2015-06-07(Sun)

父・子・聖霊の神 2015年6月7日の礼拝メッセージ

父・子・聖霊の神
中山弘隆牧師

 主の御言葉は正しく、御業はすべて真実。主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている。御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。
詩編33篇4~6節


 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。
エフェソの信徒への手紙1章3~14節


(1)三位一体の神
 本日は教会歴の上で、三位一体の神を覚える礼拝を守っています。これは教会の信条でありまして、聖書には「三位一体」と言う神学用語は使用されていません。しかし、その根拠は聖書の中に非常にたくさん示されています。特に新約聖書には、明白で実に深い意味のある言葉が随所に見いだされます。
 先ず、神は唯一の神ですが、決して孤独の神ではなく、ご自身の内に父・子・聖霊の交わりを持っておられます。その交わりの中でご自身の目的を実現しておられる神です。
 父・子・聖霊の交わりは実に愛と一致と平和そのものであり、神的必然と神的自由が一致した秘儀です。実に神は御自身で全く充足しておられる方です。しかし、神の本質は愛でありますので、神は恵みの対象として人間と世界を創造し、人間をご自身との交わりの中で永遠に生きる者とするため、人間を救済し、創造の目的を達成されました。
 その創造と救済の過程で、神は御自身を父・子・聖霊の交わりの神として啓示されました。すなわち父なる神の働き、子なる神の働き、聖霊なる神の働きが一つの目的を達成するために、共同の業としてなされていますので、神の内部にそれぞれご自身の自覚と意志をもった父・子・聖霊の三つのパーソン(位格)があることが示されました。しかし神は一つなのです。
 この点で神は人間と全く違っています。人間はそれぞれ自分の人格を持っています。それゆえ、それぞれが違った人です。三つの人格があれば、人は三人です。それに対してどうして神様だけが、三つのパーソンを持っておられるのに、一つの神なのでしょうか。
 二つ理由があります。第一に、神のパーソン(位格)とは神の内にある相互関係なのです。すなわち、子は父から永遠の初めに生まれた方であり、父は子を産むことによって父であるのです。そして、聖霊は父と子とから流出することにより、聖霊なのです。父と子は聖霊をご自身の中から流出させる方として、父であり、子なのです。従いまして、父の神性(神であることの実体)が、子に与えられ、父と子の神性が聖霊に与えられていますので、父も子も聖霊も同じ一つの神の性質と力をもっておられるのです。
 第二に、神は人間と違って、父と子とは決して分離して存在しているのではなく、父は子の中にあり、子は父の中にあるのです。それゆえ、子は父を知り、父は子を知っておられます。また、聖霊は父と子の思いを知り、父と子とは聖霊の思いを知っておられます。従って父と子と聖霊の中に、唯一の意志と力と性質が働いています。
 その実情は、三つのパーソンの間には、一つの秩序があり、父は子と聖霊の根源であり、知恵と生命と栄光に満ちておられる方です。父は子を愛し、ご自身を子に与えられます。父は自分のしておられるすべての業を子に示されますので、子は父の業をその通りに自分でもすることができるのです。しかし子は自分がなすすべての面で、父に全く依存し、父を愛し、すべてのことにおいて父に従い、自分の栄光を求めず、栄光を父に帰せられます。そのことにより、父の意志と働きが、子の意志と働きとなって実現するのです。
 さらに、父と子の愛の交わりの中に聖霊が介在されます。父が子を愛されるとき、聖霊が父から出て、子の中に入るのです。子が父を愛されるとき、聖霊が子から出て父に帰るのです。ここに人智を超えた神の栄光と尊さがあります。それゆえ、神は人間の知恵を超えた方であり、人間が信仰と信頼と感謝をもって礼拝すべき神です。 
 この神をキリスト教会は325年にニケア信条の中で告白し、381年にニケア信条を詳しく説明したニケア・コンスタンティノポリス信条が制定されました。この信条が今日においても全キリスト教会の信条なのです。

(2)旧約聖書における神の啓示
 聖書における神は実に生ける神であり、しかも恵み深い主権者です。人間と世界の創造者であり、救済者です。初めに、神は御言葉をもってアブラハムに語りかけ、彼を人類の祝福の基とし、彼の生涯を導くと約束されました。このことは創世記12章に記されています。
 「主はアブラハムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。--地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。』」(創世記12:1~3)
 実に、アブラハムは神の御声に従って行く先を知らずに出発したのです。彼は長い生涯の中で幾多の危機に遭遇しましたが、その度に神は最初の祝福を保証されました。その約束の御言葉をアブラハムは信じましたので、「信仰によって義」と認められ、アブラハムは「神との正しい関係」の中を生涯歩むことができました。
 他方、アブラハムの子孫の時代になりますと、神の民イスラエルが神の御心に反する生き方をしましたので、神は御言葉をもって神の審判を告げ、民に悔い改めを要求されました。預言者アモスは神の言葉を聞いたときの様子を次のように告白しています。
 「まことに、主なる神はその定められたことを、僕なる預言者に示さずには何事もされない。獅子が吠える、誰が畏れずにいられよう。主なる神が語られる、誰が預言せずにいられようか。」(アモス書3:7~8)。
 これは主なる神が羊飼いのアモスに御言葉をもって呼びかけられたので、アモスは生ける神に呼び出されたことを知ったのです。
 アモスは羊飼いでありましたから、ライオンの吠える声を聞いて身震いをする経験がありました。その時と同じように神の御言葉を聞いて彼は生ける神の霊的現実を知り、直ちに預言者となり、神から聞いた御言葉を臆せずイスラエルに語りました。
 また預言者エレミヤの場合には、青年のとき神に召し出され、万国の預言者として立てられ、神の言葉を語る使命を与えられました。 
 彼も神の霊的現実を前にして、畏敬の念をもって、神から聞いた御言葉を忠実に語りました。その結果、不信仰で反逆的なイスラエルに対する神の言葉が厳しい審判の威力を発揮したとき、エレミヤ自身もその歴史展開の渦に巻き込まれ、不信仰な民の絶望的な暴力によって、殉教しました。
 このように、神の言葉は一旦語られると、それを実現する神の威力を発揮します。これが預言者たちの信仰的認識です。
 この信仰的な認識は、エルサレムの神殿における礼拝のとき歌われた詩編の中にも告白されています。本日の聖書の箇所である詩編は次のように告白しています。
 「主は恵みの業と裁きを愛し、地は主の慈しみに満ちている。御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の万象は造られた。」(詩編33:4~6)
 この詩人は人類の歴史を支配し、世界を創造された生ける神を、恵み深い主権者として告白し賛美しています。神は御言葉を語り、御力をもって御言葉を実現されると告白しています。ここで「主の息吹」とは「聖霊」を意味しています。従って、御言葉も聖霊も神から出るものであり、神的なものであることを認識しています。
 しかし、御言葉自身が神であり、聖霊自身が神であるとはまだ認識されず、告白されることはありませんでした。この点が旧約聖書時代に与えられた神の啓示の限界です。
 それゆえ、新約聖書において、神の御言葉は神であり、子なる神であることが啓示されました。同時に聖霊が神であることも啓示されました。

(3)新約聖書における神の啓示
 今や新約聖書において、神の時が満ち、究極的な神の啓示が与えられました。それは人類を罪から贖う救いの中で与えられたのです。 
 つまり、イエスが真の神として、真の人として、父なる神と聖霊と直接的で本来的な関係の中で、語り行動し、人間の救いを達成されたからです。
 まず、神の御子イエスは神の国の宣教活動の中で、神しか語れない罪の赦しを語られました。中風で長年苦しんでいる人に、「あなたの罪は赦される」と仰せになりました。つまり「わたしが罪の赦しの宣言をすると同時に、神はあなたの罪を赦される」と宣言され、中風の人を癒されました。そのときイエスを通して聖霊が働き、その人は癒されたのです。
 これを見た人々は皆大きな衝撃を受け、イエスは自分たちと同じ人間でありながら、自分を神の立場において、神として語り、行動している。この人は一体誰であろうかというイエスの人格に対する関心と疑問を抱きました。
 また、イエスは幼児のときから神を父と呼び、自分は神の独り子であると言う自覚を持っておられました。成人しても神を父と呼んで祈られましたので、弟子たちはイエスに祈ることを教えて下さいとお願いし、そのとき与えられた祈りが主の祈りです。これはクリスチャンにとって一番大切な祈りです。
 さらに、イエスと行動を共にしていた弟子たちは、イエスが十字架の死に向って進んで行かれたとき、イエスの決意を知って非常に驚きました。実にイエスは十字架の死によって人類の罪を贖うことが、父なる神から自分に与えられた使命であるという自覚に基づいて行動されましたので、弟子たちは恐れたのです。
 言い換えればイエスの認識と行動には、神的必然性と神的自由が一致しており、言葉では表現できないイエスの尊厳がありました。
 今や、十字架の死が迫っているとき、弟子たちに次のように仰せられました。ヨハネによる福音書14:9~10に記されています。
 「わたしを見た者は、父を見たのだ。--わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行なっておられるのである。」
 このように御子イエスは、「父なる神」と一体となって、神の御言葉を語っておられる「子なる神」であることを示されました。
 しかし、弟子たちはイエスの十字架の死による人類の罪の贖いを理解することはできず、従ってイエスが神であるとはまだ信じていなかったのです。ところで、彼らがイエスを神として信じるようになったのは、父なる神がイエスを死人の中から復活させ、復活のイエスが弟子たちに現れ、ご自身を示しされたときです。
 疑い深いトマスに復活の主が現れられたとき、トマスは「わたしの主、わたしの神よ」と言ってイエスを神として告白しています(ヨハネ20:28)。彼の告白がそれ以来キリスト教の告白となりました。
 そして、復活の主イエスは、弟子たちに「聖霊を与え」、主イエスの生涯によって、特に十字架の死と復活によって、実現した人間の救いを理解するようにし、弟子たちを福音宣教へ派遣されました。この点も、ヨハネによる福音書は次のように伝えています。
 「イエスは『父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』と言ってから、彼らに息を吹きかけながら、『聖霊を受けなさい。』と重ねて言われた。」(ヨハネ20:21~22)。
 次に聖霊が神であることは主イエス・キリストの使徒たちが告白しています。例えば、使徒パウロは次のように言っています。
 「神の霊以外に神のことを知る者はいません。わたしたちは、世の霊でなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。--わたしたちは(神からの霊)によってキリストの思いを抱いています。」(コリント一、2:11~16)。聖霊は神の思いを知っておられるとパウロは言っていますが、これは聖霊が神であると言うのと同じです。
 さらに聖霊の働きは、「復活の主イエスの義と聖と命」をクリスチャンの中に与えます。また、人類の罪の贖いにおいて示された「神の愛」をクリスチャンの心に注ぎます。それゆえ聖霊はキリストの救いをクリスチャンの中に働かせ、クリスチャンを聖化する霊です。
 しかし、人間の救いに関する神の働きは、すべて父なる神から出ています。御子イエスを神のもとからこの世界に遣わされた方は父なる神です。イエスを死人の中から復活させ、万民の救い主とされた方は父なる神です。
 また、「永遠の子なる神」が、真の神・真の人間である「イエス」となるために、聖霊も同時に働きました。子なる神が「聖霊」を通して、マリアの中に受胎し、イエスは「真の神・真の人」として誕生されたのです。ここにも三位一体の神の働きがあります。その結果、人間の救いは「主イエス・キリストの中」で実現しました。
 主イエス・キリストこそ、人間の「救いそのもの」であるゆえに、「救い主」なのです。その方が「復活の主イエス・キリスト」です。今や復活のキリストはクリスチャンの中に内在し、救い主として働き、クリスチャンを救いの完成へ導いておられるのです。同時にキリストの救いは聖霊の業と一体となっています。
 聖霊はキリストが人間のために達成された恵みをクリスチャンの中に働かせ、クリスチャンをキリストに従わせ、キリストの性質に似る者へと聖化されます。
 このようにわたしたちは三位一体の神の愛と恵みの中で、主イエスに従い、聖霊によって聖化されていくのです。



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