教は今までの宗教の霊の勝手に人間が作り上げた固定概念を打ち破ってくれたってこと。
俺もまだまだだね。もっと信仰をまさないとこの教会の役には立ててないよ。
教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

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