2015-11-01(Sun)

聖徒の国 2015年11月1日の礼拝メッセージ

聖徒の国
中山弘隆牧師

 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ、汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ、愚か者がそこに迷い入ることはない。そこに、獅子はおらず、獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み、主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて、喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え、嘆きと悲しみは逃げ去る。
イザヤ書35章8~10節


 わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。天使はまた、神と小羊の玉座から流れ出て、水晶のように輝く命の水の川をわたしに見せた。川は、都の大通りの中央を流れ、その両岸には命の木があって、年に十二回実を結び、毎月実をみのらせる。そして、その木の葉は諸国の民の病を治す。もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、ともし火の光も太陽の光も要らない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。
ヨハネの黙示録21章22節~22章5節


(1)ヨハネの黙示録の目的
 本日は既に天に召された方々を覚えて礼拝を守っています。わたしたちもやがて召される天国がどういうところかについて想うため、ヨハネの黙示録を読んで、その御言葉に聞きたいと思います。
 この書の目的は、1章1節に示されています。
「イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」
 このように本書の目的が述べられています。それはキリスト教に対するローマ帝国の迫害が始まった時代に、クリスチャンを励まし、信仰を維持させるために書かれたのです。さらに初代教会では、復活のキリストの再臨が自分たちの時代に起こると考えられていました。ここでも「すぐにも起こるはずのこと」を神が天使を通して、「イエス・キリストの黙示」として示されたと言っています。
 しかしそれはあくまでも黙示文学の種類ですから、絵画的な表現になっています。それにしても、キリストの救いが完成する神の国の霊的な現実を表していますので、現代のわたしたちにも通用する内容を含んでいます。

(2)天地の更新
 救いの完成については、21章の1節で次のように記されています。
 「わたしたちはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去っていき、もはや海もなくなった。」
 ここで、キリストの黙示を示された預言者ヨハネは、目の前に啓示された新しい天地を説明しようとしています。
 それは古い天地とは根本的に変わっていますが、しかし、古い天地と本来的に異なる別の天地が現れたというのではありません。そうではなく、古い天地が更新され、新しくなったのです。このことは21章5節で一層明らかにされています。
 「すると、玉座に座っておられる方が、『見よ、わたしは万物を新しくする』と言い、また、『書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である』と言われた。」
 玉座に座っておられる方とは全能の神様です。その神がご自身の力と権威を持って「わたしは万物を新しくする」と宣言されたのです。ここで、神様は新しい万物を創造すると、仰せになっているのではなく、既にある万物を新しくすると仰せになっています。
 このことは非常に重い意味を持っています。万物とは神が創造された人類であり、この世界でありますが、人間が神への不信仰と不従順によって堕落したため、人間も世界も虚無に支配されるに至りました。従いまして、神様は人間の罪と悪を取り除き、神の栄光を現す人間と世界にするため、すべてを根本的に新しくすると言われたのです。
 これが聖書のメッセージの非常に重要な点です。すなわち神様は創造の時に意図された目的を、人間の罪と堕落によって、諦めたり放棄したりせず、救いによって達成されると仰せになったのです。

 さらに、重大な意味を持っている言葉は、21章6節です。
 「ことは成就した。わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から値なしに飲ませよう。」
 ここで、神は「ことは成就した」と仰せられました。これは地上にいるわたしたちの間では、まだ実現していませんが、神の御前ではすでに実現したのです。言い換えますと、主イエスの十字架の贖いの死と復活の中で、すでに成就したのです。主イエスの死と復活によって、神の御前には今や天国が出現したというのです。
 確かに、天国は時間を超えた永遠の世界です。しかし天国は以前から存在していたのではなく、今や神が主イエスの十字架と復活を通して、神の御前に実現されたのです。
 「ことが成就した」という深い意味は、神様が無の中から天地を創造されるとき意図されていた神の目的が、主イエスの十字架と復活により成就した、という神的な事実です。それは人間の罪と堕落によって混乱した世界が、神の意志に従い、神の栄光を現す新しい世界へと変貌したという霊的な現実です。

 さらに重要な点は、歴史の世界が物質によって構成されているのとは異なり、新しい世界は霊的な素材によって構成され、真に存在する永遠の世界なのです。
 さらに聖書の救いは、人間だけの救いではなく、宇宙と被造物全体の救いとつながっています。このことを思い巡らしますと、神様のなさることは何一つとして無駄なものはない、という驚嘆を覚えます。

(3)新しいエルサレム
 次に、ヨハネが見た人間の住まいは新しいエルサレムです。21章10~11節でこのように言っています。
 「この天使が、霊に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下ってくるのを見せた。都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。」
 第一に、新しいエルサレムの特徴は、神殿がないということです。町全体が神の栄光を輝かせているのです。22節でこう言っています。
 「わたしは都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。」
 全能者である神と小羊とが、直接に都の中に臨在しておられるというのです。小羊とは、屠られた小羊のことであり、人類の罪の贖いのため死に渡され、復活した主イエス・キリストを意味しています。
 神と主イエスがその中におられるので、天の都は神と主イエスから出る永遠の生命に満たされており、都全体が透き通った碧玉のように、神の栄光で輝いているのです。

 実に都は神の栄光に照らされるだけでなく、透き通った碧玉のように、神の栄光が都の内部にまで浸透しているのです。その結果到底言葉では表現できない美しさで、都は宇宙の中に輝いて見えます。
 特に、諸国の救われた者たちが、神と小羊の玉座に近づくために歩いてくる都の大通りは、21節で言われているように、「透き通ったガラスのような純金」で出来ています。聖書がいう碧玉は緑色であり、ガラスのように透明な純金は金色です。このコントラストも美しさを際立てています。
 さらに、都の素材はすべて透明で、中まで神の栄光に照らされているので、そこに神様が臨在しておられるのが遠くからも見えるのです。
 また、人間も同様に、身体が透き通った霊的素材で出来ていますので、自分の存在全のすべてが人の目に見えるのです。従って、人は自分の秘密をもはや持たなくなります。また、自分の罪が取り去られ、人の前に隠さなければならない欠点はすべてなくなるのです。そのため、人は互いに全存在をもって出会い、理解し、感謝し、喜び、大きな調和の中で存在することができるのです。

 次に、地上の王たちは、自分たちの栄光を、そして諸国の民は、自分たちの栄光と誉を携えて集まり、都の中心におられる神と主イエスの前にそれを献げて礼拝します。このことは21章24~26節に、述べられています。
 「諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。--人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。」
 これはなんという麗しい、明るい、そして肯定的な光景でしようか。ここで「誉れ」というギリシャ語は「価値」という意味もあります。彼らが地上の生活の中で達成した人間的なすべての価値を神に献げ、神はそれを喜んで受け入れられるというのです。
 ここに、人間が神の創造の秩序の中で、努力して実現した真実な事柄は、霊的なものへと変貌し、神の栄光の中で輝くようになるのです。
 もちろん、このようなことが実現するのは、20章に記されている神の最後の裁きを経て、初めて可能になったのです。
 20章12節で、「死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。いくつもの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。」と記されています。
 最初の書物には、人間のなしたすべての行為が記されていて、この書物によって、人は自分のなした行いに応じて裁かれなければなりません。もう一つの書物は、主イエスの贖いによって、神に知られている者の名前が記されている書物です。この書物は「命の書」と呼ばれています。
 すべての人間はこの二つの書物を経て、都に入るのです。従いまして、都に入ってくる王たちや諸国の民は、命の書物に名を記された人たちです。なぜならば、都の中には、汚れた者は入ることはできないので、彼らは皆主イエスの十字架の血によって清められた者たちです。従って、彼らが携えてくる価値は、最初の書物によって裁かれ、あるいは篩にかけられ、悪い業は捨てられ、善い業だけが取り出されたものです。
 しかし、ここで非常に不思議で、心底から驚くことがあります。それは19章19節の言葉です。
それによりますと、諸国の王たちとは、主イエス・キリストと戦っているサタンの部下たちで、主イエスに反抗していた者たちです。
 「わたしはまた、あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために、集まっているのを見た。しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた。」(19:19~21)
 従いまして、彼らはサタンと共に滅ぼされた者たちなのです。神の言葉の剣によって切り殺され、完全に無に帰した人たちのはずです。
 それなのにどうして彼らが、神の国に入ってくるのか、と非常に疑問を感じるのですが、その秘密は主イエスの十字架と復活の出来事により、すべての人間は神の裁きを経て、救われるからです。同時に、彼らのなしたすべての悪い業は、イエスの十字架の死と共に滅び、彼らのなしたすべての善い業は、イエスの復活と共に与えられ、主イエスの恵みによる善い業として、神への献げ物ものとなっているのです。

(4)神を見る
 最後に、天の都でわたしたちが経験する一番の幸いは、神を見ることです。そのことは、22章3節~5節に次のように語られています。
 「もはや、呪われるものは何一つない。神と小羊の玉座が都にあって、神の僕たちは神を礼拝し、御顔を仰ぎ見る。彼らの額には、神の名が記されている。もはや、夜はなく、灯の光も太陽の光もいらない。神である主が僕たちを照らし、彼らは世々限りなく統治するからである。」
 ここで玉座は一つです。このギリシャ語は単数名詞でありますので、一つの玉座です。しかも一つの玉座は、神と小羊の玉座なのです。
 そして玉座の前で礼拝している者たちが、「神の御顔」を仰ぎ見るというのは、人類の罪を贖うために屠られた「御子、主イエス・キリストの御顔」を見るという意味です。

 「父なる神」は万物の創造者であり、万物を超えて存在される「超越者」でありますので、天国においてもわたしたち人間が父なる神を直接見ることは不可能です。あくまでも、父なる神の本質を完全に現して下さった「復活の主イエス・キリストの生ける姿」を見るのです。
 わたしはいつも思っていますが、クリスチャンの最大の幸いは神の国で復活の主イエスを直接に見ることだと思います。罪深い者を、見つけ出し、出会い、罪を赦し、主と共に歩ませてくださっている、この言葉では言い尽くせない神の恵みは、今わたしたちが体験していることですが、他方その実体は主の中に隠されています。その霊的な現実は、わたしたちが復活のキリストと顔と顔とを合わせて出会うとき、初めて見ることができると言うのです。この約束ほどわたしたちの心を捕らえる慕わしきものは他にはありません。また、わたしたちの親しい者たちも、主イエスを中心にして再会できることを思えば、主を見ることが最大の願いとなります。
 そしてわたしたちは神の国で、「御顔」を仰ぎながら、神を礼拝するのです。なお、「都の中心」には父なる神と主イエス・キリストの玉座がありますが、それだけでなく、玉座は天国に入るすべての「人の心の中」にもあります。すべての人が自分の中心にいます復活の主を凝視するならば、そこは都の中心のように思えます。そして玉座から常に流れ出る神の愛と霊的な力が、豊かに人の心に湧き出るのです。
 最後に、天国は創造と救済の完成した国であり、すべての人が救い主イエス・キリストの性質を映し出しているのです。人は最早働き、変化する存在ではありません。すべての人が主イエスにおいて働いた自分たちのすべての業を神に献げるのです。そして聖霊を通して神を礼拝し、祈り、神を賛美するのです。



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