2015-06-21(Sun)

主イエスの名によって 2015年6月21日の礼拝メッセージ

主イエスの名によって
中山弘隆牧師

 そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで、荒れ地に川が流れる。
イザヤ書35章5~6節


 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。
使徒言行録3章1~10節


(1)生ける主イエス・キリスト
 キリストの使徒たちはペンテコステの日から、聖霊の力を受けて、キリストの救いを知らせる福音を確信に満ちて宣教しました。
 本日の聖書の箇所では使徒ペトロが、足の不自由な一人の障害者を主イエス・キリストの御名によって癒したと記されています。実に、この癒しはイエスの御名によってなされた驚くべき奇跡です。
 しかしこれは単なる癒しの奇跡ではなく、主イエスによる救いを証する奇跡なのです。この出来事はキリストの福音がすべての人を救う神の力であることの証しとして起こりました。
 「すると、生まれながらの足の不自由な男が運ばれてきた。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。」(使徒言行録3:2~3)
 この人は自分の人生を懸命に生きようと努力した時期もありましたが、生まれながら足が不自由なため、自活の道は見つかりませんでした。大人になっても人に施しを乞うて命をつないでいる自分の姿を見るにつけ、何と惨めな人間であろうかと感じていたのです。
 そこに自分の人生に本当の意味を発見し、活力に溢れている人間が現れました。彼らは以前から主イエスの弟子であり、今や主イエスの復活の証人となったペトロとヨハネです。彼らは主イエスと出会う以前には、自分たちも全く哀れな人間であったことを良く知っていました。しかし、今や主イエスによって霊的な新しい命に生かされ、その力強さを身にひしひしと感じていました。
 それゆえ、大胆に、率直に、自分のすべてを開け放して、この人と出会おうとしました。その時の様子が3:3で示されています。
 「ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、『わたしを見なさい』と言った。」
 このように彼らは自分の良い所を出し惜しんだり、或いは実際よりも自分を良く見せようとして、わざと威厳を装ったりしないで、有りのままの姿で、彼の前に立ちました。そして彼の目を見つめ、心の奥まで共感できるような出会いをしました。これは何という印象的な出会いであったことでしょうか。
 そこでペトロは口を開きました。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(3:6)
 確かにこの場合、この人がペトロとヨハネに期待したものは僅かばかりの金でした。しかし本当は金銀を求めていたのでなく、もし自分が癒され、逞しく生きることができれば、自分は幸いに成れるのだが、と言う思いがまだ彼の心のどこかに残っていたのです。
 「わたしにあるものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい。」と言うペトロの言葉を聞いて、これはどういう意味かと驚き怪しみながら、しばらくペトロの顔を見つめていました。
 するとペトロは自分にとって一番大切なもの、否自分の命よりも大切にしているものをあげようと正直に言っていることが分かったのです。そこでなお一心にペトロを見つめていますと、主イエスがペトロを生かしておられることが分かり、今ペトロの中に働いておられる主イエスが哀れな自分を癒してくださると感じたのです。
 そのときペトロはぐんぐん迫ってくる気迫を持って、彼の手を取りました。温かい大きな手で、彼が立ち上がるのを助けようとしました。このとき、彼は主イエスご自身がこの場に臨在し、彼に決断を促しておられるように思いました。その瞬間、彼は自分で歩けるような気がし、思い切って歩こうと決心したのです。するとどうでしょうか。忽ち彼は歩けたのです。これは全く不思議なことです。
 この癒しが起こった現場で、ペトロは「ナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい。」と言っていることにわたしたちは注意する必要があります。それは聖書の特徴的な人間観です。すなわち人の名前は、その人自身と不可分離に結びついており、その人の性質と能力はその名前の中に本来的に備わっているという見方です。
 従いまして、「ナザレの人イエス・キリストの名によって」とは「生けるイエス・キリスト」の「霊的な現実に直面して」と言う意味です。なぜならば、イエス・キリストは今や死人の中から復活し、天地万物の支配者となり、神の力をもって働いておられる方です。
 ペトロは自分たちが主イエス・キリストの復活の証人であると、次の箇所で言っています。これは癒しの奇跡が起こったすぐ後で、ペトロが神殿に入って語った説教の中で、ユダヤ人に対して次のように言っています。
 「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちはこのことの証人です。あなたがたが見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それはその名を信じる信仰によるものです。」(3:15~16)
 従いまして、ペトロが「イエスの名」と言うとき、単なるイエスと言う名前ではなく、復活し、主となり、生きて働いておられるイエス・キリストご自身を指しています。
 さらに、「イエスの名を信じる信仰」とは復活の主イエスと出会い、その霊的な生ける現実に直面することを告白しています。言い換えれば、そこに信仰が働いているのです。聖霊による信仰とは実に生きて働く信仰です。自分は主イエスを信じていると思っているだけの怠惰な信仰ではありません。それは生ける主イエスと人格的に直面し、主イエスが与えられる御言葉と恵みに応答する信仰です。
 この人は「ナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい。」と言うペトロの声を聞いたとき、ペトロではなく主イエスご自身が、自分に向かって「立ち上がり、歩きなさい。」と命じておられるのだと信じました。そのとき癒されたのです。
 このようにして、生まれながら足に障害を持っていた彼は主イエスの使徒たちとの出会いを通して、主イエスご自身が自分に語りかけ、自分を追い求め、自分に直面しておられるのを経験しました。その出来事の中で、この人は主イエスご自身が自分を受け入れ、抱擁し、包み込んで、主イエスの命と力を与えてくださるので、自分は新しく生ることができると信じました。これが応答する信仰です。
 この霊的な現実、すなわち神様が主イエスによって、わたしを知り、わたしを愛していてくださるということこそ、他の何ものにも優る恵みであると確信しました。
 そのようにしてこの人は、自分の人生の本当の意味を、神の恵みの中に発見したのです。
 さらに、主イエスを通して神様が自分と共におられ、自分の人生を導いてくださるならば、どのような結果に終わろうともそれが一番よい人生だと思えました。ここに心から感謝の念が沸き起こり、彼は神を賛美しながら、神殿の境内を歩き回りました。
 さらに喜びに溢れて神を賛美するうちに、今後は神の愛に応えて生きようと決意しました。その時、彼は心身ともに自立して生きることができるようになったのです。

(2)主イエスに従う歩み
 次に、主イエスによる救いについての福音を聞いて、復活の主イエスに出会い、主イエスを信じるとき、人は聖霊が与えられるのです。聖霊は父・子・聖霊の三位一体の神ですが、聖霊は父なる神と主イエスから出て、主イエスを信じる者に与えられるのです。その聖霊はわたしたちに復活の主イエス・キリストの働きと思いを知らせる方です。
 ところでわたしたちは聖霊をどのように考えているのでしょうか。聖霊は単なる神の力ではありません。あるいは霊的な能力、カリスマではありません。聖霊についてわたしたちはもっと聖書的な理解をすることが必要です。
 復活の主イエスが福音の御言葉を通してわたしたちに語りかけ、わたしたちと出会っておられるその霊的な現実を、わたしたちに認識させてくださる方が聖霊なのです。ここに聖霊の働きがあります。
 復活の主イエスはわたしたちに出会われるときに、わたしに従って来なさいと命令されます。と言うのは、復活の主イエスは目に見えない方ですが、神の力をもってわたしたちを導いておられるからです。しかもわたしたちの外側におられるのではなく、わたしたちの存在と人格の中に入って、働いておられるのです。その霊的な現実を聖霊がわたしたちに知らせてくださるのです。従って、わたしたちは主イエスを信じ、主イエスに従うことができるのです。
 正に、主イエスに従う人生とはこれまで罪と死に至る人生を歩んでいた者が、今や義と生命に至る人生を歩むことなのです。ところでどうしてそのようになるのでしょうか。

 その根拠は、神様が神の御子イエス・キリストによってわたしたちのために実現してくださった罪の贖いによる義と永遠の命に生きる新しい人間の創造です。神様は神の子と呼ばれる新しい人間を主イエス・キリストの中で創造して下さったことです。
 これはまた神との和解とも言われています。コロサイの信徒への手紙は、罪人に対する神の和解の福音を次のように語っています。
 「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、ご自身の前に聖なる者、疵(きず)のない者、とがめるところのない者としていくださいました。」(コロサイ1:21~22)
 ここで神様はわたしたち罪人を主イエスの中で、主イエスの性質を映し出した聖なる者、神の御心を行う新しい人間とさたと言っています。このように神様は人間に対する神の究極目標を主イエスにおいてすでに達成されたのです。その結果、わたしたちの罪を赦し、常にわたしたちと出会い、神を礼拝し、神の恵みを受け、新しい人間として生きるようにしてくださるのです。この新しい人間について、エフェソの信徒への手紙も次のように言っています。
 「なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行なって歩むのです。」(エフェソ2:10)
 それゆえ、わたしたちの新しい存在とその歩みは、神様が主イエスの十字架の死による罪の贖いと、父なる神が主イエスを死人の中から復活させられた創造の御業によって、既に主イエスの中に備えられているのだ、と聖書は言っています。
 従いまして、わたしたちが神を礼拝するとき、神様はこの事を語り、ご自身の愛と恵みをわたしたちの中に働かせ、新しい人間として生きよ、と仰せになるのです。
 それゆえ、また復活の主イエスはわたしたちの中に働いて、わたしたちを導いてくださっているのですが、わたしたちと日々出会い、わたしたちに向かって、罪人である古い人間の思いと業を捨て、新しい人間として、わたしの思いを知り、わたしの思いを実行しなさいと命令されるのです。
 この霊的な現実をわたしたちに知らせてくださる方はまた聖霊です。この現実を知って、復活の主イエスと直面し、その命令を聴くとき、わたしたちは直ちに実行するのです。そうすることが新しい人間として生きることです。
 ペトロの語るナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がって歩めと言う言葉を信じた人が、その通りに行い、生まれながらの病が癒されたように、わたしたちは主イエスと出会い、直面する命に溢れた霊的な現実を信じて、直ちに実行することが主イエスに従う生活です。
 勿論わたしたちがその命令を完全に実行できると言うのではありません。しかしそれでも実行できることは確かな事実です。そこに感謝と喜びがあります。そのようにわたしたちは神の愛と恵みを具体的に体験し、神を賛美するのです。

 最後に、わたしたちが主イエスの働きを知り、神様が主イエスにおいて実現してくださった罪の贖いによる和解の内容を知り、その神の愛に応答し、神に従う新しい歩みは、信仰と愛と希望であります。ところで実はこの信仰、愛、希望は聖霊の働きなのです。
 このように、聖霊の働きは、わたしたちの信仰と愛と希望の働きと一つに結ばれています。言い換えれば、聖霊の働きはわたしたちの新しい人間としての存在と働きと一つになっています。
 復活の主イエス・キリストは今や神として働き、御言葉を通してわたしたちと出会い、ご自身を示し、ご自身を通して父なる神を示し、わたしたちを神との人格的な交わりに入れてくださる方です。しかも、わたしたちの中に働き、わたしたちを救いの完成へと導いておられる方です。
 同時に、聖霊は主イエスと共に働き、わたしたちを主イエスの救いに与らせ、わたしたちを主に従わせられる方であり、それゆえわたしたちを「聖化する霊」と呼ばれています。



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