2016-09-18(Sun)

ヤコブが見た梯子 2016年9月18日の礼拝メッセージ

ヤコブが見た梯子
中山弘隆牧師

 ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を一つ取って枕にして、その場所に横たわった。すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。見よ、主が傍らに立って言われた。「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫は大地の砂粒のように多くなり、西へ、東へ、北へ、南へと広がっていくであろう。地上の氏族はすべて、あなたとあなたの子孫によって祝福に入る。見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」ヤコブは眠りから覚めて言った。「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」そして、恐れおののいて言った。「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」
創世記28章10~17節
 

 イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」
ヨハネによる福音書1章47~51節


(1)逃亡の旅
 本日は創世記28章を読んで、イスラエルの父祖であるヤコブが生ける神と出会った体験を知り、わたしたちの信仰が強められ、様々な疑問や誘惑に晒されても不動の信仰となるように願っています。
 ヤコブの神体験は、罪深いヤコブに神の方から現れ、罪を赦し、神との人格的に入れられたことで、それは聖書の信仰の源泉です。
 「ヤコブはベエル・シェバを立ってハランへ向かった。とある場所に来たとき、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。」(28:10)
 これは単なる旅行ではなく、住み慣れた故郷を急いで脱出しなければ自分の命が助からないという恐ろしい緊急事態でした。その事情については27章に詳しく説明されています。
 ヤコブは父イサクを騙して、兄エソウに与えられるはずであった父の祝福を奪い取ったことが、原因でした。ところでその祝福は単なる祝福ではなく、法的な効力を持っており、家長の権利と財産を相続する儀式なのです。しかも神の御前でなされる儀式で、一度与えられた祝福はいかなる事情があっても最早、撤回不可能でした。
 これは生涯の終わりが近づいた父イサクが、家長の権利を長男エソウに譲ることを、神の御前で誓約しようと考えたことから始まっています。イサクはその儀式を行う前に、狩りが得意なエソウに命じて獲物を取って来させ、自分の好きな料理を作らせ、それを食べてから、「お前を祝福する」とエソウに約束しました。
 このことを考えますと、自分の死期を悟った高齢のイサクは何としっかりした人であろうかと驚かされます。さらにイサクの仕方はいかにもユーモアーのある人間らしさを感じさせられます。しかし、これだけならば、実に幸いな人生の終末であったのですが、実はそれが家族の紛争の原因となりました。
 なぜならば、イサクが長男エソウにした約束をそばで聞いた妻リベカは、次男のヤコブを偏愛し、家長の権利と財産を長男ではなく、次男に継がせたいと以前から考えていたからです。そこで彼女はとっさの機転を利かせて、家で飼っている山羊の群れの中から急いでよく肥えた二匹の子山羊を取って来させ、リベカが調理し、長男の晴着をヤコブに着せて父の所に持っていかせました。
 すでにイサクは高齢のため目がかすんでおり、長男か次男かの判別ができなかったのです。そこで手でヤコブに触りました。そのときヤコブは毛深いエソウを装って、腕や首筋に山羊の皮をつけていましたので、父イサクは「声は弟の声だが、腕は兄の腕だ」と言い、「お前はわたしの子エソウなのだな」と念を押してから、ヤコブに祝福を与えました。
 しかし、まもなく獲物を取って帰ってきたエソウはこのことを知って、憤激し、父の死もそんなに遠くないから、父がいなくなればヤコブを必ず殺してやると心に堅く決めたのです。このことを知って、リベカは非常に悩み、エソウの怒りが冷めるまで、ヤコブをひとまず遠くの地に逃れさせようと考え、ヤコブにはアブラハムの弟ナホルの孫で、ハランにいる自分の実家の娘と結婚させたいと、イサクを説得しました。ヤコブからすれば、結婚相手は叔父さんの孫に当たります。
 ともかく、ヤコブは自分の蒔いた種によって、人生の一大危機に直面しました。全く一寸先は暗闇です。考えてみれば人は誰でもこのような危機に直面することがあります。その深刻な状況の中で、焦り、恐れ、解決の方法が見つからないため、自分の運命を嘆きます。しかし状況の暗さは運命の過酷さにあるのではなく、むしろ自分自身にあります。自分が欲望に捕らえられ、真実が見えなくなっていることです。

(2)人生のどん底で
 遠い旅に出たヤコブは見知らない土地で野宿しなければなりませんでした。石を枕にして地面に横たわりました。この様子から推測しますとヤコブは体の大きい、強健な人であったように思われます。彼は空を見上げると満天の星が滴るように輝いていたことでありましょう。しかし旅の疲れもあり、間もなく深い眠りに陥りました。
 このような人生のどん底で、全く予期しなかった出来事が起こったのです。神様がヤコブに語られたのです。
 「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」(28:12)
 夢の中で見た階段は地上から天に向かって伸びている梯子ではなく、天から地上に降りてきている梯子でした。これは何を意味しているのでしょうか。
 それは天にいます神と地上にいるヤコブとの交わりが開かれたことを象徴していました。神様は天地万物の創造者でありますから、この世界をはるかに越えた超越者ですので、人間の方から神のもとに至る道は存在しないのです。それゆえ、通常の場合は、天は閉ざされています。しかし、神様は天を開いて、御言葉をもって、ご自身を人間に示されるのです。そのことを通して、人と神様の交流が可能となったことをこの梯子は示しています。
 それではヤコブは天が開かれたのを見て、どのように思ったでしょうか。きっと天まで果てしなく続いている階段を下から見上げて、目がくらむように感じたのではないでしょうか。人間の思いや力をはるかに越えた創造者であり、全能である神の偉大さを感じ、ヤコブは恐れの念に打たれたと思います。
 さらに、それだけではありません。ヤコブは同時に、人間の目では見ることのできない超越者である聖なる神が人間のところに来られ、人間と共にいてくださり、その人生を導いてくださることを知ったのです。これこそ肝がつぶれるほど大きな驚きであり、ヤコブは神の恵みが他に類のない尊い恵みであることに気付いたのです。
 さらに、夢の中で現れた天に上っていく天使たちとは、人間の願いを神のもとに携えていくことを表しています。それは祈りです。それに対して、階段を下りてくる天使たちとは、人間に対する神の保護と配慮を表しています。これは祈りが答えられたことを意味しています。つまり人間の目では見えない聖なる神と人間が人格的に交わる手段が「祈り」であることを示しています。
 ところで、ヤコブが見た梯子は、人が主イエスを信じて、主イエスを通して祈る時、神はその祈りを聞き、喜び、祈りを聞き入れた下さることを予め示していました。
 なぜならば主イエスは神を「アバ父よ」と祈られましたが、主イエスは本質的に神の独り子であり、神と祈りによる交流ができた唯一の方なのです。それゆえ人は主イエスを信じることにより、神を父と呼ぶ「主イエスの霊」が与えられ、主イエスのように神を「父として信頼」し、神に祈ることができるようになるのです。
 従いまして、ヤコブに示された梯子は、主イエスの到来を予め示していたと言えます。
 このようにして、今や神は「ヤコブの傍ら」に立たれたのです。ヤコブが自分で神から最も遠くに離れていると思える危機の中で、神と出会ったのです。ここに聖書のメッセージがあります。言うなれば、神の救いのメッセージです。

(3)恵みの不思議さ
 ヤコブは確かに、これまでも信仰の必要性に気づき、肉眼では見えない真実の世界に憧れていました。それは彼がアブラハムやイサクの人格の尊厳さ、また自分に捕らわれない朗らかさと自由、恬淡(てんたん)は、神を信じる信仰から来ていることを薄々感じていたからでありましょう。そして自分の人生にも神との交わりが与えられるように願っていたに違いありません。
 それにも拘らず、ヤコブはずる賢い人間で、人から嫌われるタイプの人間でした。何よりも利己的な人間でした。彼は父イサクを騙してイサクの祝福を手に入れた人間でした。その結果、ヤコブは自分の予想に反して、すべてのものを失い、生命の危険にさらされたのです。しかし、その深い淵に陥ったとき、神はヤコブの居るところに降って来られて、彼と出会ってくださいました。そして、神の祝福を与えて下さいました。それは彼が以前から最も願っていた祝福です。
 「見よ、主が傍らに立っていわれた。『わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが今横たわっているこの土地を、あなたとあなたの子孫に与える。---見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。---』」(28:13~15)
 これは神が罪人であるヤコブを憐れみ、愛し、選び、彼に恵みを与えられたからです。それは全く不思議なことです。その理由はただ神がそのことを望み、喜ばれているというこの一事です。しかも神は聖なる方であり、ご自身の正しい目的を実現する力を持っておられるゆえに、神の恵みは純粋に「自由な恵み」なのです。
 しかし、ただそれだけではありません。神がヤコブを選び、アブラハムやイサクに与えられた神の約束をヤコブに受け継がせて下さったのは、単なる祝福ではなく、人類を救うとする神の「永遠の目的」から由来しています。
 ご自身の目的に沿って、神はアブラハム、イサク、ヤコブに対して、人類の救い主として現われ、神の救いを約束されました。ヤコブに向かって、「あなたとあなたの子孫はわたしの究極的な救いの“約束の中”で生きよ」と命じられたのです。
 それゆえアブラハム、イサク、ヤコブの子孫は自分を誇るために選ばれたのではありません。そうではなく、罪に束縛され神から離れている者を救うとする恵み深い神の意志と力によって、「救いの約束のもとにある」神の民として選ばれたのです。
 神は恵み深い主権者であるゆえに、人間を創造されましたが、人間は神を信ぜず、かえって自らを神として、自分の力で生き、この世界の支配者となろうという実に高慢な自己的な思い持つようになった結果、神から離れ、失われてしまいました。
 しかし、それにも拘らず、そのような人間を神はなお愛されました。その理由は神が自ら創造された一人の人間も滅びることを喜ばず、神の御前で生きることを喜ばれるからです。神は預言者エゼキエルに次のように仰せになりました。
 「わたしは悪人の死ぬことを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。」(エゼキエル書33:11)
 要するに、神の御言葉を聴くことによって、ヤコブは神が共にいてくださるという「霊的現実」を体験し、ヤコブは神を信じました。

(4)救いの門
 罪深い人間が神の主権的な恵みのもとに置かれ、罪の赦しを与えられるとき、人はどこに行っても、神が共におられ、自分の為すすべてのことを見ておられる神の御前で生きるようにしてくださることをヤコブは信じました。そして自分の将来のすべてを神に委ねたのです。
 これがヤコブの信仰です。しかし、ヤコブに与えられた罪の赦しは、実は神の究極的な罪の赦しの“先取り”でありました。
 「『真に主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。』
そして、恐れおののいていった。『ここは、何と言う畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。』」
(28:16~17)
 従って神は低い所にいる罪人を訪れ、罪を赦し、罪人と共におられるときにも、神が神であることを止められたのでは決してありませんから、究極的な罪の赦しを受けるためには人類の罪が贖われる必要がありました。今や、罪の贖いを神様ご自身が達成してくださったのです。それは神が御子を地上に遣わし、御子イエスの十字架の死によって、すべての人間の罪を贖って下さったのです。このことによって、神はヤコブに与えられた救いの約束を成就されました。
 主イエスは人間が神の御前に生きるために必要な「人間の義」となられたのです。主イエスご自身が「人間の義となり、聖となり、贖いとなられた」のです(コリント一、1:30)。
 正に、主イエスこそ人間が神の御前で生きるために、そこを通っていかなければならない門なのです。ヤコブが幻の中で見た天の門は主イエス・キリストを予表し、預言しています。



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