2015-05-10(Sun)

救われたザアカイ 2015年5月10日の礼拝メッセージ

救われたザアカイ
中山弘隆牧師

 主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知して、嘆いている人々を慰め、シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に代えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて喜びの香油を、暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木と呼ばれる。
イザヤ書61章1~3節


 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書19章1~10節


(1)失われた人間関係
 人が生きていく上で一番必要な事柄は、人間関係であります。健全な人間関係が損なわれるならば、人の心は歪み、荒れすさみ、生活が乱れ、深刻な状態に陥ります。小学校や中学、高校で虐めが多発しています。そのために自殺する生徒がいます。学校や家庭ではこの深刻な問題に対処するため苦慮していますが、問題は健全な人間関係をどのように造り出すかであります。
 聖書の中で語られていますザアカイも、彼の悩みは人間関係でした。「この人は徴税人の頭で、金持ちであった。」と記されています。 
 これはザアカイがどういう人物であったかの非常に短い説明ですが、彼がどれほど深刻な人間関係の破れを経験していたかが十分に分かります。
 彼は徴税人という職業のため、同胞のユダヤ人から嫌悪の的にされていたのです。
 しかし、徴税人の仕事は国家の税金徴収を民間人に委託したもので、あくまでもローマ帝国による公認の職業でした。彼らはローマ総督が課す一定の税額以上に徴収し、上納した残りの分を自分たちの所得とすることが公に認められていたのです。そこでザアカイはその分野で大いに手腕を発揮しました。
 特に、エリコの町は幹線が通っている交通の要所で、いろいろな物品が集まる場所でありましたので、交通税や物品税を多く徴収することができ、彼は一代で財を築き、町一番の金持ちと呼ばれるようになりました。
 しかし選民思想を抱いているユダヤ人からは、同胞を裏切る者だと非難され、また世俗の利益だけを追求している者として、信仰の落伍者というレッテルを張られました。彼はユダヤ人社会から完全に締め出され、その結果、非常に閉鎖的な人間になってしまいました。
 一方ザアカイという名前は、大変立派な名前であり、「義なる者」あるいは「正しい者」という意味です。一般に人の名前は、親の子に対する期待を表しているものですが、ザアカイの場合に彼は親の期待に反する人間になってしまいました。
 ザアカイは同僚たちと共にいるときや、家族に囲まれているときだけは、明るく幸せな気分になり、彼の頭は良く閃き、大変機知に富んだ話をして皆を楽しませたことでありましょう。そして徴税人たちの間では、頭として重んぜられ、家庭では良き父親として愛されていたことでありましょう。
 しかし、人間は一部の人たちに対して善意を抱いていましても、その善意が外部の人たちに対して開かれていない場合には、心は歪み、自由はないのです。
 それではどうすればよいのでしょうか。それはまず自分の心が根本的に変わることが必要です。ある人は、人間の心の中には一つの底なしの空洞が開いていると語られました。その空洞はどんなものを投げ込んでも絶対に埋めることはできないほど深いというのです。山のような富、健康、名誉、そして多くの知識をその中に投げ込んでも埋めることができない底なしの穴です。その穴が満たされない間は、わたしたちの心に本当の自由がないというのです。
 作家の石川達三は、「人間は誰しも、他の人から完全に理解されるということはありえないだろう。誤解されたままで生き、誤解されたままで死んでいく。わたしを知っているのはわたしだけ。わたしは一人きりのわたしなのだ。」と言っています。石川達三は自分の孤独を直視し、自分の孤独を雄々しく背負って、自由に生きようとした人です。
 しかし、人は真に勇気と自由をもって自分の人生を生きることができるためには、自分の心の中にある空洞が、神様によって満たされなければならないのです。この深い空洞を埋めることができる方こそ、真実な神なのです。

(2)主イエスに見いだされる
 ザアカイの場合、主イエスに見いだされ、彼の家に主イエスが客として泊まられたことによってそのようになりました。
 主イエスと弟子たちの一行がエリコの町を通られた時、人々は大勢集まって来ました。ザアカイも主イエスがどんな方か一目見たいと思って、通りに出たのですが、群衆に遮られて見ることができません。そこで彼は咄嗟の機転を利かせ、道端のいちじく桑の木に登り、一行が近づいてくるのを眺めていました。
 その時、彼は主イエスによって見いだされたのです。主イエスはその木の下まで来ると、上を見上げて次のように仰せになりました。
 「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」(19:5)

 主イエスは人と出会うとき、その表情と姿を見るだけで、その人の心の中が手に取るように分かったのです。
 主イエスには人の心を見抜く超人的な能力がありました。旧約聖書の時代の預言者たちにもそのような能力が見られましたが、イエスの能力は彼らのものよりはるかに優っていました。
 それはイエスが完全な愛と全く罪のない心を持っておられたからです。イエスは愛の感受性により、人の心の一番奥まで感じ取ることができ、イエスの心の鏡には、偏見による歪みもなく、人の思いがそのまま映し出されるのです。それは自ら何一つ罪を犯されませんでしたが、あらゆる試練と誘惑に出会われたからです。
 ヘブライ人の手紙は次にように言っています。
 「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自身を死から救う力のある方に、祈りと願いとを献げ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。」(ヘブライ5:7~8)
 このために、キリストは人の弱さと試練の辛さを思いやることができるからです。
 さらに、イエス・キリストは人間の罪と弱さをご自分のもののように感じ、それを共に担ってくださる方であるからです。それゆえに、人の心の中にある悲しみ、恐れ、不安のすべてを知り、そしてその人が真の喜びと勇気をもって生きるようになるために、何が必要であるかをご存知であるからです。
 言い換えれば、ザアカイの心の中に潜む虚無の淵を神ご自身が満たされるために、主イエスは来られたのです。
 それは主イエスの中に父なる神がおられ、父なる神の中に主イエスがおられる方として、主イエスはザアカイと出会われたのです。

(3)感謝の献身
 ザアカイは主イエスと話し、御声を聞き、御顔を見つめていますと、神が人間の思いを越えた無限の愛と赦しをもって、自分と出会い、自分のもとに臨在しておられるという命に溢れた霊的現実に接したのです。
 そして、ザアカイは主イエスが自分と親しく話されるために、ユダヤ人たちから、「あの人は罪深い男のところに行って宿を取った。」(7節)という激しい非難を自ら進んで引き受けてくださったことに感激しました。
 これほどまでに自分のために犠牲を払ってくださる方の有難さが身に染みて分かったのです。そのようにして自分の本当の友となり、自分と運命を共にし、何処までも連帯してくださる主イエスの決意と行動、言い換えれば、神の愛が彼の心と存在を捕らえたのです。そして主イエスの連帯の極点はイエスがザアカイの罪をご自身の上に担ってくださっていることだ、と思いました。
 さらに、主イエスのこの決意と態度を通して、神は自分の罪を赦し、自分の心と存在の中に入って来ておられることが信じられたのです。そのとき、ザアカイは心の中に神の愛の光を受け、その光が彼の心を外部の人たちに向かって開かせたのです。
 彼は立ち上がって、自分の決心を主イエスの前に披歴しました。
 「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたなら、それを四倍にして返します。」(8節)
 旧約聖書の律法によりますと、人からだまし取ったものは二倍にして返さなければならないのです。ザアカイはここで、律法の要求以上に、すなわち四倍にして弁償すると決心しました。
 それだけでなく、今や彼は大胆極まる愛の業を行う者となりました。貧しい人たちに、自分の財産の半分を与えることを決心しました。これは律法には定められていません。彼が自発的にすることです。自分がこれまで苦労して得たものを、惜しげなく、喜んで人々に与えました。自分の財産の半分を貧しい人たちに与えるということは、貧しい人たちを自分自身のように愛する、ということです。
 今や、ザアカイは決定的に変えられました。彼は神の愛を知って、貧しい人たちの苦しみと悲しみを自分のもののように感じる者となりました。そして彼らを幸せにするため、自分を与えるようになったのです。しかも、これまで自分を罪人呼ばわりし、軽蔑し、嫌っていた人たちに対して、彼らを赦し、彼らを愛したのです。
 これまで外部の人たちに反感と冷淡さを抱いていた閉鎖的なザアカイとは、まったく違ったザアカイです。周囲の人たちが幸せな生活ができ喜んでいる姿を見て、喜ぶザアカイになったのです。
 本当の愛は、人々が幸いになることを自分の喜びとします。人が不幸であるとき、その悲しみを共にすることは比較的容易にできますが、人が幸いになったとき、それを喜ぶことは競争心の強い者には難しいのです。しかし、それができるのが本当の愛です。
 さらに、本当の愛は自分に出会う隣人に例外なく向けられているものです。自分たちの仲間に限定するのではなく、すべての隣人に例外なく向けられるものです。自分の好みによって、愛の向う対象を選ぶのではなく、神が自分に出会わせてくださった隣人が、愛の対象なのです。従いまして、教会における交わりは、常にわたしたちの出会う隣人に開かれた性質の交わりでなければなりません。
 まことに、ザアカイが自分の隣人に対して、愛の業を行い得たのは、自分の中に入って来られた神に、自分を献げたからです。彼は感謝の献身をしたのです。
 ザアカイの決意と行動を主イエスはご覧になって、次のように仰せになりました。
 「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(9~10節)
 このように仰せになった主イエスはザアカイに対して非常に喜ばれました。主イエスの目には神の喜びが輝いていました。
 そのとき、ザアカイは自分に向けられているイエスの瞳の中に、これから自分の成るべき姿が映っていることを知りました。
 それゆえ、ザアカイの献身は一回限りのものではありません。この後も、日毎にその献身を繰り返すことによって、彼は主イエスの瞳の中に移っている自分の姿に近づくことができるのです。
 それゆえ、ザアカイの感謝の献身は、今日のわたしたちにも当てはまります。現在本当にわたしたちは、陰湿なものではなく、明るい喜びに満ちているでしょうか。わたしたちの愛は、隣人に対して例外なく、本当に開かれているでしょうか。神の恵みを自分で独り占めにし、自分を誇ろうとしていないでしょうか。愛という口実のもとで人を支配し、自分の思い通りにしようとしていないでしょうか。自分の周りにいるクリスチャンの一人一人は主イエスの所有物であり、自分の所有物ではないことを本当に知っているでしょうか。

(4)主イエスを通して互いにつながる
 それゆえ、クリスチャンの交わりの結び目は、主イエスであります。主イエスを通して、クリスチャンは互いにつながっており、主イエスを通してその交わりが与えられています。主イエスの思いと行動を通してのみ、クリスチャンは互いに心が通じ、互いに相手を理解し、互いに協力することができるのです。
 なぜならば、一人一人の新しい存在とその生き方は主イエスの中に既に与えられているからです。主イエスの目の中に既に写っている姿に一人一人が成っていくことが、クリスチャンとして生きることだからです。
 主イエスの連帯により、わたしたちは自分の功績と自己を誇る古い人間に対して、主イエスの十字架によって既に死んでいるのです。そして主イエスの復活により、主イエスの中に新しい自分が既に与えられているのです。このことを感謝し、献身することがクリスチャンの生きる道です。
 わたしたちをご覧になっている主イエスの瞳の中に映っている自分を見ながら、わたしたちは主に従い、新しい人間として前進するのです。クリスチャンは日々主イエスと出会い、主イエスの御言葉を聞き、御言葉を実行することを繰り返しながら、隣人と出会い、共に生きるのです。



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