2017-01-15(Sun)

土の器に納められた宝 2017年1月15日の礼拝メッセージ

土の器に納められた宝
中山弘隆牧師

 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。
エゼキエル書36節25~27節


 ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
コリントの信徒への手紙二 4章7~15節


(1)信仰生活とは何か
 本日は、聖書の御言葉によって、福音的信仰とは何か、そしてわたしたちは福音的信仰によって、いかに生きるかをはっきりと知ることを願っています。
 誰でもキリストを信じるようになったときには、心が平安と希望に満たされます。そして見ること聞くことのすべてが新鮮で魅力あるものに感じられます。これまでの世界が以前とは丸で違ったように見えます。ところがその時期が過ぎとクリスチャンは普段の生活の営みの中で、仕事や責任に追われて忙しくなり、次第に信仰に対する感激が薄れ、周囲の世界は以前と同様に平凡な世界に見え、自分の心の中が空虚な状態に陥ってしまいます。
 同様のことを、「クリスチャンの天国への巡礼の旅」という題名で、一般の信徒向きの本を書きました有名なバンヤンも体験しました。彼はクリスチャンになったとき、キリストが共におられる恵みを身近に感じて、心の高揚する日々を過ごしていたのですが、しばらくすると高揚感がすっかり消えてしまいました。無力感だけが残り、バンヤンはひどく落ち込んでしまいました。しかし意気消沈した日々を過ごしている中で、ある日ふと自分の救いと自分を新しく生かす力は、自分の中ではなく、キリストの中にあるのだ、そして自分の義と命は天にいますキリストの中に保存されているのだ、と気づいたのです。
 それ以来、彼は常にキリストを仰ぎ、キリストに祈り、キリストの力を受けることができるようになって、キリストに従う信仰生活が確立しました。この体験により、彼はクリスチャンの信仰生活を天国への巡礼の旅として捉えることができたのです。

(2)キリストの命に生きる
 それでは、この点に関しまして、聖書は何と言っているでありましょうか。本日の聖書の箇所は次のように言っています。
 「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れた偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」(コリント二、4:7)
 ちょうど信仰者は土の器に似ています。クリスチャンはあたかも粘土を焼いて作った陶器の入れ物に譬えることができます。しかも素焼きの入れ物です。まったく価値の低い器です。しかし、その中に宝が入れてあるとしたらどうでしょうか。しかも宝の値打ちは計り知れないほど大きいのです。そうすれば、その土の器は非常に高価な器であることになります。
 信仰者の場合もちょうどこれと同じです。外観からすれば極めて平凡な貧しい人間に過ぎません。しかしその中に人間の目では見ることのできない神の宝が入っているのです。ここにクリスチャンの特質があります。それがクリスチャンの真価です。
 もちろんこの宝とは、復活のキリストがクリスチャンの中に臨在して働いておられるという霊的事実です。同時に復活の主はご自身を信じる者たちに聖霊を与えられますので、クリスチャンは主の思いと言葉と行動を聖霊によって理解できるのです。さらに聖霊によって、主キリストの命がクリスチャンに注がれるのです。
 次に、聖書はわたしたちのうちに、「キリストの計り知れない富」が与えられているということを、8~9節で具体的に説明しています。
 「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望しない。」(8節前半)
 ここで「四方から、苦しめられる」と言う原語は「すべてのことで、ひどく圧迫される」と言う意味です。また「行き詰らず」という原語は、「狭い所に閉じ込められない」と言う意味です。従って、クリスチャンは周囲からひどい圧迫を受けて行き詰っても、その窮地から脱する方法が与えられると言うことです。
 さらに、8節の後半は「途方に暮れても、失望しない。」となっています。ここで「途方に暮れる」という原語の意味は「動揺し、不安に陥り、自分はどうしてよいか分からなくなる」という意味です。それにも拘らず、「失望しない」という原語の意味は、「絶望しない」です。従って、クリスチャンは途方に暮れ、どうしてよいか分からない状態になることはあるが、それでも絶望しないと言うのです。さらに9節は、次のように言っています。
 「虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない。」
 ここで、「虐げられる」とは「迫害される」と言う意味です。従って、迫害されても「見捨てられない」のです。「打倒される」とはボクシングで言えば「ノックダウンの状態」です。ノックダウンされても自分は「滅ぼされない」と言うのです。このように9節はクリスチャンが迫害されることはあっても、それでも見捨てられない。ノックダウの状態になっても、滅ぼされないので、再び立ち上がることができるというのです。このような人は何と言う強靭な生命力を持っていることでしょうか。しかしパウロは誇張した言い方をしているのでなく、本当のことを言っているのです。
 使徒言行録14章19~20節を読みますと、パウロは第一回世界伝道旅行のとき、リストラでパウロに反対するユダヤ人に扇動された群衆に取り囲まれ、石を投げつけられ、倒れ込んでしまいました。皆は彼が死んでしまったと思って、パウロを置き去りにしてそこから立ち去りました。しかし、弟子たちがパウロの周りに集まると、彼は起き上がり、翌日はまた次の町に行って伝道したのです。
 従って8~9節の証言によれば、クリスチャンはすべてのことが守られて、大きな災難や不幸に遭遇することなく、平穏で幸いな生活ができると言うのでは決してありません。そうではなくて、クリスチャンは普通の人間であり、極めて弱い人間です。それゆえ、様々な困難や苦しみに出会ってどうしてよいか分からなくなる場合が多々あります。しかしそれにも拘らず、逞しく生きるのです。
 この生き方は非常に逆説的です。まさにクリスチャンは土の器に過ぎませんが、その中に復活のキリストが臨在し、働いておられるからです。使徒パウロは、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れた偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。」と7節ですでに説明しました。
 これは彼自身が経験したことです。パウロは福音をパレスチナから中近東を経て、ローマに至るまで、広いローマ世界に宣教し、教会を各地に設立しました。同時に、幾度か迫害を受け、経済的な困難、病気など様々な障害と苦労に出会いました。しかしその労苦の中で復活のキリストの力が働いたのです。パウロはこの事実の証人です。しかし彼は福音を信じる者には同じようなキリストの力が働くことをよく認識していましたので、「わたしは」と言わないで「わたしたちは」と言っています。
 
(3)永遠の命の実を結ぶ生き方
 さらにクリスチャンの中に働くキリストの命は逆説的な働きをしています。この点を使徒パウロは10~11節で説明しています。
 「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。」(10節)
 イエスの復活の命が現れるために、わたしたちは自分の体、言い換えれば生身の体にイエスの死をまとっている、と言うのです。
 一体、これはどういう意味でしょうか。これはわたしたちがイエスに従い、イエスの言葉を実行するには、イエスの霊的生命が働くことが必要なのですが、そのためには必然的に労苦を伴うと言う意味です。逆に言えが、労苦することなしには信仰者にイエスの復活の命は働かない、と言う意味です。
 次に、パウロは11節でこのように言っています。
 「わたしたちは生きている間、絶えずイエスの為に死にさらされています。死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」(11節)
 一見、11節は10節の内容を強調するために、同様の言葉を繰り返しているように思われます。しかし、それだけではありません。ここで、さらに重要なことは、ここでパウロは「死ぬはずのこの身に」と言っている点です。「死ぬはずのこの身」とは、「死に定められた有限の身体」という意味です。人間は一旦生まれたならば、必ず死ぬ運命にあります。人間は皆、有限な人生を歩んでいる者たちです。そのような者たちに、11節は「復活のイエスの命が働くために」と言っているのです。それでは、これはどういう意味でしょうか。単に様々な困難を克服する神の力が働くと言うだけではありません。もっと素晴らしい内容です。
 それは何か。この地上の短い人生の歩みの中で、永遠の世界で存続する生き方が既に始まっている。言い換えれば、有限の人生の中で永遠の命の実を結びつつあると言うのです。パウロはこの視点をさらに展開して、16節~18節で次のように語っています。
 「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(16節)
 主イエスの思いを実行する者は、その愛の労苦のゆえに、地上の身体は衰えていきますが、「内なる人」は日々、新たにされ、活発になり、益々主イエスの思いと行為とに一致し、主の性質をより鮮明に映し出すように清められ高められて行くとパウロは言っています。
 ここでパウロは「主イエスの霊的な命」に生かされて、考え、行動している「新しい人間」を「内なる人」と呼んでいます。その内なる人間こそ、永遠の命の実を結びつつあるのです。
 しかし内なる人は、人間の目には見えません。なぜならば、新しい人間とその業は主イエスの中に記憶され、隠され、保存されているからです。それゆえ、新しい人間は救いが完成するときに「見える姿」で現れます。その場合に、新しい人間には体が必要です。しかも、霊的な人間に相応しい霊的な体が必要です。その霊的な体とは、古い体が主イエスによって復活するとき、霊的な体に変貌するのです。
 このことに関して、パウロは説明します。「この幕屋に住むわたしたちは重荷を負って呻いていますが、それは、地上の住家を脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に呑み込まれてしまうために、天から与えられる住家を上に着たいからです。」(5:4)
 これは、内なる人は、地上での自分の体を脱ぎ捨てるのではなく、自分の体が霊的な体に変わることをひたすら求めていると言っています。それは主イエスが再臨され、人間の肉の体を復活させられるとき、肉の体が霊の体に変貌することを意味しています。
 従って、主イエスの再臨のとき、わたしたち人間が復活することは二つの側面があります。一つはクリスチャンの中に主イエスが働かれて、主イエスに従ったクリスチャンの歩みは、既に霊的な歩みであり、それが完成してそのまま現れるということです。もう一つは、地上でのクリスチャンの体が、霊的な朽ちない体に変貌するということです。この二つの面によって、クリスチャンは神の御前に見える姿で出て、神を賛美し、神の御前で永遠に生きるのです。
 パウロはその栄光を思うとき強い感銘を受けて、現在の苦労は極めて小さいのだと語っています。「わたしたちの一時の軽い艱難は、比べものにならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。」(17節)
 実にこの霊的な人間の出現が地上で生きている生身のわたしたちの救いです。それゆえ、パウロは次のように勧めています。
 「わたしの愛する兄弟たち、こう言うわけですから、動かされないようにしっかりと立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの労苦が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」(コリント一、15:58)
 また、神の救いの確実さを知ることができるは、実に聖霊による信仰によってです。それゆえ、パウロは次のように言っています。
 「わたしたちを、このようになるにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として“霊”を与えて下さったのです。」(コリント二、5:5)
 ここで“霊”とは主イエスが与えて下さる聖霊のことです。



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