2016-01-03(Sun)

新しい人となる 2016年1月3日の礼拝メッセージ

新しい人となる
中山弘隆牧師

 主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる。
詩編37編23~24節


 御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました。ただ、揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。この福音は、世界中至るところの人々に宣べ伝えられており、わたしパウロは、それに仕える者とされました。
コロサイの信徒への手紙1章13~23節


(1)日々新たになるために
 昨年の教会の歩みを顧みますと、わたしたちはそこに神の豊かな恵みと導きがあったことを体験し、喜びと感謝に満たされる者たちです。本日の新年礼拝において、願うことは信仰に堅く立って、この一年を主イエスにあって、神を礼拝し、主イエスにあって、神の御心を知り、主イエスにあって実行し、主イエスに従うことです。その歩みの中で、常に日々新たにされることを願っています。
 使徒パウロの手紙を読みますと、信仰生活において日々新たにされることの重要性が分かります。
 コリントの信徒への手紙二、4章16節で次のように言っています。
 「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。」
 ここで「外なる人」とは「生まれながらの人間」としてのわたしたちです。目に見えているわたしたちの姿です。それは年月の経過と共に衰えていきます。それとは対照的に、パウロは「内なる人」は日々新たにされていくと、言っています。
 これはどういうことでしょうか。人は確かに内面的に成長することにより、その人の人柄、個性、人格を形成して行きます。その結果、その人の言葉や表情、行動と態度にその内面が現れるようになります。そうなると、人間としての価値はその人の外面ではなく内面にあると言えます。
 しかし、パウロの言う意味は違った次元で人間が新しくなることです。「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリント二、4:18)
 「目を注ぐ」とは「見えないもの」に心の目を向けて、歩むと言う意味です。さらに「見えないもの」は永遠に存続するのです。
 従って、注目すべき対象は永遠に存在する人間です。そんな方は人間の中ではただ一人であり、復活の主イエス・キリストです。復活の主イエス・キリストこそ、目に見えない方であり、神であり同時に人間である方なのです。
 こういうことが分かりますと、ここでパウロはクリスチャンが日々新たにされ、キリストの性質を映し出すために、常に信仰を持って主イエスを見つめて、主イエスに従っていることが必要であると、わたしたちに言っています。

(2)主イエスの中にある新しい人間
 次に、わたしたちの新しい人間は、主イエスの中に与えられています。この点を本日の聖書の箇所が告げ知らせています。
 それはコロサイの信徒への手紙1章21~22節です。人間に神との和解が与えられたことを知らせている箇所です。
 「あなたがたは、以前神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし、今や神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、ご自分の前に聖なる者、疵のない者、とがめるところのない者としてくださいました。」
 和解を与えられる前、人間は心で神に敵対し、神の意思に反する悪を行なって来ました。それは罪を犯したために、罪に束縛され、悪を行う状態に閉じ込められた人間の悲惨な状態です。
 その状態から、神は御子イエスの十字架の犠牲の死によって、人間を罪の束縛から解放され、罪の赦しを与えられたのです。同時に、御子イエスは人類の罪を背負い、人類に代わって死なれましたが、罪を裁く神の御心を理解し、父なる神に完全に従順であったことにより、御子イエスは人類のための義を達成されました。
 それゆえ父なる神は御子イエスを復活させて、主イエス・キリストとし、御子イエスの義と復活の命を人間に贈与されました。この人間が正に新しい人間です。尚、新しい人間は主イエス・キリストの中に創造され、主イエスの中に保存されているのです。
 しかし、主イエスの中に保存されている新しい人間は、復活の主イエスが神の御前におられることにより、新しい人間も主イエスにあって、神の御前にもたらされたのです。
 このことをコロサイの信徒への手紙は、「ご自分の前に聖なる者、疵のない者、とがめるところのない者としてくださいました。」と説明しています。
 その上で、神は主イエスを通して人類をご自身と和解させられました。新共同訳では神は人類と和解されたとなっていますが、神が和解されたのではなく、人間が神と和解させられたのです。なぜならば、罪人と神との和解とは、神が主イエス・キリストにおいて、神の御前に生きる新しい人間を創造されたこと表裏一体となっているからです。従って、神は新しい人間を創造することによって、主イエスを信じる者をご自身との愛と平和の交わりに入れてくださるのです。これが和解です。
 さらに神の和解に入れられた人間は、主イエスの中ですでに新しい人間となっていますが、それは同時に地上にいる具体的な信仰者、言い換えれば、現実的なわたしたちです。
 従って、わたしたちの中で罪が全部なくなったのではありません。信仰者が生まれながらの人間を自分の内に持っている限り、自分の内に罪と悪は依然として残っていいます。今も働いています。しかし、それにも拘らず、神は主イエスによって罪人をご自身と和解させられたのですから、そのような信仰者の罪をすべて赦し、ご自身との交わりに入れてくださるのです。これが和解の現実です。
 それゆえ、神と和解された信仰者の在り方の第一は、主イエスによって、神を礼拝することです。この面でローマの信徒への手紙12章1~2節は次のように言っています。
 「こういうわけで、兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生け贄として献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを弁えるようになりなさい。」
 実に礼拝において、神は礼拝をしている会衆の内に臨在され、主イエスを通して、ご自身を示されます。復活の主イエスは地上の生涯において、語られた御言葉、またご自身の行為を通して語られた御言葉、そして主イエスの十字架と復活を通して父なる神がその意味を啓示された御言葉を語り、礼拝者と出会われます。
 その出会いにおいて、わたしたちは主イエスの性質を知り、十字架の死によって人類の罪を贖われた神の愛、すなわち贖罪愛を知るのです。
 同時に、わたしたちが主イエスと直面するとき、わたしたちの心がキリストの眼差しと光によって照らし出され、わたしたちの思いを主イエスの思いによって正されます。そして主イエスの思いをわたしたちの思いとするのです。
 つまり、この世の思いに束縛されている自分を反省し、それを捨て、主イエスの思いに従がって、自分の思いを訂正することにより、主イエスの思いを自分の思いとするのです。
 このような礼拝の中で、主イエスはわたしたちの心に聖霊を与えられるので、わたしたちは主イエスの御言葉の意味を正しく理解することができるのです。聖霊の働きによって信仰の目を持って主イエスを見つめれば、恵みと真理に満ちた主イエスの生ける人格を知ることができるのです。主イエスの働きを知ることができるのです。
 さらに、自分自身を神に献げ、神の御心を実行することを決意するのです。これは正に聖霊の働きによります。そして、わたしたちは礼拝から生活の場へと向かって行くのです。
 この礼拝において、神に祈り、神に求め、神の愛と恵みに満たされて、喜びと感謝を持って、神を賛美するのです。そしてわたしたちの思いと言葉と行動によって、主イエスの性質を映し出す者へと聖化されるために、御言葉の実践の場へと向かうのです。
 それゆえ、神と和解させられたわたしたちは、第二に、生活の場において、主イエスの御言葉を実行するのです。その実行を通して、新しい人間として生きることができます。自分の信仰生活の中で、新しい人間の内容が現れます。わたしたちは日々新しい人間になることができます。

(3)わたしたちを導かれる主イエス
 最後に、わたしたちの生活の場でも主イエスは共にいて、主として働いておられます。使徒パウロはコロサイの信徒へ1章13節で、主イエスの支配について次のように言っています。
 「御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。」
 この御言葉は復活の主イエス・キリストがクリスチャンの生活全体の支配者であることを意味しています。それではその支配はどのようにして行われているのでしょうか。
 復活の主イエスは確かに、地上の生涯と十字架の死による人類の罪の贖いと死人の中からの復活によって、人類の救いのために必要なことはすべて成し遂げて下さいました。そして、復活の主イエスは父なる神の右の座に着かれました。
 それでは、主イエスは現在わたしたちから遠く離れておられるのでしょうか。決してそうではありません。
 主イエスは今や神の力を発揮して、わたしたちの所に来られて、わたしたちの中に働いておられます。主イエスが地上の生涯で父なる神の意思と命令を完全に実行されたことにより、人間の救いは達成されたのですが、その救いを今や人間の中に有効とするために、働いておられるのです。
 つまり、復活の主イエスは地上の生涯で成し遂げられた歩みを、一人一人の信仰者の中で、「再現」するために、復活の主イエスご自身が一人一人の信仰者の中で働き、そのご自身の働きと信仰者の働きを「結合」させておられます。
 また、主イエスの働きを知ることができるのは、主イエスが信仰者に与えられる聖霊の働きなのです。言い換えれば、聖霊の働きによる信仰によってです。
 パウロはガラテヤの信徒への手紙2章20~21節で次のように言っています。
 「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。」
 ここでのパウロの言葉を意訳すれば、「わたしを愛し、わたしのために御自身を与えられた主イエスに対する信仰によって、主イエスがわたしの内に働いておられるのが分かり、今わたしはこの地上の生活で、主イエスに従って生きているのです。」と言えます。
 主イエスがわたしたちの中で働き、イエスが父の御心を認識し、決断し、行動しておられる姿を、聖霊による信仰によって、わたしたちは認識するのです。そして主イエスに合わせて、わたしたちが認識し、決断し、行動することによって、わたしたちはイエスのその思いと決断と行動を追体験します。
 今イエスはこう考え、行動しておられるのかと、気づきます。そしてイエスの行動に見習い、自分に与えられた能力の限界内で、自分も同じようにして、イエスの行動を映し出します。それは主イエスがご自身の働きをクリスチャンの働きと結合されたからです。これがクリスチャンの生き方です。
 この生き方をコロサイの信徒への手紙は、別の視点から説明しています。
 わたしたちがキリストの支配される神の国の領域で、わたしたちが生きることとして言い表しています。キリストの支配される領域には、キリストの命と自由とが空気のように満ちており、キリストの真理の光で照らされている明るい霊的な領域であります。その領域でクリスチャンは空気を吸うようにキリストの命と自由を吸って、またキリストの真理の光に照らされて、主イエスの命令を聞き、実行するのだ、と言うのです。そうすることによって、クリスチャンは自分の歩みの中で、主イエスの歩みを追体験し、見習、模倣しているのである、と言うのです。
 この冬の季節に、公園を散歩しますと寒い澄み切った空に桜が枝を伸ばしているのを眺めることができます。もう蕾は芽生えて枝にしっかりとついています。その力強さを感じます。枝の中に幹からの命が静かに流れ、蕾のついている枝が周囲に張り出し、その空間を支配しているようにも思われます。その空間は桜の枝と交流し、明るい光に輝いているのを見ると、わたしたちクリスチャンもキリストの支配される霊的領域で、生きると言うことは、樹木の枝と同じようにも思えます。わたしたちはキリストが支配される領域でキリストの命と自由を吸って、人類の歴史の中で、日々新しい人間として生きているのだと実感することができます。



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