2016-10-02(Sun)

イエスの確信 2016年10月2日の礼拝メッセージ

イエスの確信
中山弘隆牧師

 終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい、多くの国々が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。
ミカ書4章1~3節


 また、イエスは言われた。「神の国は次のようなものである。人が土に種を蒔いて、夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
マルコ福音書4章26~32節


(1)イエスの譬え話
 本日は、イエス・キリストの地上における宣教活動が何であったかを考えます時に、マルコによる福音書は以下のように要約しています。1章14で次のように言っています。
 「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の国の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。』と言われた。」(マルコ1:14~15)
 ここで福音とは「喜ばしい知らせ」という意味ですが、但し、単なる喜びではなく、最高の喜びを知らせる神のメッセージです。なぜならば、神は人間を救うためアブラハムの召命から始まる長い歴史を導いて来られましたが、今やその「時」が満ちたのです。
 ところで、人類に対する神の救いとは神の国の到来に他なりません。ここで神の国とはイエス・キリストの福音宣教を通して開始した「神の支配」を意味しています。神様がわたしたち人間の存在と生活全体に対する恵み深い支配者となられたということです。
 さらに神の国はイエス・キリストと不可分離です。本質的に結びついています。そのような方として、イエス・キリストは「神のもと」からこの地上に遣わされた方であり、ご自身はそのことを自覚して、福音を宣教されました。
 つまり、宣教の力はイエスの自覚にあります。そのようなイエスの自覚と確信をイエスは多くの譬え話を用いて弟子たちに教えられました。

(2)神の国の開始と完成
 本日の箇所であるマルコ4章30~32節とマルコ4章3~8節は神の国の開始と完成に対するイエスの確信の表明です。先ず、マルコ4章30~32節は皆様が良くご存じのように「からし種」の譬えです。
 元々、からし種の譬えはパン種の譬えと一対となっていました。この点マタイ福音書とルカ福音書は最初の伝承に忠実で、二つをペアーにして並べています。ところで、からし種とパン種に共通する特徴は最初の状態は目立たないごく小さいものなのに、最後になるとその状態は輝かしい壮大なものとなり、最初と最後の両者の状態は全く対照的です。これが譬え話のポイントです。
 からし種は種の中で一番小さいと言われています。縫い針の穴と同じサイズで人の目が識別できる最小の大きさです。しかしその種が一旦蒔かれると、芽を出し成長し、大きな枝を広げ、樹木のように高くなります。枝の木陰に小鳥が来て巣をつります。ガリラヤ湖畔の丘では「からし菜」は、2メートル半から3メートルの高さになることで有名です。
 「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それはからし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(4:30~32)
 この場合、先ほど申しましたように、イエスが神の国をからし種に譬えられたときの着目点が重要です。それは開始の段階と完成の段階とが極めて対照的な点が、神の国はからし種と類似していると、説明されました。
 古代のパレスティナ地方の人たちの物の見方は最初の状態と最後の状態を観察して、物事を判断しました。それに対して、今日の人たちは、成長の過程を重視し、成長の原因を突き止めることを物事の理解の基本としています。従いましてイエスの譬え話を理解するには、この見方の相違を予め知っておくことが必要です。古代の人たちは、蒔かれたときのからし種が姿を消し去った後に、今や枝を張る大きな木となって出現している有様を目の前にして、生命に溢れているからし種の最終段階は、人智を超えた神の全能の力の現れであることを悟りました。そこに彼らの大きな驚きがあります。
 同様に、イエスによって開始した神の国は、最初の段階と最後の段階とを見ると、そこに驚くべき対照が現れる、とイエスは言われました。
 さらにイエスの譬え話を理解するには、もう一つ他の視点が必要となります。それはイエスが語られた当時の状況の中で譬え話を聞くことです。なぜならば、イエスが教えられた当時の状況と、福音書を編集した原始キリスト教会の状況は異なっていますので、福音書に記されているイエスの譬えは原始教会が自分たちの時代の要請に合わせてイエスの譬え話を編集しているからです。
 それゆえ、イエスの作られた譬え話をイエスの「実生活の座」に引き戻して理解するということです。どうしてそのようなこと可能なのかと言えは、福音書を注意深く読めば、イエスの生活の状況はある程度、推測できるからです。そういう視点を持った新約聖書の研究者たちの見解に従えば、この譬え話には自分が神から遣わされたというイエスの主張に対するユダヤ教徒の不信の念が、譬え話の背後にあるということです。
 彼らの不信の念は、イエスが語る神の救いの到来は自分たちが期待していた新しい世界とはおおよそ違っているという点でした。その一つの点は、イエスに従った「みすぼらしい群れ」の中には、世間で悪評を買った多くの人物が加わっているのに、それがどうして神の救いの共同体なのか、という疑問でした。しかしイエスは、わたしの群れが「神の救いの共同体」であると言われたのです。
 小さなからし種から大きな木が育つように、小さなパン種が練り粉全体を発酵させるのと同じ「必然的確かさ」をもって、神はわたしの小さな群れを救いが完成する終わりの時に、諸国の民を包括する大きな「普遍的な神の民」とされるであろうと、教えられました。
 「あなたたちは神が何をできるかを知っていない」と仰せられたのです。「あなたたちは聖書も神の力も知らないから、そんな思い違いをしているのではないか。」(マルコ12:24)と言われたのです。
 
 次の点は、マルコ4:3~8の譬え話です。これも皆様が良くご存知です。この譬え話をイエスの生活の場で理解する場合、先ほど申しましたように、自分は神から遣わされているというイエスの主張に対するユダヤ教側からの不信の念がこの譬え話の背景です。しかし、今回この疑問はイエスの弟子たちに対する批判ではなく、イエス自身に対する批判となっています。
 これはイエスの宣教が無駄に終わった(マルコ6:3~5)、それは全く徒労に過ぎなかったではないか。多くの敵対者を作っただけではないか(マルコ3:6)。そして離反者が増大したではないか(ヨハネ6:66)という事実を指摘しています。
 それゆえ、これらのすべての事柄はイエスが神から派遣されているという主張を論破しているではないか、というのがユダヤ教側の批判でした。それに対して、イエスはあの勇気ある農夫を見よと言って、種まきの農夫の譬え話をされました。
 マルコ4:3~8では、種を蒔いてもその種が育つために多くの障害がある。種を食べてしまう外敵、すなわち鳥やバッタなど、また種の育成を邪魔する雑草、さらにシルコと呼ばれる有名な熱風がある。しかし、この農夫はこれら多くの不利な条件に直面しても決して気落ちせず、豊かな収穫がもたらされるという彼の確信は少しも萎むことがなかったと、この譬えは語っているのです。
 特に4章8節の表現が際立っています。
 「またほかの種は、--実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍になった。」
 イエスの譬え話は、収穫段階にある畑全体に目を止めています。しかしこれは現実を超過した誇張的な言い方です。その理由はこの譬えは、終末的な神の収穫の豊かさを指摘しているからです。
 このようにイエスの宣教は、人の目にはその労働が無駄であるように見えようとも、また失敗が失敗に続くようであっても、イエスは喜びと確信に満ちておられたことを示しています。なぜならすべての失敗や人々の反抗を神様は無視して望みのない開始の段階から、神の約束された栄光の最終段階を生じさせられると確信しておられたのです。
 それゆえ「豊かな収穫」とは終わりの時に完成する神の国を表す聖書特有の言葉です。イエスはこの言葉を好んで使用されました。

(3)政治的メシアの誘惑に対する勝利
 最後に、マルコ4:26~29の「成長する種の譬え」は旧約聖書の中で伝統的なメシア観となっている「政治的なメシア」の誘惑にイエスが勝利されたことを意味しています。
 この譬え話の背景となっているユダヤ教のイエスに対する不信は、イエスが政治的なメシアであることを拒絶されたことがその原因です。彼らのイエスに対する批判と躓きは、次のような状況です。
 当時のユダヤ教には、祭司階級のサドカイ派と「律法」を救いの手段と見る律法学者やパリサイ派、その他の熱心党とヘロデ党などの幾つかの分派がありました。特に熱心党はメシアの救いに関して、政治的メシアを信じていました。超自然的な力を行使してローマ帝国の圧制を払いのけ、イスラエルを中心とする神の国をこの世界の中に実現することを、旧約聖書は預言していると理解し、その線上で政治的メシアを待望していました。
 それに対して、イエスは彼らの期待をことごとく裏切る態度を取られました。彼らのイエスに対する疑問は次の点です。
 「メシアの行動は今こそ時の命令であるのに、イエスはなぜ行動を起こさないのか。なぜイエスは罪人を排除し、純粋な共同体設立に着手しなかったのか。なぜイエスは異教徒の軛からイスラエルを解放するという合図を与えないのか。これらのイエスの態度は自分が神から派遣されているというイエスの主張に対する矛盾ではないか。」
 イエスの弟子たちの中にもそのような疑念を持つ者たちがいました。弟子の中には熱心党に属する者もいました。さらに、ユダはイエスが政治的メシアとして、最後まで行動を起こされないのを見て、イエスを裏切ったとも言われています。そのような疑問と反論の嵐の中で、イエスはその誘惑に勝利されたのです。
 それゆえ、イエスの確信は、神が約束しておられた神の国の到来は、神のもとから遣わされたイエスの福音宣教によって今や開始した。神は「この決定的な開始」をすでに実行された。神の決断においては最早それ以外に何も残っていない。要するに、神の国の開始は神の国の完成を「保証」している。実にこのことがイエスの確信の根拠なのです。
 イエスはこの確信を「収穫の時を忍耐して待っている農夫」の譬え話で表明されました。それは種を蒔いた農夫がその後、何もしないで、収穫の時を忍耐深く待ち続けている状態を描いています。すると神はその忍耐深い待望に豊かな収穫をもって答えられるというのが譬の最終段階です。穀物が成熟する時がくると、刈り入れ人は列をなして出て行って、そこに収穫の喜びによる歓声が響き渡るのです。この譬え話の強調点は「夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。」(4:27)と、「土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。」(4:28)です。
 要するに、この穀物の成長に関して人は何も知らない。神様だけが知っておられる。このように農夫にとって、長い待望の後に収穫が確かに来たのと同じ確かさをもって、「神の時」が到来する。終末の基準が満たされるならば、神は最後の審判と神の国の完成をもたらされる時が来る。
 これがイエスの確信でした。それまで忍耐強く待つことが重要であり、決して神に先回りすることをせず、神を出し抜くことをせず、完全に神に信頼して、一切のことを神に委ねることが重要であると、この譬えは教えています。
 従いまして、イエスの宣教の中心点は強い確信です。「神の定められた時は必ず来る」という確信です。要するに、あなたたちは神の力と行動を「現実化する」ことが重要である。すべての外見を無視して、神にのみ寄り頼め。これがわたしの確信であると、イエスは教えられました。
 同時に、この確信にとって、政治的メシアの誘惑こそ、悪魔の最大の誘惑でしたが、この点に関しても、イエスは誘惑に勝利されたことを、この譬え話は示しています。
 従って、イエスはこの時点で、自分が父のもとから遣わされた最大の使命は、ご自身の犠牲による人類の罪の贖いであると確信されたことを、この譬え話は暗示しています。



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