2017-04-16(Sun)

復活の主と出会う 2017年4月16日イースター礼拝メッセージ

復活の主と出会う
中山弘隆牧師

 ギデオンは行って、子山羊一匹、麦粉一エファの酵母を入れないパンを調え、肉を籠に、肉汁を壺に入れ、テレビンの木の下にいる方に差し出した。神の御使いは、「肉とパンを取ってこの岩の上に置き、肉汁を注ぎなさい」と言った。ギデオンはそのとおりにした。主の御使いは、手にしていた杖の先を差し伸べ、肉とパンに触れた。すると、岩から火が燃え上がり、肉とパンを焼き尽くした。主の御使いは消えていた。ギデオンは、この方が主の御使いであることを悟った。ギデオンは言った。「ああ、主なる神よ。わたしは、なんと顔と顔を合わせて主の御使いを見てしまいました。」主は彼に言われた。「安心せよ。恐れるな。あなたが死ぬことはない。」ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。
士師記6章19~24節


 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28章16~20節


(1)イースターを迎えるに当たって
 本日、わたしたちは主イエス・キリストが人類の罪の贖いのために十字架について死なれ、三日目に復活されたイースターの日を覚えて、礼拝を守っています。
 イースターは実に人類の歴史の分水嶺と呼ぶべき偉大な出来事です。イースターの出来事は、それ以来人類の歴史の中に、神についての無知を霊的な洞察へと、この世的な野心を真実な兄弟愛へと、死に対する不安を復活の希望へと、臆病を勇気へと変革する霊的力を注いできました。
 主イエスは十字架の死と言う恥と苦難を受けられたにもかかわらず救い主であると言うのではなく、正に十字架の死を遂げられたからこそ、人類の救い主なのです。なぜならば、主イエスの十字架の死によって、人類の罪が贖われ、罪人である者たちが神の御前に出て、神を仰ぎ、神に従う新しい道が開かれたからです。
 それにしても、主イエスの十字架の死と復活は不可分離に結びついています。なぜなら十字架について死なれたイエスが復活されなかったとすれば、十字架の死によって主イエスが達成された人類の救いは、働かなくなってしまうからです。神の愛をもって人間を愛し、教えと行動とご自身の人格を通して、強烈な感化を弟子たちに与えられた主イエスでも、復活されなかったとすれば、その影響は今日までは及ぶことはありません。
 実に、十字架によって達成された主イエスの救いは、今や復活の主イエスを通して有効に働いているのです。
 今から約150年前、英国で活躍したプロテスタントの有名な伝道者で神学者のデイルは、イースターの前夜、礼拝の説教の準備をしながら、部屋の中を歩きながら思索していました。突然彼は足を止め、「キリストは生きている。キリストは生きて働いている。キリストは生きている。」と叫びました。このようにして、彼は復活のキリストと出会ったのです。

(2)空虚な墓
 本日の聖書の箇所はイースターの早朝に何が起こったのかを知らせています。
 「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。」(28:1)
 ここで安息日とはユダヤ教で言う安息日であり、土曜日のことです。そして週の初めの日とは、日曜日のことです。但し、キリスト教ではキリストが復活された日曜日を安息日と呼んでいます。
 マリアと呼ばれている二人の女性は、日曜日の朝まだ日が昇らない暗いうちに、イエスを慕う熱い思いから、せめてもイエスの死体のそばにいることによって、イエスを失った精神的苦痛を癒されたいと願い、墓に来ました。そのとき、彼女らの思いを根底から揺り動かす激震に見舞わたのです。激震とは地震の大きな揺れではなく、むしろ墓の中に横たえられていたイエスの死体がもうそこにはなかったと言う現実です。
 イエスの死体がもう墓の中に無いという現実は、過去との大きな断絶を意味します。わたしたちはこれまで慣れ親しんでいた物事は、今自分たちが直面している新しい状況には、もはや通用しないと言う驚きと恐れです。
 「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていた通り、復活されたのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。』(28:6)
 このようにイエスの墓は空虚になっていたのです。しかし、それだけではイエスがどこにおられるのかと言う積極的な答えにはなりません。それゆえ、天使は復活に関する積極的なメッセージを知らせ、次のように命じました。
 「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」(28:7)
 ここで、天使が告げた言葉は、イエスが復活されたという事実を知るために、生けるイエスを「見る」ことを、弟子たちに約束したのです。

(3)世界万民の主であるイエス
 「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。」(28:16~17)
 この時、弟子たちはイエスに出会ったのです。イエスを「見た」のです。復活のイエスの証人たちは皆イエスを見た人たちです。しかし、そこでイエスの身体は以前の肉的な身体ではなく、霊的身体でした。それでも明らかに身体をもっておられましたので、復活されたイエスは三日前まで自分たちが良く知っていたお方であることが分かりました。
 このことはイエスの復活において非常に重要な点です。なぜならば、彼女たちが出会ったイエスが体を持っていないとすれば、それは単なる幻に過ぎないからです。復活のイエスが霊的な身体を持っておられたからこそ、そこにイエスの人格の実体があり、復活された方は、地上におられたあのイエスと同一人格であることが分かったのです。
 他方、今やイエスが持っておられる身体は霊的な身体であり、これまでの身体とは根本的に変わっていました。実にそこにイエスを死人の中から復活させられた父なる神の絶大な力が現われているのです。実にこの世界と人間とを再創造する神の力が現れたのです。それゆえに、復活の主イエスは最早死ぬことはなく、永遠に生きて働いておられます。肉的身体はいつまでも生きることはできません。
 同様にわたしたちも救われて神様の御前に永遠に生きるようになるために、終わりの時に主イエスが再臨され、わたしたちも復活し、霊的身体が与えられます。
 そのような人智を超えた恵みの根拠と保証はイエスが復活され、霊的身体を持っておられると言う事実なのです。
 しかし、イエスの身に起こった出来事は、それだけではありません。同時に復活のイエスは今や「神」としての権威と力を発揮しておられます。確かに、地上で救い主の使命を果たされたイエスは、単なる人間ではなく、神の御子でありました。言い換えればイエスは神であったのです。
 但し、地上におられたイエスはその神の力を制限して、人間の働きの中で、父なる神の性質を示し、父なる神の意志に従って、語り、行動されましたので、イエスを通して罪の赦しと霊的な生命が働いていたのです。それにしても、イエスの行動はあくまでも人間としての制限の中にありました。
 今や、神の御子イエスは十字架の死によって人類の罪を贖うために必要な死を全うされましたので、すなわち死に至るまで父なる神の意志に従順であったことにより、父なる神と等しい権限がイエスに与えられました。それゆえ今やイエスは全能の神として臨在し、働き、救いの業の前進のため、神の国の支配者となられたのです。
 従いまして、弟子たちは神として働いておられるイエスの御前にひれ伏しました。この点がイースターにおいて生起した全く新しい状況です。イースター以前には、弟子たちはイエスに助けを求めましたが、イエスに祈ったことはありませんでした。イエスを先生と呼んでいましたが、イエスを主と呼ぶことはなかったのです。
 主とは旧約聖書の時代に唯一の神に対する呼び名でした。今や御子イエスは父なる神とその権限と働きにおいて、全く等しい方となられましたので、主イエス・キリストと呼ばれています。それゆえ弟子たちは主イエス・キリストを礼拝したのです。
 ところで、イエスは地上で生活し、神の国の福音を宣教されましたときにイエスの働きと人格の中で、イエスの人間性が前面に出ていましたが、それでもイエスの言葉と行為の中に、神の権限と力が働いていました。それゆえ、イエスは人間であり、同時に隠れた神であったのです。
 今やその関係が逆転し、復活されたイエスの働きの中では、イエスが神であることが前面に出ています。それでもイエスが霊的身体を持っておられることが示しているように、イエスは隠れた人間であり、同時に神なのです。
 ここで注目すべきことは、聖書が復活の主イエスを見ても「疑う者がいた」と言っている点です。それはイエスの復活の身体は弟子たちが慣れ親しんでいたこれまでの肉的身体とは別種類の身体であるからでしょう。しかしそれだけではありません。今や主イエスは神として弟子たちに出会っておられるからです。
 それゆえ神である主イエスに出会うためには、主イエスに対する信仰が必要なのです。
 「イエスは近寄ってきて、言われた。『わたしは天と地の一切の権威を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことすべてを守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』(28:18~20)
 このように使徒たちは皆、主イエスの復活を信じた人たちです。

(4)同伴者
 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」と復活の主イエスは仰せられます。
 ここで主イエスは「わたしは」と特に強調した言い方をされています。そして「いつも」あなたがたと共にいる、と約束されました。この「いつも」とは「すべての日々に」と言う意味です。
 わたしたちが過ごしています日々の中で、その一日が何をもたらすかをわたしたちはあらかじめ予想することはできません。信仰的な確信に満ちた日、失敗して悲しむ日、子どもの誕生が喜びをもたらす日、親しい人の死が悲痛を与える日、平和の日、戦争の日、生活が歌となる日、絶望が濃い霧のようにわたしたちを覆う日もあるでしょう。しかし、これらすべての日々に、主イエスはわたしたちと共におられるのです。
 さらに、「わたしは常に共にいる」と言う主イエスの約束は、復活の主イエスが神としての全能の力によって、わたしたちと共におられることです。わたしたちを超越して、わたしたちの上におられ、わたしたちを貫いて働き、わたしたちの中に住んでおられるのです。 そのような主イエスとわたしたちは結ばれて、主イエスの義と命を受け、主イエスの命令を実行し、神の御前に日々生きているのです。さらにわたしたちの救いは主イエスの中に保存されています。
 旧約聖書の時代の信仰者の拠り所は、神は真に生きて働いておられると言う確信でありました。新約聖書のクリスチャンにとっての拠り所は、主イエスは本当に生きて働いておられると言う確信です。それだけでなく、実にわたしたちの救いは主イエスの中に保存されていると言う確信です。
 それゆえ、主イエスはすべての人々に次のように仰せになっているのです。「わたしを信じて、洗礼を受け、わたしが命じたすべてのことを守りなさい。」
 なぜならば、主イエスのこの命令に聞き従い、実行することにより、すべての人々は主イエスと結ばれ、神の御前に生きる新しい人生を歩むことができるのです。具体的に説明すれば、わたしたちは自分のすべてのことにおいて、主イエスに信頼し、主イエスに祈り、主イエスの御心を知り、自分の思いではなく、主イエスの御心が実現することを第一の願いとし、主イエスに従うこと、このことによって、主イエスが共にいますことが分かるのです。これほど大きな幸いはありません。
 それゆえ、クリスチャンは集まるときに常に神を賛美するのです。賛美することによって、主イエスの究極的な勝利を共に喜ぶのです。



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