2016-11-06(Sun)

聖徒の国 2016年11月6日 聖徒の日礼拝メッセージ

聖徒の国
中山弘隆牧師

 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ/汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ/愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず/獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み/主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて/喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え/嘆きと悲しみは逃げ去る。
イザヤ書35章8~10節
 

 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
エフェソの信徒への手紙1章3~10節


(1)天上の聖徒と共に
 本日は永眠者を記念する「聖徒の日」ですので、日本基督教団に属する諸教会は、既に天に召された方々を覚えて礼拝を守っています。
 聖徒とは、主イエス・キリストの十字架と復活による罪の贖いと主イエス・キリストの恵みの支配の中に入れられ、神の民とされている人たちです。言い換えれば、主イエスによる救いの過程に入れられている人たちのことです。それゆえ聖徒たちは二つに分類されます。
 一つは既に地上の生涯を終え、神の御許に受け入れられ、神の御手に隠されている人たちです。一つは地上で生活しているわたしたちです。それにしても、天上にいる聖徒たちと地上で生活している聖徒たちは、救いの完成する天国が最終的な居場所として定められています。この最終的な居場所はまた聖徒たちの本国と呼ばれています。使徒パウロは次のように言っています。
 「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピの信徒への手紙3章20節)。
 それゆえ、天国を本国として与えられている聖徒たちの繋がりを覚え、共に神を賛美することが聖徒の日礼拝の意義であります。
 わたしたち人間はいつまでも地上で過ごすのではありません。その生命は有限です。しかし、天に召された方々の存在と人格と人柄は決して無に帰したのではありません。すでに地上の人生は終わりましたが、その存在は今や主イエスの御手の中に保たれていますので、わたしたちと深く繋がっています。
 地上において、わたしたちと一緒に過ごしたときの思い出とともに、その人自身の存在の意味は、今では地上で過ごした時よりも一層尊いもの、感謝すべきものと感じられ、わたしたちの慰めと励ましになっています。その理由は、既に天に召された方々の存在は主イエスがその人の中に働き導きかれたものであるゆえ、わたしたちにとってその人の有難さが一層よく分かるようにされているからだと思います。
 よく親が死んでから、親の有難さが分かるようになり、親の生きている間にもっと親孝行しておけばよかったと言う人がいます。確かにその気持ちは分かりますが、親に対する感謝を神に対する感謝として、今自分が親のように一生懸命に生きることが大切であると思います。
   
(2)人生の究極目的
 それゆえ、わたしたちにとって、自分たちの本国は天国であることを十分に理解し、感謝し、天国に至る人生を一層熱心に歩むことが、わたしたちに与えられている人生の最大目標であります。本日の聖書の箇所のエフェソの信徒への手紙1章は、次のように語っています。
 「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになりました。」(エフェソ1:4~5)
 実に真理であり、義であり、愛であり、善である全知全能の神が世界と人間を創造されたとき、既に永遠の目的を設定し、その目的を実現するために、今や世界と人類の救いの業を前進させておられます。しかもこの広大で遠大な神の計画と業とが「主イエス・キリストを通して」実現されつつあります。この視点から見ると、神がこの世界と天国でなさるすべてのことが主イエスを通して示されています。
 それは何か。実に神の御子イエス・キリストによって、全人類が一人の例外もなく、御子イエスに似る者として、過ぎ去らない、永遠の天国で、神の御前で共に生きるということです。
 神が神であるということ、すなわち神の栄光が限りなく現れることは、神が究極目的を設定し、その目的を実現されることです。神がその目的を御子イエスによって、御子イエスの中で、実現されることです。しかもこれらすべては神の「自由なる」決断と実行によるのであり、神はそのことを「喜ばれる」のです。
 そういう意味で、神はすべての人間を主イエス・キリストの中に存在する者として選ばれました。聖書において、神の選びという考えは非常に重要です。その選びはアブラハムから始まりました。しかし聖書は、神に選ばれたのはアブラハムの子孫であるイスラエルの民と言うのではなく、アブラハムの一人の子孫に集中している。つまりそれはイエス・キリストであると言っています。使徒パウロはガラテヤの信徒への手紙でこのように言っています。
 「アブラハムとその子孫に対して約束が告げられましたが、その際、多くの人を指して『子孫たちとに』とは言われず、一人の人を指して『あなたの子孫とに』と言われています。この『子孫』とは、キリストのことです。」(ガラテヤ3:16)
 それゆえ、エフェソ1章4節で、「キリストにおいてお選びになりました」と言っているのは、正に全人類がキリストの中に存在する者として、神が創造され、救われるという意味です。
 なぜなら、このことに関してエフェソ1章10節で次のように言っているからです。「こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。」(1:10)
 ここで、「あらゆるもの」とは全人類です。一人の例外もなく、すべての人間が救われるという意味です。
 キリストを頭として、中心にしてすべての者が結びつき、そこに大いなる調和が実現するのです。無数の人間の個性の違いという多様性の中で、一人一人がそれぞれの仕方で、キリストの性質を映し出しますので、そこに豊かな調和が出現するのです。
 それでは、すべての人間が救われる「根拠」はどこにあるのでしょうか。それはキリストの十字架の贖いです。エフェソの信徒への手紙は永遠の選びを実現する手段として、その唯一の根拠として、1章7節で次のように言っています。「わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。」(1:7)
 神に創造されたわたしたち人間は、アダム以来、神に背き神から離れてしまった罪深い人間です。その結果、神は御子イエスの十字架の死によって罪を贖い、罪人を赦し、神の子としてくださったのです。実にこの御子イエスの死による贖いから漏れる人は誰一人としていません。ここにすべてのものが選ばれ、すべてのものが救われる根拠があります。
 なぜなら、神の御子イエスの十字架の死における徹底的な従順において、人間の罪を裁く神の義が貫徹したからです。それゆえ、人間に対する神の義が主イエスの中で貫徹した結果、主イエスの中に人間の救いが実現し、救いの完成が保証されているのです。

(3)主に従う人生
 それゆえ、わたしたちが救われるためには、主イエス・キリストを信じ、主イエスに従うことにより、主イエスの義と命に生きることが必要なのです。そのような生き方をする者は、地上の生活の中で、すでに天国の実を結びつつあると言えます。
 他方、十字架の贖いをまだ信じない人は、どうなるのでしょうか。この地上の生活の中で、天国の実を結ぶことはできないのでしょうか。そうではありません。なぜならば、キリストはすべての人のための贖いとしてご自身を与えられたからです。
 この点につきまして、キリストご自身がマルコによる福音書で仰せになっています。 「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)。
 ここで「多くの人」とは「すべての人」という意味のヘブル語の表現なのです。それゆえ、すべての人は主イエスによって罪から贖われているのです。この事実により、すべての人が主イエスの中に新しい自分の存在を与えられ、主イエスに従うようになっているのです。
 それにしても、主イエスを信じないで、主イエスの支配を受け、主イエスに従っているとはどういうことなのでしょうか。それは主イエスの支配が二つの領域でなされているからです。
 一つは教会であり、一つは国家あるいは社会です。教会において、主イエスはご自身を現わし、命令し、クリスチャンはその命令に従うことによって、神の御前で生きています。それに対して、国家や社会の中では、主イエスは隠れた形で、人々と出会われます。主イエスは社会的不正の犠牲となって苦しんでいる貧しい人たちを通して人々と出会っておられるのです。この貧しい人たちを助けてくれる人はわたしにしてくれることであると仰せになっているのです。
 そのように主イエスを知らなくても、目覚めた良心をもって、隣人に対して愛の業を実行する人々は、主イエスに仕えているのです。信仰がなくても、その愛の業は主イエスの命令に従っているのです。そのことによって神の御前に生きており、その愛の業は主イエスの中に保存されています。

(4)主と共にいる聖徒たち
 最後に、主イエス・キリストが再臨され、すべての人間が復活させられます。そのときすべての人の救いが現れます。同時にそれは主イエスの審判を通して現れます。
 主イエスはそこでクリスチャンに対しては、主イエスを最後まで信じ通すこと、主イエスの命令を実行すること、愛の労苦を喜んで負うこと、また神に赦された者として、人を赦すこと、さらに救われると言う希望をもって、最後まで忍耐することが問われます。つまり、信仰が愛と希望を通して働いたかどうかを、主イエスは判定し決定されるのです。
 しかし言い換えれば、結局それは主イエスがクリスチャンの中で働かれたご自身の働きの実について、最終的な決定を下されることなのです。
 他方、クリスチャンでない人たちに対しては、主イエスの命令はその人の良心の中に、社会的また個人的に、隣人に対する規範として記されております。しかも主イエスが貧しい隣人としてその人に出会っておられます。
 従って、クリスチャンでない人々に対して、クリスチャンに対すると同様に、主イエスご自身の働きの実について最終決定を下されます。
 最後の審判は、つまり主イエスのご自身の働きの収穫の取り入れです。主イエスの働きの領域は教会と国家との二つでありますが、どちらも主イエスの働きの場であり、畑なのです。
 収穫期になると畑で結んだ実を集め、それを天国の倉に納められます。そして実ではない殻は火に燃やして処分されます。勿論、主が再臨され、すべての人が復活される暁には、すでに実ではない殻は処分されているので、復活することはありません。
 それゆえ、天国に復活させられるすべての人間は、最早自分の功績を誇ることはありません。すべてのことはわたしたちの中での主イエスの働きの収穫であることを知り、感謝するからです。そして神を賛美するのです。そこに愛による大きな調和の中ですべての者が主イエスの命と義と聖に満たされ、主イエスの性質を映し出して、神の栄光を現すのです。
 自分の罪、悪い思いと行動はすでに消え去ったのもとして、神の国には存在しないのです。その根拠は、主イエスの十字架の死と復活の中ですでに生起しているからです。言い換えれば、すべての人間は主イエスの十字架と共に死に、主イエスの復活と共に神の御前に生きているからです。
 それゆえ、わたしたちが地上で信仰生活をするときに、復活の主イエスは常に罪の赦しを通して、わたしたちと出会われます。そのとき、「わたしはあなたの罪を赦した。それゆえ今後、あなたは罪を犯してはならない。」「わたしに従って、わたしの命令を実行し、人を赦し、愛と正義と公平の善き業を行ないなさい。」と仰せになります。主イエスの御言葉に従って、わたしたちは常に自分の中にある悪い思いと行いを古い自分と一緒に後ろに投げ捨て、主イエスの方に向かい、主イエスを見つめて、主イエス従うことがわたしたちの信仰生活です。
 その終着点は永遠の国であり、そこでわたしたちの一番慕っている主イエスを目の当たりに見ることができるのです。同時に、主イエスの性質を映し出したすべての人と出会うのです。その人たちはわたしたちが尊敬する人たちです。再会を感謝し、喜び合い、共に主イエスの救いを通して現れた神の栄光を賛美するのです。
 その時が主イエスの再臨です。わたしたちは愛する方々と共に、主イエスの十字架の死において現れた神の贖罪愛に満たされ、愛に燃え立つ心をもって、神を賛美するのです。
 「こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」(エフェソ1:14)



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR