2015-12-27(Sun)

主よ、語り給え 2015年12月27日の礼拝メッセージ

主よ、語り給え
中山弘隆牧師

 主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」主はサムエルに言われた。「見よ、わたしは、イスラエルに一つのことを行う。それを聞く者は皆、両耳が鳴るだろう。その日わたしは、エリの家に告げたことをすべて、初めから終わりまでエリに対して行う。わたしはエリに告げ知らせた。息子たちが神を汚す行為をしていると知っていながら、とがめなかった罪のために、エリの家をとこしえに裁く、と。
サムエル記上3章6~13節


 こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
ヨハネによる福音書6章6~13節


(1)神と対面した預言者たち
 今日わたしたちは聖書が神の言葉であると告白しています根拠は、旧約聖書の預言者たちや新約聖書の使徒たちが、神から直接に、そして人格的に彼らに語られた神の言葉を聞いて、その言葉を人々に宣教したからです。その内容が神の言葉であるからです。
 その預言者たちの語った神の言葉が、礼拝やその他の機会に神の教えとして語られましたので、その教えは時代を経て言い伝えられてきました。その伝承が後に記録され、聖書中に保存されたのです。
 但し、特に旧約聖書は、預言者たちの語った言葉だけでなく、礼拝や信仰生活に関する様々な教え、さらにイスラエル民族の歴史の記録と解釈、そしてイスラエル文化など様々な種類の記録から構成されています。
 そのように、旧約聖書の長い歴史を通して多くの預言者が立てられましたが、それぞれの事情は異なっています。
 イザヤの場合に、彼は神殿での礼拝に出席していたとき、神殿の奥にある至聖所を垣間見て、神聖と不可侵の荘厳さの中に存在される神のビジョンを見ました。
 このために、イザヤは御言葉をもってご自身を現される神を「聖なる神」と呼んでいます。
 また、預言者エレミヤの場合は、青年エレミヤが神から来る道徳的で心の中に働く内的な力に促されて、背信の民イスラエルに向かって神の言葉を語る使命を与えられました。
 
(2)サムエルの召命
 一方サムエルの場合には、彼がまだ少年であった頃に預言者としての召命を受けました。彼はそれまで一度も神の言葉を聞いたことはありませんでしたが、神の言葉に仕えるための教育を祭司エリから受けていました。
 もちろんサムエルは幼くても神対する信仰を持っていました。サムエルは信仰の篤い母ハンナによって、乳離れした時から神殿に連れて来られ、祭司エリのもとで、礼拝の務めについて学んでいました。神について学び、イスラエルをご自身の民として選ばれた神様の恵みに応答するには、民はどのような生活をしなければならないかを教えられていました。そのようにして、少年サムエルは、神との人格的な交わりに入るための準備の期間が与えられていました。
 ついにその時が来ました。それはサムエルの年齢が幾つのときであったかは定かではありませんが、たぶん12歳頃であったと思われます。聖書は次のように語っています。
 「まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。」(3:3)
 神殿の中に神と民との契約の箱が安置されています。その契約の箱は、イスラエルの神である主ヤーウェの王座とされ、そこに主が臨在しておられると信じられていました。
 しかし、神は人間や他の被造物とは違って、万物の創造者でありますから、神は自ら欲せられる場所に、どこでもおられ、働いておられる生ける神です。そして、御言葉を通して、神様は直接に人間と関係を造り出し、その関係によって人に命を与えられるのです。
 サムエルに神の御声が聞こえてきたのは、神殿の中に安置されている契約の箱の蓋、すなわち神が臨在される神の王座からです。
 彼はたった一人で契約の箱が置いてある部屋に寝ていたのです。その時刻は夜の間、神殿を照らす灯がまだ消えない内でしたので、多分夜明けが近づいていた頃でした。
 「主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、『ここにいます』と答えて、エリのもとに走っていき、『お呼びになったので参りました。』と言った。」(3:4~5)
 このとき、主はサムエルに御言葉をもって呼びかけられたのです。しかしサムエルは主から呼ばれたとは理解できず、日頃から身の回りの世話をしていた老人の祭司エリが何か助けを求めたのだと思いました。祭司エリは目も悪く、殆ど見えなくなっていましたので、サムエルに助けを求めていると考え、急いで彼の部屋に走って行きました。
 祭司エリは、サムエルが夢を見て、夢の中でエリから呼ばれていると勘違いして、走ってきたものと考えました。そこで次のように言いました。
 「わたしは呼んでいない。自分の部屋に戻ってお休みなさい。」(3:6)と優しく答えました。
 不思議にもこのようなことが三度続けて繰り返されましたので、祭司エリはようやく事の重大さに気づき、主がサムエルを呼ばれたのだと悟ったのです。
 そこでサムエルに神の言葉に応える仕方を次のように教えました。
 「もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております。』と言いなさい。」(3:9)と教えました。

 このようにしてサムエルは神と出会いました。その時の様子を聖書は次のように記しています。
 「主は来て、そこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。『サムエルよ。』」(3:10)
 神がこのようにサムエルの名を呼ばれたということは、神がサムエルの所に来られ、人格的に出会っておられることを意味します。
 聖書は主がサムエルのところに来て、そこに立たれた、と説明しています。言い換えれば、神がサムエルのいる場所に臨在され、サムエルと人格的に出会われたのであります。

 神は天地の創造者であり、創造者として万物を超えた方でありますから、人間の目には見えない方です。同時に、人間の耳にも神の声は聞こえません。なぜなら神と人間との間には、越えられない無限の隔たりがあるからです。しかし、神は御自身の神としての威力によって、無限の隔たりを超え、人間の心に直接、御言葉を語り、人間と人格的交わりを持つことができる方なのです。

 また預言者イザヤが見たビジョンは、聖なる神は人間と他の被造を超えた神であり、無限に高い天に住まわれる方でありますが、同時に、天から下って来て、人間の心の中に臨在される方でもありました。
 イザヤ書57:15で次のように記されています。
 「高く、あがめられて、永遠にいまし、その名を聖と唱えられる方がこう言われる。わたしは高く、聖なる所に住み、打ち砕かれて、へりくだる霊の人と共にあり、へりくだる霊の人に命を得させ、打ち砕かれる心の人に命を得させる。」
 聖書はまた次のように言っています。
 「神を知らぬ者は心に言う。『神などない』と。」(詩編53:2)
 なぜならば、見えない神はもともと存在しないと高慢な人間は考えるからです。
 しかし、神様は神の力によって、人間の心の中に住み、臨在し、人格的に出会われることができるのです。そのとき神は御言葉によって、人の心に直接、語られます。
 それは最早否定することのできない確かさで、人間の心にはっきりと聞こえます。サムエルの場合、神が語られる言葉があまりにも彼の心に明らかでありましたので、祭司エリが呼びかけていると勘違いしたほどでした。
 そのように人間と出会い、人格的な交わりを与えられる神は、そこにおいて人間に信仰をもって答えるように要求されます。
 サムエルは祭司エリから教えられたとおりに、神の呼びかけに答えて、「どうぞお話しください。僕は聞いております。」と言ったとき、神がこれから祭司エリとイスラエルの民全体に下そうとしておられる神の審判を語られました。

 次に、サムエルは自分に語られた神の言葉が祭司エリの二人の息子に対する審判でしたので、それを祭司エリに語るのを恐れていました。しかしエリはサムエルに隠さずに語るよう要請しました。
 そのときエリはサムエルに語られた神の言葉を信じて、たとえそれが自分の二人の息子たちに対する審判であっても、謙遜に受け入れました。そして次のように告白しました。
 「それを話されたのは主だ。主が御目に適うとおりに行われるように。」(3:18)
 ここに祭司エリの神に対する従順と信仰者としての高貴さが現されています。彼は神に背いている自分の二人の息子を警告しましたが、祭司としての務めを忠実に果たすようにさせることはできませんでした。それは息子たちがあまりにも悪すぎたからです。しかし、神の審判に謙遜に服従するというエリの信仰は本物です。
 なぜなら、神が審判において、ご自身の正しさを貫徹されることによって、審判の向こう側に必ず人間の救いがあるのです。このことを信じるのが聖書の信仰であるからです。

(3)御言葉を聞く姿勢
 次にわたしたちが心に留めなければならない点は、神はサムエルに呼びかけ、神の言葉を語らうと計画しておられましたが、そのためにはサムエルの側で答える態度を取る必要があったということです。そのために訓練の期間を過ごさなければならなかったのです。この点わたしたちの場合も同じです。
 人は教会に来て礼拝に参加しなければ、神の言葉を聞くことはできません。しかし教会に行っても自分の願っていることが何も得られないので、自分はもう教会に行くのを止めようと思う人が多くいます。それはまだ神と出会っていないので、神との交わりの中で自分の人生を生きることの幸いがまだ分っていないからです。
 それゆえ神の言葉を聞き、それに応答することが分かるためには、一定の期間と予備的な体験を経なければなりません。偉大な音楽を理解するためには、長い期間に音楽を学び、音楽の素晴らしさを体験する必要があります。
 信仰の場合にも、神の言葉を聞くためには、礼拝を続けて守っていますと、そのあいだに神の恵みを体験し、いつの間にか神の言葉を聞く態度が身に着くようになります。

 サムエルの場合には、神様がサムエルの名前を呼ばれました。この聖書の記事を読んだ人は、もし神様が自分の名前を呼んでくださるならば、神様と対面していることが分かるのだろうと想像するかもしれません。しかし、わたしたちの場合は、自分の名前を呼ばれなくても、神様は自分のことを全部知っておられると思うとき、それは自分の名前を呼ばれていることと同じなのです。
 人は孤独の中で悩んでいるとき、本当に自分を理解してくれる人がいたらどれほど慰められるだろうかと想像するのですが、神様はわたしたちを一番よく理解しておられる方なのです。このことに気づくとき、わたしたちは信仰に近づいています。
 神様が主イエスを通して、わたしたちに直面しておられるという霊的な現実が、わたしたちが自分の人生を生きる上で、一番頼りになる現実であるということに気づくのが信仰なのです。
 この神の確かさをわたしたちの心に認識させる方は、聖霊なる神なのです。さらに聖霊の働きはわたしたちに信仰を与え、わたしたちが信仰を持って神の言葉を聞き、信仰を持って神に従うようにするのです。つまり、主イエスを通して、わたしたちは神の御前に正しい者とされ、神の御心を自発的に従い、感謝と喜びの新しい命に生きることができるのです。

 この神が主イエスを通して、わたしたちに日々「汝よ」と呼び掛けて下さるのです。この呼びかけに「はい、僕はここにおります。主よ、お語り下さい」と応答するときに、わたしたちは神との人格的関係に入ります。
 この神との交わりの中で、御言葉を聞き、祈り求め、御心を実行することによって、わたしたちは周囲の人々との人間関係を良くすることができます。またわたしたちの職場、家庭、その他の場所で与えられている課題と責任を良く果たすことができます。

(4)生ける真の神
 最後に、わたしたちがサムエル記から聞くべき神の言葉は、神は憐み深く、同時に正しい方であるので、イスラエルを偏って保護し、イスラエルの悪を容認されることはありません。
 神様はご自身の意志を貫かれることによって、神の民を生かす主権者であります。
 それゆえ神の御心に反して、悪いことを考え、それを実行することに、神は「ノー」と言われます。それを捨て去りなさいと命令されると同時に、捨て去る力を与え、捨て去ることを喜ばれるのです。
 
他方、神の御心に従った善いことを考え、実行することに、神は「イエス」と言われ、それを実行しなさいと命令されると同時に、実行する力を与えて、善い行いを喜ばれるのです。この方が生ける真の神です。



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