2017-04-23(Sun)

新しい人間として 2017年4月23日の礼拝メッセージ

新しい人間として
中山弘隆牧師

 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
エゼキエル書36章25~27節 


 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
エフェソの信徒への手紙2章1~10節


(1)神の愛の対象としての人間
 本日の聖書の箇所を通して、わたしたちは神がわたしたち人間に対していかに深い愛と大きな恵みをもって、行動し、判決を下し、人間が神の御前に、神と共に生きる道を備えてくださったかを改めて知らされたいと願います。そして全身全霊をもって神の恵みに応答する者でありたいと思います。
 ところで、人間は他の被造物とは異なり、自分自身が何であるかを知ることのできる唯一の被造物です。この点で、人間は「神の似姿」に創造されたと聖書は言っています。
 「神は御自分にかたどって人を創造された。」(創世記1:27)
 しかし、人間は自己中心的な生き方をしたために、神を見失い、自分の中にあった神の性質に似た面が失われ、闇と孤独の中をさ迷っています。その結果、人は誰も自分を認めてくれない、温かく接してくれない。自分は見捨てられた人間で、何の価値もないのだと思い詰めるようになり、自殺したいと思う危機に直面します。
 それでも、このような危険性は、神様の目から見れば、特別の人だけではなく、すべての人が持っています。それゆえ人間に対する神様の愛は絶対的愛であり、罪人を愛する贖罪愛です。孤独の辛さに耐えられなくなっている者と出会い、受け入れ、愛し、神の御前に生きる道を主イエス・キリストを通して、与えられています。
 このことが分かりますと、わたしたちは互いに善い点も、欠点もある有りのままの人間として、相手を互いに認め尊重し、共に生きることが可能となります。自分も他の人々も共に、神様から愛されていると思うこの一点により、心に平安と希望が与えられるのです。
 また、この平安と希望こそ自分の全生涯を支えるのです。エフェソの信徒への手紙1章4~5節で、神様は人間に対する永遠の目的を主イエス・キリストの救いを通して啓示されたと言っています。
 「天地創造の前に、神はわたしたちを愛し、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(1:4~5)
 人は生まれる前から両親や家族に期待され、喜ばれて誕生します。それに比べますと、神様はこの世界と人間について、創造以前から、人間を愛し、御心に適う人間となることを意図し、その目的を実現するため、働いて来られたのです。従いまして、この世界に人間が出現したと言うそのこと自体が、人間は神様から愛されていると言う証拠なのです。
 しかも、神様が人間を愛された目的は、人間をイエス・キリストによって、神の子たちにすることでした。ところで、ここで人間を「神の子」とするということは、人間がイエス・キリストのような神となるのではありません。そうではなく、人間は神とは異なり、あくまでも人間です。しかし人間でありながら、神の性質を映し出した人間となる、と言うのです。ここで神様はわたしたち人間を御心に適う「聖なる人間」にしようと欲し、かつイエス・キリストにおいて、そのようになるこことを既に、決定されたのだと聖書は言っています。
 但し、このような認識は主イエスの救いの光の中で、過去を振り返り、世界と人類創造の原点に立ち帰ることにより分るのです。
 要するに、創造の当初から神様の目的は、人間を罪と汚れのない御心に適う人間すなわち「聖なる人間」とし、ご自身との交わりの相手とされることであったと、言うことが分かります。

(2)神との和解
 次に、そのような神の愛と永遠の目的による人類の救いは、神の御子イエス・キリスト、すなわち真の神であり、真の人間である方を通して実現した神との和解の中で、現実的に開始しています。但し、神の設定された永遠の目的は、この世界の秩序が永遠の秩序へ変貌する終末になって実現するのです。それでも、実質的な面から見れば、神の救いは今や人間に与えられた「神との和解」により、この歴史の中で、開始し、前進し、霊的な実を結びつつあります。 
 この点、エフェソの信徒への手紙2章16節は語っています。
 「(キリストは)十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(2:16)
 この聖句はイエス・キリストが人類を神と和解させられたことにより、人類の中で最も深刻に対立していたユダヤ人と異邦人とが和解し、両者が共に神の民すなわち「クリスチャン」とされたことを強調しています。
 この発言は、救いの歴史に関係しています。すなわち、救いの歴史は旧約聖書の時代に始まり、新約聖書の時代に成就しました。つまり神と民との関係について言えば、旧約聖書の時代は律法による古い契約に基づく関係であり、それは神とユダヤ人の関係でした。新約聖書の時代はキリストによる「神と人類との和解」に基づく新しい契約の関係であり、それは「神とキリスト教会」の関係です。
 それゆえ、聖書は異邦人であるギリシャ人に対して、2章13節で次のように言っています。
 「あなたがたは、以前は(神から)遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって(神に)近い者となったのです。」(2:13)
 これは、キリストの十字架の死と復活を通して、人間が神と和解させて頂いたことにより、キリストを信じるとき、だれでも「神との人格的な交わり」の中で生きることを意味しています。それゆえ「神に近い者」とは神を礼拝し、神と出会い、神の恵みの中で、神に従う新しい生き方をしている者たちです。
 他方、イエス・キリストの十字架と復活による罪の贖いは、ユダヤ人と異邦人の両方に対して有効です。それゆえ、ユダヤ人もイエス・キリストを信じることにより、神と和解させられたのです。そういう意味で、今やユダヤ人と異邦人との区別は神の御前では、撤回されていると言うのです。

(3)死から命へ
 次に、聖書はキリストによって人間に与えられた神との和解の内容を「死から命への移行」という視点から語っています。
 「さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。--(2節省略)わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(2:1~3)
 ここで使徒パウロは自分がユダヤ人であるので、ユダヤ人のクリスチャンについて、「わたしたち」と言っています。それに対して異邦人のクリスチャンについて「あなたがた」といっています。
 それにしても、ユダヤ人クリスチャンも、異邦人クリスチャンもイエス・キリストを信じる前は、共に「神の怒り」の対象でありました。神の怒りとは神の愛の反作用で、焼き尽くす愛の火を意味しています。それは神との交わりから締め出された状態です。人間は自己中心的で高慢な者となったため、神との交わりを失い、自分の欲望のままに振る舞い、さまよっている状態を意味しています。
 これは人間の「肉体的な死」ではなく、「精神的な死」を意味しています。言い換えれば「利己的な思いに従って」行動することです。因みに、パウロが言う「肉」とは肉体ではなく、「神に反する人間の思いと振る舞い」を意味しています。悪い考えと行動です。
 しかし、救いは人間の中から来たのではなく、神の方から与えられました。実に神が主イエスの十字架の死と復活によって、人間の罪を贖い、人類を神と和解させられたことがその救いなのです。
 エフェソ人への手紙は2章4~5節でこのように言っています。
 「しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛して下さり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かれました。―あなたがたが救われたのは恵みによるのです-。」(2:4~5)
 御子イエス・キリストが「神・人」として、人類と連帯化し、人類の罪を負い、人類に代わって神の裁きを受けられ、御子イエスにおいて人類に対する神の裁きが完全に執行されました。その結果、神の御前で人間の罪は取り去られました。さらに、ご自身の真理と義を貫徹される神の裁きに対して、死に至るまで従順であった御子イエス・キリストによって、神の御前に生きる人間の義と聖と命が達成されました。
 その結果、神は御子イエス・キリストを復活させ、天地万物の主とされました。同時に神は御前に生きる「新しい人間の存在」を主イエス・キリストの中に創造し、「保存」されているのです。新しい人間とは、つまり主イエスの義と聖と命を与えられた人間です。
 なお留意すべき点は、イエス・キリストの十字架の死によって、確かに神の御前でわたしたちの罪は取り去られていますが、生まれながらのわたしたちの中には依然として罪が残っているという現実です。それにも拘らず、神はイエス・キリストの中でわたしたちを既に新しい人間として創造されましたので、イエス・キリストを信じる者は、イエス・キリストに結ばれて、新しく生きることができるのです。これこそ神の与えられた和解の特徴です。
 その結果、主イエスを信じる者は、罪に束縛され死と滅びに向かって歩んでいた道から、方向転換をして神の御前に帰る道を歩むのです。これこそ正に神との和解の中で生きる人生の意味です。
 神様はこのようにわたしたちを愛していてくださいます。それゆえ、これまでのことを総括しますと、わたしたちがこの神の愛に答えて、神の命令に従うとき、わたしたちは主の命に生かされ、神の御前で生きているのです。これこそ、「死から命へ」移されていると言うことに他なりません。
 最後に、わたしたちクリスチャンにとりまして、主イエス・キリストは、他の何人にも比較できないほど、わたしたち自身に近い方、親密な方です。主は罪深いわたしたちを常に赦し、日々わたしたちと出会い、常に交わりを与えて下さっています。
 しかも主イエスが常に示されるわたしたちへの親密さは、わたしたちの新しい存在が主イエスの中に与えられ、保存されていると言う存在的な関係から由来するものです。このことこそ、わたしたちが主に愛されていることの根拠です。
 同時に、主イエスはわたしたちと全く異質であり、わたしたち人間とは絶対的に異なる方です。主イエスは神です。しかも今や復活し、神の右の座に着き、父なる神と等しい主権を行使しておられる神です。このことに対して、わたしたちは常に畏敬の念を覚える、畏れ多い方です。
 しかし正に神の力と働きによって、今や主はわたしたちの人格と行為の中に臨在し、働き、ご自身の働きとわたしたちの働きを結び合わせ、わたしたちを導き、わたしたちが主の命令を実行するようにしておられるのです。
 この神としての主イエスの働きこそ、わたしたちの救いの根拠であります。またわたしたちの確信です。このことが分かり、わたしたちは心を尽くし、力を尽くし、すべてを献げて、主に従うときに、それが極めて不十分であり、部分的であっても、ともかく実行できるのです。このことを体験するときに、わたしたちは神の御前に、主の復活の命で生かされていることが分かります。
 また、わたしたちが兄弟と隣人を愛すると言いましても、自分の力で愛するのではありません。主イエス・キリストと通して現わされた神の愛が、聖霊によって、わたしたちの中に働くから可能です。
 これらすべては神が主イエス・キリストによって備えられているのです。最後に2章10節の御言葉を読みます。
 「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備して下さった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行なって歩むのです。」(2:10)



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