2017-01-29(Sun)

聖書の言葉とイエス 2017年1月29日の礼拝メッセージ

聖書の言葉とイエス
中山弘隆牧師

 雨も雪も、ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ/種蒔く人には種を与え/食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。
イザヤ書55章10~11節


 「もし、わたしが自分自身について証しをするなら、その証しは真実ではない。わたしについて証しをなさる方は別におられる。そして、その方がわたしについてなさる証しは真実であることを、わたしは知っている。あなたたちはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。わたしは、人間による証しは受けない。しかし、あなたたちが救われるために、これらのことを言っておく。ヨハネは、燃えて輝くともし火であった。あなたたちは、しばらくの間その光のもとで喜び楽しもうとした。しかし、わたしにはヨハネの証しにまさる証しがある。父がわたしに成し遂げるようにお与えになった業、つまり、わたしが行っている業そのものが、父がわたしをお遣わしになったことを証ししている。また、わたしをお遣わしになった父が、わたしについて証しをしてくださる。あなたたちは、まだ父のお声を聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。また、あなたたちは、自分の内に父のお言葉をとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたたちは信じないからである。あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところへ来ようとしない。
ヨハネによる福音書5章31~40節


(1)日本基督教団信仰告白
 初めに、日本基督教団の信仰告白は、主イエス・キリストに関して、次のように告白しています。
 「旧新約聖書は、神の霊感によって成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によって神につき、救いにつき、全き知識を我らに与える神の言葉にして、信仰と生活の誤りなき規範なり。」
 ここに表された信仰は、「聖書がキリストを証している」と告白しています。また「聖書は正典である」と告白しています。正典とはクリスチャンの「信仰と生活の基準」のことです。聖書が正典であるとされたのは、先ず旧約聖書が正典であるとユダヤ教の教会会議において公認されました。その時期は一世紀末です。さらに、旧約聖書と新約聖書を合わせた聖書は四世紀末にキリスト教の教会会議で正典と認められました。そのことによって、聖書はクリスチャンの信仰と生活の基準となったのです。実に正典となった聖書が、神様はどのような方であるか、神の救いは何であるかについて完全な知識を与える神の言葉なのです。
 しかし、正典とは聖書に書かれた文字そのものではなく、聖書がイエス・キリストを証することによって、そしてイエス・キリストを通して、人は神につき、救いについて知ることができるのです。さらに単なる知識ではなく、信仰を以て神を礼拝し、神に従うことによって、神の恵みと愛に生かされることを体験するのです。そういう意味で聖書は神の言葉なのです。
 尚、聖書が他の書物と全く異なる点は、聖書は一朝一夕に成立したのではなく、実に長い歴史を通して書かれてきました。先ず、神がイスラエルを選び、イスラエルにご自身を示し、教え、導き、支配し、そして裁くことによって人類の救いのために、働いて来られた神の働きの長い歴史があります。その中で、神が預言者たちを通して語られた様々な言葉があります。それらは人類の究極的な救いを明確にする預言の言葉として形成されて来ましたが、遂に神の御子イエスが現れ、御子の地上の生涯を通して、人類の救いが実現しました。それゆえ、旧約聖書の時代に語られている神の言葉は、御子イエスにより、御子イエスにおいて、成就しました。
 従って、旧約聖書は約2000年に及ぶ神の働きを、そして新約聖書は約100年に及ぶ神の働きの証言なのです。
 
(2)神の言葉としての主イエス
 次にヨハネによる福音書はその全体を通して、主イエス・キリストが生ける神の言葉であると終始一貫して語っています。
 先ず、第一章の冒頭で、次のように言っています。
 「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(1:1~3)
 ここで、「言」とは父・子・聖霊の交わりの中で永遠に存在される「子なる神」のことです。それゆえ、ヨハネによる福音書は、「言は神と共にあった。言は神であった」と言っています。
 さらに神は御自身以外の物、言い換えれば被造物を無から創造し、被造物と支え、生かすことを欲せられた恵み深い神であることを表明しています。被造物との関係について、1~3節は、神の言葉の役割を語っています。すなわち、世界と人間は、実に「子なる神」である「神の言」を通して創造されたと、3節が告白しています。「万物は言によって成った」と告白しています。
 しかし、このような神の創造の業は永遠の昔に為されたのですから、人間がそれを目撃して証言している訳では決してありません。そうではなく新約聖書の著者であるキリストの使徒たち、そして初代教会のクリスチャンたちの証言とは、14節なのです。
 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた。」(1:14)
 このように、初代教会のクリスチャンたちの信仰の始まりは、彼らがイエスと出会い、イエスが神の恵みと真理とに満ちているのを見て、イエスを「神の独り子」として信じたことなのです。つまり、イエスが神の御子であると信じたとき、イエスは普通の人間ではなく、神が人間になられた方であり、イエスは永遠に神の御子であると告白したのです。
 しかし、イエスが自ら神の御子であると公表されることは極めて稀でありましたが、御自分の言葉と行動を通して、神の恵み、神の赦し、神の救いが開始していることを自覚しておられました。そして、自分の言葉と行動はあくまでも父なる神から出るものであり、父の意志に自分が従っていることを自覚し、それゆえご自身は神の御子として、父の意志と完全に一致していることを自覚しておられました。そして御子が父の意思を実行されるとき、父が御子イエスの行動を喜んでおられることを常に体験しておられたのです。
 ここに父と子との親密なそして祝福と平和に満ちた交わりの神秘があります。しかし、それはあくまでもイエスの心の中にある秘密でした。それゆえ、父なる神がイエスについて証されたときだけ、弟子たちはイエスが神の御子であると告白できたのです。
 イエスは弟子たちに「あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と質問されたとき、シモン・ペトロは弟子たちを代表して、「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白しました(マタイによる福音書16:15~17)。そのときイエスは「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを表したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」と仰せになっています。
 確かに、弟子たちがイエスを神の御子であると信じたことが、イエスに対するキリスト教会の信仰の始まりです。しかし、その段階では、まだ不十分でした。イエスが神の御子であると言う信仰は、
イエスが父から与えられた最大の使命、すなわちご自身の十字架の死において、人類の罪に対する神の裁きを引き受けることによって、人類の罪を神の御前で取り去り、人類を罪の束縛から解放すると言う使命を果たされたとき、父は御子イエスを死から復活させ、イエスに神の主権を委任されたときなのです。
 その結果、復活したイエスが神の力と権威をもって弟子たちに現れたのです。そのとき、弟子たちはイエスを「主イエス・キリスト」として告白しました。その告白によって、初めて弟子たちは「イエスは神の御子」であることが確信できたのです。
 同時に、復活の主イエスは今や、聖霊を与えられる方となられたからです。それゆえ、主イエスがご自身を使徒たちに現されるということは同時に聖霊が使徒たちに与えられ、聖霊が主イエスの栄光を弟子たちに知らせることなのです。
 さらにこの信仰と認識は使徒たちに限られたものではなく、初期キリスト教のすべてのクリスチャンに与えられました。この点を詳しく説明すれば、聖餐式においてであります。
 キリスト教はギリシャ・ローマ世界に広まりましたので、キリスト教会はすべてギリシャ語を使用しており、新約聖書はギリシャ語で書かれています。しかし、その中でパレスチナ地方のアラム語が二つだけ新約聖書で大切に保存されています。
 それは「アッバ」という言葉と「マラナ・タ」です。アッバとはイエスが父なる神に祈られた時にアッバ(父よ)と呼びかけられた言葉です。従いまして、クリスチャンはイエスの言葉を用いて、「アッバ、父よ」と神に祈りました。
 次に、「マラナ・タ」とは「主よ、来りたまえ」という意味です(コリントの信徒への手紙一、16:22)。ここに「マル」(主)が含まれています。これは聖餐式を執行するとき、主イエスの臨在を求める祈りです。この祈りの言葉は、復活の主イエスが聖餐式に臨在され、陪餐者一同は復活の主イエスと出会ったことを表しています。
 特に「マラナ・タ」とは十字架の死において、人類の罪を贖い、復活し、神の右に座するに至った主イエス・キリストが神として臨在し、しかも「人間性」を持つ方として、ご自身の復活の霊的身体の中に宿る新しい命、すなわち霊的生命を、聖餐式において陪餐者に与えられたことを告白しています。
 このように復活され、天地万物の主となり、教会の頭となられた主イエス・キリストの中に、神の真理と恵みとが満ち満ちていることを使徒たちや初期のクリスチャンが信じ、体験し、認識したのです。そして「父の独り子の中に、神の真理と恵みが満ちているのを見た。」と証し、主イエスを神の言葉として告白しているのです。
 従いまして、神の言葉は地上の生涯において主イエスが語られた言葉だけでなく、主イエスの存在と行為の事実をもって語られた内容が神の言葉の頂点です。つまり、主イエスの十字架の死とその意味を父なる神が使徒たちに示された内容、同時に父なる神が復活の主イエスの働きを使徒たちに啓示された内容によって、神の言葉は完結しました。
 それゆえ使徒パウロに、父なる神が主イエス・キリストの福音を啓示されたのです。コリントの信徒への手紙二、4章6節で、「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えて下さいました。」とパウロは言っています。そういう意味でヨハネによる福音書は「主イエス・キリスト」が神の言葉であると言います。
 ここで強調すべき点は、復活の主イエス・キリストは今やこの完結した神の言葉、言い換えれば主イエス・キリストに関する福音を通して、自ら語り、聞く者たちと出会い、働かれるということです。

(3)わたしは命である
 最後に、本日の聖書の箇所でありますヨハネによる福音書5:39は次のように言っています。
 「あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書の研究をしている。ところが、聖書はわたしについて証をするものだ。それなのに、あなたたちは、命を得るためにわたしのところに来ようとはしない。」(5:39~40)
 ここで、聖書とは旧約聖書のことであり、律法の書と預言の書を意味しています。ユダヤ教徒は特に律法の書が聖書の中心であると信じ、律法を研究することによって永遠の生命が与えられると考えていました。
 それに対して、主イエスは律法や預言はそれ自身が永遠の命を与えるのでなく、永遠の命を与える主イエス・キリストを証するのであると仰せられました。
 この文脈で、聖書とは旧約聖書を指していますが、新約聖書を含めても同様のことが言えます。聖書は人間の言葉で書かれていますので、その点では生ける神の言葉ではありません。聖書が証する主イエス・キリストご自身が「生ける神の言葉」なのです。それゆえ、わたしたちは聖書を読んで、復活の主イエス・キリストと直面し、出会うことによって、聖書は主イエスの中に既に与えられている永遠の命によってわたしたちを生かすのです。
 さらに、主イエスはわたしたちに聖書において語られている神の命令は、「わたしの命令である」と仰せになるのです。そのようにしてわたしたちが聖書に書かれている神の命令を主イエスの命令として聞くとき、主イエスの中で既にわたしたちに与えられている永遠の命、すなわち主イエスの復活の命がわたしたちの中に働くのです。
 そのことによって、わたしたちは神の命令を実行することができるのです。同時にわたしたちは神の御前に生きるのです。しかし、それは神の御子が父の意思を完全に実行されたように、わたしたちは神の命令を完全に実行できる訳ではありません。
 それでもわたしたが実行できたという体験は主イエスの命に生かされたことの証明であり、わたしたちの尽きぬ喜びと感謝になります。同時に主イエスがわたしたちの実行を喜んでくださるのです。
 ここにわたしたちが主イエスとの人格的な交わりの中に入れられていることが分かります。その霊的事実が何にも勝る幸いであり、感謝です。今や、復活の主イエスはわたしたちの中に臨在し、働き、わたしたちを導いておられます。
 この霊的現実によって、わたしたちは主イエスに従い、主イエスの命令を実行することによって、主イエスの性質に似る者へと聖化されて行きます。それゆえ、わたしたちのこのような生き方を可能にしている神の大きな愛と復活の主イエスの働きと栄光を仰ぎ、わたしたちは神を賛美するのです。



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