2017-04-02(Sun)

香油を注いだ女性 2017年4月2日の礼拝メッセージ

香油を注いだ女性
中山弘隆牧師

 しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」エッサイは次に、シャンマを通らせた。サムエルは言った。「この者をも主はお選びにならない。」エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った。「主はこれらの者をお選びにならない。」サムエルはエッサイに尋ねた。「あなたの息子はこれだけですか。」「末の子が残っていますが、今、羊の番をしています」とエッサイが答えると、サムエルは言った。「人をやって、彼を連れて来させてください。その子がここに来ないうちは、食卓には着きません。」エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ。」サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。
サムエル記上16章7~13節
 

 イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」
マルコによる福音書14章3~9節


(1)愛による共感
 本日は主イエスに香油を注いだ或る女性の信仰を聖書から学びたいと思います。この女性が誰であったかという点では、福音書の資料によって異なっていますので、不明です。しかし女性の性格や心境につきましては、マルコ、マタイ、ヨハネの三つの福音書が語っている点は共通しています。それは主イエスの苦難に対する深い共感です。言い換えれば愛による共鳴であると言えます。
 人生の一番大切な事柄を認識する上では、知性による論理的な分析よりも、心の直観、或いは共感が非常に大きな役割を果たしています。また、そこに貴重な体験と深い思いの裏付けがある場合に、言葉では上手に表現できなくても、人は互いに共鳴し合うことができます。
 しかし、そのためにはそれぞれが自分の人生を歩む中で、困難に遭遇し、辛い思いをし、孤独に悩みながらも、素直な心を失わず、人を恨んだり、非難したりしないで、前向きに生き、挫折を乗り越えるときに、人の思いに共感できるようになります。
 或いはそのような共感は見えない導きの糸に対する心の反応であるともいえます。人を生かす目に見えない神様の導きを感じる信仰の心であるともいえます。
 それに致しましても、このとき主イエスに香油を注いだ婦人の行為は、主イエスにとって大きな意義を持っていました。マルコによる福音書14:9で、次のように記されています。
 「はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人のしたことも記念として語り伝えられるであろう。」
 この言葉は少し誇張されているのではないかと思われるほど、婦人の行為をイエスが評価されたことを表しています。主イエスの福音が宣教されるところでは、婦人がイエスに対して行ったことも共に語られると言うのです。あたかもこの女性の行為は福音の内容の一部分であるかのように聞こえます。
 このように一人の女性の行為が主イエスから認められていますのは、主イエスとの心の深い繋がりのためです。その繋がりは、愛による共感、あるいは信仰による共感であったと言えます。言い換えれば聖霊の働きであったと言えます。

(2)感謝の香油
 「イエスがベタニアでらい病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」(14:3)
 当時の習慣では、来客が家に到着したときとか、あるいは食事の席に着くときに、数滴の香油を注ぎかけることが行われていました。香油の中でも、ナルドの香油はインドから輸入された舶来の高級品でありました。「ナルド」と呼ばれる植物から抽出された素晴らしい香りのする香油です。
 ところがそのような高価な香油をこの婦人は惜しげもなく全部使い果たしました。これには人々も驚き、あまりにも無謀な浪費であると彼女を非難しました。その値段は三百デナリオンもするというのですから、今日の金に換算しますと、約三百万円に相当します。このときの様子を聖書は次のように伝えています。
 「そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。『なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。』」(14:4)
 多分この香油はこの女性の持っている唯一の財産であったのではないでしょうか。もしそうだとしますと、そのような高価な香油をイエスの頭に注ぎかけるために、惜しげもなく全部使ったのですから、その場に居合わせた人々が驚き、かつあきれたのも当然です。
 この光景は人々が想像もしなかったことで、アッという間に出来し、もう取り返しはつかない、どうしょうもないことですが、常識的な判断から香油をもっと有効に使用すべきであると主張し、この女性を激しく非難する人たちがいました。その場に居合わせた他の人々も、余りにも大胆な行為が理解できなかったと思われます。
 そこで、常識的に物事を考える場合、人の気づかない盲点があります。それは非常に重要なことです。つまり共感する心の欠如です。ここで実に大いなる浪費と思われる行為を、一人の女性にあえてさせたのは共感による感謝でした。

(3)時を知る愛
 迫りくる十字架の時は、主イエスの心を深い悲しみ、恐れと精神的苦痛で満たしていたのです。誰も気づきませんでしたが、この女性はそれを察知したのです。この点で死に対する態度は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスとイエスとでは全く対照的です。ソクラテスは真の知識を愛する者として、彼が到達した「英知」は自分が真理を知らないということを知っているという所謂「無知の自覚」でした。しかしこの英知はアテナイ市民に受け入れられず、ソクラテスは死刑に処せられました。彼の高貴なる姿を弟子のプラトンが描写しているように、ソクラテスは少しも動揺することなく、落ち着いた態度で、死に赴いたというのです。
 ソクラテスとは対照的に、イエスの死は人類の罪を贖うための犠牲であり、最も恐ろしい死でありました。イエスも他の所で言っておられます。「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)。
 従って、人類の罪を一身に背負って死なれたイエスは、地獄の底に落ちて身も魂も滅んだのです。それは人間の想像を絶する恐れと悲しみです。
 この婦人は自分が罪を赦され救われるために、イエスが十字架の苦しみをされなければならないことを思い、イエスに対する深い感謝の念に満たされ、自分のすべてを主イエスに献げたのです。
 おそらく、彼女は以前主イエスに出会い、心の深い悩みを癒されたのでしょう。それまで誰一人として自分の苦しみを分かってくれる人は居なかったのですが、自分が何も話さなくても主イエスはその苦しみのすべてを分かってくださったのです。
 彼女は主イエスの心の鏡に、自分のすべての苦しみが映し出されていると感じました。同時に、主イエスは自分とは全く異質で、罪が全くなく、完全に正しい人であると感じました。その完全に正しく、聖なる主イエスが、自分を完全に受け入れてくださっているのが分かり、彼女の心は到底言葉では言い表せない平安とイエスの霊的生命で満たされたのです。そこから新しく生きる力を与えられたのです。
 そのとき、主イエスが自分の罪と苦しみを担ってくださっているからだ、と思ったのです。その深い感謝の気持ちから、主イエスが担わなければならない十字架の死の恐れと悲しみに対する共感が芽生えたのでしょう。イエスは仰せになりました。
 「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。」(14:6~8)
 この御言葉から分かりますように、彼女の行為と思いは主イエスの犠牲の死に対する深い感謝の念からの信仰的応答であると言えます。イエスはこの女性の行為を、あらかじめイエスの「葬りの日」のためイエスの体に油を塗ったのだと仰せになりました。
 また主イエスは彼女の行為を「わたしに良いこと」をしてくれたのだと仰っています。「良い」と訳されている元の言葉は「カロス」というギリシャ語ですが、「美しい」または「貴重な」と言う意味も含んでいます。それは「時に適って」、「美しく」、「貴重」なのです。
 主イエスは「無償の愛の行為」を教えるために、強盗に襲われ道に倒れていた旅人を助けた良きサマリア人の譬話をされました。その話の眼目は、サマリア人の自発性にあります。実に、息も絶え絶えの状態で道の真ん中に放置されていた一人の旅人に遭遇して、自分も同じ旅人であるゆえに抱いたサマリア人の「共感による自発性」こそ、愛の働きなのです。
 主イエスがここで仰せになっているように、貧し人々はいつでもいるのですから、彼らに対して良いことはいつでもできるのです。それに対して、地上におられた主イエスに仕えることができるのは、その時点だけでありました。自然の営みには四季の移り変わりと循環があります。それに対して、人間が生きている時間は循環ではなく直線的に過去から現在へ、現在から未来へ前進して行きます。過ぎ去った時間は二度と戻っては来ません。なおその時間の中でも、人生全体に決定的な影響を与える重大な時があります。
 主イエスの地上における人生はそのように貴重な時でありましたが、殊にその最後の時こそ、わたしたちの存在を根底から変える力を秘めた重大な時でした。
 主イエスはわたしたちを愛し、わたしたちを罪から解放するために、わたしたちの罪をわたしたちに代わって担い、わたしたちの罪がもたらす神との断絶、そしてその結果である悲しみ、恐れ、死の中に、今まさに主イエスが入って行かれるその時が差し迫っていたのです。
 イエスの悲しみ、恐れ、死はわたしたちの罪のためです。この主イエスの心を思うならば、わたしたちはどれほど感謝してもなお足りないのです。このことを彼女は心の共感によって、直観的に察知したのでしょう。同時にそれは信仰による直観であります。
 しかし、十字架の死においてこそ、主イエスはわたしたちとご自身とを連帯化され、死においても最早分離することのない深くて強い結びつきを与えられたのです。
 ここで、もう一つ大切な点があります。ヨハネによる福音書は、主イエスが十字架の苦難を受けられる時こそ、救い主としての栄光が限りなく現れる時であると見ています。確かに、十字架と復活は異なる二つの出来事でありますが、二つは一つに結ばれているのです。神の御子イエスにおいて、人間を救おうとされる神の一つの意志によって結ばれているからです。
 主イエスの十字架の死は人類の罪に対する神の裁きであり、復活は主イエスによって達成された義の人間に対する授与であり、人間に対する神の最終決定的な是認と受容であります。
 従って、この女性が注いだ香油は、神がイエスを神の国の「王」として油注がれたことを意味しています。主イエスは神から油を注がれた王として、十字架に向かって行かれたのです。

(4)主に対する感謝の献身
 アイザック・ウオッツの有名な讃美歌(21)298番は4~5節で、このように歌っています。
 「十字架のみもとに心迫り、涙にむせびて、ただひれ伏す。
   涙も恵みに報い難し、この身を献ぐる他はあらじ。」
 ここで、涙もそれだけでは、神の愛、主イエスの犠牲に対する応答としては不十分である、自分の「存在全体」を主イエスに献げること以外にいかなる応答もあり得ないと言うのです。
 つまり、自分の罪を悲しむだけでなく、主イエスの十字架において、自分自身も主イエスと一緒に十字架に付けられて死に、主イエスの命と義に生きる新しい自分が、主イエスの復活において、与えられていることを知るのです。
 それゆえ、わたしたちは自分の「全存在」がキリストの中に与えられているのです。詳しく言えば、わたしたちの存在の中心はすでにわたしたちの中から、キリストの中に移されているのです。
 それゆえ、「全存在」をもって「キリストに従う」こと、これがクリスチャンの信仰であり、クリスチャンの生き方です。



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