2015-05-03(Sun)

静かな声の中で 2015年5月3日の礼拝メッセージ

静かな声の中で
中山弘隆牧師

 エリヤはそこにあった洞穴に入り、夜を過ごした。見よ、そのとき、主の言葉があった。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」エリヤは答えた。「わたしは万軍の神、主に情熱を傾けて仕えてきました。ところが、イスラエルの人々はあなたとの契約を捨て、祭壇を破壊し、預言者たちを剣にかけて殺したのです。わたし一人だけが残り、彼らはこのわたしの命をも奪おうとねらっています。」主はエリヤに言われた。「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたなら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王とせよ。ニムシの子イエフにも油を注いでイスラエルの王とせよ。またアベル・メホラのシャファトの子エリシャにも油を注ぎ、あなたに代わる預言者とせよ。ハザエルの剣を逃れた者をイエフが殺し、イエフの剣を逃れた者をエリシャが殺すであろう。しかし、わたしはイスラエルに七千人を残す。これは皆、バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である。」
列王記上19章9~18節


 体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
マタイによる福音書10章28~31節


(1)エリヤの活動
 エリヤは生存中に火の戦車に乗って天に運ばれましたので、旧約聖書の中で一番有名な預言者です。本日はエリヤを通して神がわたしたちに何を語っておられるかを理解し、神に従う者でありたいと願っています。
 先ず、エリヤという名は「ヤーウェは神である」という意味です。彼の預言活動はその名が示すごとく、ヤーウェ、すなわち主こそ真の神であることを示し、イスラエルの民に主に対する絶対的な信頼と従順を要求し、この一事に徹することでありました。
 確かに、当時のイスラエルの民は、自分たちの神が主すなわちヤーゥエであると思っていました。なぜならばヤーウェはイスラエルを選び、ご自身がイスラエルの神であることを示されたからです。
 他方、イスラエルの歴史の最初の段階では、ヤーウェが唯一の神であり、世界の諸民族に対しても、唯一の神であるということは、まだ啓示されていませんでした。それゆえ、イスラエルの信仰は、ただ一つの神を拝むという拝一神教でありました。その段階で、イスラエルの民は異邦人が礼拝している神も神として認めていましたので、イスラエルの神はヤーウェであり、同時に他の諸民族にはそれぞれの神があるという点で、何の違和感も持っていませんでした。
 しかし、それこそヤーウェに対するイスラエルの民の背信行為です。なぜならば主は、恵みをもってイスラエルをご自身の民として選ばれた神であり、それゆえイスラエルの民に向かって、ご自身だけを神として礼拝せよ、と命じられる方であるからです。
 この神の命令に対して、不忠実な者の典型はイスラエルの王アハブでした。彼は二人の王子に、ヤーウェに因んだ名前を付けていたのですから、自分はヤーウェの本当の信仰者であると思っていたに違いありません。しかし、アハブ王はシドンの王エトバアルの娘イゼベルを妃に迎え、イゼベルは熱心なバアル崇拝者でありました。
 バアルとは空を支配する神であり、その結果天候を守ることにより、豊作を与える神としてカナン地方では古くから祀られていたのです。このような折衷主義は、確かにバアルに対して通用しても、イスラエルの神ヤーウェの前では絶対に認められませんでした。
 そこでイスラエルの民の前で、450人のバアルの預言者たちを相手に、ヤーウェの預言者エリヤはただ一人で対決しました。18章21でエリヤはイスラエルの民に向かって次のように語りました。
 「あなたたちは、いつまでどっちつかずに迷っているのか。もし主が神であるなら、主に従え。もしバアルが神であるなら、バアルに従え。」
 しかし民は一言も答えませんでした。それは当然です。あれも、これも神であるという多神教的な信仰を持っている民には答えることができなかったのです。当時の状況は、三年間続いた干ばつのため、食料は枯渇し、国の経済は疲弊の極点に達しておりましたので、どちらの神が雨を降らせることができるかという問いは、最早避けることができませんでした。
 そこで、両者の対決の方法について、エリヤは一つの提案をしました。それはバアルの預言者たちも、ヤーウェの預言者エリヤも、それぞれの神に焼き尽くす献げ物を用意し、薪の上にそれを置いて、天からの火が下るのを待つという方法でした。
 この提案に賛成したバアルの預言者たちは、熱狂的に踊り続け、刀で身体を傷つけ、血を流して叫び、ついに恍惚状態に達し、バアルの霊が彼らに乗り移ったという境地に達しました。その中でバアルの名を呼び続けました。このような状態が数時間に及びましたが、天からは何の答えもありませんでした。
 それを見届けたエリヤは、取り壊されていたヤーウェの祭壇をイスラエルの民に修復させ、薪を並べその上に犠牲の動物の献げ物を置きました。そして次のように祈りました。
 「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ、あなたがイスラエルにおいて神であられること、またわたしがあなたの僕であって、これらすべてのことをあなたの御言葉によって、行ったことが、今日明らかになりますように。」
 このエリヤの祈りに主は答えられたのです。主の火が天から下り、一瞬のうちに犠牲の動物は焼き尽くされました。これは多分、焼き尽くす献げ物の上に落雷があったのでしょう。
 しかしこのような状況の中で、落雷をもってエリヤの祈りに答えられたヤーウェこそ、神であることがすべての民の目に明らかになりました。この奇跡を目撃した民は、平伏し「主こそ神です」と告白したのです。
 そこで、エリヤは民に命じて、バアルの預言者たちを逮捕し、カルメル山の麓を流れている河原に連れて行きました。そこで全員を石打の死刑にしました。
 これらのことが起こった後、エリヤは再びカルメル山の山頂に登って雨を降らせてくださいと主に祈りました。彼が七度祈ったとき、突然豪雨が到来し、イスラエルは干ばつから助け出されたのです。
 このようにして、エリヤはイスラエルからバアル崇拝を一掃しようと試みました。

(2)閉塞状態のエリヤ
 ところで、エリヤは物理的な力によってイスラエルの民に主を信じさせることに成功しましたが、エリヤの運動は直ちに強固な反撃を受けたのです。それはアハブ王の妃イゼベルによる反撃でした。まことにイゼベルは手強い相手であり、彼女の激怒と復讐に出会って、エリヤは再び孤立してしまいました。追い詰められたエリヤは亡命せざるを得ませんでした。
 この時のエリヤの悲劇は、自分の定まった考えを持たず、他の人の強い発言に賛成してしまう頼りない民衆に対する不信感とイゼベルに対する恐怖により、自分自身の中に閉じこもってしまい、外からの光を自分で締め出してしまったことです。
 イスラエルを脱出し、ユダの領土を通り過ぎ、その南に広がっている荒れ野に来て、そこで一本のエニシダの木の下に座り込んでしまいました。この時の様子は19章4節に記されています。
 「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさるものではありません。」
 このように祈って、自分の命が途絶えるようにと主に願いました。荒れ野で灼熱の太陽の光を受け、衰弱したエリヤはわずかばかりの木陰を与えるエニシダの下で、一息つきましたが、全く絶望していました。
 ここには信仰による確信と武勇の離れ業を演じたエリヤの姿の片鱗すら見られません。人はこのように変わり得るのです。それは天と地との隔たりのようです。

(3)エリヤを回復させられた神
 この時、神はすべてをご存知で、エリヤの精神状態を回復させるために、まず次のように命じられました。それは9節に記されています。
 「起きて食べよ」と、憔悴してエニシダの木の下で眠り込んでしまったエリヤに命じられました。自己閉塞から解放するため、神はまず食べ物を与え、身体を動かすことを命じられたのです。神は天使に命じて、パン菓子と一ビンの水を二度続けて与えられました。
 精神的な解放はまだ先のことでありましても、身体的に行動し、さしあたり何かできることをするとき、それは自信と希望の回復の第一歩となります。
 このようにしてエリヤは四十日の旅を続けて、昔神がイスラエルの民と契約を結ばれたホレブの山に辿り着いたのです。そこで洞穴に入り、一夜の休息を取りました。
 次に、11節にありますように、神は「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と命じられたのです。
 これは自己憐憫により、閉塞状態に陥っているエリヤを回復させるために、何を悶々としているかと叱りつけ、あるいは勇気を出しなさいと激励するだけでは、何の効果もありません。
 絶望がその深淵を覗かせているときには、身体を養い、意志を鞭打つだけでは不十分です。「心」を養うことが必要です。正にこのことを主はホレブの山で、エリヤに為されたのです。
 11節に次のように記されています。
 「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。」
 主は今やエリヤを絶望の淵から救出すために、エリヤのもとに現れられたのです。このときそれに伴って起こった激しい風、地震、落雷は主がエリヤのもとに臨在されることの前触れでした。
 ここで先ず激しい風が吹きましたが、それを見守ることによって、エリヤは自分の弱さを知ると同時に、すべての力の源泉は神にあることに目が開かれたのです。しかし風、地震、落雷は、それら自体が神ではないことを神様はエリヤに知らされました。
 従いまして、神の臨在が現実となったのは、静かにささやく声が聞こえてきたときです。力強くても、不安定な物理的な力に代わって、次に静かで霊的な無限の生命の源泉が現れました。
 このときエリヤは生ける神と対面しました。そしてエリヤはここで神の偉大な優しさを学ばされたのです。新約聖書の時代に、エリヤの再来であると言われた洗礼者ヨハネと主イエスの対照的な姿があります。洗礼者ヨハネの性格と活動は、天からの火をもって罪人を滅ぼし、火の車に乗って天に登った預言者エリヤを表しており、それに対して主イエスは、ホレブの山でエリヤが聞いた静かな御声そのものとして、地上の生涯を歩まれました。
 エリヤが聞いた静かにささやくような御声こそ、神ご自身の臨在とその霊的な命に溢れた現実であります。
 「それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出てきて、洞穴の入り口に立った。そのとき、声がこう告げた。--」(19:13)
 ここでエリヤが外套で顔を覆ったのは、今自分が聖なる神ご自身の御前に立っていることを意識したからです。この世界や人間とは全く違う方であり、無限に正しい方の前に今自分が立っていることを知って、エリヤは大いなる恐れと畏敬の念を感じたのです。
 人の目で見ることのできない神が御言葉を通して出会われるとき、その御前で人は自己の罪を自覚せざるをえないのです。しかし同時に神は罪の赦しをもって、罪人をご自身との人格的交わりに入れてくださいます。
 エリヤはその「恵みの神秘」に直面しました。それは何ものにも勝る最も確かな現実です。人間を新しく生かす霊的現実です。実にこの現実が神の御声を聞くとき生起するのです。

(4)再び遣わす神
 次に15節で、主がエリヤに語られた御言葉が記されています。
 「行け、あなたの来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かえ。そこに着いたら、--」
 このように、主はエリヤを神のもとから再び人々の所へ遣わす、と仰せられたのです。それではエリヤが遣わされる場所に何が待っていたのでしょうか。それは新しい仕事と新しい友人たちでした。
 主が御言葉をもって、エリヤに命じられた内容は次の通りです。シリヤ人のハザエルをシリヤの王とするために油を注ぐこと、またイスラエル人のイエフをイスラエルの王とするために油を注ぐこと、さらにバアルを礼拝しなかった忠実な七千人の人たちと出会うことでした。そして何よりも預言者エリヤの後継者として神が選ばれたエリシャと出会うことでした。
 自己の中に閉じこもり、絶望していたエリヤは神の御言葉を聞いて、広い目的と関心を抱いて、再び世界へと遣わされたのです。自己の悲しみと向き合って、慰められることを求めていたエリヤが、今や他の人々を慰め、勇気づける仕事に打ち込むように遣わされました。このように人は他の人たちとの連携により、共に主に仕えることにより、新しい展望が開かれるのです。
 確かに、シリヤ人のハザエルをシリヤの王とすることは、エリヤの時代ではなく、エリシャの時代に実現しました。またイスラエルの将軍であったイエフがクー・デターで新しい王朝を造ったのも、エリシャの時代の出来事です。
 それにも拘らず、エリヤはホレブの山において神の歴史支配の展望を示されましたので、新しい活動が始まったのです。 
 歴史を支配される神は、すべての人をその目的のために用いられます。神に用いられることを知って、神に仕える者が信仰者たちです。他方、神に用いられることを知らずに、神の目的に仕えている人たちがいます。
 こうした多くの人たちの思いと行為とが織りなす歴史を通して、神は御自身の目的を遂行しておられるのです。
 実に、真の神は、バアルとは異なり、人間の目には見えない方です。バアルとは異なり、御言葉をもってご自身を示し、御言葉をもって人間を御前に生かし、神と共に歩ませられる方です。



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