2017-02-05(Sun)

徴税人ザアカイ 2017年2月5日の礼拝メッセージ

徴税人ザアカイ
中山弘隆牧師

 【ダビデの詩。マスキール。】いかに幸いなことでしょう/背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう/主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。わたしは黙し続けて/絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重く/わたしの力は/夏の日照りにあって衰え果てました。わたしは罪をあなたに示し/咎を隠しませんでした。わたしは言いました/「主にわたしの背きを告白しよう」と。そのとき、あなたはわたしの罪と過ちを/赦してくださいました。
詩編32編1~5節


 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書19章1~10節


(1)失われた人間関係
 人が生きていく上で一番必要な事柄は、人間関係であります。健全な人間関係が損なわれるならば、人の心は歪み、荒れすさみ、生活が乱れ、深刻な状態に陥ります。今日、中学や高校で虐が多発しています。そのために自殺する生徒がいます。学校や家庭ではこの深刻な問題に対処するため苦慮していますが、問題は健全な人間関係をどのように造り出すかであります。
 聖書の中で語られていますザアカイも、彼の悩みは人間関係でした。「この人は徴税人の頭で、金持ちであった。」と記されています。
 これはザアカイがどういう人物であったかの非常に短い説明です。しかしこれだけで、彼がどれほど深刻な人間関係の破れを経験していたかが十分に分かります。彼は徴税人という職業のため、同胞のユダヤ人から嫌悪の的にされていたのです。
 しかし、徴税人の仕事は国家の税金徴収を民間人に委託したもので、あくまでもローマ帝国による公認の職業でした。彼らはローマ総督が課す一定の税額以上に徴収し、上納した残りの分を自分たちの所得とすることが認められていました。そこでザアカイはその分野で大いに手腕を発揮しました。特に、エリコの町は幹線道路が通っている交通の要所であり、いろいろな物品が集まる場所でしたので、交通税や物品税を多く徴収することができたのです。そのようにして、彼は町一番の金持ちと呼ばれるようになりました。
 他方、選民思想を抱いているユダヤ人からは、同胞を裏切る者と非難され、また世俗の利益だけを追求している信仰の落伍者というレッテルを張られ、人々から軽蔑されました。
 それにしてもザアカイという名前は、大変立派な名前で、「義なる者」あるいは「正しい者」という意味です。一般に人の名前は、親の子に対する期待を表しているものですが、ザアカイの場合に彼は親の期待に反する人間になってしまいました。
 彼はユダヤ人社会から完全に締め出され、その結果、非常に閉鎖的な人間になっていました。ザアカイは同僚たちと共にいるときや、家族に囲まれているときだけは、明るく幸せな気分になり、彼の頭は良く閃き、大変機知に富んだ話をして皆を楽しませたことでありましょう。そして徴税人たちの間では、頭として重んぜられ、家庭では良き父親として愛されていたに違いありません。
 しかし、人間は一部の人たちに対して善意を抱いていましても、その善意が多くの人たちに対して開かれていない場合には、心は歪み、自由はありません。
 それではどうすればよいのでしょうか。それはまず自分の心が根本的に変わることが必要です。ある牧師は、人間の心の中には一つの底なしの空洞が開いていると語られました。その空洞はどんなものを投げ込んでも絶対に埋めることはできないほど深いというのです。山のような富、健康、名誉、そして多くの知識をその中に投げ込んでも埋めることができない底なしの穴です。しかしその穴が満たされない間はわたしたちの心は虚しく、本当の自由はないというのです。
 それゆえ、人は真に勇気と自由をもって自分の人生を生きることができるためには、自分の心の中にある空洞が、神によって満たされなければならないのです。この深い空洞を埋めることができる方こそ、真の神です。

(2)主イエスに見いだされる
 ザアカイの場合、主イエスに見いだされ、彼の家に主イエスが客として泊まられたことによって彼は変わりました。
 主イエスと弟子たちの一行がエリコの町を通られた時、人々は大勢集まって来ました。ザアカイも主イエスがどんな方か見たいと思って、通りに出たのですが、群衆に遮られて見ることができません。そこで彼は咄嗟の機転を利かせて、道端のいちじく桑の木に登って、一行が近づいてくるのを眺めていました。
 その時、主イエスはその木の下まで来ると、上を見上げて次のように仰せになりました。
 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
 主イエスは人と出会うとき、その表情と姿を見るだけで、その人の心の中が手に取るように分かったのです。主イエスには人の心を見抜く超能力がありました。旧約聖書の時代の預言者たちにもこのような能力が見られましたが、イエスの場合は彼らの能力をはるかに超えており、それは神の力と言うより他に言いようはないのです。
 それはイエスが神の愛と全く罪のない心を持っておられたからです。イエスの心の鏡には、偏見による歪みは全くなく、人の思いがそのまま映し出されるのです。それは自ら何一つ罪を犯されませんでしたが、あらゆる試練と誘惑に出会われたからです。
 ヘブライ人の手紙は次のように言っています。
 「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自身を死から救う力のある方に、祈りと願いとを献げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。」(ヘブライ5:7~8)
 このために、キリストは人の弱さと試練の辛さを思いやることができるからです。それゆえに、人の心の中にある悲しみ、恐れ、不安のすべてを知り、そしてその人が真の喜びと勇気をもって生きるために、何が必要であるかをご存知であるからです。
 言い換えれば、ザアカイの心の中に潜む虚無の淵を神ご自身が満たされるために、主イエスは来られたのです。それは主イエスの中に父なる神がおられ、父なる神の中に主イエスがおられる方として、主イエスはザアカイと出会われたのです。
 このことは主イエスの中にある人智を超えた神の神秘ですが、真に人を救う神の力なのです。

(3)感謝の献身
 ザアカイは主イエスと話し、御声を聞き、御顔を見つめていますと、神が人間の思いを越えた無限の愛と赦しをもって、自分と出会い、自分のもとに臨在しておられるという霊的現実に直面しました。
 そして、ザアカイは主イエスが自分と親しく話されるために、ユダヤ人たちから、「あの人は罪深い男のところに行って宿を取った。」(7節)という激しい非難と軽蔑を自ら進んで引き受けてくださったことに感激しました。
 これほどまでに自分のために犠牲を払ってくださる方の有難さが身に染みて分かったのです。そのようにして自分の本当の友となり、自分と運命を共にし、何処までも連帯してくださる主イエスの決意と行動、言い換えれば神の愛が彼の心を捕らえたのです。そして主イエスの連帯性の極みはイエスがザアカイの罪をご自身の上に担ってくださっていることだ、と思いました。
 さらに、イエスのこの決意と態度を通して、神は自分の罪を赦し、自分の心と存在の中に入って来られることが信じられたのです。そこでザアカイは主イエスこそ自分の罪を赦す「神の権威」を持っておられる方として、「イエスは神である」と信じたのです。
 そのときザアカイは心の中に光を受け、その光が彼の心を外部の人たちに向かって開かせたのです。彼は立ち上がって、自分の決心を主イエスの前に披歴しました。
 「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、誰かから何かだまし取っていたなら、それを四倍にして返します。」(8節)
 旧約聖書の律法によりますと、人からだまし取ったものは二倍にして返さなければならないのです(出エジプト記22:3)。
 ザアカイの場合には、税金の支払いを騙し取ったので、その金額の二倍を返さなければならないのですが、彼は騙し取った金額の四倍を弁償すると決心しました。
 それだけでなく、今や彼は大胆極まる愛の業を行う者となりました。貧しい人たちに、自分の財産の半分を与えることを決心しました。これは律法には定められていません。彼が自発的にすることです。自分がこれまで苦労して得たものを、惜しげなく、喜んで人々に与えました。
 今や、ザアカイは決定的に変えられました。彼は神の愛を知って、貧しい人たちの苦しみと悲しみを自分のもののように感じる者となりました。そして彼らを幸せにするため、自分を与えるようになったのです。しかも、これまで自分を罪人呼ばわりし、軽蔑し、嫌っていた人たちに対して、彼は彼らを赦し、熱い愛を抱いたのです。
 これまで外部の人たちには反感と冷淡さを抱いていた閉鎖的なザアカイとは、まったく違ったザアカイです。周囲の人たちが幸せな生活ができ喜んでいる姿を見て、喜ぶザアカイになったのです。
 さらに、本当の愛は自分に出会う隣人に例外なく向けられているものです。自分たちの仲間に限定するのではなく、すべての隣人に例外なく向けられるものです。自分の好みによって、愛の向う対象を選ぶのではなく、神が自分に出会わせてくださった隣人が、愛の対象なのです。
 まことに、ザアカイが自分の隣人に対して、愛の業を行い得たのは、自分の中に入って来られた神に、自分を献げたからです。彼は感謝の献身をしたのです。
 ザアカイの決意と彼の行動を主イエスはご覧になって、次のように仰せになりました。
 「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(9~10節)
 このように仰せになった主イエスはザアカイに対して非常に喜ばれました。主イエスの目には神の喜びが輝いていました。そのとき、ザアカイは自分に向けられているイエスの瞳の中に、これから自分の成るべき姿が映っていることを知りました。
 しかし、ザアカイの献身は一回限りのものではありません。この後も、日毎にその献身を繰り返すことによって、彼は主イエスの瞳の中に移っている自分の姿に近づくことができるのです。
 それゆえ、ザアカイの感謝の献身は、今日のわたしたちにも当てはまります。現在本当にわたしたちは、明るい喜びに満ちているでしょうか。わたしたちの愛は、隣人に対して本当に開かれているでしょうか。神の恵みを自分で独り占めにし、自分を誇ろうとしていないでしょうか。愛という口実のもとに人を支配し、自分の思い通りにしようとしていないでしょうか。
 自分の周りにいるクリスチャンの一人一人は主イエスの所有物であり、決して自分の所有物ではないということを本当に知っているでしょうか。
 クリスチャンの交わりの結び目は、主イエスです。主イエスを通して、クリスチャンは互いにつながっており、主イエスを通してその交わりが与えられています。主イエスの思いと行動を通してのみ、クリスチャンは互いに心が通じ、互いに相手を理解し、互いに協力することができるのです。
 なぜならば、一人一人の新しい存在とその生き方は主イエスの中に与えられているからです。主イエスの目の中に既に写っている姿に一人一人が成っていくことが、クリスチャンとして生きることだからです。
 主イエスの連帯により、わたしたちは自分の功績と自己を誇る古い人間に対して、主イエスの十字架によって既に死んでいるのです。そして主イエスの復活により、主イエスの中に新しい自分が既に与えられているのです。このことを毎日感謝することが、即クリスチャンの毎日の献身となります。
 主イエスと出会い、主イエスの御言葉を聞き、主イエスの目の中に映し出されている新しい自分となるために、常に感謝の献身をわたしたちは日々繰り返しながら生きる者たちです。



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