2016-01-24(Sun)

命の言葉 2016年1月24日の礼拝メッセージ

命の言葉
中山弘隆牧師

 しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく、夕べになっても光がある。その日、エルサレムから命の水が湧き出で、半分は東の海へ、半分は西の海へ向かい、夏も冬も流れ続ける。主は地上をすべて治める王となられる。その日には、主は唯一の主となられ、その御名は唯一の御名となる。
ゼカリア書14章7~9節


 イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に変えられた所である。さて、カファルナウムに王の役人がいて、その息子が病気であった。この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである。
ヨハネによる福音書4章46~54節


(1)主イエスの教えと行為
 本日の聖書の箇所はヨハネによる福音書に記された病人の癒しでありますが、この記事はマタイによる福音書とルカによる福音書にも記されています。
 最初に、イエスはガリラヤ地方で神の国が今やご自身の宣教活動を通して開始しつつあると、告げられました。ところで、神の国とは神の支配を意味します。従いまして、神の国は人間が神の御心に自ら喜んで、進んで、従うことであります。その時に神の国はこの地上において始まると教えられました。
 先ず、イエスは人間が実行すべき神の意志と神の国における人間の生き方を、山上の説教において明らかにされました。次に、わたしたちが神の意志を実行することができるために、イエスは新しい命が与えられることを、ご自身の行為をもって示されました。
 なぜならば、旧約聖書の段階では、人間が実行すべき神の意思は示されていたのですが、それを実行する命と力がまだ与えられていなかったからです。従って、新しい命が与えられることが、神の国の到来にとって不可欠なのです。
 この新しい命はイエスの宣教活動の中で、先ず病人の癒しを通して示されました。この点に留意しますと、わたしたちはイエスによる病人の癒しやその他の奇跡を単にそのことだけに興味を持ち重要視するのでなく、聖書が意図しているように、神の国の到来という神の恵み深い支配に一層注意を向けることが大切です。ここに記されている奇跡は、主イエスを通して到来している神の支配がわたしたちの生活を変革する力を持っていることを証しています。

 さらに、これらの事柄は当時の人々にとって真実であっただけでなく、初代教会のクリスチャンにとって、この物語は復活の主イエスの働きを示すものとして真実でありました。それゆえ、今日のわたしたちにとっても、復活の主イエスの働きを示しているのです。
     
(2)イエスの愛と力
 ヨハネの福音書によりますと、危篤の状態になった人は、王の役人の息子であったと語られています。王とはイエスが誕生された時代のヘロデ大王ではなく、四人息子の一人のフィリポで、大王の領地の四分一領主でありましたが、ヘロデの名称を継承していました。
 このヘロデ王の役人とは、ローマ兵の百人隊長であったと思われています。ルカによる福音書では、異邦人の百人隊長と記されています(ルカ7:2)。ともかく大切な点は、そのような異邦人の百人隊長がイエスに助けを求めたのです。ヨハネの福音書4章47節では次のように記されています。
 「この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞き、イエスのもとに行き、カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼んだ。息子が死にかかっていたからである。」
 そのとき、イエスは言われました。
 「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(4:48)
 この言葉は息子を助けて頂きたいとの切なる願いをもってイエスの所に馳せ参じた役人に対して、一見冷たい態度のように見えます。そうではありません。病を癒し、命を救うと言うことは正に神の業でありますので、神に対する真の信仰が必要であるからです。
 
 信仰とは「しるし」を見て信じると言うのではなく、イエスを通して神が恵み深い支配者として自分たちの悲惨な現場に臨在しておられることを信じることです。
 この役人は、信仰を要求するイエスの言葉に応えて、イエスご自身を信じました。そして「主よ、子供が死なないうちに、おいで下さい」と申しました。その時、主イエスは仰せになりました。
 「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」(ヨハネ4:50)
 実に癒しの力は、神の御子イエスが人間の切実な問題に自ら関わって発せられた御言葉によるのです。イエスの地上のおける肉体は有限であり、過ぎ去るべきものでありましたが、そこにおいて発せられた御言葉は神の意志であり、神の行為であり、永遠なのです。その永遠な神の言葉は今日復活の主イエスを通して働いています。
 ここで重要なことは、この百人隊長が自分の人生で最大の危機に面して、自分の力ではどうすることもできないという行き詰まり状態で、絶望していたとき、イエスに最後の望みをかけたということです。望みをかけただけでなく、イエスのもとに来たということです。そしてイエスに出会ったと言うことです。
 イエスの深い憐れみと限りない熱い愛に触れたのです。そのことによって、自分の不安と苦しみをイエスがすべてご自分の上に担い、解決してくださることを知ったのです。
 それゆえに救いはイエスご自身の意志と力によるのです。最早それ以外の何ものによっても救いは不可能です。今、イエスはそのような方として、自分と対面しておられることが分かりました。彼はそのような方としてイエスの御言葉を聞き、信じて、帰路についたのです。
 「その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」(4:50)
 ここでのイエスの発言は、百人隊長と出会っておられるイエスがご自身はいかなる方であるかを示しておられます。この霊的現実の威力を察知して、百人隊長はしるしや不思議な業を見てイエスを信じるのでなく、自分と対面しておられるイエスご自身を信じることが本当の信仰であると強く意識しました。
 これが主イエスに対する聖書の信仰です。確かに人はすぐにそのような信仰に達することはできなくても、イエスを求め続けているならば必ず信じるようになります。例えば月が地球の周りを回っているのは目に見えない万有引力によります。もし引力が働かないと、猛烈な速さで動いている月は遠心力により、地球から離れて遠くに飛び去ります。同じように目に見えない主イエスの霊的引力に捕らえられ、人は自分と出会っておられるイエスご自身が神の力を持っておられることを信じるようになります。
 この百人隊長は自分の目でイエスを見て知るだけでなく、イエスと出会って、イエスの生ける人格を意識したとき、目をつぶっていても感知できるイエスの存在と人格の秘密を知りました。この信仰を別の視点から言えば、聖霊の働きによる信仰です。聖霊が人間の心に働き、信仰を起させるのです。
 そのとき、イエスは仰せになりました。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」
 この言い方は、非常に特殊な意味を持っています。つまり、イエスがこう言われるとき、それと同時に「あなたの息子が生きる」という事態が発生すると言う意味なのです。
 これまでそのような言い方をした預言者は誰もいませんでした。預言者は確かに神の名によって語り、神はこう仰せられると前置きして預言しました。それと比べるとイエスの違いは一目瞭然です。
 それはイエスを通して今、神が「あなたの息子は生きる」と仰せになっている霊的現実を表しているのです。文法的な面から言えば、「生きる」というギリシャ語の動詞の現在形は、日本語とは異なり、「生きつつある」と言う意味です。それは継続や繰り返しを意味しています。従いまして、イエスの「生きる」という言葉の現在形は、ギリシャ語の「生きつつある」という普通の意味でないことは明らかです。それは「あなたの息子は生きる」というイエスの発言と同時にそのようになるという意味での全く特殊な現在形なのです。この用法は新約聖書の中でイエスだけが用いられています。
 この状況はイエスが語られた言葉を通して、神ご自身が語られたことを示しています。それゆえに百人隊長の息子は癒されました。この言葉を聞き、信じて、家に帰った百人隊長は、癒された息子を見たのですが、「きのうの午後一時に熱が下がりました」という僕たちの報告により、「それはイエスが『あなたの息子は生きる』と言われたのと同じ時刻である」(4:53)ことが分かりました。
 そして「彼もその家族もこぞって信じた」(4:53)のです。ルカによる福音書では、イエスの御言葉に対する信仰を百人隊長が次のように告白しています。
 「ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。」(ルカ7:7)
 これが主イエスに対するクリスチャンの信仰です。言い換えれば、新約聖書の信仰です。天地万物を創造し、生かし、裁き、救う威力を持っておられる唯一の生ける神が、一旦欲し、決断してくださるならば、ただそのことにより、人間は癒され、救われるのです。
 そして困窮の中にある人間のもとに来て、その苦しみを知り、自ら担われた御子イエスによって、神は人間を生かす御言葉を語られるのです。その理由は、主イエスが父なる神を愛して、父なる神に対する絶対的従順をもって地上の人生を歩まれたことです。そのことによって、父なる神は主イエスに神の救いの全権を委ね、人間に対するイエスの奉仕を通して、救いの言葉を与えられるからです。

(3)今日の主イエスの働き
 イエスはこの百人隊長の信仰を見て、驚かれました。ルカによる福音書では、「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」(ルカ7:9)と仰せになりました。
 それはこの百人隊長が、「ひと言おっしゃって下さい。そして、わたしの僕を癒してください。わたしは権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行けと』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」(ルカ7:7~8)と言ったからです。このように彼はイエスの御言葉の持つ権威と威力を信じました。
 イエスのこの驚きの背後には、イスラエルの中に百人隊長のような信仰を持つ者が実際少ないことを見て、嘆かれたイエスの悲しみが感じられます。確かに、イエスに従った最初の弟子たちは皆、イスラエル人でした。しかし、大部分のイスラエル人はイエスを信じなかったのです。彼らはイエスを信じるために、「しるしや不思議な業を見ることを要求しました。」
 マルコによる福音書では、ファリサイ派の人々が来て、イエスを試そうとして、天からのしるしを求め、議論を仕掛けたとあります。それを見て、イエスは心の中で深く嘆かれ、次にように仰せになりました。
 「どうして、今の時代の者たちはしるしを欲しがるのだろう。はっきり言っておく。今の時代の者たちには、決してしるしは与えられない。」(マルコ8:12)
 イエスご自身と出会い、イエスの中に罪人を愛し、救おうとする神の決意と力が働いていることを知る者は、イエスご自身の他に何のしるしも不必要なのです。
 同時に神はわたしたちがイエスと出会うことにより、イエスと一つに結ばれている神を信じることを求めておられるのです。実に神はイエスを通してわたしたち一人一人に、「あなたは生きる」と仰せになっているのです。わたしたちが困難の中で、生きる方法が見つからず、八方塞がりになり、絶望するとき、神は「あなたは生きる」と仰せになるのです。
 この言葉によって、わたしたちは実際に絶望に代わって希望が与えられます。どのような困難によっても打ち砕かれず、一つの道が行き詰まれば、他の道が開かれるのです。そのようにして、逞しく生きることができます。神はわたしたちの全体を知り、支えてくださいますから、もうだめかと思っても道が開かれるのです。
 このことによって、わたしたちは常に神との親しい人格的な交わりの中にあることを知ります。主イエスを通して、わたしたちは神と対面するときに、神はわたしたちの心の中に臨在しておられるのです。同時に復活の主イエスもわたしたちの中に臨在し働いておられるのです。
 わたしたちは復活の主イエスに対して祈り求めるとき、常に主イエスと出会います。主イエスによって、わたしたちは神と出会うのです。使徒パウロはそのように生きる者の姿を自己の体験によって次のように証しています。
 「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。」(コリント二、4:8~10)
 復活された主イエスは、地上の人生において語られた御言葉を通して神の国の支配を前進させておられます。そえゆえ、「あなたは生きる」という御言葉はすべての人に語られています。わたしたちはこの御言葉を常に聞いていることが最も必要です。



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