2016-12-11(Sun)

神の小羊 2016年12月11日の礼拝メッセージ

神の小羊
中山弘隆牧師

 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を刈る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。彼は不法を働かず/その口に偽りもなかったのに/その墓は神に逆らう者と共にされ/富める者と共に葬られた。病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ/彼は自らを償いの献げ物とした。彼は、子孫が末永く続くのを見る。主の望まれることは/彼の手によって成し遂げられる。
イザヤ書53章6~10節


 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
ヨハネによる福音書1章29~34節


(1)神の計画
 わたしたちは今日からアドベントの第三週を過ごしますので、本日の礼拝で洗礼者ヨハネの事を知り、神様のご計画を改めて深く心に受け止めたいと願います。
 特に、人類の救い主が歴史の中に到来され、神の国を開始される場合に、神は特別の先駆者を送られました。それがイスラエルに悔い改めの運動を巻き起こした洗礼者ヨハネです。
 しかしわたしたちは洗礼者ヨハネについて普段あまり注意しないで過ごしているのではないでしょうか。洗礼者ヨハネについての第一印象は、彼が特異な風貌をしていて、極端な禁欲主義で、非常に厳格な道徳を守っているカリスマ的人物であったという程度です。マルコによる福音書1章6節に「ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に皮の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。」と記されています。彼の食べ物は文字通りに「いなごと野蜜」だけではなかったでありましょうが、極めて粗食でした。それでも、活発な精神と霊的洞察力のある眼光の鋭い人物でした。そのような洗礼者の働きの本領は、旧約聖書の預言者の代表として、主イエスと決定的な出会いをしたことにあります。

(2)神の声
 当時、洗礼者ヨハネから強い霊的なインパクトを受けたイスラエルの人たちは、彼に非常な期待を寄せ、彼を偉大な預言者だと考えました。さらにもしかしたら彼こそ約束されていた救い主ではないかと考える者もいました。本日の聖書の箇所であるヨハネによる福音書1章19節で、彼らは「あなたはどなたですか」と尋ねたと記されています。
 そのとき、洗礼者ヨハネはイスラエルの人たちに、はっきりと「わたしはメシアではない」と公言しました。それは彼らがもしかしたら洗礼者が救い主であるかもしれないと期待していましたので、自分のことをはっきりさせる必要があったからです。それでも彼らは「あなたはあの預言者ですか」と聞きましたのは、旧約聖書の偉大な預言者の一人が再来したと考えていたことを示しています。この質問に対する彼の返答は、また驚くべき内容でした。
 洗礼者は、ここで預言者イザヤの言葉を引用して、「わたしは『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ声である。」と答えました。この言葉は、有名な第二イザヤ40:3の預言です。しかし洗礼者の答えは、自分が第二イザヤの再来であると意味ではありません。第二イザヤは神様から預言者として立てられたとき、神の御前で「主のために、荒れ野に道を備え、わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」という叫び声を聞いのです。そのことと関連させて、洗礼者は正に自分が声そのものである、というのです。つまり、洗礼者が「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」と答えたのは、キリスト到来の約550年前に第二イザヤが「神の御前で聞いた声」そのものであるという意味です。
 従いまして、洗礼者ヨハネは偉大な預言者でありましたが、自分で新しい預言を語ったのではありません。そうではなく、旧約聖書の預言者たちが既に語った預言を総括し、その中心的な言葉が今この時点で成就していると、宣言したのです。
 これはまことに驚くべき事柄です。ここに神様が洗礼者ヨハネを遣わされた重大な意義があります。

(3)悔い改めの運動
 それでは荒れ野に道を備えるため、洗礼者ヨハネはどのような活動をしたのでしょうか。一つは、神の国が今や間近に迫っているという終末的状況を、力強く証言し、神に対する真の信仰を喚起したことです。一つは、救い主の到来を受け入れる態勢として、悔い改めの霊的な運動を起こしたことです。このことは、マルコによる福音書1:4~5で次のように伝えられています。
 「洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。」
 この短い説明により、ヨハネの運動がイスラエルの民衆の間に、非常な感化を及ぼし、信仰の覚醒をもたらしたことが分かります。そのような強い霊的インパクトは、ヨハネの洗礼の持つ意味から由来しています。
 それは自分の罪を告白し、罪の償いをなすことにより、神から赦しを得、神の国に招き入れられるというのではありません。罪の償いを自分ですることによる赦しであるならば、それほどの霊的覚醒をもたらすことはできなかったでありましょう。そうではなく、救い主が神の側から罪の赦しをもって到来され、罪人の中に神ご自身が臨在されるという恵みが、宣言されたのです。
 悔い改めの洗礼は、罪の赦しを与えられ神の国に招き入れられる者がその恵みに応答することであり、それは神への感謝の献身を表しています。従って、この恵みの威力は旧約聖書の預言が約束している福音の喜びと一致しています。
 しかし、ヨハネの洗礼はそれ自体で霊的な意味を持っているのではなく、その洗礼が証しているキリストの存在と不可分離であり、キリストによってヨハネの洗礼は本来の意味を得ることができるのです。この点につきまして、ヨハネは次のように証しました。マルコによる福音書の1:7はこのように記しています。
 「彼はこう述べた。『私より優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。』
 「罪の赦し」が「神への献身に先行」し、神への献身が神の国での「新しい生き方」となるためには、神は罪の赦しを信じる者に「聖霊」を与えられる。そして聖霊を通して、神の御前に生きる新しい命が与えられ、人は喜んで神に従うようになる、と言う人智を遥かに超えた大きい恵みが与えられるのです。
 旧約聖書が預言している終わりの時に、神ご自身が人間のもとに到来され、直接に人間の生活を支配されるという神の国の現実は、何であるかをわたしたちははっきりと自覚することが必要です。神ご自身による人間に対する直接的な統治こそ、神が罪の赦しをもって、「人間の心の中」に、「臨在」され、神として人間存在の中に働かれるという霊的な事実です。同時にこの霊的な現実を理解させるために、神は人間の心の中に聖霊を与えられるのです。
 この聖霊の授与については、イザヤ書44章3節が次のように預言しています。「あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える。」これが旧約聖書の第二イザヤが預言した「神の救い」なのです。
 実にこの神の救いの現実が、今やキリストによって与えられることを、洗礼者ヨハネは次のように証ししました。ヨハネは自分の後から来られるキリストによる洗礼が、聖霊による洗礼であると証しました。そういう意味で、ヨハネは『わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。』と語ったのです。

(4)イエスとの出会い
 次に、ヨハネの活動の焦点は彼自身が主イエスと出会ったことです。このことはわたしたちクリスチャンにとりまして非常に重要です。
 そもそもヨハネはイエスと出会う以前は、イエスを全く知りませんでした。ところがヨハネが悔い改めの洗礼運動を始めましたとき、イエスの方からヨハネのところに来られて、ヨハネから洗礼を受けられました。そのことによってヨハネはイエスがまさに人間を罪から解放し、全人類の救い主となられる神であることを知ったのです。
 考えてみますと、この二人が出会ったのは神様が出会わしてくださった神的出来事であることが分かります。以前二人は別々のところにいて、それぞれの立場で神の救いの事業とかかわっていましたので、時が満ちて出会ったのです。この出会いは神様の導きのもとで起こった出来事であり、まことに感動的な出会いです。
 マタイによる福音書3:14で、イエスがヨハネから洗礼を受けようとされたとき、ヨハネは霊的直観により、イエスが自分より優れた方であることを知り、イエスに受洗を思いとどまらせようとして、次のように言いました。「わたしこそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」
 しかし、イエスは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」と言って、ヨハネから洗礼を受けられました。それでは、なぜ罪のない神の御子イエスが洗礼を受ける必要があるのでしょうか。
 その深い理由は、イエスが他のすべての人間とは全く異なり、イエスのだけの神との人格的な交わりを持っておられ、その中で、生き、考え、行動しておられた驚くべき事実の中にあります。
 実に父と子との交わりはイエス特有のもので、何人も自分の洞察によって、その実情を知ることは不可能なのです。イエスご自身が御言葉によって知らせて下さり、さらに聖霊がイエスの御言葉の意味を理解させて下さることによってのみ、人はイエスと父との交わりを知ることができるのです。このイエスの秘密をイエスは「父のほかには子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者の外には、父を知る者はいません。」(マタイ11:27)と仰せになっています。
 実にイエスは父との交わりの中で、ご自身に父が与えられた使命が何であるかを知っておられました。それは人類の罪を贖うための苦難の死を全うすることです。
 その認識に基づいて、イエスは神の子として、人類の罪を贖うために、人類とご自身とを結び合わせ、人類の罪を担い、人類の代表として、また人類の代理として、苦難の死を受けるという公生涯を開始するために、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたのです。
 イエスが洗礼を受けて、ヨルダン川の水の中から上がられたとき、天から父の御声が聞こえました。マルコによる福音書1章10~11節がそれを伝えています。
 「水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のようにご自分に降って来るのを、ご覧になった。すると、『あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」
 この御言葉は、イザヤ書42章1節の御言葉、すなわち「見よ、わたしの僕、わたしが支えるものを。わたしが選び、喜び迎える者を。」と完全に一致しています。これはイエスの果たすべき使命はイザヤ書53章で預言されている「主の僕」の使命であることを示しています。
 それゆえこの体験はイエスにとって、決定的意義を持っています。イエスはそれまでの歩みの中で、イザヤ書53章の「主の僕として人類の罪を贖う」ことが、神から与えられた自分の使命である、という認識を持っておられましたが、今やイエスの思いが父なる神から出た思いであり、父の意思とイエスの意志が完全に一致していることが明らかになったのです。そういう意味で天からの御声は決定的出来事です。 
 従って、この時点から神の御子イエスの地上における公生涯が開始しました。実に、洗礼者ヨハネは再び繰り返すことのない一回限りの歴史的場面の目撃者となりました。このとき、ヨハネはイエスこそ神から使わされた人類の救い主であることを確信しました。
 その様子をヨハネによる福音書は語っています。「ヨハネは証しした。『わたしは“霊”が鳩のように天から降って、この方の上に留まるのを見た。』」(ヨハネ1:32)
  
(5)この人を見よ
 最後に、洗礼者ヨハネは実に大きな霊的賜物を与えられた信仰者でありましたが、自分を少しも誇らず、主イエスの御顔に照り輝く光を覆い隠すことがないように、自分を無にして、救い主を証することに徹しました。彼は自分の全存在を荒れ野で叫ぶ「声」とし、また主イエスを指し示す「指」としたのです。
 洗礼者ヨハネは、イエスが歩いてこられるのを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)と証ししました。それによって、キリストの弟子となったペトロの兄弟アンデレとヨハネとがイエスに従う者となりました。
 洗礼者ヨハネの使命は自分が指となって、この地上に来られた神の御子が「イエス」であることを、指し示すことです。そのことにより、旧約聖書の偉大な預言者たちの使命が完了したのです。
 預言者たちは皆、神ご自身が人間の中に到来され、神の救いを与えられることを預言しましたが、洗礼者ヨハネはその方の到来に立ち会って、イエスこそ、罪の贖いによる人類の救い主であることを証ししました。そゆえ、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」。正にヨハネのこの証言こそ、旧約聖書の預言の頂点であります。



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