2016-03-27(Sun)

復活した主イエス 2016年3月27日イースター礼拝メッセージ

復活した主イエス
中山弘隆牧師

 夜の幻をなお見ていると、/見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み、権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。
ダニエル書7章13~14節
 

 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
ヨハネによる福音書20章24~29節


(1)死に打ち勝つ希望
 わたしたちは人生を歩む中で、非常な苦しみを経験します。苦しい時期を過ごすと、人は四苦八苦すると言いますが、この言葉は本来仏教用語であり、四つの根本的な苦しみと、八つの大きな苦しみを意味していました。四つの根本的苦しみとは生、老、病、死であり、すなわち生きる苦しみ、老いの苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみです。これらから分かりますように、人生そのものが苦しみであると言う考えが、仏教思想の根底にあります。そこで人生全体を苦しみにしている根本原因が死です。哲学者たちも死によって限定され、死に向っていく人生を人はいかに主体的に生きることができるかと言うテーマを哲学の最大の問題としています。心理学者たちも、自己の死を受け入れる在り方に関心を向けています。
 このような死の問題は、この世界に生を受けた人は誰であっても避けて通ることはできません。死の影はどのような楽天的な生き方をしている人にも気づかないうちに忍び寄って行きます。わたしは子どもの頃に山中の小さな村で育ちましたので、暗い夜に目を覚まし、遠くの川の音しか聞こえない静寂な空間を恐ろしく感じていました。また、ある日人が亡くなり、火葬場の煙が西の空にたなびいているのを見ましたが、その光景が時々思い起こされ、人生の儚さを感じていました。しかし、死の恐ろしさは心理的な不安よりもむしろ、一人の人間として自己の責任を担い、どこまでも良心的に、道徳的に生きようとする希望と勇気を失わせることです。
 なぜならば死によって無に帰してしまうとすれば、真面目に生き、自己を向上させようと努力したことはすべて無駄になってしまうからです。
 このような人間存在そのものが持っている矛盾は、わたしたちが神によって死人の中から復活させられて、神の御前に永遠に生きるようにされるときにだけ解決されます。実にこういう意味で、イエスの復活はわたしたちが死を越えて生きるという希望と勇気を与えます。

(2)恐れる者の中へ
 しかし、わたしたちは神が人間を復活させられると言うことを信じることは困難です。そういうことはありえないと思います。一旦死んだ人がどうして生き返ることができるのか。もし生き返ったとすれば、その人は本当に死んだのではなかったのではないか。本当に死んだ人が生き返ることは絶対ありえないと、考えます。
 イエスの弟子たちもイエス様の復活を最初は信じられませんでした。なぜならイエス様は十字架について死に、すでに三日も経過しており、生き返ることは不可能であったからです。
 ヨハネによる福音書20章19節は、次のように言っています。
 「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」
 この時、弟子たちはユダヤ人を恐れて家の中に隠れ、家の戸を閉め内側から鍵をかけて、外からは人が入れないようにしていました。そのような恐怖の中にある弟子たちの所に、復活の主イエスが入って来られたのです。
 すべての人間が死の恐怖の中に閉じ込められているように、弟子たちも死の恐怖から逃れることのできない状況にありました。正にその中へ復活の主イエスが入って来られたのです。そして「あなたがたに平和があるように」と祝福の言葉を語られました。実に復活の主イエスは神の祝福をもって、弟子たちと再び出会われたのです。
 しかし、弟子たちはイエスの亡霊を見ているのではないかと恐れました。なぜならば、弟子たちのいる家の戸は全部厳重に内側から鍵をかけてあったので、生身の人間は絶対に入ることはできなかったからです。それにも拘らず家の中に入って来たこのイエスの姿はきっと亡霊に違いないと、思ったのです。
 他方、復活の主イエスは弟子たちがそのように考え戸惑い恐れているすべてのことを知っておられ、彼らの疑いを取り去るため、ご自分の体を見せられました。
 20節でこのように記されています。
 「そう言って、手とわき腹をお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。」
 このように弟子たちは十字架に付けられて釘の傷跡の残っている手と、槍で突かれて大きな傷跡のある脇腹を見たとき、自分たちの目の前に立っておられる方は、実際に身体を持っておられること、しかもその身体はあの十字架について死んだイエスが今や復活されたので、この身体を持っておられるのだと、分かったのです。その時、弟子たちは十字架の死を遂げられたイエス様が復活されたことを信じ、大いなる喜びを与えられました。
 従いまして、イエスの復活と言う事実は、人間がこれまで見たことも経験したこともない全く新しい事実です。それは人間の力では全く不可能なことが今やイエスの身に起こったのです。従ってそれこそ人知を超えた正に神の事実なのです。
 聖書はこれを神の事実として言い表すために、イエスが復活したと言う表現をせず、イエスは父なる神によって復活させられた、と言う受け身の表現法を用いています。この点、原典のギリシャ語で非常に明瞭になっています。実にイエスの復活は父なる神の創造的な力によって出現しました。イエスの復活は神的な事実です。そこに天地創造に優る神の大いなる力が現れているのです。
 言い換えれば、イエスの復活の中で新しい世界、しかも人間が神の御前に生きるという神的な世界が既に開始したのです。

(3)疑う者の中へ
 次に、復活の主イエスは十二弟子の一人であるトマスに現れて下さいました。彼は最初の日曜日の夕方、主イエスが他の弟子たちに現れられたとき、その場にいませんでしたので、主イエスの復活を信じておりません。他の弟子たちは、「わたしたちは主を見た」とトマスに知らせても、トマスは納得せず、「あの方の手に釘の傷跡を見、この指をそこに入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言い張りました。
 このようにトマスは自分の疑問を率直に言い表していますが、彼は他の弟子たち以上に疑い深い性質であったと言うのではありません。彼は非常に実直な人で、多少物わかりが遅い方で、自分が確信できるまでは人より時間が多くかかるのです。また、トマスはイエスに対する忠誠心の強い人で、今もイエスに対する忠誠心を持っており、主イエスの復活を信じたいと思いながら、どうしても自分として納得できなかったのです。自分の目で見、自分の手で触り、イエスの復活を検証するまでは信じないと断言していました。
 復活の主イエスはそのようなトマスを愛し、トマスがいるところに来てくださいました。それは主イエスが復活された最初の日曜日から数えると八日目です。すなわち、次の日曜日の夕方、その時の状況は前回と全く同じでありました。弟子たちはユダヤ人を恐れ、鍵をかけた家の中で隠れていました。今回、トマスは他の弟子たちと一緒でした。それを知って復活の主イエスは弟子たちの所に再び来られたのです。そこにトマスに対する主イエスの深い愛と並々ならぬ熱意が現れています。
 弟子たちのいる家に入って来られ、「あなたがたに平和があるように」と神の祝福をお与えになると、直ちにトマスに向かってこのように仰せになりました。27節に記されています。
 「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
 このようにトマスの疑いと人間としての信念を復活の主イエスはすべてご存知の上で、トマスの挑戦を受け入れ、トマスに確かめる機会を提供されました。
 それではトマスはどうしたしょうか。提供された機会を十分に利用したでしょうか。否、彼はイエスの姿を見ただけで、イエスの体に触れて検証することはしませんでした。
 トマスは「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言うイエスの言葉に応答して、イエスを信じたのです。そして次のように言いました。「わたしの主、わたしの神よ」(20:28)
 これはトマスの信仰告白でありますが、同時に全キリスト教会の信仰告白なのです。それではトマスはどのようにして信じたのでしょうか。
 第一に、トマスは復活の主イエスに出会って、自分の確かさを放棄しました。彼は自分の手で触ることが最も確かな方法であると考えていたのですが、それよりももっと確かなものがあることを知ったのです。それは十字架の上で人類の罪の贖いのために死なれたイエスは復活して生きて働いておられると言う現実です。
 この現実の前では、人間の確かさは全く無力なのです。トマスは最早自分の確かさに頼ることなく、主イエスの復活の確かさに頼りました。
 第二に、それは人間の罪を赦し、人間に新しい永遠の命を与える神の確かさです。それはただひたすら感謝すべき確かなる恵みです。主イエスは十字架の上で、わたしたちの責任を担って、死んでくださり、わたしたちが神の御前で生きるために復活されたのです。それゆえ、復活の主イエスご自身が、わたしたちの救いなのです。すなわち主イエスは人類の救い主となられたのです。
 なぜならば、父なる神は主イエスの中に、神の御前に生きる新しい人間を創造され、復活した主イエスを神の国の支配者とされたからです。
 その結果、人はだれでも主イエスに従うことによって、神の御前に生きることができるのです。この主イエスの存在と働きの確かさが、わたしたちを日々新たに生かすのです。
 第三に、復活の主イエスと出会うことにより、わたしたちは礼拝すべき神に直面するのです。復活の主イエスは地上におられたイエスと同じ方でありますが、地上におられたイエスの生涯は人間としての制限の中にありました。それゆえイエスは真の神でありましたが、神の力は制限された範囲内で主イエスを通して現れました。それに対して、復活されたイエスは神の全能の力を発されています。例えば、主イエスは弟子たちのことをすべてご存知でした。
 今やイエスの全能の前で、弟子たちは初めて主イエスを神として礼拝したのです。主イエスは閉ざされた部屋の中に自由に入って来られるだけでなく、すべての信仰者の中に、しかも同時に臨在し、働き、導かれるのです。正にそれは神としての力によるのです。
 主イエスの神としての働きの前で、トマスは「わが主よ、わが神よ」と告白しました。これはまた主イエスに対する祈りであります。

(4)信じる者
 それゆえ、主イエスを信じる者は、主イエスに対して祈ります。主イエスに祈ることによって、主イエスに従うことができるのです。そして主イエスの命令を実行することを通して、主イエスの命が信仰者の中に働き、愛の業を実行し、主イエスの中に既にある救いが、信仰者の中に日々具体的な形で現れるのです。
 それゆえクリスチャンの在り方を説明すれば、主イエスを信じ、祈り、主イエスに聞き、主イエスに従い、行動することを通して、主イエスの命に生きると言うことです。
 もう一つ大切なことは、復活の主イエスは出会われる者に聖霊を与えられる方であるという点です。弟子たちの場合にそうでしたが、彼らだけでなく、出会われるすべての者に主イエスは聖霊を与えられます。そして、聖霊の働きにより、人は主イエスに対する信仰が与えられ、復活した主イエスの確かさが分かり、主イエスが神の国の支配者として働いておられる様子が分かるのです。また聖霊は信仰者に主イエスの御言葉を理解させ、主イエスに喜んで従わせるのです。
 言い換えれば、聖霊は主イエスを信じる者を神が主イエスの中に既に創造された新しい人間として、生かすのです。
 しかし、聖霊と復活の主イエスは異なる方です。それでも主イエスの働きと聖霊の働きは不可分離に結びついています。
 実に復活の主は出会う方に聖霊を与え、聖霊によって、主イエスの神としての働きの現実と恵みの現実を知らせられるのです。そのようにして、復活の主イエスの働きは信じる者すべてを救う人知を超えた神の恵みの確かさなのです。



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