2016-04-03(Sun)

エマオに向かう弟子たち 2016年4月3日の礼拝メッセージ

エマオに向かう弟子たち
中山弘隆牧師

 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め/小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。
イザヤ書40章10~11節


 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
ルカによる福音書24章25~35節


(1)復活の主は生きておられる
 わたしたちは先週イースターの礼拝を守り、十字架のイエス・キリストが死人の中から復活し、名実ともに人類の救い主となられましたことを知り、神を賛美しました。本日の礼拝におきましても、復活のイエス・キリストがわたしたちと共にいて、導いておられる力強い恵みの現実をしっかりと信じることを願っています。
 主イエス・キリストが救い主である理由は、今日もそして永遠に生きて働いておられる方であるということです。確かにイエスは歴史の中に実在した人物でした。しかしそれだけでなく、イエスは今日も神として歴史の中に実在して、働いておられる方なのです。
 イエスは地上の生涯を過ごされたとき、神の国を宣教されました。神様は罪人に赦しを与え、ご自身の恵み深い支配の中に入れてくださるので、人は心から感謝し、自ら進んで神様に従うこと、これこそ神の御前で生きることであると、教えられました。
 しかし、そのイエスが十字架の死によって地上を去られた後はもうこの地上におられないとすれば、残された弟子たちはイエスの始められた神の国運動を自分たちの力で推進させなければならないことになります。もしそうであるとすれば、今日のキリスト教は存在しなかったでありましょう。たとえ存続していても他の宗教と余り変わらないものになったことでしょう。他の世界宗教は偉大な宗教家が開祖となり、また偉大な高弟たちが開祖の教えを守り、広めることによって成立した宗教です。
 しかしそのような世界宗教とキリスト教の根本的な相違は、神の国信仰の開拓者であり完成者である主イエス・キリストが、現在も生きて働いておられるという点です。
 主イエスに従った弟子たちは、天地の創造者である神が、主イエスを通して、ご自身を恵み深い神として、啓示されたことを知りました。そして主イエスが神のもとから遣わされた救い主・メシアであることを信じ、メシアを通して神の国が実現することを期待していたのです。しかし、メシアがいつまでも彼らと共にいなければ神の国が実現することはありません。ユダヤ教の信仰によれば、神の救いをもたらすメシアは決して死ぬことはないと考えられていました。またペトロはイエスに対して「あなたはメシア、生ける神の子です」(マタイ16:16)と信仰を告白しましたが、そのイエスは十字架に架かって死なれたのです。
 従って、父なる神がイエスを十字架の死から復活させられたことによって、初めてイエスがメシアであることが明らかになったのです。実にイースターの喜びは、神の御子イエス・キリストが、メシアとして父なる神により復活させられたことにあります。
 従いまして、生前にイエスを知っていた弟子たちにとっては、主イエスの復活はイエスとの再会です。彼らは生ける主イエスと再会することによって、イエスの死によって喪失していた交わりが回復したのです。それは何物にも代えられない大いなる喜びです。実にイースターの朝以来、弟子たちの会話の中で繰り返された言葉はこれです。「本当にイエスは生きておられる。」という確信に満ちた言葉であります。

(2)エマオ途上の弟子たち
 「ちょうどこの日、二人の弟子たちが、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。」(24:13~14)
 スタディオンとは長さの単位で、185mでありますので、エマオはエルサレムから約11キロ離れた村でした。徒歩で約三時間の距離です。多分エマオは彼らの郷里であったと思われます。彼らはイエスがメシアであると信じて、イエスに従って来た者たちです。ところがイエスはユダヤ教の指導たちによって、排斥され、十字架に付けられてしまいました。全く予想しなかった事件が起こり、弟子たちの希望がすべて失われてしまったのです。深刻な挫折に遭遇し、彼らは郷里に帰って、以前の仕事に復帰しようと考えていたのではないでしょうか。
 それにしても、彼らにとってイエスの十字架の死は、深い謎であり、なぜイエスは十字架に付けられなければならなかったのか、との思いが彼らの心から離れませんでした。ここで聖書は次のように証しています。
 「話し合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、一緒に歩き始められた。しかし、二人の目は遮られて、イエスだとは分からなかった。」(24:15~16)
 復活のイエスは生前のイエスと同様に、御自分の方から弟子たちのところに来て、出会い、彼らと関わりを持たれる方です。御自分から働きかけ、ご自身を知らせられる方です。この場合、二人の弟子たちは、イエスがもうこの地上の人ではない以上、イエスと再び出会うことはないと心に決めておりましたので、イエスを探し求めようとはしませんでした。
 しかし、彼らはイエスの十字架について論じ合っているとき、復活の主イエスが近づいてきて、一緒に歩いておられたのです。このことが非常に大切です。ここで、非常に注目すべきことは、人がイエスの十字架を語り合っているところに、復活のイエスが入って来られたということです。しかしこれは二人の弟子たちに限った事柄ではありません。誰に対しても言えるのです。
 人が主イエスの十字架を仰ぎその意味を知ろうとするとき、必ず復活の主イエスがご自身を現してくださいます。聖書はさらに告げています。
 「そこで、イエスは言われた。『ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。』そして、モーセとすべての預言者たちから始めて、聖書全体にわたり、ご自身について書かれていることを説明された。」(24:25~27)
 復活の主イエスは、旧約聖書において預言されている救い主に関する御言葉を説明し、それはイエスの十字架の死において成就した、と語られたのです。この説明はイエスが地上におられた時、既に弟子たちに救い主の使命として教えられていた内容と一致しています。イエスは聖書を通して父なる神の意志を知り、救い主としてご自分に与えられた使命は十字架の死により、人類の罪を贖うことであると理解し、確信しておられました。
 しかし、当時の弟子たちはイエスの考え方を理解することは全くできませんでした。それは生まれながらの人間には到底理解できないからです。事実、ユダヤ教では旧約聖書をそのように理解していませんでした。
 今や復活の主イエスによって、弟子たちの心の目が聖書の御言葉に対して開かれたことにより、旧約聖書が預言しているキリストの十字架の死こそ人類の罪を贖う神の力であることが分かったのです。
 「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださった時、わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」(24:32)
 主イエスが道を行きながら、弟子たちと話された時、不思議にも彼らの心は燃え立ったのです。これは主イエスが彼らと出会い、彼らに語られた御言葉を通して、主イエスの命が心の中に注ぎ込まれたからです。
 従いまして、わたしたちは主イエスの言葉を聞き、主イエスの思いを知らされるとき、そのことによって、復活の主イエスと対面していると言えます。同時に主イエスは対面している者の中にご自身の命を働かせられるので、わたしたちの心が燃え立つのです。喜びと確信が与えられ、主イエスの命令を実行するように、立ち上がり、行動するのです。

(3)復活者イエスの導き
 次に重要な点は、二人の弟子たちが主イエスと共に夕食をしたとき、食事の席において彼らの目が開かれ、今彼らと共におられる方は復活の主イエスであると、分かったことです。
 「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りをささげ、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」(24:30~31)
 生前弟子たちは食卓において、主イエスとの交わりを経験していました。食卓における神の臨在と祝福の中で、彼らは主イエスの人格と意志と言動をつぶさに見ることを通して、目には見えない聖なる神の愛と意志と力を知ることができたのです。特に最後の晩餐はそのことを示しています。
 今、弟子たちは食卓の主人として自分たちと共におられる方が、これまでよく知っていた主イエスであることが分かったのです。このようにして、復活の主イエスは十字架について死なれたイエスと同じ方であることを示されたのです。
 教会が礼拝の中で行う聖餐式には、今日も復活の主イエスが臨在され、クリスチャンは主イエスとの交わりを与えられるのです。
 要するに、二人の弟子たちが復活して生きて働いておられる方が、十字架について死なれたイエスであることが分かりました。それは実に復活の主イエスがご自身の人格のアイデンティティ、同一性を彼らに確証されたからです。すると、直ちにイエスの姿はみえなくなりました。どうしてでしょうか。
 復活のイエスは十字架の死を全うされたイエスと同じ方であり、自己同一性を保っておられる方でありますが、その働き方が変わったからです。イエスは以前と違って今や神としての全能の力を持って働いておられるからです。それゆえ、クリスチャンは復活されたイエスを「主イエス・キリスト」と告白するのです。
 このことを知った二人の弟子たちは直ちに行動しました。喜びと確信に満たされて、既に暗い夜になっていたにもかかわらず、エルサレムに引き返しました。それは復活の主イエスが彼らと共におられ、彼らの中に働き、彼らを再びエルサレムに結集するように導かれたからです。それは主イエスに従う信仰共同体を形成するためです。そして信仰共同体を通して、福音を周囲の世界に広めるためです。これが復活の主イエス・キリストの働きなのです。
 このように復活の主イエスが今や神として働いておられるので、主イエスは名実ともに救い主となられました。神として、いつでも、どこにでも、誰にでも、出会い、語り、ご自身を現わし、ご自身の復活の命を与え、命令し、導くことができるようになられたのです。
 他方、復活の主イエスは神として働いておられますから、現在のわたしたちの目には見えないのですが、わたしたちは実際に主イエスの支配の恵みと救いを具体的に生活の中で体験できます。この点が救い主の最も重要な役目です。
 それはわたしたちが主イエスに聞き、祈り、従うならば、主イエスの命令と意志を実行できると言うことです。そのようにわたしたたちは主イエスの命と働きによって、わたしたちが生かされ、主イエスに似る者へと変えられて行くのです。
 ここに救い主としての主イエスの本格的な働きがあるのです。これこそわたしたちを生かす霊的現実です。
 もう一つ大切なことは、本格的な救い主となられた復活の主イエスの働きは霊的現実なので、わたしたちの目には見えないのですが、復活の主はまた聖霊を与えられる方なのです。そして聖霊を通して、わたしたちが目に見えない主イエスの存在を知り、主イエスの御心を知り、主イエスに喜んで従うようにされるのです。
 さらに主イエスの神としての働きは、主イエスがわたしたちの中に働き、わたしたちを導いておられることです。しかも、ご自身の働きとわたしたちの働きを結び合わせておられるのです。それゆえ、この霊的現実をわたしたちは聖霊によって理解し、聖霊によってわたしたちの思いと決断と実行を主イエスの思いと行動とに一致させるのです。これが主イエスの与えられる聖霊の働きです。
 但し、聖霊は主イエスとは別の方です。しかし聖霊の働きは主イエスの働きと不可分離に結びついています。聖霊はわたしたちの中に主イエスの復活の命を注ぎ、わたしたちが喜んで主イエスに従うようにさせるのです。この状況を、預言者イザヤは神の導きとして、次のように言っています。
 「あなたの耳は、背後から語られる言葉を聞く。『これが行くべき道だ、ここを歩け、右に行け、左に行け』と。」(イザヤ30:21)。
 イザヤの場合は主なる神がそのように仰せられたのですが、わたしたちクリスチャンには復活の主イエスがそのように仰せられるのです。それゆえ、わたしたちは祈り、考え、実行するときに、主イエスの導きの中を歩んでいるのです。
 そこに神様の愛が働いています。そのとき聖霊は神の愛をわたしたちの心の中に注ぎ、神様の喜びがわたしたちに与えられるのです。この状況こそ、復活の主イエスに従うわたしたちの生き方です。



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