2016-09-25(Sun)

主の臨在と祈り 2016年9月25日の礼拝メッセージ

主の臨在と祈り
中山弘隆牧師

 【都に上る歌。】深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うのです。
詩編130篇1~4節 


 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。
フィリピの信徒への手紙4章4~8節


(1)祈りの必要
 祈りはクリスチャンの生命線であると言われます。わたしたちは空気を呼吸していなければ生きられないように、信仰者は祈らないと神様との関係の中で生きているという意識が薄れ、霊的生命が弱まってしまいます。また、思い出したように、時々祈る程度では、祈りとして不十分です。
 使徒パウロはフィリピの信徒への手紙4章6~7節で、愛するフィリピのクリスチャンにいわば遺言であるかのように「祈り」について勧めています。
 「どんなことでも、思い煩うのは止めなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いとをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:6~7)
 わたしたちは神様に造られた人間として、神に依存している存在であります。それゆえ、神に祈る必要があるのです。
 しかし、神に祈る場合には、クリスチャンは「主イエスにあって」祈るのです。言い換えれば「主イエスに結ばれて」と祈るのです。
人はそうすることによってのみ、自分の祈りが必ず聞き上げられるのです。このことが祈りの第一の意味です。
 次に、祈りの第二の意味は、「何事につけ、感謝を込めて祈りと願いとをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」とパウロが勧めているように、自分に関係するすべてのことを祈ることが必要です。それは神との人格的な交わりの中に入れられている者に対して、神はすべてのことを祈るように欲し、要求されるからです。その理由は、主イエスにおいて与えられている神の恵みは、わたしたちの存在全体を生かす恵みであるからです。
 正にイエスこそ、地上の生活において、真実な祈りをなし得た唯一の方です。言うなれば、イエスの祈りは父なる神と神の御子であるイエスとの親密な交わりの時でありました。ガリラヤ地方で、神の国の宣教をされましたとき、イエスは毎日、朝早く起きて、一人で祈っておられました。
 「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そして祈っておられた。」(マルコ1:35)
 このように、今日なすべき事柄を、父なる神に祈り求め、神の御心を知ってから、イエスは行動されたのです。そういった意味で、イエスは自分が父に絶対的に依存していると言っておられます。
 「子は父のなさることを見なければ、自分から何もできない。父のなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。」(ヨハネ5:19)
 この点が隷属的な依存と、愛による自主的な依存との違いです。イエスが父に依存し、喜んで神に従われたことが実に神の御子の特質です。この特徴はイエスの祈りにおいて明らかです。
 イエスは祈りにおいて、父の御心を示されることを求め、祈りにおいて示された父の御心を深く理解し、自ら進んで、喜んでそれを実行されました。それは父を愛し、父に求め、父に従うことによって、父なる神の栄光をあらわすことが御子の本性であり、父に対する御子の愛であるからです。
 イエスは父なる神に向かって「父よ」と呼びかけ、父なる神はイエスに向かって「子よ」と答え、父の御心と性質をイエスに示し、命令を与え、その命令を実行する力をイエスに与えられました。
 さらに、生涯の頂点と言うべき、十字架の使命を果たすために、十字架の死を目前にして、イエスはゲッセマネの園で祈られました。この祈りにおいて、天下分け目の決戦が既に行われたのです。
 自己の死における虚無と恐れを回避したいと言う人間として当然の願いと、人類の救いのためにイエスを死と虚無の淵に渡さなければならないという父の決定、この両者の狭間で苦闘されましたが、イエスは父の御心に従うことを最終的に受諾されたのです。そして、死において、なお父に従順である力を父から受けられたのです。実にこのことによってのみゴルゴダの丘におけるイエスの十字架の死は人類の罪を贖うことができたのです。
 それゆえ、わたしたちが主イエスと結ばれて祈ることを生活の中心に置くならば、わたしたちは自分の生活全体に対する神の恵み深い意志を知り、神の意志に応答して、それを実行する者となります。
 そして、そのようなわたしたちの生き方の中に、復活の主イエスが働いておられるのです。

(2)復活の主イエスの臨在
 次に主イエスの支配と神の国の現実は、祈りにおいてこそ、体験することができます。この点がわたしたち信仰者にとって、最も大切です。初代教会における礼拝において、特に聖餐式において、このことが明確になり、クリスチャンは喜びと確信に満たされました。 
 ところで、新約聖書の中で、アラム語の二つの祈りは最も大切なものとして、今日でも聖書に保存されています。
 初代教会から、信仰を受け継いだ、クリスチャンはほとんどギリシャ語を話す世代の信仰者でありましたが、使徒たちを初めとして、初代のクリスチャンの祈りを大変重視しておりましたので、彼らが話していたアラム語の祈りに特別の位置を与え、尊重していました。そのアラム語の祈りは、「アッバ」と「マラナ・タ」です。
 「アッバ」とは「父よ」という呼びかけであります。使徒パウロはギリシャ語を話すクリスチャンに分かるように、「アッバ」に「父よ」という翻訳を付け加えています。例えば、ローマの信徒への手紙8章15節で、次のように言っています。
 「あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アバ、父よ』」と呼ぶのです。」
 この神に対するこの呼びかけは、クリスチャンが「主の祈り」をする最初の言葉でありました。この点、ルカによる福音書は最も古い伝承を伝えていると言われています。
 「父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。」(ルカ:11:2)。この「父よ」のギリシャ語は、「アッバ」の翻訳です。
 さらにもう一つは、コリントの信徒への手紙一、15章22節の言葉、「マラナ・タ」です。ここでも、パウロはアラム語をギリシャに訳した言葉を付け加えています。「マラナ・タ(主よ、来てください)」と記しています。このマラナ・タは、特に聖餐式を行うときに祈られた言葉です。
 コリントの信徒への手紙一はそのことを間接的に示しています。なぜならば、パウロの手紙は礼拝の中で読まれるために書かれており、とくに聖餐式が始まる前に読まれるので、この手紙の終わりの部分に、パウロは聖餐式の祈りの言葉を添えているのです。
 ところで、初代教会のクリスチャンたちにとって、聖餐式は復活の主イエスが、復活された最初の日曜日に、集まっている弟子たちの所に現れ、食事を共にされたことから、始まっています。それは「最後の晩餐」の再現であり、同時に神の国で行われる「メシアの祝宴」の先取りでありました。そこにおいて、弟子たちは復活の主イエスとの人格的な交わりが与えられたのです。しかも、復活の主イエスは、十字架の死に至るまで、神の御子として父なる神の意志に従順であったゆえに、復活させられ、父ご自身の主権を譲与され、教会と世界と宇宙全体を支配する「神の権能」を与えられたのです。その神の働きをしておられる生ける主と交わる経験を、弟子たちは聖餐式においてしました。
 その体験は約40日間続きました。その後は復活の主イエスの姿は見えなくなりましたが、復活の主イエスは聖餐式が行われる度に、そこに臨在され、ご自身の恵み深い主権を示し、そこに集うクリスチャンたちをご自身との交わりに入れられたのです。その体験がその都度、繰り返されました。これが初代教会の礼拝です。
 これは使徒言行録の2章42節に書いてある通りです。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」という総括的な説明がされています。
 従って、この礼拝の仕方は、使徒後の時代にも受け継がれ、キリスト教の礼拝の中心と特徴となっています。例えば「使徒たちの教え」と呼ばれている「ディダケー」では次のように記されています。これは当時の聖餐式の仕方で、司式者と会衆との対話形式になっています。
 司式者:主よ、来りたまえ。この世界は滅び去れ。会衆:ダビデの子にホサナ。司式者:聖なる者は誰でも、ここに来たれ。そうでない者は悔い改めよ。マラナ・タ。会衆:アーメン。 
 このように、初代教会のクリスチャンたちは聖餐式を始めるとき、「マラナ・タ」と熱烈に祈りました。そして、復活の主イエス、しかも神の主権を与えられた主イエスが、そこに臨在され、その主権を働かせられました。その主権は教会とこの世界全体の二つの領域に及んでいます。教会は主イエスとの人格的な交わりの中で、主イエスの支配の目的を理解しています。他方、世界全体は主イエスの支配の目的を理解していませんが、事実として主イエスの支配に服従しているのです。しかも目に見える世界だけてなく、世界や諸国家の背後で働いている目に見えない諸々の勢力も主の支配に服従しているのです。
 それゆえ、キリスト教会は小さな信仰共同体ではありますが、教会の主イエスの支配は被造物全体に及んでいることを理解し、教会と世界の諸国家の全体を含む被造物全体に対する主イエスの主権により、神の国が今、この歴史の中で開始していることを知りました。
 同時に主イエスの働きが歴史の中で完成するとき到来する永遠の神の国が、主イエスの再臨によって出現することを理解しました。
 なぜならば、その認識の根拠は、聖餐式の中に臨在し、語り、命令し、働いておられる主イエスは、終わりの時に再臨される主イエスと同じ方であることを、体験していたからです。
 それは実に信仰による認識です。しかもその信仰は聖霊の働きなのです。要するに、主イエスの臨在と主権を信仰によって体験し、体験を通して、理解し、確信するからです。ここにクリスチャンの喜びと確信とがあります。
 次に、クリスチャンの特徴は祈ったことをすぐ実行することです。わたしたちは祈ったことをすぐ実行することによって、主イエスの支配の中にあり、主イエスがわたしたちの中に働いておられることが体験できるのです。
 そしてクリスチャンの中に主イエスの力が発揮されます。このようにクリスチャンは主と共に歩むのです

(3)主イエスに祈ることの重要性
 最後に、神の御子イエスが復活し、神の右の座に着き、父なる神の主権を授与されたことによって、それは直ちにクリスチャンにとって、主イエスに向かって祈ることがでるし、また祈らなければならないことを意味しています。それまで弟子たちはイエスに一度も祈ったことはありませんでしたが、主の復活後、主イエスを礼拝し、主イエスに「マラナ・タ」と祈ったのです。
 礼拝におけるこの祈りが、その後、個々のクリスチャンが直接に主イエスに祈る「祈り」として広まりました。このことがわたしたちにも非常に大切です。
 クリスチャンは神様に祈るときに、「アバ、父よ」と言って祈り、終わりの部分で「主イエスの御名によって祈ります。」と言いますが、これはその前に、主イエスに対して祈ることを前提としています。なぜならば、主イエスに対して祈ることを通して、その祈りが神に対する祈りとなっているからです。その前提は主イエスに対する祈りが聞かれるという事実に立脚しています。
 パウロは自分の危機の最中に直接、主イエスに祈りました。そのことはコリントの信徒への手紙二、12章8~9節で「この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、『わたしの恵みはあなたに対して十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と仰せになった」と、言っています。また当時のクリチャンたちも主エスに向かって、祈っていました。そのこともコリントの信徒への手紙一、1章2節の言葉が示しています。「コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人へ」と記されていることから分かります。主イエスの名を呼び求めるとは主イエスに直接祈ることです。この点も主イエスご自身が証されています。
 「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(ヨハネ14:13~14)
 実に主イエスの主権とその働きは主イエスに直接祈ることによって、分かるのです。これが聖書の信仰です。



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