2016-04-10(Sun)

異邦人の女の信仰 2016年4月10日の礼拝メッセージ

異邦人の女の信仰
中山弘隆牧師

 主のもとに集って来た異邦人は言うな/主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな/見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。なぜなら、主はこう言われる/宦官が、わたしの安息日を常に守り/わたしの望むことを選び/わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らのために、とこしえの名を与え/息子、娘を持つにまさる記念の名を/わたしの家、わたしの城壁に刻む。その名は決して消し去られることがない。また、主のもとに集って来た異邦人が/主に仕え、主の名を愛し、その僕となり/安息日を守り、それを汚すことなく/わたしの契約を固く守るなら、わたしは彼らを聖なるわたしの山に導き/わたしの祈りの家の喜びの祝いに/連なることを許す。彼らが焼き尽くす献げ物といけにえをささげるなら/わたしの祭壇で、わたしはそれを受け入れる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
イザヤ56章3~7節


 イエスはそこを立ち去って、ティルスの地方に行かれた。ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、人々に気づかれてしまった。汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。女はギリシア人でシリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。イエスは言われた。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」ところが、女は答えて言った。「主よ、しかし、食卓の下の小犬も、子供のパン屑はいただきます。」そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。
マルコによる福音書7章24~30節


(1)信仰の必要
 本日の聖書の箇所には、主イエスと異邦人の女性との出会いが記されています。主イエスは、ガリラヤ地方における神の国の宣教活動に区切りをつけ、将来のことを考えるために、弟子たちを伴わずに唯一人で異教徒の地方へ行かれたときのことです。
 マルコによる福音書7:24節で、ティルスの地方へ行かれたと場所が明記してあります。ティルスとは地中海沿岸の港町でした。「ある家に入り、だれにも知られたくないと思っておられたが、…」とだけ説明されています。
 ところで、この簡潔な説明は非常に重大な意味を持っています。主イエスが唯一人で、しかもある期間過ごされるのは、神の御子である主イエスの使命について、熟慮するためです。宣教を開始する前にも、主イエスは一人で荒れ野に入り40日間、祈りと瞑想の時を過ごされました。そこから始まりましたガリラヤ地方での伝道において、主イエスは神の民であるユダヤ人が神の國の福音を信じて、救いに入るため、全勢力を投入されました。しかし結果として伝道は失敗に終わりました。
 この危機の中で、主イエスは救い主として果たさなければならない使命をもう一度根本からよく考えるため、人々に邪魔されないことを欲して、一人で異教の地方に行かれたのだ、と推測されます。

 それでも間もなく人々に気づかれてしまいました。
 25節には、「汚れた霊に取りつかれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエスのことを聞きつけ、来てその足もとにひれ伏した。」と記されています。「ひれ伏す」とは、尊敬と祈願の気持ちを表す姿勢です。26節で次にように説明しています。
 「女はギリシャ人で、シリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してくださいと頼んだ。」
 この婦人は自分の娘が精神的にひどく苦しみ、理由の分からない激しい発作に襲われることがしばしばあり、母親の切なる願いからイエスのもとに来ました。子を思う母親の愛情によるその願いは真剣そのものでしたが、イエスに対する信仰を持っていたかどうかは必ずしも明かではありません。この点が大きな問題です。
 主イエスはこの婦人の叫びに対して、すぐには答えないで沈黙しておられました。この記事と平行しているマタイ15:23の記事ではこのように記されています。「しかし、イエスは何もお答えにならなかった。」
 それではイエスが見て見ぬ振りをされたのでしょうか。冷たくこの女性の願いに取り合われなかったのでしょうか。いや決してそんなはずはないと思います。イエスは沈黙のうちに、この女性の心の中にある思いを、直感によって感じ取っておられたのです。そのようにして女性の言葉をご自分の心に受け止めておられたのです。
 しばしばイエスは沈黙のうちに祈られました。イエスは耳が聞こえず、口の利けない人を癒される前に、その人の苦しみを思い、天を仰いで嘆息をつかれたと、この記事に引き続いて書いています。マルコによる福音書7:34で「そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、エッファタと言われた。それは開けという意味である。」と書いています。
 言葉にならない嘆息が祈りであり、その深いイエスの沈黙から癒しの力が生まれたのです。ここでもイエスは沈黙のうちにこの女性の信仰が本物であることを見抜かれました。
 
(2)異邦人の救いの時
 しかし、それだけではありません。異邦人が真の信仰を持ち、イエスを通して到来した神の救いを受け取るということは、イエスにとって決して当然のことではありませんでした。
 その点について、イエスは未だ定かでなかったと思われます。なぜならば、それまでのイエスの理解では、神の救いは先ずイスラエルの民にのべ伝えられるべきであったからです。なぜならば、イエスは御自分が先ずイスラエルのメシアとして、神から遣わされていると言う自覚を持っておられたのです。それゆえ、異邦人の女性に対して、一見冷淡と思われる言葉を発せられました。
 「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない。」(27節)
 ここで、子供とはイスラエルの民のことです。小犬とは異邦人を指しています。ユダヤの律法学者たちは異邦人を犬と呼んで軽蔑していました。当時の律法学者であるラビ・エリエゼルは「偶像礼拝者と一緒に食事をする者は、犬と一緒に食事をするのと似ている。」と言っています。
 明らかにそれは異邦人を軽蔑し、忌み嫌う言葉です。

 それに対して、イエスはそのような軽蔑の意味を一切排除し、愛情を込めてユーモアをもって、異邦人を犬ではなく、可愛い「小犬」と呼ばれたのです。これはペットとして飼われ、家族の一員となっている小犬のことで、一種の愛称です。また、ここでイエスは神の救いを「パン」と呼んでおられます。これらのイエスの言葉は神の救いを先ずイスラエルに与えるべきであり、異邦人に与えるときは未だ来ていないのだ、という意味です。
 しかし、これは決して異邦人に対して救いを与えることをイエスが拒否しておられると言うのではありません。そうではなく、イエスの心はイスラエルに集中していたからです。なぜならば神の救いの時が既に来ているのに、依然として救いを拒み続けているイスラエルの頑なな心、またその結果、イスラエルがこれから担わなければならない悲惨な運命に心を痛めておられたからです。
 そうしたイエスの心境を異邦人の女性は敏感に察しながらも、そこで神に対する真の信仰をもったシリア・フェニキアの女性は、神の救いの計画について、自らの信仰を表明しました。彼女は自分が異邦人であることを謙遜に認めながら、なお篤い信仰をもって、このように言いました。
 「主よ、しかし、食卓の下の小犬も子供のパン屑はいただきます。」(28節)
 この女性は主イエスの心の思いを察知し、愛と機知とに富んで、謙遜にしかも確信に溢れて、主イエスの中にある思いを一歩前進させたのです。
 イエスは食事のとき子供たちが食卓に着くと、一緒に食卓の下で待機している小犬に異邦人を譬えられましたので、イエスの思いはすでに、小犬がパン屑に与ると言う方向に向いているのを感じ取ったのです。
 そして、神の国は異邦人に対しても与えられていることを信じる信仰を表明しました。食事の時にテーブルの下にいる小犬も、子供たちのパン屑を貰って一緒に食事をするように、異邦人もイスラエルの民と一緒に神の救いを受けることができるという信仰を表明したのです。
 
(3)聖書の信仰
 聖書における信仰は、単に全能者を信じると言うのではありません。それだけであるならば、それは偶像崇拝と何ら変わるところはありません。非聖書的な信仰は人間の力を越えた者を信じますが、その場合に超自然的な力は暗い運命のようなもの、あるいは独裁者のような気まぐれで力であったりします。
 それに対して、聖書の信仰は全能者である神は、「恵み深く」、「真実な」神です。恵み深いとは、愛する価値のない邪悪な罪人を神はなお愛し、救いを与えられる方であると言う意味です。また真実とは、神が自ら欲したこと、そして一旦約束されたことを必ず実現される方であるという意味です。
 旧約聖書では、信仰の父アブラハムが、このことを信じて人生の最大の危機において、真実なる神に寄り頼み、将来に対する希望を持ち続けました。
 さらに、新約聖書では、「神の恵みと真実」が主イエス・キリストにおいて、ことごとく「しかり」となっていること、実現し成就していることを信じるのです。
 従いまして、そのような信仰をもって、主イエスに助けを求めている異邦人の出現は主イエスにとって驚くべき出会いであったのです。そこに実に大きな主イエスの感動と喜びがあったのです。
 「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」(29節)
 これは主イエスが神の御子の直感によって、この女性の幼い娘が今既に癒されたことを知って、このように仰せになったのです。
 まことに、主イエスはご自分を信じる者には、神の救いを与えることがおできになるのです。それはイスラエル人であろうと、異邦人であろうと、少しも変わりはありません。

 ここで、異邦人が救われたということは、このとき、主イエスは救い主としての御自分の使命が、イスラエルだけでなく、全人類を、罪とその束縛から解放することであると、再確認されたのです。
 この使命は宣教の当初から認識しておられたのですが、ユダヤ人に対する神の国の宣教活動で、まだ足りない点が何であるかを熟慮されたとき、それは御自分を全人類の罪を贖うために犠牲として献げることであると、明確に認識されました。そのときイエスはイザヤ書の「苦難の僕」の預言を父なる神が定められた自分の使命として解釈し、ご自分の使命の意義を確信されたのです。
 ユダヤにおける宣教活動は、ユダヤ人の不信仰と、ユダヤの指導者たちの反対と敵意をもたらしました。彼らはイエスがユダヤ教を根本から否定する者と判断し、イエスを抹殺しようとしており、またヘロデ王もイエスを危険視していました。この状況はイエスを死に追いやる運命を示していました。しかし主イエスはこのような歴史的運命も、ご自分が人類の罪を贖うために父なる神が定められた必然として受け入れられたのです。
 なぜならば、神の目的はあくまでも人類を罪の束縛から解放することであり、そのため神は御子イエスの死において、人類の罪を裁かれる神的必然を認識されたからです。同時にそこに神の真実が現れることを確信されました。
 その結果、御自分を自ら進んで献げられることを決意されたのです。それゆえ不退転の決意を持って、再びガリラヤに戻られました。そのときこそ弟子たちに主イエスに対する信仰を要求されました。しかも、十字架の犠牲の死によって、人類を罪から救う救い主としての信仰を要求されたのです。この点につきましては、この記事に続くマルコ8:27~33で詳しく記されています。

(4)教会の信仰
 最後に、この物語は初代教会にとって、どんな意味を持っていたのでしょうか。イエス・キリストの福音を異邦人世界に宣教しようとしていました初代教会にとりましては、真に大きな励ましでありました。
 今や死人の中から復活された主イエスは、イスラエル人も異邦人も含めて、正に全人類の救い主となられたのです。世界のあらゆるところにいる人々の前に、しかも同時に臨在するという人智を超えた神の力を持って働き、救の御業を前進させておられます。この霊的な現実こそ復活の主イエス・キリストの存在と働きなのです。
 教会が主イエスの福音をのべ伝える以前に、主イエスの霊的現実はすべての人々を包み、すべての人々と対面しています。人間がそのことに対して信仰の目を開き、心をそこに向け、神に求めるならば、主イエス・キリストの救いがその人のものとなります。
 この霊的な現実こそ「昨日も、今日も、明日も、永遠に変わることのない」神の御子・主イエス・キリストなのです(ヘブライ人への手紙13:8)。
 福音の伝道とは、この主イエスを証しすることです。



スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

教会案内
〒354-0044
埼玉県入間郡三芳町北永井959-3
TEL・FAX:049-258-3766

牧 師:中山弘隆

創立日:1972年2月19日

最寄り駅
東武東上線 鶴瀬駅 西口
東武東上線 ふじみ野駅 西口
よりタクシーで10分
※駐車場完備

三芳教会へのバス利用方法

MAP
三芳教会の地図です
定例集会案内
●主日礼拝
  毎日曜日 10:30~12:00
●教会学校
  毎日曜日 9:15~9:40
●朝の祈祷会
  毎日曜日 9:45~10:10
●キリスト教入門講座
  毎日曜日 9:45~10:10
●マルタマリア会(婦人会)
  毎木曜日 10:30~
●マルタマリア会例会(婦人会)
  毎月第2主日礼拝後

毎木曜日の祈祷会は、2011年5月より、毎日曜日の朝の祈祷会に変更となりました。
三芳教会のご案内
●牧師紹介

●年間行事予定

●写真で見る三芳教会
最新記事
行事報告
● 江田めぐみ伝道師就任式
 (2012年7月22日)


● 教会バザー報告
 (2011年11月23日)


● バーベキュー大会報告
 (2011年8月21日)


● イースター報告
 (2011年4月24日)


● 柿本俊子牧師隠退の感謝会報告
 (2011年3月27日)


● 講壇交換(三羽善次牧師)
 (2011年1月23日)


● 墓前礼拝報告
 (2010年11月7日)


カテゴリ
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイブ
全記事INDEX

全ての記事を表示する

お知らせ
ようこそいらっしゃいました。



2016年10月に、当ブログの訪問者が9,000人を超えました。感謝いたします。

2015年9月に、当ブログの訪問者が8,000人を超えました。感謝いたします。

2014年9月に、当ブログの訪問者が7,000人を超えました。感謝いたします。

2014年1月に、当ブログの訪問者が6,000人を超えました。主の導きに感謝いたします。

閲覧者数
現在の閲覧者数
現在の閲覧者数:
メールフォーム
三芳教会やキリスト教についてのお問い合わせ、また当教会へのご意見、ご要望等がありましたら、下記のフォームよりうけたまわります。

お名前:
メールアドレス:
件名:
本文:

検索フォーム
リンク
QRコード
QR