2015-10-11(Sun)

追い求める 2015年10月11日の礼拝メッセージ

追い求める
中山弘隆牧師

 わたしは歩哨の部署につき、砦の上に立って見張り、神がわたしに何を語り、わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。主はわたしに答えて、言われた。「幻を書き記せ。走りながらでも読めるように、板の上にはっきりと記せ。定められた時のために、もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない。見よ、高慢な者を。彼の心は正しくありえない。しかし、神に従う人は信仰によって生きる。」
ハバクク書2章1~4節


 わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。だから、わたしたちの中で完全な者はだれでも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたに何か別の考えがあるなら、神はそのことをも明らかにしてくださいます。いずれにせよ、わたしたちは到達したところに基づいて進むべきです。
フィリピの信徒への手紙3章12~16節


(1)信仰生活の目標  
 本日はわたしたちの信仰の人生が何に向かって歩んでいるのか、その目標について考えてみたいと思います。パウロは自分の生涯の目的はキリストを知ることであり、これ以外には何もないと言っています。
 「そればかりか、わたしの主イエス・キリストを知ることのあまりの素晴らしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてのものを失いましたが、それらを塵芥と見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。」(3:8~9)
 キリストの使徒として立てられたパウロは、それ以前には、熱心なユダヤ教の若い律法学者として、キリスト教を撲滅する運動の先頭に立っていました。
 ところが、パウロの確信が粉砕される時が到来しました。彼はキリストを信ぜず、キリストに猛反対をしていた最中に、キリストはパウロに出会われたのです。人知を超えた神の愛と憐みにより、キリストはパウロを赦し、彼と出会われました。
 その時、キリストは神の栄光と力をもって、呼びかけ、パウロにご自身を示されました。パウロは復活されたキリストを見たのです。今やキリストの神としての働きとその霊的現実に接して、神に対するこれまでの彼の信仰、神の救いついての彼の理解、そして信仰者としての彼の敬虔さが根本的に変わったのです。
 それまで、彼は神が人間になることは絶対にない。また人間が神になることも絶対にないと、旧約聖書とユダヤ教の信仰によって確信していました。その確信に基づいて、パウロはイエスが人間の分際でありながら、罪人に対して自分で罪の赦しを宣言したことを知って、イエスは自分を神と等しい者と主張して、神を冒涜する最も罪深い人間である。従ってイエスをユダヤ教は十字架の刑に処したのは至極当然であると考えていました。
 イエス・キリストの弟子たちも以前はイエスを神であるとは信じていませんでしたが、復活のイエスに出会ったとき、初めてイエスが神であることを知り、主イエス・キリストの御名を告白し、主イエス・キリストを礼拝するようになりました。
 パウロはそのようなキリスト教を認めることができず、キリスト教を迫害している真最中に、復活のキリストに出会ったのです。自分が迫害していたキリストが神であることを知ったとき、パウロは自分が最大の罪人であることが分かりました。同時にそのような自分にキリストが現れて下さったことにより、キリストの救いの意味を他の使徒たちよりも一層深く知ったのです。
 これは復活の主イエス・キリストがパウロに現れ、神の究極的な救いを啓示されたのです。パウロはそれを神の啓示と呼んでいます。
 「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。--しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、--」(ガラテヤ1:12~16)
 パウロはこのとき旧約聖書が証している神に対する信仰は、主イエスを通して初めて完全な信仰となったこと。神が与えられた律法に従う生活は、主イエス・キリストによって初めて成就したことが分かったのです。神がご自身を人間に啓示するために、ご自身が御子において人間イエスとなって下さることが必要であったこと。人間を罪から救うために、すべての人間の罪を御子イエスが担い、御子イエスの死において神は人間の罪を贖って下さることが必要であったこと。この二つの人間に対する神の自己譲与に基づいて、神は罪人である人間をご自身との人格的な交わりに入れて下さったことを知ったのです。実に神は御子を与えるほどにわたしたち人間を愛してくださいました。ここに人間の救いが出来事となったのです。
 同時に、パウロは主イエス・キリストに対する信仰を与えられました。実に旧約聖書の長い歴史の中でイスラエル民族に与えられていた信仰と救いは、すべて主イエス・キリストによって成就したことを知ったのです。
 正にこれがキリストの使徒としてのパウロの召命でした。このことを彼はコリントの信徒への手紙二、4:6でも次のように証言しています。「『闇から光が輝き出よ』と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」

(2)キリストの復活の命
 次に、わたしたちがキリストを信じるようになったと言うことは、これまでの生き方から、根本的に新しい生き方へ移行したことです。 
 新しい人間とは生まれながらの古い人間と異なり、存在の基盤を自分の中にではなく、キリストの中に与えられている者です。言い換えれば、キリストがわたしたちの中に神としての力をもって働き、わたしたちを導いておられるのです。
 人はクリスチャンになる以前は、多分すべての行動の動機は金儲けや有名になることであったでしょう。但し、クリスチャンになった後も、出世し、富を得、有名になることがあるかもしれません。しかし、それらの価値は「神に従う」と言う無限の価値によって色褪せたものとなります。パウロは人生の最大の目的を次のように表明しています。
 「わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみに与って、その死の姿にあやかりながら、何とかして死者の中からの復活に達したいのです。」(フィリピ3:10~11)
 パウロのただ一つの目的は、キリストを知ること、そしてキリストの復活の命に生かされることです。それでは復活の命に生きるとはどういうことでありましょうか。それはキリストに従って、キリストの生き方に倣うことです。
 それはユダヤ教が重んじている旧約聖書に書かれた律法ではなく、主イエスが新しく解釈された律法を実行することです。
 山上の説教において、主イエスは旧約聖書の律法を解釈し、「しかしわたしは言う」と仰せになりました。
 「しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者は誰でも裁きを受ける。兄弟を『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。」(マタイ5:22)
 「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬を向けなさい。」(マタイ2:39)
 「求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」(マタイ5:42)
 「しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
 わたしたちはこのイエスの命令を真剣に考えますと、自分はこの御言葉に反した思いを抱き、行動していることに気づきます。 
 以前は自分のこのような状態にさほど気にならなかったのですが、主イエスを信じるようになった今では、主イエスの言葉に反する生き方の中に罪が存在し、罪に支配されている自分の姿に気づきます。
 このように、わたしたちは主イエスの御言葉に照らされるとき、自分の罪深い姿を直視し、それを捨て去るように促されるのです。同時に、主イエスの命令を真剣に聞くときに、命令を実行する可能性が既に与えられていることが分かるのです。
 そうすることによって、わたしたちは完全にではありませんが、たとえ部分的でありましても、自分の悪い思いと行動を捨て、善を行ない、忍耐と寛容を持って、人を愛することができます。ここに信仰者の喜びと復活の命に生かされていると言う確信があります。

 従いまして、福音書に記録されている主イエスの教えは、わたしたちが実行すべき高い理想を語っているのではありません。そうではなくそれらを完全に実行された主イエスの姿がそこに映し出されているのです。イエスはそれらを実行されたことにより、真の人間となられた真の神であることをわたしたちに啓示しておられるのです。主イエスの教えには、ご自身が達成されたという事実に基づいて、わたしたちを低い思いと行為から引き揚げ、神の求められる思いと行為を実行させる神の力が秘められているのです。
 この点を悟るならば、主イエスの教えはわたしたちを突き放す冷淡なものではなく、わたしたちと実に親密な関わりを持っている実に慕わしい教えであるように思えます。そこにおいて、主イエスがご自身をわたしたちに示し、わたしたちをご自身との交わりに入れてくださるのです。

 讃美歌493の一節は「慈しみ深い 友なるイエスは 憂いも罪をも 拭い去られる。 悩み苦しみを 隠さず述べて、重荷のすべてを 御手に委ねよ。」
 また二節は「慈しみ深い 友なるイエスは われらの弱さを 共に負われる。 嘆き悲しみを 委ねて祈り 常に励ましを 受ける嬉しさ」となっていますが、これらは主イエスとわたしたちとの交わりの状況を歌っています。
 この讃美歌は、厳しい誘惑と試練とに打ち勝って神の御心を実行されました主イエスが、わたしたちを突き放さず、わたしたちの中に働き、わたしたちを担って歩み、わたしたちが主に従い、主の御心を実行するようにさせてくださる方であることを賛美しています。
 主イエスはわたしたちの弱さをご存じでありますので、それを担い、ご自身の命と義と聖をわたしたちの心に注いでくださる方です。それゆえ、わたしたちは何事でも包み隠さず、祈りによって主イエスに申し上げるならば、主イエスは聖霊によって、わたしたちの中にご自身の復活の命を湧き出させられるのです。
 それゆえに、わたしたちは自分の中に巣を作り、習慣となっている悪い思いと行動を捨て去ることができます。罪の誘惑と戦い、それを捨て去ることができるのです。
 同時に主イエスの命と自由を受けて、貧しさや困難な状況の中でも、喜んで主イエスの命令を実行することができるのです。勿論、不完全な形でありますが、実行できるのです。
 要するに、主イエスはわたしたちの弱さを担い、その悲しみと苦しみを共にし、わたしたちの中にご自身の生命を働かせ、主イエスの教えを実行するようにしてくださるのです。

(3)この一事を求め続ける
 それゆえ、パウロは自分の生き方を次のように言っています。
 「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(3:13~14)
 ここでパウロは自分がキリストに捕らえられていると言っています。正にこれが、キリストを求め続ける彼の確かな根拠なのです。
 彼は自分がこれまで達成したことは皆忘れ、神が自分に定められた人生のゴールを目指して一目散に歩み続けることであると言っています。これは自分の中に働き、自分の導いておられる主イエスにどこまでも従っているパウロの実感なのでしょう。
 英国の有名な神学者でありましたフォーサイスは、この主イエスの働きを、「わたしたちの魂の中におけるキリスト」と呼びました。
 「キリストはわたしたちに対して、人格的な関わりを保っておられる。すなわち、彼はわたしたちの状況、必要、愛、恥、罪の中で、わたしたちの救い主である。」
 キリストは常に罪の赦しを持って、わたしたちと出会い、ご自身を示し、ご自身との人格的な交わりを与えられる方、そういう意味で絶対的にわたしたちを受け入れ、わたしたちと親密な方なのです。 
 その基盤の上に立って、一方で、わたしたちが自分の罪を知り、自分の悪い思いと行動を知り、キリストの命と自由を与えられている者として、常にそれらを捨て去る自由がわたしたちに与えられているのです。他方で、わたしたちはキリストの思いと行動を知らされるとき、自分にはそのような力がないと思っても、それを実行するときに不思議にも実行できるのです。もちろん完全にできるのではありませんが、部分的でも実行できるのです。これは何と幸いなことでしょうか。すべてはキリストの働きによるのです。
 フォーサイスは実に鋭い洞察をもって、キリストが「有りのままのわたしたち」と完全に「連帯化」してくださることを見ています。
 わたしたちが正しい良いことを行い、愛と献身の働きによって神に従っているときだけでなく、罪と困窮と恥の中にあるときも、すべての状況の中で、キリストはわたしたちと連帯しておられると言うのです。その連帯によって、キリストはご自身の愛と命と自由をわたしたちの中に働かせられるので、わたしたちは自分の壁を打ち破り、兄弟たち、隣人たちと、互いに愛し合うと言うのです。



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