2016-02-07(Sun)

イエスに尋ねた学者 2016年2月7日の礼拝メッセージ

イエスに尋ねた学者
中山弘隆牧師

 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
申命記6章4~5節


 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
マルコによる福音書12章28~34節



(1)律法についての論争
 主イエスの宣教の内容は、神の国でありましたが、神の国とは神が恵み深い唯一の主であることを信じ、神に従う者たちの中に存在するのです。さらに正確に言えば、主イエスの中に神の国は既に到来していることを知り、主イスに従うことを通して、人間の中に神の国が到来します。従いまして、主イエスの宣教活動は人々を神の国に入れることがその目的でありました。
 ここに主イエスの宣教の一つのエビソードとして、一人の律法学者がイエスに教えを乞うたと、本日の聖書の箇所は伝えています。
 イエスは民衆や弟子たちに神の国について教えられましたが、他方ユダヤ教の指導者たちと議論されました。律法学者と一概に言いましても、それぞれの学派があり、主張する内容は様々でした。そこで、それぞれの派が自分たちの信仰生活の拠り所としている重要事項を掲げ、他の派と激しく争っていたのです。彼らは極めて切実な問題を携えてきて、イエスに議論を挑みました。
 しかしイエスはどのような派閥の問題に対しても、最も適切な答えをされました。例えば、祭司の派閥はサドカイ派でありますが、彼らは死者の復活はないと主張し、他方ファリサイ派は死者の復活を主張し、互いに論争していました。
 それに対して、イエスは死人の復活を確信しておられましたが、その確信を旧約聖書の言葉によって論証された仕方が、ファリサイ派の仕方とは全く違っていました。イエスの返答の妥当性は、実にイエスが日ごろから父なる神と人格的な交わりを保っておられ、神の力と目的を知っておられたことにあります。
 イエスが引用された旧約聖書の箇所は出エジプト記3章6節の御言葉です。これは燃え盛る柴の炎の中から、神がモーセに呼びかけ、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を救出し、神の民とするために、モーセに召命を与えられたときの出来事です。
 「神は続けて言われた。『わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』モーセは、神を見ることを恐れて顔を覆った。」
 生ける神に出会って、畏敬の念に打たれたモーセに、神は御自身をこの御言葉によって啓示されました。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であると仰せられました。生ける神が「わたしはアブラハムの神である」と仰せられたことが重大な意義を持っているのです。
 モーセにとってアブラハムはもう遠い昔の先祖で、その存在はすでに消滅したと考えていた先祖ですが、イエスは生ける神が「わたしはアブラハムの神である」と仰せになったゆえに、アブラハムは復活すると証言されたのです。
 神がそう言われた事実は、神がアブラハムを知っておられることを啓示しているゆえに、アブラハムは復活すると仰せになったのです。イエスの証言の力は、生ける神の力そのものです。それゆえファリサイ派の一人の学者は強い感銘を受けました。
 マルコ12:28はそのような状況を説明しています。
 「彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。」
 そこで、次のように質問しました。
 「あらゆる掟の内で、どれが第一でしょうか。」(12:28)
 聖書では、人間に対する神の意志あるいは命令を掟と言います。神の掟は旧約聖書の中で、大きく分類すると、礼拝や祭儀に関する律法と道徳や社会生活に関する律法です。それらは全部で613個あると言われています。
 その中でどれが重要であるか、という議論が当時の律法学者たちの間で盛んにされました。この律法学者は自分たちの最大の関心事について、イエスの考えを尋ねました。イエスの答えはこれです。
 「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(12:29~31)
 ここで、イエスが引用された第一の戒めの聖句は、申命記6章4~5節です。第二の戒めの聖句は、レビ記19章18節です。
 イエスが最も重要とされた「神と隣人」とを愛せよというこの二つの律法のように、人間に完全な忠誠と従順とを要求しえる律法は他に存在しない、と宣言されました。この二つの掟こそ、神の命令である。これらの律法は補足するためのいかなる他の律法も必要としない。この二で互いに充足していると言われたのです。
 イエスのこの明確な発言と権威ある態度を見て、ここに登場した律法学者は心から共感し、次のように自分の意見を述べました。
 「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はいない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』と言うことは、どんな焼き尽くす献げ物や生け贄よりも優れています。」(12:32~33)
 律法学者のこの答えを聞いて、イエスは仰せになりました。
 「あなたは、神の国から遠くない。」(12:34)
 なぜならば、神の国に入り、そこで生きるというは、神の命令を受け入れ、命令に従順であることに他ならないからです。この律法学者が二つの律法を神の命令とするイエスの律法理解に賛成し、それに従って生きることを望んだから、彼は神の国から遠くない、とイエスに言われたのです。
 しかし神の国に入ると言うには、なお神から選ばれた旧約時代の民イスラエルにとって重大な問題が解決されなければなりませんでした。イエスからあなたは神の国から遠くないと言われたこの律法学者は、確かに、道徳的で社会生活に関する律法を重視する預言者的な考え方を持っていました。神殿で動物の犠牲の供え物をすることは、儀式的な面での罪を贖うためにだけ有効でした。従ってこの律法学者は道徳的な律法を実行することがもっと重要であると考えていたのでしょう。
 しかし、エルサレム神殿での礼拝は、道徳的な面での罪を贖う礼拝の仕方を未だ用意されていなかったのです。確かに、動物の犠牲は祭儀的な律法に違反した罪を贖うためでした。他方それだけでなく人間の道徳的な罪を贖う犠牲を象徴しており、将来神がそのための贖罪の犠牲を備えてくださる、という約束でもありました。
 こう言った状況で、道徳的な面での律法を守るために、悪い人間が果たして正しい行いができるかと言う問題があります。それに対するユダヤ教の教えは良いことをすれば、悪い人間が正しくなると言うのです。これがユダヤ教の基本的理念です。
 元々人間は悪い傾向を持っているから、律法によって、神の権威のもとで正しい行いと悪い行いを規定し、勧善懲悪の精神に沿って神の祝福と裁きを規定するならば、人間は悪い行いをしなくなり、正しい行いをするようになる、その結果、次第に正しい人間になるという人間観がそこにあります。神的権威とそれに基づく社会的制裁という外からの力によって、良いことを行うように強制すれば、人間は正しい人間になることができるという考え方です。
 このことは社会改良や公衆道徳向上の場合にはある程度効果があります。町を美化するために、紙くずや、たばこの吸い殻を通りに捨てた人は罰金を科せられるという市の条例を作れば効果があるでしょう。         
 
(2)神の国
 それに対して、イエスの人間観は全く異なります。神の命令である二つの掟を守るためには、罪人である悪人が、内的に質的に変えられ、神を信じ、神に従う正しい人間となることが一番初めに必要であり、そのような者が神の二つの掟を守ることができると言う見方です。
 イエスは神の律法について教えられた山上の説教の締めくくりの部分で次のように仰せになりました。マタイによる福音書7章17~18節の御言葉です。
 「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。」
 従って、神に選ばれても、二つの根本的な神の命令を実行しない、頑なで、罪深い民の罪を贖い、神を知り、神に心から従う新しい民とすることが、神の国到来の最大課題です。実に、神の御子イエスの使命はこの課題を果たすことでした。神の国とは、人間一人一人が神との人格的な交わりに入れられて、神の御前に生きる国です。
 そのためには、神の永遠の御子が人間となられた御子イエスにおいて、神は人間にご自身を究極的に啓示されました。御子イエスを見ることにより、人は父なる神ご自身を見ることができるのです。イエスの語る言葉、行動、性質を見て、神ご自身を知ることができるのです。
 さらに、罪のない御子イエスが、人類の罪を担い、人類のために、人類に代わって、罪に対する神の裁きを受け、十字架の死に至るまで父なる神の裁きに従順であったことにより、わたしたちの罪は御子イエスの中で、神の御前に取り除かれました。
 その結果、父なる神は御子イエスを復活させ、主イエス・キリストとして、神の国の支配者とされました。この主イエスの中で、わたしたちの罪は消え去り、主イエスの義がわたしたちに与えられているのです。従って、わたしたちは神の子と呼ばれる新しい人間として、主イエスの中で、創造されたのです。
 それゆえ、主イエスを信じる者は、だれでも日毎に罪を赦され、聖なる義なる恵み深い神との人格的な交わりの中に入れられ、神の御前に生きる新しい人間となったのです。
 そこで、新しい人間として、生きることは自分の悪い思いと悪い行いを日々捨て去り、神の命令を日々実行することなのです。なぜなら、その二つの事柄を実行する自由が、主イエスの中で既にわたしたちに与えられているからです。
 これはただ罪人を愛し、罪人を神の御前に生きる神の子とする神の愛、すなわち贖罪愛によるのです。まったく人間の功績によるのではありません。ただ御子イエスの恵みによるのです。
 主イエス・キリストはご自身が父なる神の掟を実行された者として、わたしたちに二つの掟を命じられました。それはわたしたちが主イエスの中でその掟を実行する命と自由が既に与えられているからです。同時に、わたしたちは主イエスの命令を実行することによって、既に与えられている命と自由を使用して、神の御前に生きるのです。
 逆に言えば、命令を実行しなければ、わたしたちに与えられている命と自由は働かないのです。
    
(3)神を愛する
 それでは最後に、神を愛するとはどういうことでしょうか。
 第一に神を愛するということは、わたしたちが神に求め、神に祈るということです。失われていた罪人を捜し出し、見つけ、出会ってくださった神に、わたしたちと日々出会ってくださるように祈り求めることです。しかもわたしたちの求める方は神様だけです。
 言い換えれば、神が主イエスにおいて、わたしたちの中に働いて下さることだけを求めるのです。そして、神が主イエスにおいて与えて下さること以外は何も求めないのです。自分の栄光を求めず、ひたすら神の栄光を賛美するのです。
 アダムは自分が神のような知恵と力を持って、この世界を自分の所有にしようと欲したことが人類の罪です。今日の人間と社会・国家がそのような野心を持っていることが悪魔の支配下にある証拠です。
 それに対して、主イエスの支配下にあるクリスチャンは主イエスが自分たちの中に働き、導いておられますから、主イエスの思いと決断と行動を知って、自分の思いと決断と行動をそれに一致させ、主イエスに従うのです。
 そのことによって、神の国を支配しておられる主イエスの働きをわたしたちの思いと行為の中で、追体験し、主イエスの恵みを知るのです。主イエス・キリストが主であることを告白し、父・子・聖霊の神の御名を賛美するのです。
 しかし、忘れてならないことは、わたしたちはこの世界で生きている限り、まだ古い自分が残っており、自分の中に働いている罪の思いと行為を捨て去ることも同時に必要です。しかしそれを捨てる自由は既に与えられているのですから、そうすることによってわたしたちは神の子として生きるのです。
 第二に愛は、隣人を愛し、隣人と共に歩み、お互いに信仰者として成長することを喜ぶのです。また隣人の必要としていることを喜んで助けるのです。愛は、自ら進んで労苦を担い、忍耐して良い業を行うのです。
 この積極的行為も主イエスにあって既に与えられている自由を使用することにより可能です。実に隣人を愛するを通して神に従い、わたしたちは神を愛するのです。



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