2015-12-06(Sun)

真実の悔い改め 2015年12月6日の礼拝メッセージ

真実の悔い改め
中山弘隆牧師

 ああ、エフライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨て、ツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる。わたしは、もはや怒りに燃えることなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。
ホセア書11章8~9節


 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書19章1~10節


(1)預言者のメッセージ
 アドベントの期間において、本日の礼拝でわたしたちは旧約聖書の預言の中心的メッセージを聖書から聞くことを願っています。
 聖書は旧約聖書と新約聖書の二つの部分から成り立っています。それは神がイスラエルの民と結ばれた古い契約を語っている旧約聖書と、霊的なイスラエルであるキリスト教会と結ばれた新しい契約を語っている新約聖書から構成されています。
 しかし、聖書は一つであり、旧約聖書と新約聖書を合わせて神の言葉なのです。従いまして、聖書の中にある二つの契約は、実は神が人類と結ばれた一つ契約なのです。なぜならば神と人間との契約は、真の神であり同時に真の人間である仲保者を通して成立するので、旧約聖書はその仲保者の到来の約束によって成り立ち、新約聖書はその仲保者の到来によって確立し、永遠の契約となりました。それゆえ旧約聖書は仲保者であるキリストの到来を預言しています。それに対して新約聖書はキリストの到来を知らせています。旧約聖書と新約聖書のこの関係によって、新しい契約は古い契約の成就なのです。
 つまり、旧約聖書の意味はその長い歴史を通して、全人類の救い主であるキリストの到来の準備をすることでした。言い換えれば神様がそのために神の民イスラエルを教え、訓練されたのです。
 旧約聖書の中で、ホセア書は最も強くキリストの十字架の贖いによって示された神の深い愛を証言しています。預言者ホセアは、キリスト降誕の746年前に、イスラエルで預言活動を開始したと言われています。当時神の民はイスラエルとユダとに二分されていましたので、ユダではイザヤがホセアよりわずか4年前に預言活動を開始したと言われています。
 ところでイスラエルとは神との契約によって存続する神の民であります。その契約の特徴は神が愛と真実によって、イスラエルの神となり、イスラエルをご自身の民とされたことです。
 言い換えれば、人間を超えた全知全能の神が、神から造られた被造物である人間と人格的な関係を結ばれ、イスラエルは神の恵み深い支配のもとで、神を礼拝し、神の御心を知り、神に従う生活をする義務を与えられたのです。
 それゆえ、イスラエルの歴史は、契約に基づいて、神様がイスラエルを神の民に相応しい者とするために教え、訓練をされた歴史なのです。聖書ではそれを「救済の歴史」と呼んでいます。
 しかし、その神の導きの中で、イスラエルは自分の存在の根拠である神の契約を忘れ、他の民族と同じような生き方をしました。アモス、イザヤ、ホセア、エレミヤ、ミカを初めすべての預言者たちは、この時期に契約に対するイスラエルの背信を告発しています。
 預言者たちは、イスラエルが農業を営み、町を建設し、商売に従事し、王を選び、軍隊を備え、外交を行ないながら、イスラエル国家、ユダ国家、その国民として古代世界に存続するとき、個人の生き方、国民の考え方、指導者の行動、どの点を見ても、そこには最早神に対する信頼と畏敬の念がないことを激しく糾弾しました。
 イスラエルの民は他の諸民族と同様に、物質的な利益のみを追求し、利己的で、自分たちの力に寄り頼む甚だ高慢な態度を取り、しかも有力者は弱者に対して冷淡で残虐でした。そのような状態こそ、イスラエルが神の契約を自ら破棄するに等しいと、預言者ホセアは語ったのです。
 同時にそのイスラエルに対する神の審判を語りました。犯罪の多発、不道徳な生活の蔓延、災害、不作、疫病、不安定な政治状況、イスラエルを取り巻く外国の脅威、戦争による大きな打撃などは、すべて神が背信の民イスラエルに下された神の審判である、と語りました。
 このように預言者たちはイスラエルの民に、悔い改めを迫り、促しました。しかしその中で、神の審判は民を滅ぼすことが目的ではなく、民を悔い改めさせ、民が神のもとに立ち帰るようにするためであると教えたのです。
 それゆえ神の審判を前向きに受け取り、神の審判の意図を知り、自分の高慢と貪欲が罪であることを悟り、自分により頼まず、神により頼み、自分の悪い思いと行動を捨て神に従うことを勧めました。
 たとえて言えば、神が高慢なイスラエルの頭上に拳骨を一つ下されるとき、イスラエルは「ああ、痛い」と叫ぶと同時に、「神様、有難うございます」と、言って自分を反省し、本気で神に信頼し、神に従う決心をし、行動することが悔い改めである。それが神に立ち帰ることであると、言ったのです。
 同様のことを、預言者エレミヤは背信の民ユダに対して語り、悔い改めに強く迫りました。エレミヤ書4章1~2節で次のように語っています。
 「『立ち帰れ、イスラエルよ』と主は言われる。『わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。』もし、あなたが真実と公平と正義をもって『主は生きておられる』と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする。」

(2)神の愛の深さ
 ところがここに深刻な問題が横たわっています。それは罪を犯し、罪に慣れ、罪に浸っているイスラエルは、真実に神に立ち帰ることは最早できないと言う深刻な状況です。ホセアは6章4~5節でこのように神の言葉を語りました。
 「エフライムよ、わたしはお前をどうしたらよいのか。ユダよ、お前をどうしたらよいのか。お前の愛は朝の霧、すぐに消え失せる露のようだ。」
 預言者が審判と同時に神の赦しと助けを約束する悔い改めの勧めに聞き従って、イスラエルの民は6章1節で記されているように、「さあ、我々は主のもとに帰ろう。」と言うのですが、実はその悔い改めは真実な悔い改めではなかったのです。
 イスラエルの民は口先で悔い改めると言っているが、その心は軽薄である、その愛は朝の霧や露のようにしばらくの間は見られても、すぐに消える儚いものであると、神は仰せられるのです。イスラエルには契約を守ろうとする熱心さがない。神を愛する愛がない。神はイスラエルの民が、生活のすべての面で神の意思に応答することを求めておられるが、そのことをイスラエルは全然悟っていない、と仰せになるのです。実に民の心の中まで見通しておられる神の前では何事も隠せないのです。
 それでは真実に悔い改めすることの不可能なイスラエルの将来は、絶望と破滅しか残されていないのでしょうか。たしかに、人間が自分の力により頼む限り、救いの道は閉ざされており、民に残されているのはただ滅亡だけです。
 しかし、ホセアはここで神の愛の深さを知ったのです。ホセアの妻は不倫の妻で、ホセアと子どもたちを残したまま家を出て行きました。挙句の果てに情夫に捨てられ、奴隷となっていたのを見て、ホセアの心に憐みの情が沸き起こり、不倫の妻をそれでも愛する愛によって、奴隷の贖い金を支払って家に連れ帰り、妻として処遇しました。この時、ホセアは背信の民を裁かれる神の深い愛を知ったのです。この体験を通してホセアは神の愛の究極目的を預言しています。
 「ああ、エスライムよ、お前を見捨てることができようか。イスラエルよ、お前を引き渡すことができようか。--わたしは激しく心を動かされ、憐みに胸が焼かれる。わたしは、もはや怒りに燃えることがなく、エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちの間にあって、聖なる者。怒りをもって臨みはしない。」(11:8~9)
 この預言は、神の心の中に湧きおこっている無限に深い愛を語る神の言葉です。それは人間の思いを遥かに超えた「聖なる神」の思いです。それゆえ、イスラエルは神によって贖われる時が必ず到来する。そのときイスラエルは真実の悔い改めをすると預言しました。
 今やホセアの預言はキリストの十字架の贖いによって成就したのです。

(3)聖霊の業としての悔い改め
 宗教改革者カルヴァンは神がキリストにおいて、人間の救いのために達成してくださった事柄は、キリストがわたしたちの外側に留まっておられる間は、わたしたちの救いとならない。しかしキリストがわたしたちの中に臨在し、働かれるとき、それはわたしたちの救いとなる、と言っています。
 言い換えれば十字架の死によって、人類の罪を贖い、復活して天地万物の主権者となられた復活の主イエス・キリストが、神としてわたしたちの内に住み、働くことによって、ご自分が達成された人類の救いがわたしたちの中に与えられるのである、と言っています。
 その際、キリストの働きを信仰者は聖霊によって知らされるので、復活の主イエスとわたしたちとを結ぶ方は聖霊であると言っています。このことを新約聖書はクリスチャンの在り方を「キリストの中に存在する」と言っています。「キリスの中にある」と言うことは、キリストがクリスチャンの中に臨在されることであり、クリスチャンがキリストと結ばれることです。
 その結合を有効にする役目が聖霊の働きなのです。しかも重要なことは、キリストが聖霊をわたしたちに与えてくださるのです。キリストは聖霊の授与者なのです。
 復活のキリストは御言葉をもってクリスチャンと出会われますが、その言葉を理解させるのは、聖霊の働きです。
 それゆえ、聖霊の最も中心的な働きは、十字架について死に、人類の罪を贖い、復活して今や主となられたイエス・キリストに対する信仰を与えることです。実に信仰は聖霊の働きなのです。
 その信仰により、わたしたちは神の御前に罪を赦され、神の子とされ、神の民として、新しく生まれるのです。それゆえ、聖霊により、信仰者は新しく生まれるのです。これが「新生」です。
 また、キリストの復活の命をわたしたちの中に働かせられる方も聖霊です。そしてわたしたちがキリストに従うようにされる方も聖霊です。それゆえ、聖霊はわたしたちを「聖化する方」です。
 このような信仰を持って、わたしたちがキリストに従い、キリストの性質に似る者へと聖化される過程が信仰生活なのです。

 ところで、宗教改革者カルヴァンはそのような信仰生活を「悔い改め」と言う言葉で総括しています。そのような悔い改めは旧約の預言者たちが要求した「神のもとへ立ち帰る」歩みなのです。従って聖霊の働きである悔い改めは二つの側面を持っています。
 一つは、主イエスがわたしたち一人一人に向かって、「わたしはあなたの代わりに十字架について死んだ。このことはあなたたちがわたしの中で、古い自分に死んだことを意味している。それゆえ、あなたは最早自分により頼んではならない。さらに、わたしがあなたの代わりに死んだことは、あなたの悪い思いと悪い行いのために死んだのである。それゆえ、あなたはその悪い思いと悪い行いを捨てなさい。」
 このキリスの愛の言葉により、わたしたちは自分により頼まず、同時に自分の悪い思いと行いを捨て去ること、これが悔い改めです。
 もう一つ他のより積極的な面は、復活のキリストは「わたしが復活し、神の御前に生き、神の国の支配者とされたのは、あなたがたが神を知り、神に祈り、神の命令を実行して、神の愛と恵みを体験し、神の栄光をあらわすためである」と仰せられるのです。
 わたしたちはこの復活のキリストの御言葉を聞くとき、その命令を実行することが可能とされていることを知るのです。そして直ちに実行するのです。そのことにより神に喜ばれるのです。そこに限りない感謝と喜びがあります。そのようにしてクリスチャンは神の栄光を現すのです。
 最後に大切なことは、悔い改めとは、主イエス・キリストを信じて、主に従う信仰生活を始めることだけでなく、信仰者の全生涯が悔い改めなのです。全生涯において、古い自分と、自分の悪い思いと行いを捨て去り、復活の中に備えられている新しい自分として生き、神の命令を実行することにより、神に向かって歩むのです。
 この二つのことの繰り返しによって、わたしたちは聖化され、キリストに似る者となり、信仰共同体としての教会が神の栄光を現すのです。信仰共同体こそ、復活のキリストの体であり、信仰共同体の中にキリストが臨在され、キリストによって聖霊が与えられているのです。
 教会の礼拝により、神を主イエス・キリストによって、聖霊を通して礼拝する時、わたしたちの心が清められ、キリストの復活の命を受け、神の御心を実行することによって、わたしたちは神の御前に至る信仰の旅路を歩むのです。この信仰の旅路こそ、旧約の預言者たちが語った真実の悔い改めの実現です。



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