2010-10-31(Sun)

恵みと信仰による救い 2010年10月31日(宗教改革記念日)礼拝メッセージ

恵みと信仰による救い
中山弘隆牧師

 わたしは歩哨の部署につき、砦の上に立って見張り、神がわたしに何を語り、わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように、板の上にはっきりと記せ。定められた時のために、もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
ハバクク書2章1~4節

 さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
エフェソの信徒への手紙2章1~10節

(1)宗教改革記念日
 わたしたちは本日、宗教改革を覚え、福音に基づいた信仰生活と伝道を前進させるために礼拝を守っています。ところで宗教改革は今からすでに約500年も前のことであり、教会を取り巻く社会や世界の状況は当時と今日では全く変わりました。しかし宗教改革の持つ意義は決して時代の変化とともにわたしたちの記憶から薄れていく性質のものではありません。
宗教改革によって明確にされた教理はわたしたちの日本キリスト教団信仰告白で中心的な位置を占めています。わたしたちが今日の時代において喜びと確信と希望にあふれて生活し、諸々の困難の中でも霊的な力を発揮し逞しく生き抜くためには、福音に基づく生き方こそ一番必要であります。さらに大きく変化する将来に対して不安と悩みを抱いている人々や社会に対して、人間が共に生き、他の国々と共存する新しい方向を示すためには、福音に基づく価値観や生き方が最も必要なのです。

歴史家がそろって指摘することは、宗教改革の時代に教会の改革が興る必然性があったという状況です。いうなれば宗教改革は起こるべくして起きたのです。それは中世のキリスト教世界の秩序が内部の発展と変化に対応できないので、キリスト教世界が行き詰まっていたからです。長い封建制社会の中で、農奴の不満が蓄積されていたこと、また中世の時代に廃止されていた貨幣経済が復活し、商人や金融界の力が強くなったこと、また新しい産業を興すブルジョワ階級が登場し、都市の発言力が増大してきたこと、それに加えて、ルネッサンスが約100年以前から盛んになり、ヒューマニズムの文化人が教会改革の必要性を唱えたこと、そして何よりも、ローマカトリック教会の様々な面での堕落が問題でありました。

(2)免罪符の批判
教会だけでなく、中世のキリスト教世界全体に影響を及ぼした宗教改革の開始は、以上のような一連の社会的事件と一人のダイナミックな人物、すなわち深い宗教的な関心と著しいタレントを持った司祭マルティン・ルターとの結合によっておこされました。
ルターは彼の教区であるヴィテンベルグでなされていた免罪符販売に対して、そして贖罪の教理の曲解とそのような悪用を可能にさせたローマ教皇の権威に対して、挑戦すべき時が来たことを確信して、ヴィテンベルグの城教会の扉に、95か条の論題を張り出しました。それは神学者たちの間での討論を目的にした草案でした。その日が1517年10月31日であります。世界の福音主義的教会はこの日を宗教改革の始まりとして記念しています。
ルターは信仰者として修道士として、自分の魂に平安がないことを悩み、神と自分自身の間に平和を得ようと死に物狂いの探究をする中で、聖書の研究に導かれ、次のことを発見しました。
その平和を、キリストの秘跡、すなわちサクラメントの中にではなく、また教会によって指示される功徳の業、すなわち良き業の中にではなく、「まさにイエス・キリストの中」に発見しました。

そもそも免罪符とは、ローマカトリック教会の救いの教理と深く関係しています。人は洗礼を受け、教会員になることによって、キリストの恵みの中に入ります。恵みの第一歩は、キリストの十字架の贖いです。人は教会に属するとき、それまでの罪をキリストの贖いによってすべて赦されるのです。
しかし、それはあくまで信仰生活の出発点であり、救いは信仰者が完全に「正しい者」となることによって得ることができるというのが、ローマカトリック教会の救いの教理なのです。
そう致しますと、クリスチャンは信仰の人生を歩む中で、罪を犯しますので、それを自分で償わなければなりません。どうすればよいのかと言いますと、罪を犯したときは司祭のところに行って懺悔し、司祭から命じられる罪の償いをするならば、罪から清められるのです。
そこで司祭から命じられる償いとは、祈りと善行を行うことです。すなわちそれが「功徳」と呼ばれているものです。要するに、人が救われるためには自分の罪を償う功徳を積まなければならないのです。
他方、ローマカトリック教会はミサにおいて、「キリストの聖体」を授けることによって、クリスチャンの体内にキリストの恵みが「注入」されるのです。そこでクリスチャンは、注入された恵みを活用して功徳を積むために善行を励むことができるのです。
けれども一番の不安は、人が死ぬとき洗礼を受けてから死ぬまでの期間に犯した罪は、自分の功徳では償いきれないのではないということです。そこで不足している功徳を補うために、死んだ人は煉獄に回されます。そこで死んだ人の魂は懺悔の苦行を経ることによって、功徳を積み、天国に入れられるというのが、ローマカトリック教会の救いの教理なのです。
それでも、故人のために地上の人が免罪符を買うならば、その瞬間に煉獄にいる故人の魂は天国に入るという制度が免罪符と呼ばれていました。それはローマカトリック教会の教理によれば、聖人として教会から公認された人たちは、自分の罪を償うに必要な功徳以上に多くの功徳をもっています。その余剰功徳を、教会は教皇の権限により煉獄にいる人に分け与えることができるというのです。
クリスチャンの良心によって判断すれば、ローマカトリック教会が聖人の功徳を分与するということは、もし認めるとしても、それを金で売るという事は、たとえそれが教会に対する献金でありましても、はなはだ不信仰な行為です。教会が聖ペテロ教会の建設資金を得る一つの手段として免罪符を売ることは、教会の堕落以外の何物でもありません。従いまして、プロテスタントの宗教改革に対抗して、ローマカトリック教会でも自己の宗教改革を興しましたとき、免罪符の販売を廃止したことは当然の処置です。
しかし、人が救われるために功徳を積む必要性と、聖人の余剰功徳を教会は他の者に分与できるということは、今日でもローマカトリック教会の救いの教理の中で重要な位置を占めています。
それに対して、ルターは免罪符の廃止のみならず、功徳の教理そのものを否定しました。

(3)信仰義認と救いの確信
次に、問題の核心は神様の与えられる救いに自分が入られることを人はどのように確信しているか、確信して生きているか、ということです。他方自分は救いの確信は何も気にしていないし、必要がない、地上における自分の人生を自分らしく生き、自己実現を果たせばそれで満足であると、強がりを言う人たちがいるかもしれません。しかし救いの確信がない人生は地上の浮草のような人生です。死を超えて永遠に生きるという救いがなければ、地上の人生はすべて不確かなものとなり、人生そのものが意義を失います。
そのように救いを必要とするクリスチャンに対して、ローマカトリック教会は救いの確信を与えることはできませんでした。実に救いの確信を与える教理を宗教改革者たちが聖書の中に発見したのです。
ルターはイエス・キリストに対する信仰を通して、恵みによる救い、すなわち正しい業による偽りの救いではない本当の救いを指し示している「新約聖書のキリスト教」を回復した、と主張しています。
キリストに対する信仰を通して、キリストの恵みによる救いをルターは新約聖書のパウロの手紙を研究することによって、「確信する」ことができました。
その救いの確信を与える根拠が「信仰義認」です。イエスを救い主として信じる信仰によって、神様から義と認められることであります。
義と認められるという事態は、ローマカトリック教会が言う「正しい人になる」すなわち「義人となる」ということとは全く違います。義認とは、依然として罪を犯す罪深い人間でありましても、主イエスを信じることによって神様が「正しい者」と認めてくださることなのです。しかしそれは「教会」が認めるのではなく、神様ご自身が認めてくださる「神的な事態」なのです。それゆえわたしたちの心に平安を与え、わたしたちを生かす霊的な生命に満ちています。そしてその関係は「永続する関係」であり、死によっても取り去られることのない最も確かな関係なのです。
言い換えれば、わたしたちが主イエスを信じることによって、主イエスがわたしたちの中に臨在され、聖霊を通して、主イエスの中にある霊的な命を与え、わたしたちが神の御心を実行するようにされるのです。この主イエスとの関係が死によっても切り離されることのない最も確かな関係なのです。
このような神との人格的な交わり、直接的な関係、そして主イエスがわたしたちの中に臨在され、わたしたちの中に働かれる生ける事実が、信仰義認であり、それによってわたしたちの心は平安と喜びと感謝で満たされ、わたしたちの心に神の愛と霊的な力が絶えず湧き出るのです。
この信仰義認の立場に立つとき、救いを確信することができるのです。たしかに救いは将来のことであり、天地が改まる最後の日に到来する救いでありますが、それでも確信することができるのです。この確信を与る立場が信仰義認であります。
このような神様との関係、主イエスとの結びつきは、教会の語る福音を聞いて、また自分で聖書を読んで、主イエスを信じるときに、与えられる永遠の関係です。それは自分の努力や功績によらず、自分が現在ある姿のままで、全く無償の神の贈り物なのです。しかし、それは決して安価な贈り物ではありません。
ルターは信仰義認を語るとき、それを結婚指輪にたとえました。結婚指輪は二人の関係を示すものですが、それは主イエスとクリスチャンの関係です。そして、ルターはその関係において、聖なる交換が行われると言いました。わたしたちの罪と死とがキリストのものとなり、キリストの義と生命がわたしたちのものとなる聖なる交換が行われると教えました。そして重要なことは、この聖なる交換はクリスチャンがキリストに従い、神に仕える信仰生活の中で絶えず生起するのです。
宗教改革の救いの教理は、エフェソの信徒への手紙が2:8~10の御言葉に堅く立脚しています。
「あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではありません。神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のため、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。」
要するに、神はわたしたちが善をおこなうように、キリストにおいてわたしたちを造られました。この恵みの中に生きるため、キリストを信じる者を、神はご自身との正しい、直接的な人格関係に入れられるのです。エフェソの信徒への手紙は、「あなたたちは、恵みにより、信仰によって救われました」といっていますが、それはあくまでも「キリストご自身の中」で、わたしたちが「既に救われている」ということであり、その救いが「わたしたちの中で実現する日」はこの天地が変貌して新しい天地となる歴史の終わりの時です。しかし、信仰によってキリストとつながっている者は、自分が救われることを確信するのです。
このように「神の救い」に対して確信を与える信仰義認の立場を説教することによって、宗教改革は広まっていったのです。

宗教改革の旗印は、「信仰義認」と「聖書の権威」と「万人祭司制」と「洗礼と聖餐式」の二つの聖礼典です。ローマカトリックは聖書よりも教皇によって執行される「教える教会の権威」を優先させました。それに対して、宗教改革は「神の言葉」としての聖書の権威を信仰と生活の唯一の規範としました。万人祭司制とは、信仰者が司祭の仲介を経ないで直接神に祈り、神と交わることができことです。それから、ローマカトリックでは七つの秘跡がありましたが、プロテスタントは洗礼と聖餐式の二つの聖礼典に限定しました。
このように、ルターはローマカトリック教会を使徒的な原理に基づいて改革することを支持しました。しかし、ルターによって起された宗教的論争点の深さを教皇側が理解する能力がなかったことが、ローマとドイツの司祭との絶交へと押しやりました。教皇の権威についての数回の討論、その後の和解の試みと脅迫を繰り返す中で、ローマカトリックとルター主義との間で、キリスト教に関して根本的な相違があることが明らかになったのです。

1521年にヴォルムスの国会で、皇帝と教会の権威者たちはルターと対面し、そこにおいてルターの見解の撤回を求めましたが、ルターはそれを拒否しましたので、ルター派の教会とローマカトリックの絶交が決定的になりました。
また、1529年にシュパイヤでの帝国議会がローマカトリックの立場に立ち、ルターの改革運動を阻止しようとしましたが、ドイツの7人の領主たちと14の自由都市の代表たちがそれに反対し、自分たちの領土や都市で宗教を選ぶ自由を主張しました。そのために「抗議する者たち」という意味で「プロテスタント」と呼ばれ、そこから宗教改革を推し進める陣営はプロテスタントと呼ばれるようになったのです。

それ以後、ルターを中心とした改革運動はドイツとスカンジナビアに広まりルター教会となりました。また、ルターの書物は世界中にインパクトを与え、そこからスイスにおいて改革運動がおこり、改革教会が世界的な改革を進めました。
先ず、スイスのドイツ語を話す州で、ツイングリが早くも1516年から改革を始まました。その運動がスイスのフランス語を話す州に伝わり、ジュネーブでカルヴァンが1531年から改革を始めました。その運動は西の方向に広がり、フランスのユグノーの教会、オランダの改革教会、スコットランドの長老教会、そして英国のピューリタンたちの運動へと広がっていきました。
宗教改革運動は、このように1500年頃から開始され、1650年頃に頂点に達しました。それは教会の改革だけでなく、社会や政治そして文化の広い面での改革運動でありました。
その後、プロテスタントは多くの教派を生み出し、今日に至っています。日本のプロテスタントはドイツとスイスで起こった宗教改革の流れが、アメリカ合衆国に伝わり、そこで活発な力を発揮し世界伝道に着手したアメリカ合衆国のプロテスタントにより日本に伝わったのです。それゆえに、日本のプロテスタントの諸教派の教会組織は皆「自由教会」として存在しています。ドイツの「州教会」やスコットランドの「国教会」ではなく、国家や州から独立した「自由教会」として伝道しています。このように制度は国や時代によって異なりますが、信仰の性質やその基本はプロテスタントとして共通であります。
日本基督教団はその一つでありますが、しかしそれだけでなく、キリストの体なる「一つの」、「聖なる」、「使徒的な」、「普遍な」教会であることを告白して、信仰告白の中に使徒信条を入れています。その意義も大きいのです。



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