2016-02-28(Sun)

出会いと信仰 2016年2月28日の礼拝メッセージ

出会いと信仰
中山弘隆牧師

 わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
コヘレトの言葉3章10~11節


 イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』という掟をあなたは知っているはずだ。」すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
マルコによる福音書10章17~21節


(1)自分の行く道を選ぶ
 人との出会いは一生の方向を決定するほど強い作用を及ぼすことがあります。将来自分はどのような方向に進もうかと進路について思いめぐらしているとき、自分のしたいことがあっても、未知の世界に対する不安から決心がつかない場合に、たまたまある仕事をライフワークにしている人の本を読んだことが、きっかけとなって、自分の行く道が決まることがあります。しかしそれはまた冒険です。特に、青年時代は何よりも人格が形成されるために大切な時です。真理の探究に対してチャレンジしながら、真理を学ぶ真剣な態度を身に着け、また他の人とのコミュニケーションの大切さを知り、人を人格として尊敬し、人々と協力する態度を培うことが重要です。
 そのためには人間に人格を与え、信頼に値する人格の麗しさや尊厳さを与えておられる神がおられることを知り、恵み深い神に対する信仰に目覚めることが必要です。そうするならば、毎日の生活の中で惰性に流れ、様々な誘惑に負けることなく、自分を成長させために必要な時を十分持つことができるでありましょう。
 それでは、人生の根本目標は何でしょうか。旧約聖書のコヘレトの言葉3章11節で次にように記されています。
 「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を初めから終わりまで見極めることは許されていない。」
 このコヘレトの言葉は、恵み深い全能の神は、時と永遠の支配者であると語っています。人間を創造し、救済される神の究極目的は人間に「永遠の命」を与えることであります。
 人間がこの世に生を受け、人間として成長し、社会の中で、色々な関わりをもって働き、人々と共に生きるのは、その時宜にかなった働きの中で、永遠の生命を芽生えさせ、成長させ、刈り入れるための手段なのです。
 それゆえ神は人間の心に永遠を慕う思いを与えられただけでなく、人間の歴史と深く関わり、歴史の出来事を通して語られた御言葉によって、ご自身が恵み深い支配者であることを示し、永遠の生命を約束し、人間の実行すべき神の命令を与え、歴史を導いて来られました。それがアブラハムから始まった神の救いの歴史です。
 今や「時が満ちて」神は御子イエスをこの世界に遣わされました。

(2)主イエスとの出会い
 主イエスが弟子たちを伴って、町の表通りを進んで行かれましたとき、一人の青年が走り寄り、主イエスの前に跪き、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねました。
 この青年は実に見所のある青年で、自分の人生の意味を深く考え、永遠の生命を得ることを人生最大の目標にしていました。その真面目さと善良な性質が目に見えるような青年であったと推測されます。
 主イエスは彼に向かて「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神お一人の他に、善い者はだれもいない。」(10:18)と仰せられました。このイエスの言葉に人は細心の注意を払う必要があります。
 つまり、人間にとって、「善なる者」は神様だけである。実に神は人間を生かす命の源であり、人間に必要な善とは「神ご自身」であると言う意味がここに込められています。
 従って永遠の生命に至る人生を送るようになるのは、ただ神の恵みによるのだという意味です。同時に、主イエスは神の戒めであるモーセの十戒から次の掟を採り挙げられました。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え』と言う掟をあなたは知っているはずだ。」(10:19)
 ここに戒めと永遠の生命との深い関係が示されています。両者は不可分離です。しかしそれは人間が神の戒めを実行するから、報酬として永遠の生命を受けると言うのではありません。そうではなく、永遠の生命は神の恵みとして人間に無償で与えられるのです。
 永遠の生命を受けた者だけが、本当の意味で神の戒めを実行することができるのです。同時に神の戒めを実行することの中で、永遠の命が働くとも言えるのです。
 そこで、永遠の生命を得るために、戒めを実行すると言うのが律法主義で、ファリサイ派や律法学者たちの生き方です。しかし、律法主義は神の恵みと全く正反対の生き方です。
 この青年も律法主義の考え方をしていて、戒めを少年時代から忠実に守ってきましたが、自分にはまだ永遠の生命が与えられていないと感じ、悩んでいました。しかしこの青年は自分の思いを正直にイエスの前で語っています。
 そのとき、イエスは青年の正直さを認め、喜ばれました。「イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。」(10:21)と記されています。この「イエスの眼差し」はいくつかの意味が込められています。
 一つは、そこに神の愛の訴えがあります。イエスは神の恵みに反抗する律法主義的な生き方をしてきた青年に憤りを感じず、むしろ深く愛しておられました。もう一つは、彼を人間としてより高い水準へと引き上げようとする励ましと挑戦が込められていました。
 それは人からの名誉を受け、自分の体面を繕うことだけで満足している平穏な生活から引き出し、神を信じて生きる真実な人間になろうとする冒険へ招く眼差しでした。
 ところで彼がこれまで生きていた信仰の世界は、律法主義的な世界でした。その律法主義を要約すれば次のように言えます。
 それは人に害を及ぼさないと言う一言に尽きます。有名な律法学者ヒルレルについてこのような逸話があります。ある異教徒が彼のもとに来て、「もしあなたが、わたくしが片足で立っている間に律法のすべてを教えてくださるならば、わたくしはユダヤ教に改宗します。」と言いました。
 そこでヒルレルは「あなたがして欲しくないことを、人にもしてはならない。これが律法のすべてであり、あとはその説明である。あなたは行ってこのことを学びなさい。」
 多分、青年はこのような観点に立って行動して来ましたので、何のためらいもなく自分はすべての戒めを守っていますと答えたのでしょう。
 それに対して、イエスは黄金律と呼ばれている愛の戒めとして、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイ7:12)と仰せられました。
 神の律法は、「あなたが人に自分のできる善を行ないなさい」と命じる神様の意志です。この青年の場合に、神の律法の問いかけは非常に鋭い問となります。「あなたの所有する富を使用して、貧しい人々をどれだけ助けたか。貧しい人々を力づけ、励ますためにあなたの富をいかに用いたか。」と問うのです。
 ここで、イエスはさらに一歩を進めて、次のように仰せになりました。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(10:21)
 イエスはこの青年の欠乏の急所を見抜かれました。それは恵み深い主権者である神に対する信仰と理解が不足していたのです。
 彼は恵み深い神を自分本位に考えており、神の戒めを実行する者に、その報酬として地上では富を、そして神の国では永遠の命が与えられると思っていたのです。それゆえ将来、神の国における永遠の命を受ける確かさを得るために、今どのような神の律法を守ればよいでしょうかとイエスに尋ねたのです。
 それに対して、イエスは恵み深い神の目的は信仰者が自分の全存在を神に委ね、しかも神にのみ依存し、そして自分の意志ではなく、神の意志を実行し、神に従う人生を生きるようにしてくださることである、と言われたのです。
 つまり、永遠の命とは神との人格的な交わりの中で生きる「霊的現実」なのです。このことは巨万の富に勝る宝であると仰せになったのです。視点を変えて言えば、永遠の生命はすでにこの地上で始まっているのだと仰せになったのです。それゆえ永遠の生命に生きるために、あなたが頼りにしている地上の富をすべて貧しい人々に施し、わたしに従って来なさいと仰せられました。
 「行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」(10:21)と仰せられました。
 あなたが自分のすべてを神に献げ、「神にのみ」絶対的に寄り頼み、わたしに従って来るならば、あなたは恵み深い「神の主権」を体験するようになるであろう。
 そうすれば、神の主権はわたしの存在と歩みの中で開始していることが分かるであろうと言う意味で、イエスはこの青年にわたしに従って来なさい、と命じられました。

(3)聖霊による信仰のジャンプ
 しかし、イエスの要求がこの青年にはこれまで自分が予想しなかった途方もないもののように思われ、イエスの仰せになる永遠の命は所詮、自分と縁遠いもののように思われ、顔を曇らせて、イエスの許を立ち去りました。10:22節には次のように記されています。
 「その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」
 この時、イエスは「財産のある者が神の国に入るのは、何と難しいことか」と嘆かれました。イエスはこの青年を評価し、愛し、期待をかけられたのですが、結果は失望と嘆きに終わったのです。
 その理由は青年がイエスの人格とその思いと行動の秘密を理解することができなかったからです。去りゆく青年を見送った弟子たちは「それでは一体だれが救われるのだろうか」と互いに語り合いました。驚いている弟子たちを見つめて、イエスは断固とした態度で次のように仰せになりました。
 「人間に出来ることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」(10:27)
 このように語られた主イエスは、人類の罪をご自身の十字架の死によって贖い、三日目に復活して、天地の支配者となり、人類の救い主として、わたしたちと日々出会い、次のように仰せられます。
 「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(8:34~35)
 わたしは献身して伝道者となるために、神学校に行く決心をしたのは、イエスのこの御言葉がわたしを捕らえたからです。このイエスの御言葉がわたしの心を引きつけ、不思議な魅力を感じました。他方、イエスにすべてを委ねて従うことが、果たして大丈夫だろうかと言う戸惑いがあり、イエスの言葉が真実であることを保証する印を求めたいと言う思いがありました。
 他方イエスの言葉以外にはいかなる印も与えられないとイエスが仰せになっていますので、聖書に記されたイエスの言葉を真剣に読み、祈る以外に確かさを保証するものは何もないのだと思って、祈りつつ聖書を真剣に読みました。
 そのときはもう教会の礼拝に出席していましたが、二、三か月祈ることによって、主イエスが生きて働いておられ、イエスがわたしに出会い、語っておられることが確かである、と確信することができました。それからは、幼子が単純にイエスを信じてイエスを受け入れるように、神学校に行く決心をし、喜んで新しい人生に歩み出した時のことは一生忘れられません。
 今から思えば、それは極めて単純な信仰です。しかし、その確かさは聖霊による確かさであり、聖霊による信仰の確かさであったことが分かりました。聖霊による信仰は決して難しい信仰ではありません。からし種一粒のような小さな信仰です。他方また決心を与える信仰です。この信仰を持って主イエスに従うとき、人は誰でも何物にも勝る霊的な確信と喜びに満たされます。
 神様の救いの目的は信じる者が皆、主イエスの性質に似る者となることです。この点を顧みるとき、わたしは未だ主イエスの愛と赦し、父なる神への完全な従順と完全な正しさ、人類に自己を与える奉仕の精神をわずかばかり映し出しているに過ぎないことがよく分かります。それゆえ行く道のゴールははるか先であると感じています。しかし、主イエスに従っていく人たちが、悩みの多いこの地上の世界で、神の国に属する永遠の命を既に与えられていることが体験できるのです。勿論、救いの完成はイエス・キリストが再臨されるとき、すなわち人類の歴史の終わりの時ですが、それは単なる夢ではありません。
 救いに対する確信は、聖霊による信仰と愛と希望の人生そのものであると言うことができます。そういう意味で、クリスチャンは世の光、地の塩であります。



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