2016-10-23(Sun)

生涯の献げ物 2016年10月23日の礼拝メッセージ

生涯の献げ物
中山弘隆牧師

 穀物の献げ物を主にささげるときは、上等の小麦粉を献げ物としなさい。奉納者がそれにオリーブ油を注ぎ、更に乳香を載せ、アロンの子らである祭司たちのもとに持って行くと、祭司の一人がその中からオリーブ油のかかった上等の小麦粉一つかみと乳香全部を取り、しるしとして祭壇で燃やして煙にする。これが燃やして主にささげる宥めの香りである。穀物の献げ物の残りはアロンとその子らのものである。これは、燃やして主にささげられたものの一部であるから、神聖なものである。
レビ記2章1~3節


 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
マルコによる福音書12章41~44節


(1)本当の献げ物
 福音書には、主イエスを感動させた出会いや出来事が幾つか伝えられていますが、本日の聖書の箇所もその一つです。
 「イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。」(12:41)
 聖書の註解書を見ますと、これはエルサレム神殿の光景です。エルサレム神殿は、一番奥に聖所があり、その前に三つの庭がありました。聖所に近い第一の庭には男性だけが入ることができ、その外側の庭には女性だけが入ることができました。さらに、女性の庭の境はイスラエルの民と異邦人とを区別する壁で囲まれており、異邦人が入ることのできる庭は一番外側にありました。
 人々が献金する場合に賽銭箱に金を入れるのですが、賽銭箱は女性の庭の壁の周りに13個設置されており、金属製の「ラッパの形をした箱」であったといわれています。
 イエスはちょうど神殿の庭や回廊で、律法学者や祭司たちのグループと激しい論争の後、疲れて異邦人の庭に行って静かに座っておられたのでしょう。目の前にラッパの形をした賽銭箱があり、群衆がそれらの賽銭箱に金を投げ入れていました。
 神殿の費用にその献金は充てられていましたが、これは自発的な献金でしたので、人々は思い思いに献げていました。中には多額の献金をする人たちもいました。
 「ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。『はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、誰よりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。』」(12:42~43)
 ここで、聖書はイエスが、「弟子たちを呼び寄せて言われた」と記しています。これは主イエスが重大な発言や決定をされるときの状況を表しています。例えば、十二人の弟子たちを選ばれたとき、イエスがご自分で望まれた人たちを呼び寄せられたと書いてあります。また神の国がイエスを通して今ここに、来ていることを知らせるために、弟子たちを身もとに「呼び寄せて」彼らに言われたと、聖書に記されています。
 さらにここで「はっきり言っておく」とイエスは仰せられました。この言葉は非常に強調したイエス特有の言い方です。日本語に訳するには難しい表現です。直訳すれば「このわたしが真にあなたがたに言う」という言い方です。とにかくこれはイエスの重大な発言であることを表しています。
 このことを考慮しますと、一人のやもめの献金を見て、イエスは非常に感動され「ここに献金する者の本当の姿がある。」と仰せられたことが分かります。
 先ほど申しましたように、神殿には13個のラッパの形をした金属製の賽銭箱が置かれており、そこに投げ入れられた硬貨がチャリン、ガチャンと派手な音を出すので、この庭は騒がしい空間でした。しかし、イエスの耳は最も微かな音に波長を合わせて共鳴したのです。
 レプトン銅貨とは当時流通していた最小の貨幣です。レプトン二枚はローマの貨幣に換算しますと1クァドランスであると説明しています。因みに、これはマルコによる福音書がローマで執筆され、ローマにいる信徒のために書かれたということを暗示しています。
 この献金がイエスの目には、「一番多くの献金」として映りました。「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりも沢山入れた。」と仰せられました。その理由をイエスは次のように説明しておられます。
 「皆は有り余る中から入れたが、この人は、貧しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」と言われました。それでは献金の多少は、献金額と自分の所有する金全体との比率によって決まるのでしょうか。
 イエスが仰っているのはそうではなく、このやもめの献金は神に対する信頼と愛から出たものであるので、神様が喜んでくださると言う意味です。
 神の目には人間の心の中の思いはすべて明らかです。献げ物をする場合に、人はどのような動機でするのか。不本意な気持ちで仕方なくするのか。あるいは売名や自己宣伝のためにするのか。もしそうであるとするならば、その献げ物は半分以上その値打ちを失っているのです。しかしそうではなく、愛する心から献げるのか。その場合、愛する心でそうせずにはおられないという内から湧き出る気持ちで献げるならば、それは本当の値打ちがあるのです。
 神の前では、わたしたちの愛のいかなる献げ物も、数えるには余りにも小さ過ぎるということはありません。また神の前では、人間のいかなる生活も人と分ち合う義務から免れることもあり得ません。
 実に、愛の業によって神の国は前進しているのです。初代教会以来のキリスト教の歴史を顧みますとき、貧しさの中からいかに大きな献げ物が為されて来たかは明らかです。それは金銭だけのことではなく、信仰者たちの生涯の献げ物、職業を通して、神の栄光のために働き、思想や芸術の様々な能力、技術を神に献げることにより、キリスト教会は形成されてきたのです。

(2)愛の労苦
 それでは愛の献げ物とはどのような性質を持っているでしょうか。二つのことがそれについて挙げられるのではないかと思います。
 第一は、それは犠牲を伴うということです。本当の愛の業は、自分の持ち物を裂いて与えることですから、それを与えた後しばらくは苦しい状況が続くことでしょう。或いは自分が楽しみにしていたことを中止して、自分の労働で得たものを献げなければなりません。また献げるために自らの手で働けなければなりません。必然的にそこには労働の苦労が伴います。愛の献げ物をするためには人はだれでも具体的に汗水を流して働くことが必要です。
 パウロはテサロニケの信徒への手紙一、1章2~3節で、次のように言っています。
 「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」
 ここで、パウロはテサロニケ教会の人たちの「信仰の働き」「愛の労苦」「希望の忍耐」を常に思い起こし、神に感謝しています。非常に印象的なのは、パウロは愛の業と言う代わりに、「愛の労苦」と言っている点です。このようにわたしたちが人を愛し、神を愛し、教会に仕えるためには、愛の労苦が必要なのです。
 一般的に言えば、労苦を伴わない愛は存在しません。いつでも喜んで、自発的に労苦するのが愛の特質です。さらに犠牲を伴う献げ物をするには、つねに信仰の働きが必要です。すなわち、神が自分をいかなる時も守り、支え、必要な物を与えてくださるという確かな信仰が必要です。きっとこの貧しいやもめは、自分の生活費全部を献げても、この後は神様が守っていてくださると信じていたに違いありません。

(3)時を知る愛の業
 第二に、愛の献げ物は時に適っている、愛はその時を知っていると言えます。また、愛はそれを行う機会がただ一回しかないことを知って、その時期を決して逃さないと言えます。
 イエスが十字架につけられる時が近づき、ベタニアのシモンの家で、食事の席に着かれた時、一人の女性が高価なナルドの香油の入った壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけました。
 その大胆な行為に驚いた人々は、「なぜ、こんなに香油を無駄使いしたのか。この香油は三百デナリオン以上で売って、貧しい人々に施すことができたのに。」といって、その女性を非難しました。
 しかし、主イエスは「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときに良いことをしてやれる。しかし、わたしはいつも一緒にいるわけではない。この人はできる限りのことをした。前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。はっきり言っておく。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」マルコ(14:7~9)
 このように一つ一つの愛の業は、最も必要な時に行われているのです。本当の愛の業は、その時を逃しては実行できないのです。その時には、向う見ずに、惜しげもなく、献げることが必要なのです。

(4)自分自身を献げる
 次にわたしたちのなす愛の業は、神が主イエスにおいて、わたしたちを愛し、わたしたちにご自身を与えてくださったことに対する感謝の応答です。使徒パウロはこの点について、次のように言っています。
 「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(コリント二、5:14~15)
 聖書はわたしたちにいつも主イエスの人間に対する自己譲与の福音を語ります。そしてその福音が真剣に聞かれる所に、自発的な愛の業が沸き起こるのです。愛は福音の結ぶ実として、いわば麗しい実として実現します。有名な英国の神学者フォーサイスは「恵みの福音」について、この点を強調しています。
 「先ず、神が罪人をいかに愛してくださったかを語れ。次に、この神の愛に対する人間の回答は信仰であることを語れ。そうすれば信仰から愛は自然と成長する。信仰が人間に愛する力を与えるのでなければ、人間は愛することは不可能である。しかし、信じるならば愛を必ず実行することができる」と教えています。
 従いまして、わたしたちの生活全体は、この「恵みの福音」に対する感謝の応答としてなされるのです。
 先ず、主イエスがわたしたちの救いのために、ご自身を与えて下さったことに対するわたしたちの応答の第一が信仰です。次に第二の応答が、愛の実践です。さらに第三の応答が、永遠の救いに入れられると言う希望と確信です。忍耐を持って信仰の人生を送り、自己の死を受け入れ、死を越えて、復活させられるのです。
 実に信仰と愛と希望によって、わたしたちは主イエスと結ばれ、主イエスによって神の御前に生きるのです。しかも、信仰と愛と希望は主イエスがわたしたちに与えられる聖霊の働きなのです。
 正に主イエスが神の御子として、地上の人生を歩み、十字架の死と復活により、今や救い主として働いておられるのは、福音を聞いて信じる者たちが主イエスと結ばれて、主イエスに従うことによって、主イエスの義と命に生かされるためです。
 そのような者たちとして、わたしたちは礼拝において、主イエスと出会い、主イエスに感謝の応答として、自分の存在と生涯全部を主イエスに献げるのです。福音的信仰は、主イエスがご自身をわたしたちに与えて下さったのですから、わたしたちは自分の全部を主イエスに献げるのです。そしてその献身は礼拝の中でなされます。それは一週間の生活を信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐の時として送るためです。
 復活して、今や神の国の支配者となられた主イエス・キリストはわたしたちを支配し、導き、わたしたちが主イエスに従い、主イエスの命令を実行することによって、神の御前に生きるようにして下さいます。それゆえ、わたしたちは地上における主イエスの歩みを理解し、主イエスの御心、性質、神への従順、祈りの霊的な意味を知り、主イエスの歩みを追体験するのです。
 なぜならば、復活の主イエスは地上で歩まれたご自分の人生を、主イエスに従う者たちの中で、ご自身が歩まれた古代の状況とは全く異なる新しい状況の中で繰り返されるからです。しかも御自分とは異なる無数の人間の中に、ご自分の歩みを繰り返されるのです。それがどうして可能かと言えば、今や復活し、神の国の支配者となられた主イエスは「神と」して働いておられるからです。正にそれが救い主の働きです。それゆえ、使徒パウロは言っています。
 「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)
 キリストがわたしたちの中で働き、命じ、導いておられることを信仰によって知るので、わたしたちは喜んで、思いを尽くし、力を尽くし、善き業をなし、隣人を愛し、神を賛美するのです。



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