2015-08-09(Sun)

聞かれる祈り 2015年8月9日の礼拝メッセージ

聞かれる祈り
中山弘隆牧師

 万軍の主よ、あなたのいますところは、どれほど愛されていることでしょう。主の庭を慕って、わたしの魂は絶え入りそうです。命の神に向かって、わたしの身も心も叫びます。あなたの祭壇に、鳥は住みかを作り、つばめは巣をかけて、雛を置いています。万軍の主、わたしの王、わたしの神よ。いかに幸いなことでしょう、あなたの家に住むことができるなら。まして、あなたを賛美することができるなら。
詩編84篇2~5節


 翌朝早く、一行は通りがかりに、あのいちじくの木が根元から枯れているのを見た。そこで、ペトロは思い出してイエスに言った。「先生、御覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています。」そこで、イエスは言われた。「神を信じなさい。はっきり言っておく。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言うとおりになると信じるならば、そのとおりになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。また、立って祈るとき、だれかに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、あなたがたの天の父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。」
マルコによる福音書11章20~25節



(1)祈りの力
 わたしたちが主イエスを信じて、クリスチャンとなり、教会に連なる信仰生活を送っている中で、一番幸いなことは、神に祈ることができると言うことです。自分のために、教会のために、家族のために、信仰の友のために、地域の人々のために、祈ることです。
 神は主イエス・キリストによってわたしたちに対して、恵み深い父となってくださいましたので、わたしたちの祈りを聞いてくださるのです。祈りは神様との交わりの時です。
 わたしたちは朝目覚めるときに、先ず神様に挨拶をします。神様、今日も主イエスの義と命と使命を与えて下さり有難うございます。どうか、神様に従い、御心を実行し、神様の栄光を現す一日であるようしてください、と祈ってその日を始めます。また、夜寝る前には、今日わたしは神様の御心を少ししか行わず、御心に反することが多くありましたが、すべてを御手に委ねます。御心がなりますようにと祈って安心して休みます。
 神様はわたしたちが祈る前に、わたしたちの所に来られ、祈るのを待っておられるのです。主イエスは神様を信じて祈ることによって、わたしたちの為す一日の働きは神が共にいて導いてくださるのだと、仰せになっています。
 「わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門を叩きなさい。そうすれば、開かれる。」(ルカによる福音書11:9)
 この御言葉は実に深い意味がありますが、わたしはイエス様がこれらの言葉を通して、祈るならば神様が共にいて導いてくださると教えておられるのだと、思います。
 これはもうだいぶ以前の話ですが、わたしは東京教区の西南地区の委員をしていましたとき、中高生のワークキャンプで、浜松にある聖隷社会福祉事業団に属する浜松十字の園に行ったことがあります。「十字の園」は日本で最初に設立された特別養護老人ホームです。 
 そこには120名の病気を持つ高齢の方々が入居されていました。脳卒中の後遺症、動脈硬化症、脳軟化症、老人性痴ほう症などのために半身不随、言語障害などに苦しみ、常時介護を必要とする人たちであります。入居しておられる方々は介護、診療、看護、リパビリテーションを通して、職員との温かい人間関係の中で、とても明るく過ごしておられます。
 わたしたちは廊下のワックスがけや庭の草取り、ごみ置き場の掃除などの作業をしながら、入居しておられる方々と交わりの時が与えられ貴重な体験をさせていただきました。
 また信仰にしっかりと立って、事業を推進しておられる人たちから、創立者たちの熱い祈りと深い愛について教えられましたので、非常に大きな感動を受けました。
 ドイツの「母の家」から日本に派遣されたデアコニッセであるハニ・ウォルフさんが、近所の寝たきり老人の訪問看護を続けておられて、ホームの必要性を痛感されました。当時、聖隷福祉事業団の理事長であった長谷川保先生に、「これからは神様がホームを造るように命令しておられるのです。さあやりましょう」と決意を促されたことがその発端でした。
 そのために祈り、ハニ・ウォルフさんはドイツに行って献金を集め、聖隷福祉事業団は土地を無償で提供して、ホームが建設されました。その後、福祉関係の人たちが十字の園を見学に訪れ、日本でも方々にホームが造られるようになり、ようやく法律も整備されたのです。このような開拓者たちの献身と努力は、まことに神の愛に押し出されたものであり、祈りの力の現れです。
 十字の園の入り口には、「夕暮れになっても光がある」と刻んだ石が庭に置いてあります。これは口語訳聖書の旧約聖書ゼカリヤ書14章7節に「そこには長い連続した日がある(主はこれを知られる)。これは昼もなく、夜もない。夕暮れになっても、光があるからである。」という御言葉の引用です。実に人生の夕暮れを迎えても、神の永遠の恵みの中で、明るい希望をもって過ごすことができると言う意味で、この御言葉はホームが存在する意義を示しています。
 このように神の愛を知り、神を信じて祈るとき、その祈りを共にしている人たちの協同と奉仕を通して、神の御心が行われることを、十字の園の歴史が証しています。

(2)信頼して神に告げる
 主イエスは弟子たちにこのように言われました。
 「神を信じなさい。だれでもこの山に向かい、『立ち上がって、海に飛び込め』と言い、少しも疑わず、自分の言う通りになると信じるならば、その通りになる。だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコによる福音書11:22~24)
 このように自分の祈りが叶えられると確信して、祈ることが大切であると言われますと、わたしたちはどうのように考えるでしょうか。何が何でも自分の祈りが叶えられると強引に思い込むことでしょうか。もしそうだとすれば宝くじが必ず当たると思い込んで、宝くじを買うのと似たものになるでしょう。主イエスはそんな意味でこのように仰せになっているのではありません。

 先ず、祈りで問題になることは、わたしたちが求める事柄の一つ一つではなく、むしろわたしたちの祈りの対象である神がどういう方であるかと言うことです。
 祈りとは、人が祈る場合に神が本当に存在するかどうかを議論するのではなく、祈ることによって実際に生ける神ご自身と関わるのです。
 わたしたちは自分の目では見ることのできない神に対して祈る場合、決して空虚な壁に向かって自分で独り言を言っているのではありません。実に隠れた所におられ、わたしたちのすべてをご存知である神と対面しているのです。この点について、イエス様は仰せになっています。
 「あなたがたが祈るとき、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父は報いてくださる。」(マタイによる福音書6:6)
 ここで主イエスは神様を「隠れたところにおられるあなたの父」と呼んでおられます。神様は人間や自然とは本質的に異なる存在であり、人間の目には見えません。それゆえ、神様は隠れたところにおられます。しかし、神様が隠れておられると言うのは、神様が人間とこの世界の中におられないと言うのでは決してありません。
 そうではなく、神様はどこにでもおられるのです。神様がどこにでもおられると言うことを「神の遍在」と言います。また神が人間の目には見えないことが、神の特別の性質です。「不可視性」です。神の不可視であることと偏在が神の「働きの力と栄光」なのです。
 その神と出会い、対面し、祈ることが主イエスを信じる者には誰でもできるのです。そして神は全知全能でありますので、人間の「隠れたこと」、すなわち「心の中の真実な思い」を見ておられるのです。
 それゆえに、神はわたしたちが祈る事柄を恵み深い父として受け止めてくださいます。その上で神様の判断によって一番善いようにしてくださいます。
 なぜならばいかなる場合でも神の御心が行われることが人間にとって最良の道であるからです。
 ラザロの姉妹であるマルタとマリアは、ラザロが重い病気を患ったとき、イエスのもとへ人を送って「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」(ヨハネによる福音書11:3)と伝えました。
 その理由は、姉妹たちがこの重大な人生の危機を主イエスに伝えさえすれば、主イエスが最善の方法で助けてくださることを知っていたからです。
 事実イエスはラザロの病気をご自身の事柄として受け止め、神の栄光が現れるためにラザロの死後四日経過してから、姉妹のもとに到着されました。待ちわびたマルタは「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださるとわたしは今でも承知しています。」(ヨハネ11:21~22)と言いました。
 そのとき、イエスは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。このことを信じるか」と仰せになり、ラザロの墓に行って、墓の入り口を塞いでいた石を取りのけさせ、天を仰いで父なる神に祈り、既に死んでいたラザロに向かって、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれました。するとどうでしょうか。ラザロは復活したのです。このようにして神は主イエスを通して、マリアとマルタの祈りに答えてくださいました。
 ここで重要な点は、主イエスが神の御心を知って、御心に適うことを祈られたからです。従いまして、わたしたちがどうしてよいか分からない難しい問題に遭遇して、最も肝要なことは、神を信頼して、すべてを神の御前に差し出すことです。さらに何よりも自分自身を神に差し出すことです。
 その際に必要なことは、神に対するわたしたちの信仰と信頼です。主イエスはあるとき、弟子たちに向かって「人にできることではないが、神にはできる。神はなんでもできるからだ。」(マルコによる福音書10:27)と語られましたが、それは父なる神に対するイエスご自身の認識と信頼を言い表しています。
 ゲッセマネの園で、イエスは「アッパ、父よ、あなたには何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコ14:36)と必死になって祈られました。
 そこには父なる神へのイエスの徹底した信頼と従順があります。また、父なる神と主イエスとの間に神の愛による親密な交わりと一致があります。
 この主イエスの気持ちが分かるようになることが、わたしたちの祈りに必要なのですが、それではどうすればよいのでしょうか。
 実にそれは、生ける真の神がわたしたちの主イエス・キリストの「父」であることを知ることです。
 神はわたしたちを罪の束縛から解放し、神との人格的な交わりの中で、永遠の命に生かすために、神の御子イエス・キリストを犠牲として十字架の死に渡されました。
 これほど大きな犠牲を払ってくださったのは、わたしたちに対する神の愛がどれほど大きいかを示しています。この愛は神が良き賜物をわたしたちに与えてくださると言う程度の愛ではなく、実に無限の愛です。つまり、神がご自身をわたしたちに与え、わたしたちの存在と心と行為の中で働いてくださることです。
 言い換えれば、父なる神はイエス・キリストを死人の中から復活させ、天地万物の主とされましたので、今や復活の主イエス・キリストは神として、わたしたちの中に臨在し、わたしたちの中で働いておられます。これは人智をはるかに超えた、大きな神の恵みです。
 それゆえ、神はわたしたちの祈りを必ず聞き上げてくださるのです。祈りが聞かれるのは、決して自分たちの功績によるのではありません。主イエスがわたしたちの中に臨在しておられるからです。同時に、神はわたしたちが主イエスを信じることによって、わたしたちを神の子供としてくださったからです。
 要するにキリスト教の祈りは、神の御子であるイエス・キリストの父に向かって「我らの父よ」と呼びかけるのです。キリストを通して「わたしたちの父なる神」となってくださった神に祈るのです。そしてわたしたちの祈りを神が聞き上げてくださると言う信仰を持って祈ることです。

(3)祈りによる聖霊の働き
 最後にわたしたちが主イエスに結ばれて神に祈り求めるときに、一番大切なことは聖霊が与えられることです。或いは祈りによって聖霊が働くことです。主イエスは次のように約束されました。「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:13)
 ところで、わたしたちの救いに関して最も根本的な事柄は復活の主イエスがわたしたちの中で働いておられることです。しかし、主イエスは神として働いておられますから、わたしたちの目には見えません。そこで聖霊がわたしたちの心を照らすとき、主イエスの働きの霊的な現実とその御姿を知ることができるのです。聖霊を通して、わたしたちは主イエスの栄光を見て、主イエスに似る者へと日々変えられて行くのです。
 また復活の主イエスは御言葉を通して、わたしたちと日々出会われる神でが、そのとき主イエスはわたしたちに聖霊を与えられます。その聖霊を通して、主イエスの御言葉を理解させ、主イエスの義と命を与え、わたしたちが神の恵みに応答し、救いの中で生きるようにしてくださいます。つまり、主イエスに従う者とされます。
 このように復活の主イエスの存在と働き、その霊的な現実、聖霊の働き、わたしたちの祈り、これらすべては生命的に一つに結ばれています。それゆえ、祈りこそクリスチャンの生命線です。



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