2016-12-04(Sun)

喜びの知らせ 2016年12月4日の礼拝メッセージ

喜びの知らせ
中山弘隆牧師

 呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え/わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを/肉なる者は共に見る。主の口がこう宣言される。呼びかけよ、と声は言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹きつけたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。高い山に登れ/良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ/良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神/見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
イザヤ書40章3~11節


 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
マルコによる福音書1章12~13節


(1)歴史を導く神の言葉
 主のご降誕を迎えるアドベントの期間において、本日はイザヤ書40章からキリストの預言がどのようにされているかを知りたいと思います。この箇所は今日の聖書神学によりますと、預言者イザヤではなく、彼より約200年後に活躍した無名の偉大な預言者によって語られた預言であると言われています。従って、イザヤ書の預言は最初のイザヤだけでなく、イザヤの教えを受け継いだ預言者たちのグループの預言から構成されています。第一イザヤ、第二イザヤ、第三イザヤと呼ばれる長い時代の預言の記録がイザヤ書であると言われています。
 第二イザヤと呼ばれる無名の預言者が活動した時代は、イスラエル民族とその信仰が最も危機に瀕した時代でした。国家が消滅し、民の有力者と技術を持っている人たち約4000人が、バビロンの地に連行され、そこで48年の間、捕虜として過ごしました。この厳しい試練の中で信仰が無くならなかったのは、神がイスラエルの将来を切り開く神の言葉を第二イザヤと呼ばれている無名の預言者を通して語られたからです。
 この預言者が活躍した時は、イスラエルの捕囚の最後の期間であったと推測されています。詳しく言いますと、小さな属国の王キュロスが台頭し始めた紀元前553年から、キュロスがバビロン帝国を滅ぼし、ペルシャ帝国の幕開けとなったとき、すなわち紀元前539年までの約15年間でした。この時期は、それまでのアラブ世界からペルシャの、より広範な世界への転換期であり、人類の歴史が大きく動いた時期です。
 この時期に、第二イザヤは神の召命を受けました。このことは40:6~8節の箇所から読み取ることができます。「呼びかけよ、と声が言う。わたしは言う、何と呼びかけたらよいのか、と。肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹き付けたのだ。この民は草に等しい。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(40:6~8)
 彼は「呼びかけよ」という神の御声を聞き、「何と呼びかけたらよいのか」と神に尋ねています。彼は自分について少しも語らない預言者ですが、ここだけは唯一の例外で、「わたしは言う」と自分について証しています。これは彼が神の命令に応答したことによって、預言者として立てられたことを表しています。
 「肉なる者は皆、草に等しい。永らえても、すべては野の花のようなもの。草は枯れ、花はしぼむ。主の風が吹き付けたのだ。この民は草に等しい。」(40:6~7)
 この言葉は、何と呼びかけたらよいのかと問う第二イザヤに神が答えられた内容です。それは人間の弱さ、はかなさを表してしています。「肉なる者」とは「被造物である人間」のことであり、人間の命は有限であり、死を免れない弱い存在であることを意味しています。ここではイスラエル民族の現状を表しています。祖国の滅亡により、拠り所を失った民は意気消沈し、信仰が弱まり、今まさに激しい懐疑の波に飲み込まれようとしていました。
 「東風」と呼ばれるアラビア砂漠から吹く熱風によって、イスラエル地方の草も花もその日のうちに枯れてしまいます。ちょうど同じように、主の熱風が背信の民イスラエルに向かって激しく吹き付けましたので、民は正に存亡の危機に直面しました。しかしその危機の真っただ中で、神は次のように仰せられたのです。
 「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」(40:8)
 人間は有限で滅ぶべき弱い存在でありますが、それとは対照的に神は永遠であり、全能であり、歴史におけるご自身の目的を確実に実現される方です。預言者を通して語られた神の言葉は、神の計画と目的を表しており、同時にその計画を実現する霊的力を内に秘めています。それゆえ神の言葉は歴史の状況がどのように変化しようとも、変わることなく働き続け、最後に成就するのです。
 第二イザヤの時代は、アラブ世界の時代が終わりを告げ、ペルシャ世界の新しい時代が開始するという大きな転換期でありました。そこにおいて、時代の方向を定めたものは、実に神の意志であり、計画でありました。
 ちょうど同じように、今日の時代も、人類の歴史の大きな転換期を迎えています。この転換の方向を決定し導いているものは、神の計画です。決して人間の計画によるのではありません。人間はこのグローバルな世界で、自分たちの英知、経済大国としての力、軍事大国としての力に支えられた政治的力によるのではありません。そのような国家や社会の上に神の熱風が一旦吹き付けるならば、すべての計画と業とは挫折し、崩壊するのです。

(2)赦しの時
 それでは、第二イザヤの預言の内容は何でしょうか。先ずそれは慰めの言葉です。40章1~2節で、次のように言っています。
 「慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ。苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを 主の御手から受けた、と。」
 これは実に預言の原点である天上における主なる神ヤーウェの会議の光景です。この場面は人間の思いをはるかに超え、あまりにも荘厳なので、預言者自身の個人的な事柄は立ち入る余地が全くありません。この詩は大きな声を出して読まれるべきものです。そうするならば、預言の強調点とその心が分かります。
 この詩は命令的な響きに満ちています。「慰めよ」、「語りかけよ」、「呼びかけよ」という三つの命令形の動詞と、その目的語であります「わたしの民」、「エルサレム」、「彼女」という三つの対象とからこの詩は成り立っています。
 神の御前で重大な決断が下されているのです。その最高に重要な決定が今まさに預言を通して告げようとされています。それは苦しみ嘆いているイスラエルのために「慰めの時」が与えられるという決定です。
 神の世界計画において、審判の時は過ぎ、今や赦しの時が到来したのです。すなわち、預言者エレミヤとエゼキエルたちが語った背信の民イスラエルに対する神の裁きの言葉は、既に成就したのです。
 「苦役の時は今や満ちたのです。」それゆえ、神は今や赦しの時を開始されるのです。ここで預言者はイスラエルの民が、「罪のすべてに倍する報い」を受けたと言っていますが、それは量的に見て、イスラエルの罪に対して二倍の刑罰を受けたという意味ではありません。イスラエルの民は、自らの罪のために十分すぎるほどの苦役を受けましたが、今やもっとそれ以上の慰めを受ける時がもたらされる、という意味です。

(3)新しい選び
 次に、第二イザヤの救いに関する預言は二重の性格を持っています。
 一つは、その赦しが歴史的であり、イスラエル民族は捕囚の地から彼らが元いたパレスティナに帰還することです。この救いは第二イザヤの時代に実現しました。
 もう一つはその赦しが終末論的で根本的赦しであることです。この救いは第二イザヤの預言から約520年後に、主イエス・キリストの到来により成就しました。

 そのような終末論的な視点から見るときに、神に背き、神を捨てたイスラエルが赦され、「再び」神の民とされるのですから、赦しの時は、一旦開始されれば、最早取り消されることのない、最終的赦しであり、永遠の赦しです。さらに神の救いはイスラエルの民に限定されることは最早不可能です。なぜならば、それほど深い神の愛は「全世界の民」に向けられている性質を持っているからです。
 従って、罪深いすべての人間が神の統治のもとで神の民として生きるようにされるには、神ご自身によって人間の罪が解決されなければならないのです。これは神と人間との関係における一番重要な課題です。
 しかし、真実の赦しは、人間の罪に対する「神の審判」が完全に執行されることによって初めて可能なのです。それはこれまで繰り返された審判ではなく、最終的で決定的な審判なのです。そのためには、神を完全に知り、完全に従順である「罪の全くない人間」が、全人類の代理として裁きを受けることが必要です。ところで、そのような人間の代理者は神ご自身が人間となられる以外にありえません。従って、人間の罪を贖うために、神ご自身が人間存在と内面的に関わられることを神は決意されたのです。
 確かに、これまで神が人間の創造者として、人間の歴史の支配者として、人間と深く関わって来られました。だがそれにも拘らず、神は人間に対してただ外面的に関わって来られただけです。外側から人間を支配し、生かし、導いて来られたので、神ご自身が人間の内面に働かれることはありませんでした。今や神ご自身が人間の内面に働き、人間の罪を解決することを決意されたのです。
 「主の栄光がこうして現れるのを 肉なる者は共に見る」(40:5)
 ここで、「主の栄光」の現れを「肉なる者は共に」見る、と言っている点が正に画期的です。「すべての人間」がその栄光を見ることが出来るのです。この預言は神の御子イエスによる人類の罪の贖いが実現することを意味しています。

(4)福音を告げる者
 最後に第二イザヤの預言は、福音を語っています。
 「高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな ユダの町々に告げよ。」(40:9)
 神の命令によって、福音を伝える者が歴史の舞台に登場します。ここで「良い知らせ」という言葉が二度使われています。これは第二イザヤが好んで使用した言葉です。「ビセール」というヘブライ語の動詞は、喜ばしいニュースを伝えて、人々を喜ばすことを意味しています。この言葉は新約聖書の「福音を告げる」という言葉の語源です。
 第二イザヤは福音を告げる者の姿を描いていますが、何という壮大なスケールで、何という喜びと力に溢れた姿でしょうか。町の住民全員がその姿を見ることができるように高い山の上に立ち、しかも町の人たちの耳に聞こえるほど大きな声を張り上げて語っている、というのです。
 次に、この福音の内容が、9~11節です。
 「見よ、あなたたちの神 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。 見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前に進む。 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め 子羊をふところに抱き、その母を導いていかれる。」
 このように、今や世界と人間を超越した神ご自身が、この世界の中に「人間」となって「到来」され、「御腕をもって統治」されるのです。これは神ご自身が人間となられた方によって、人類を罪の支配から解放し、御子イエスの中に働く神の霊的生命を与え、人間を新しく生かし、神の恵み深い意志に自ら喜んで従うようにされる。言い換えれば神の子と呼ばれる新しい人間、つまり神の国の民とされることです。
 要するに、これまで神に反抗している罪人をご自身の民として獲得されるのです。このことが、「見よ、主のかち得られたものは御もとに従う」という意味です。これが第二イザヤに啓示された「福音の内容」です。実にこの預言は主イエス・キリストによって実現しました。
 今日の高齢者社会で、孤独死が多発しています。そのようは方々はこれまで自分なりに一生懸命に生きて来られたのですが、自分が何もできなくなったとき、誰も助けてくれないと言う絶望感で死を選ばれたのだと思います。他方、日本の政府は、富に対する欲望を追求して、国会でカジノを日本にも作る法案を成立させようとしています。観光都市として、外国の訪日者を呼び込もうとの魂胆なのでしょうが、その結果、カジノ依存症を併発し、また暴力団の資金源を提供することになります。この矛盾した社会の傾向を見ると、人間の支配する世界には、人を共に生かす思想と能力が欠けていることを、痛感させられます。
 このような矛盾した悲惨な世界の中に、主イエス・キリストは救い主として来られたのです。それゆえ、主キリストの福音を聞いて、主イエスを信じるとき、人は誰でも主キリストの支配と、義と、命と、自由が与えられ、神の御前で、他の人たちと共に生きる社会の建設が可能となっているのです。
 また、主イエスとの信仰による人格的な交わりの中で、人はどのような困難な状況の中でも、心に平安を持ち、人を愛するために共に苦労を担うと言う愛の逞しい生き方ができるのです。そのような仕方で、この世界の貪欲と不正に打ち勝って、共に生きることが可能とされているのです。
 従って、この世界は、すでに主イエスの支配の中に置かれているのです。主の支配は貪力と不正に打ち勝っているのです。わたしたちはこのことを感謝し、神の栄光を称えるのです。これがクリスマスの意義です。讃美歌(21)256番6節で次のように歌っています。
 「愛する主イエスよ、今ささぐる 一つの願いを 聞きたまえや。
 この身と心を 主のまぶねとなし、とはに宿りたまえ。」
作者 パウル・ゲルハルト(1607~1676年)



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