2015-05-17(Sun)

恵みに応答する 2015年5月17日の礼拝メッセージ

恵みに応答する
中山弘隆牧師

 聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。今日わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っているときも道を歩くときも、寝ているときも起きているときも、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額に付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。あなたの神、主が先祖アブラハム、イサク、ヤコブに対して、あなたに与えると誓われた土地にあなたを導き入れ、あなたが自ら建てたのではない、大きな美しい町々、自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満足するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないよう注意しなさい。あなたの神、主を畏れ、主にのみ仕え、その御名によって誓いなさい。他の神々、周辺諸国民の神々の後に従ってはならない。あなたのただ中におられるあなたの神、主は熱情の神である。あなたの神、主の怒りがあなたに向かって燃え上がり、地の面から滅ぼされないようにしなさい。
申命記6章4~15節


 しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
エフェソの信徒への手紙2章4~10節


(1)申命記の性格
 本日の聖書の箇所であります申命記とは、「再び教える」という意味です。「申」とは「再び」とか「繰り返す」という意味で、「命」とは「命じる」とか「教える」という意味です。それでは、何を再び教えるのかと言いますと、神がイスラエルの歴史を通して為し遂げて下さった恵み深い行為と、そしてそこに現された神の愛に応答して、イスラエルが守るべき神の命令を教えているのです。
 申命記では、出エジプトの指導者でありましたモーセが、ヨルダン川の東側にあるモアブの地方で、イスラエルの民にこれまでの教えをまとめて再び語ったと言う形式を取っています。しかし実際にはそれ以後の時代に、神殿において礼拝のとき祭司たちにより、繰り返して教えられ、世代から世代へと受け継がれてきた教えである、と今日では見られています。

(2)聞け、イスラエル
 申命記6章4節は、「聞け、イスラエル」、ヘブル語では「シェマ イスラエル」という言葉で始まる有名な聖句です。
 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」
 これは聖書において最も重要な神の戒めであります。旧約聖書の古い契約のもとで生きた神の民、イスラエルにとっても、そして新約聖書の新しい契約のもとで生きている神の民、キリスト教会にとっても、最も中心的な神の戒めです。
 主イエス・キリストは次のように教えられました。
 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分自身のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:36) 
 心とは、ヘブル的な考え方によれば、感情も含めて、考えと意志との座であります。魂とは生命力の源であります。従って、心と魂とを尽くしてとは、全存在をもってと言う意味です。さらに力を尽くしてとは全精力を挙げてと言うことであります。
 この第一の掟はわたしたち人間が、全存在と全精力を挙げて、わたしたちの主である神を愛しなさい、という命令です。真に、これが人間に対する神の最も重要な律法です。
 わたしたちは主イエス・キリストの贖いという神の決定的な救いの行為を思い巡らすとき、そこに無限に尊い神の愛が現されていることを知ります。そうするならば、わたしたちは神の愛に対して、応答し、わたしたちも自分の全存在を挙げて、神を愛します。なぜなら、神の愛を知った人間にはそれ以外に有り得ないからです。
 それでは、人間が神を愛するとはどういうことでしょうか。神を絶対的に信頼し、絶対的に依存し、神に従い、神の命令を実行することです。つまり神への従順が神を愛することなのです。
 従って、人間が自分の能力と意志によって神に役に立つ行為をする、あるいは神を助けるという意味では決してありません。この点をクリスチャンは誤解しないように注意する必要があります。
 ところで、旧約聖書の時代においては、神がアブラハム、ヤコブの子孫をエジプトの奴隷の境遇から救い出し、神の民とされたこと、そして約束の土地であるカナンに住むようにして下さったという、神の行為を信仰的に受け取り、旧約の民はそこに現されている神の愛を知ったのです。
 彼らはカナンの土地に住むようになったとき、主を礼拝する場所に集まり、主に感謝の供え物を献げ、次のように信仰を告白しました。その内容は申命記26:5~10に記されています。
 「わたしたちの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、強くて数の多い、大いなる国民になりました。エジプト人はこのわたしたちを虐げ、苦しめ、重労働を課しました。わたしたちが先祖の神、主に助けを求めると、主はわたしたちの声を聞き、わたしたちの受けた労苦と虐げをご覧になり、力ある御手と御腕を伸ばし、大いなる恐るべきこととしるしと奇跡をもってわたしたちをエジプトから導き出し、このところに導き入れて、乳と密の流れるこの土地を与えられました。わたしたちは、主が与えられた地の実りの初物を、今、ここに持って参りました。」
 従いまして、「主、われらの神は唯一の主である」といことは、このようにイスラエルを滅びから救い、エジプトの圧政から解放し、約束の土地を与え、神の民としてくださった主がわたしたちの神である、という信仰告白です。
主とは、人類の歴史の支配者であり、エジプトの奴隷であったイスラエルを救出し、神の民とされた恵み深い「主権者」という意味です。このような唯一の主権者が、イスラエルの神である、という信仰の告白です。
 聖書的な意味において、神を知るということは、哲学的な思索により神概念を持つことではありません。そうではなく歴史の中で実現した神の行為を、これは神の主権による恵みの業であると信仰をもって受け取り、理解することです。
 それゆえ主を知る民は、神の愛と恵みに応答し、神に対する信頼と従順を表明し、神に自分の全存在を献げ、神に従うのです。
 そういう意味で、神を知る者は、当然神を愛するのであり、それゆえ神を愛すべきであると、申命記は奨励しています。
 さらにイエスラエルは、神の目的によって、神の民とされ、神との契約に入れられたことを知りました。
 「契約」とは恵み深い主権者である神に、イスラエルが感謝と信頼をもって、神に従うことを自らの意志で表明するときに成立します。それゆえ、契約とは「神と民との人格関係」なのです。その人格関係に基づいて、神は民の守るべき律法を示されたのです。

(3)神への従順
 それでは神を愛するとは、先ほど説明しましたように、第一に神に信頼し、すべてにおいて、神に依存し、神に求めることです。
 イスラエルの民はエジプトから救出されて、その後四十年間荒れ野で放浪の旅を余儀なくされましたが、食糧が乏しく、彼らは憔悴し、その上飲み水が一滴も無くなり、死に直面しました。そのとき民は神を信ぜず、指導者モーセに反抗しました。
 「なぜ、われわれをエジプトから導き上ったのか、わたしたちも子供たちも、家畜まで殺すためなのか。」(出エジプト17:1~7)
 このとき、神はモーセに命じて、ホレブの岩を杖で打つように命じられ、その岩から水を湧き出させられました。このことは申命記の6章16節で言及されています。「あなたがたはマサにいたときのように、あなたたちの神、主を試してはならない。」とあります。
 実にこのような信仰の試練の時期を通して、イスラエルはいかなる時にも神を信頼し、依存するならば、神は必ず困難を乗り越える力と方法を与えて下さることを学んだのです。
 また、約束の土地でイスラエルが出会った誘惑とは、自己充足のために、神への信頼と依存とを忘却することでした。
 6章11節では、「自ら満たしたのではない、あらゆる財産で満ちた家、自ら掘ったのではない貯水池、自ら植えたのではないぶどう畑とオリーブ畑を得、食べて満腹するとき、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出された主を決して忘れないように注意しなさい。」と警告しています。これは豊かさの中でも、万事を神に依存していることを感謝し、謙遜な思いをもって神を信頼し続けるようにとの勧めです。
 もう一つ、全身全霊を挙げて神を愛するということは、神の命令に自ら進んで、喜んで、従い、それを実行することです。
 このように本当の愛は、神の戒めを実行するのです。神を愛していると口で告白しても、神の戒めを喜んで実行する者でなければ、神を愛しているとは言ません。それは偽りです。
 このように神への愛をもって実践すべき様々な戒めが、申命記では12章から26章で、教えられています。
 大別しますと、一つは古代の中近東世界で用いられていた一般的な法律を、イエスラエル社会でもそれを修正した形で採用しています。その理由は、イスラエルの神は創造者であり、万民の支配者でありますから、世界において公平と正義として認められている法律は、イエスラエルにとりましてもそれを神の意志と命令として受け入れる必要があったからです。
 他方、それは非常に人間性の豊かでヒューマニズムの精神に基づいたイスラエル特有の律法です。それはイスラエル社会のすべての構成員が、神の愛に応えて、互いに兄弟として愛し合い、尊重し、助けるという精神による様々な律法です。また、イスラエルに寄留する外国人を隣人として愛する具体的な行為を定めた律法があります。これらはイスラエルの律法の特色です。実にそれらの律法は、「隣人を自分のように愛しなさい」と言う第二の掟を実行するための具体的な指示から成り立っています。
 以上が申命記の内容です。従いまして、神の愛が人間の内に働き、人間が神の愛を実践することは、個人的、社会的な二つの面における道徳を実践することに他なりません。
 神の愛が人間の道徳から離れた何か別の働きをするというのでは決してありません。この点が神の愛の特徴です。

(4)新しい契約
 しかしながら、最も注目すべき点は、それでは信仰共同体形成の推進力である「心から神を愛する」ということは、どのようにして可能となるか、という問題です。
 この神への愛は、律法によっては引き起こすことはできません。むしろ神への愛は律法に先行する性質のものであり、神への愛が律法の実践を可能とするのです。
 申命記の考えでは、神が民を選び、契約を与え、住むべき土地を与えて下さったことを通して、神はイスラエルの神となり、イスラエルの民を愛してくださっている、という神の恵み深い事実が、イスラエルの民に心からの神への愛を喚起する、というのです。
 そのために、申命記は契約を想起する礼拝と、改めて契約を確認するために行われた契約更新の儀式を定めています。26:16~19はその儀式で使用された用語を保存しています。また、31:9~13によれば契約更新の儀式は多分7年ごとに行われたと思われます。
 しかし、申命記に定められた方法には限界がありました。預言者たちの時代になりますと、エルサレム神殿における礼拝は、真の礼拝とは言えなくなっていました。
 神への愛と従順は口実だけであり、礼拝は形骸化していました。預言者エレミヤはエレミヤ書17章1節でイスラエルの罪を厳しく告発しています。「ユダの罪は心の板に、祭壇の角に、鉄のペンで書きつけられ、ダイヤモンドのたがねで刻み込まれて、子孫に銘記させるものとなる。」
 実に心の中に、そして神殿の中央にある祭壇の角に、イスラエルの罪が刻み込まれている、と言うのです。彼らは形式的に礼拝を守っていても、自らの罪のために神の愛へ応答しなかったのです。
 それゆえどうしても、人間の罪が取り去られ、人間は神の愛に応答する新しい人間になる必要がありました。
 そのため神は、人間の罪を御子イエス・キリストにより贖って下さり、新しい契約を与えられました。この新しい契約こそ、古い契約の成就であります。
 正に、イエス・キリストにおいて神が成し遂げてくださった救いこそ、人間を束縛している罪からの解放です。そのために神は人間にご自身を与えられました。ここに神の愛があります。すなわち神は御子を人間に与え、罪のない御子が人類の罪を担い、罪に対する神の裁きを受け、死に至るまで神の裁きに従順であったことにより、罪は取り去られ、同時に御子イエスの義が人間に与えられたのです。今やそこに神の愛が究極的に啓示されました。
 従いまして、わたしたちは救い主、イエス・キリストを信じて新しい契約に入れられるときに、聖霊がわたしたちに与えられ、神が主イエスの存在と行為の中で実現してくださった神の救いを聖霊によって理解し、聖霊を通して、主イエスの義と命と自由が与えられ、神の命令を喜んで、実行する者となったのです。
 それゆえ主イエスの命に生かされる信仰共同体こそ、申命記の教えの実現であり、実にキリスト教会は真の神の民なのです。



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