2016-11-20(Sun)

御言葉の実行 2016年11月20日の礼拝メッセージ

御言葉の実行
中山弘隆牧師

 お前たちのささげる多くのいけにえが/わたしにとって何になろうか、と主は言われる。雄羊や肥えた獣の脂肪の献げ物に/わたしは飽いた。雄牛、小羊、雄山羊の血をわたしは喜ばない。こうしてわたしの顔を仰ぎ見に来るが/誰がお前たちにこれらのものを求めたか/わたしの庭を踏み荒らす者よ。むなしい献げ物を再び持って来るな。香の煙はわたしの忌み嫌うもの。新月祭、安息日、祝祭など/災いを伴う集いにわたしは耐ええない。お前たちの新月祭や、定められた日の祭りを/わたしは憎んでやまない。それはわたしにとって、重荷でしかない。それを担うのに疲れ果てた。お前たちが手を広げて祈っても、わたしは目を覆う。どれほど祈りを繰り返しても、決して聞かない。お前たちの血にまみれた手を洗って、清くせよ。悪い行いをわたしの目の前から取り除け。悪を行うことをやめ/善を行うことを学び/裁きをどこまでも実行して/搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り/やもめの訴えを弁護せよ。
イザヤ書1章11~17節


 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。彼らの律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
マタイによる福音書7章24~29節


(1)主イエスの命令
 本日の聖書はわたしたちが良く知っている箇所で、次のように主イエスの御言葉が記されています。
 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(7:24)
 「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。」(7:26)
 イエスの教えは、日常生活の身近な事柄を譬に用いて語られていますので、非常に印象的で、しかも生命感にあふれています。イエスはこの御言葉を語られる前に、山上の説教において、人間の生き方について教えられました。しかしそれは一般的な人間の生き方ではなく、今や主イエスを通してこの世界の中に開始している神の国での生き方を教えられたのです。そしてそれらの教えを終えるにあたって、特にこの御言葉を語られました。
 山上の説教を聞いて、それを実行する者は、岩の上に自分の家を建てる賢い人に譬えることができると仰せられました。これはどういう意味でしょうか。家とはその人の人生を表しています。家を建てるとは自分の人生を築くこと、すなわち自分の人生を形成すると言うことです。
 そこで、イエスは、わたしの教えはそれを聞いて実行することによってのみ、意義があるのだ。そうすることによって、あなたの人生は神の国で生きる人生として形成されるのだと仰せになりました。言い換えれば、イエスの教えと、それを実行しなさいと言う命令は、実行する力と知恵と命を主イエスが与えてくださると言う意味を含んでいます。この点が、主イエスの支配が世の権力者たちの支配とは全く異なる所以です。世の権力者は自分の利益のために、人々を強制して、自分の命令を実行させようとしますが、実行する力を与えることはありません。否、できないのです。それに対して、主イエスはご自身の命を与えることによって、命令を実行できるようにして下さいます。
 従いまして、主イエスの命令はあなたにそれを実行させてあげようと言う約束なのです。元々神の命令はそのような性質を持っていました。
 神の第一の戒めは、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」(マタイ22:37)ですが、ギリシャ語では、この命令形の動詞が未来形の動詞で表現されています。すなわち、「あなたの神である主を愛しなさい」と言う箇所は、「あなたはあなたの神である主を愛するであろう」となっています。
 第二の戒めも、「隣人を自分自身のように愛しなさい」と言う箇所も「あなたは隣人を自分自身のように愛するであろう」(マタイ22:39)と書かれています。また山上の説教で取り上げられた主イエスの教えの中にある命令は、二人称の場合、「未来形の動詞」で表現されています。従って、主イエスの命令は「あなたはわたしの命令を実行するようになるであろう」と言う約束なのです。

(2)復活の主イエスの支配
 今、わたしたちが聖書を読んで、その中で出会う方は復活の主イエスです。つまり、確かに聖書に書かれているイエスの御言葉は、地上で過ごされたイエスが語られた言葉ですが、その言葉を通して復活の主イエスはわたしたちに語っておられるのです。
 なぜならば、イエスが地上で語り、行動されたことは一回限りの歴史的出来事であるゆえに、そこにおいて、神様がイエスを通してご自身を現わされたと言う永遠の価値を持っているからです。同時に、イエスの一回限りの歴史的行為を通して、神は人類の救いを実現されたという永遠の価値を持っているからです。
 それゆえ、死人の中から復活し、神の国の支配者として、救いの業を前進させておられる主イエスは、地上で語られたご自身の言葉と行為をもって、わたしたちに語り、わたしたちに対して働かれるのです。このようにイエスは単なる過去の教師ではなく、主となって今働いて、わたしたちを支配し、導いておられる方です。
 次に、主イエスがわたしたちとどのような関わりを持っておられるかを説明し、信じるようにするのが福音なのです。すなわち、主イエスはわたしたち罪人の代理人となり、わたしたちの罪を担って神の裁きを受け、死んでわたしたちの罪を贖ってくださいました。それゆえ父なる神はイエスを死人の中から復活させ、神の国の支配者、すなわち「主」とされました。このことを福音が語っています。
 ペンテコステの日に初めて福音を語った使徒ペトロは次のように言っています。
 「だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたは十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(使徒言行録2:36)
 ここで、ペトロは十字架の死によって、人類の罪を贖われたイエスを神は「主」とされた。そのことによって、今やイエスは実質的に、「救い主メシア」とされたと言っています。
 次に、使徒パウロは十字架の死と復活により、主イエスはわたしたちが神の御前に生きるために必要な義と命になられたと言っています。
 「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(コリント一、1:30)
 さらにこのように言っています。
 「だから、キリストと結ばれた人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じたのです。」(コリント二、5:17)
 このように、人は皆主イエスを信じて、主イエスと結ばれるとき、主イエスにおいて新しい人間とされたのである、と言っています。
 新約聖書では、クリスチャンの主イエスに対する関係を「主イエスに結ばれた者」として言い表しています。ギリシャ語の原文では、この言葉は「主イエス・キリストの中にある者」と言う意味です。従いましてクリスチャンは主イエスと結ばれた者として、主イエスの中に自分の新しい存在が与えられているのです。

 さらにわたしたちの新しい存在は主イエスの御手の中に保存されていると、パウロは言っています。
 「あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。」(コロサイ3:3)

(3)実行の必要性
 要するにこれらの言葉は、わたしたちすべての罪人は主イエスの十字架の犠牲によって、救われた者として、復活の主イエス・キリストの中に新しい自分の存在が与えられていると証言しています。
 さらに、そのような新しい存在として、神の国に生きることができるのは、復活の主イエスの支配の中で可能である。従って、主イエスの命令を聞き、その命令を実行することによって、神の御前に生きるのである、と教えています。
 つまり今日わたしたちは主イエスの教えを真剣に受けとめ、真剣に実行しているか否かが、一人一人に問われています。福音主義的信仰に堅く立っていた敬虔なドイツの牧師ブルームハルトは、福音の威力を多くの人々に示した有名な牧師です。彼の力強い言葉は、福音を誤解して眠っているクリスチャンたちに覚醒を促します。
 「彼らは人間の救いのすべてが主イエスの恵みによると言う福音を誤解している。彼らは主イエスがすべてをしてくださるのだから、自分たちのすべての重荷を主イエスに委ねて、自分たちは何もしなくてもよいと言って、枕を高くして安眠をむさぼっている。しかし福音はそのようなことを語っているのではない。福音はわたしたち信仰者が主イエスの業に参加し、神に仕えることを語っているのだ」と言いました。
 確かに、人間の救いは人間の努力や人間の功績によって達成できるのでなく、純粋な神の恵みによるのです。さらにそれを信じる信仰によるのです。しかし、そのことはわたしたちが何もしなくてもよいと言う意味では決してありません。
 なぜならば主イエスを通して働く神の救いが人間の中に開始されるとき、人は神の御前に生きるという「新しい体験」が始まるからです。そのために主イエスの命令を実行することが必要なのです。
 これはわたしたちの毎日の生活と密接に繋がっています。わたしたちは聖書を読むことによって、復活の主イエスの御言葉を聞きます。そのことを通して主イエスと出会うのです。生ける主イエスの御前で、祈るとき、聖霊の働きにより、主イエスの思いと行動と性質が示され、わたしたちは内的な力、霊的生命力を受けます。同時に今日一日のわたしたちの果たすべき務めと業とが示されます。それは自分の置かれた状況の中でしなければならない務めなのですが、それだけでなく、主がそうすることをわたしに欲しておられるのだと確かめて、自ら進んで実行するようになります。
 勿論、完全には主の御心を実行できないのですが、不思議にもある水準までは実行できます。これはわたしたちの日毎の体験となります。この体験の積み重ねにより、わたしたちは神の御前に生かされていることが分かります。感謝と喜びがわたしたちの心に湧き出て、わたしたちに平安と確信が与えられます。
 この体験により、神の恵みと愛が分かるのです。主イエスの支配の働きが納得できるのです。この体験は、わたしたちが神の御前に生かされていると言う揺るがない自覚を与えます。しかしこのことは他の人に対して、決して自慢する材料ではありませんが、神の御前で、謙遜な思いで、感謝の念に満たされます。このように主イエスの御言葉は実行することによって、自分が主イエスの義と命に生かされていることが認識できるのです。
 それゆえ、主はわたしたちと出会い、ご自身を示し、わたしの言葉を実行しなさいと仰せになるのです。福音書を読めば主イエスは随所で、わたしに従い、わたしの命令を実行する者は天において報を受けるであろうと仰せになっています。ところで、主の仰せになる報いとは二つの側面があります。
 目には見えない神、しかもわたしたちの隠れた部分までも見ておられる人間の思いを越えた聖なる神の御前で、今この地上で生かされていると言うこと、これが一つの面です。
 しかし今、神の御前で生かされていると言うことは、神を信じない世の人々には説明しても分かって貰えることではありません。それでもこのことは命と自由と平安の霊的現実として、自分にとって最も大切な事柄です。わたしたちにとって、さまざまな困難を乗り切る力の源泉となっています。
 もう一つの面は、わたしたちが主の御言葉を実行することは、神に喜ばれる良い業として永遠の神の国に保存されているということです。主イエスが再臨し、この世界が過ぎ去り、永遠の新しい世界が現れるとき、その業も現れ、神の栄光を反映させ、神を賛美する働きとして、いつまでも存続するということです。
 言い換えれば、この地上で主イエスに従い、御言葉を実行する労苦は、この地上で永遠の世界の実を結びつつあると言う側面です。

(4)神の働きを反映させる人間の行動
 最後に、主イエスの命令はわたしたちが自分の言葉と考えと行動を通して、主の性質と行動を映し出すようになるためです。しかし、そのためにわたしたちは信仰によって、聖霊に心を照らされ、主イエスの地上の人生と十字架の贖いの死を通して現された神の愛を認識するだけでは不十分なのです。
 なぜならば神の愛は認識によってではなく、実践によって初めて体験できるからです。それゆえ、主イエスはわたしたちに愛の実行を命じられる主権者です。
 わたしたちは御声を聞いて、愛を実行することによって、神の愛に生かされる者となります。さらに重要なことは、愛の業は必然的に労苦を伴います。労苦を嫌って、楽をすることを願っている人がこの世には多いのですが、それは愛することが何であるかを知らず、自己中心的に愛を考えているからです。
 他方、自ら進んで労苦する者はその人の中に復活の主イエスが働いておられます。それゆえ、使徒パウロは自ら進んで労苦を担うことは自分が主イエスに従い、主イエスの働きに参加することであると自覚し、次のように言っています。
 「そればかりでなく、苦難をも誇りとしています。」(ローマ5:3)それゆえ、わたしたちは神に祈り求めながら、わたしたちの能力の限界内において、謙遜に、しかも精一杯の努力することが重要です。 こうするとき、クリスチャンは「主イエスに結ばれた」新しい人間として、主イエスの復活の命に生きることができるのです。



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