2015-04-26(Sun)

キリストの弟子として 2015年4月26日の礼拝メッセージ

キリストの弟子として
中山弘隆牧師

 「立ち帰れ、イスラエルよ」と、主は言われる。「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」もし、あなたが真実と公平と正義をもって、「主は生きておられる」と誓うなら、諸国の民は、あなたを通して祝福を受け、あなたを誇りとする。
エレミヤ書4章1~2節


 「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。人々を警戒しなさい。あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれるからである。また、わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しをすることになる。引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい。はっきり言っておく。あなたがたがイスラエルの町を回り終わらないうちに、人の子は来る。弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。家の主人がベルゼブルと言われるのなら、その家族の者はもっとひどく言われることだろう。」
マタイによる福音書10章16~25節


(1)キリストに従う者
 わたしたちクリスチャンの生活を端的に現す言葉は何でありましょうか。それは主イエス・キリストに従う生き方であると言えます。
 わたしたちは人生のあるときに、イエス・キリストに出会い、視点を変えればイエス・キリストがわたしたちを探し出されて、「わたしに従って来なさい」と呼びかけられましたので、それ以来キリストに従う者となっています。
 信仰生活の長い人生を歩まれたある方が、わたしは主に忠実でないことがしばしばある者ですが、主はわたしに対して常に忠実な方ですと言われたことは、今でもわたしの心に刻まれています。これがわたしたちクリスチャンの共通した認識です。
 わたしに洗礼を授けてくださった名古屋の金城教会で50年間牧会伝道された樋田豊治牧師は、わたしは信仰の訓練を主イエス・キリストから受けて、多くのことを学んだことは何ものにも代えられない感謝です、と言われました。また、顔をほころばせ、主はこれまで多くの素晴らしいことをわたしにしてくださった。これからもどんなことをしてくださるかと思うと、胸が膨らむ思いがする、と喜びながら言われたことを今でも思い出します。
 確かにクリスチャンは皆主イエスに従って自分の人生を歩んでいる者たちです。わたしたちの先に立ってわたしたちを導いておられるイエスに従い、イエスに見習っている者たちです。こういう面からすれば、「主イエスに見習う」ということが最も重要な視点になります。
 プロテスタントの自由主義的神学が栄えた19世紀には、イエスは父なる神に絶対的な信頼を置き、神の愛を完全に実行された方として、イエスの信仰と愛に見習うということがクリスチャンの生き方であると、盛んに主張されました。その一方で、イエスがクリスチャンの罪を贖う救い主であるという点が、実践面では軽視されるかあるいは殆ど忘れられていたことが問題であります。そこに自由主義的神学とその信仰の弱点がありました。
 キリストはクリスチャンにとって見習うべき教師であると同時に、自分たちの罪を贖われたことによって新しい命に生かす救い主です。このことを信じるのがキリスト教の信仰です。
 さらにキリストを贖い主として信じる信仰は、自由主義神学が忘れていた信仰の基盤を与えます。人類の罪を贖うことのできる方は、人間であると同時に神なのです。神でなければ、人類の罪を贖うことは誰もできないのです。
 従いまして、クリスチャンがキリストの弟子であるということは、単に先生と弟子と言う関係だけでなく、その関係をはるかに超えた神と人間との関係が、その基盤になっています。
 
(2)有限の人生に本当の意味を与える視点
 それゆえ、主キリストとわたしたちクリスチャンの師弟関係は、一般的な師弟関係ではなく、全く特殊な関係です。
 「弟子は師にまさるものではなく、僕は主人にまさるものではない。弟子は師のように、僕は主人のようになれば、それで十分である。」(マタイ10:24)
 普通の師弟関係であれば、良くできた弟子は師にまさることがあります。「出藍の誉れ」と言う言葉がありますが、藍から採った青色は藍より濃いので、師から学んだ高弟が師を越えると言う例えです。
 それに対して、主キリストは「弟子は師にまさるものではなく、師のようになれば、それで十分である。」と仰せられます。
 つまり弟子は師にまさることはないと言うのです。しかし、師のようになる可能性はあるのです。しかも師のようになれば十分であると言うことは、師のようになると定められているという意味です。
 このような特殊な師弟関係にキリストはクリスチャンを入れて下さっています。従いまして、この関係の基礎はあくまでも、クリスチャンの中にキリストの生命が与えられ、キリストの復活の生命が働くことです。言い換えれば、復活のキリストが聖霊を通して、クリスチャンの存在と人格の中に働かれるので、クリスチャンはキリストに見習うことができるのです。
 他方このような生き方が、わたしたちの人生に永遠の意義を与えます。神は人間を神の御前に永遠に存続するようにされるのです。
 それにしても、わたしたち人間は、誰でも長寿を願っています。しかし考えて見ますと、もしも人間がアブラハムのように175年生き、またアダムのように930年もの長い人生を享受し、さらに人間がいつまでも生きているとすれば、その人生の意味はどうなることでしょうか。それは年を重ねるにつれて、周囲の状況が時代と共に変化し、それに対応している内に、人は自分が何者であるかが分からなくなってしまいます。言い換えれば、人生は有限であればこそ、人生の意味が決定されるのです。逆に人生が無限に続くとすれば、人生の意味は未決定となり、無に帰します。
 それゆえ、神様はわたしたちが有限の人生を歩む中で、主キリストに従い、キリストに見習うことによって、その人生に意義を与え、しかも永遠の意義を与えてくださるのです。
 なぜならば、正にこの根拠は主イエスの贖いにより、すべての人間は神と和解させられていることです。言い換えれば主イエスの中で、すべての人間は罪のない者、穢れのない者、純潔な者として神の御前に存在しているということです。
 この点につきましては、パウロは次のように言っています。
 「あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していました。しかし今や、神は御子の肉の身体において、その死によってあなたがたと和解し、御自分の前に聖なる者、疵のない者、とがめるところのない者としてくださいました。」(コロサイ1:21~22)
 以上のように、わたしたち人間はキリストにあって、すでに神の御前にキリストの性質を映し出す罪のない、聖なる者として存在しています。それは神様が既にキリストにおいてわたしたちのために定めてくださった永遠の存在です。それゆえそれが人生の永遠の意味です。
 そのことは、しかしキリストが再臨され、救いが完成するとき、初めて明らかになります。それゆえ、この歴史の中で、クリスチャンはキリストに従うことによって、キリストの中に既に与えられている新しい自分になっていく道を歩んでいると言えます。
 この立場からして、クリスチャンの人生を聖書は「キリストと結ばれて」あるいは「キリストにある人生」と呼んでいます。これはキリストを信じることによって与えられる「聖霊」がわたしたちをキリストと結びつけることを言い表しています。その結果、キリストは聖霊によってわたしたちの中に住み、働かれますので、わたしたちはキリストの中にある新しい人間として具体的に歩むことが可能なのです。

(3)主キリストの支配と導き
 それゆえ、キリストと弟子たちとの特殊な師弟関係は、主キリストが人類の罪を贖い、父なる神がキリストを復活させ、キリストに神の主権を委ねられましたので、今や確立したのです。
 なぜならば、先生と弟子との関係は、復活し生きて働いておられるキリストが「福音の御言葉」を通して、いつでもどこでも人と出会われることに基づいているからです。正に御言葉を通して人間と出会ってくださるキリストの働きは、キリストが今や神として働いておられることの最大の特徴です。さらにキリストは信じる者に聖霊を与えてくださる方なのです。このことによって、キリストと弟子たちの関係が確立しているのです。
 今や復活して神の力を持って働いておられる主イエス・キリストは、天地の支配者であり、教会の頭であり、教会はキリストの体であり、クリスチャンはキリストの体の肢体となっています。
 次に、信仰者を主イエス・キリストと結び合わせる聖霊の働きは何でしょうか。
 聖霊の第一の働きは、信仰を与え、信仰を通して主イエスの義と命と自由をクリスチャンに与えます。そしてクリスチャンが信仰に立脚して、御言葉を実行するようにさせます。
 このことは聖餐式の中で明らかにされています。主イエスは聖餐式を守っている信仰共同体の中に、神として臨在し、クリスチャン一人一人と出会われます。
 そして、「取って食べなさい。これはわたしの体である。」「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」(マタイ26:26~27)と命じられます。
 キリストの命令に従って、パンを食べ、葡萄の杯を飲む者は、聖霊の働きによって、復活のキリストの命を受けるのです。パンと葡萄液はあくまでもキリストの体と血を表す象徴です。しかし、キリストの言葉に従って、それらを受けるとき、聖霊が働いて、キリストの中でわたしたちのものとして既に与えられているキリストの命と体(人間性)がわたしたちの中に働くのです。これが聖霊の働きです。
 聖霊の第二の働きよって、クリスチャンはキリストの思いを自分の心の中に持つことです。聖霊によって、クリスチャンはキリストの思いを知らされ、理解し、自分の置かれている環境の中で、キリストの思いに従って判断し、決断し、実行するのです。
 言い換えれば、聖霊によって、わたしたちは神様、御心をお示しください。わたしは神様の御心をわたしの思いとしますと祈ることです。同時に祈ったことを直ちに実行することです。
 聖霊の第三の働きによって、主イエスにおいて、特に十字架の死において啓示された神の愛がクリスチャンの中に注がれます。同時にクリスチャンは隣人に対して、神の愛を実行します。
 そのことによって、神の喜びが心に与えられ、クリスチャンは感謝と喜びに満たされます。
 聖霊の第四の働きにより、クリスチャンは終わりの時に復活させられ、キリストの姿に完全に似る者へと変貌します。これらすべてが聖霊の働きです。
 要するに聖霊の働きは、主イエス・キリストの恵みの中でクリスチャンを生かすのです。従って、聖霊の働きの実質は「主イエス・キリストご自身」です。主キリストが聖霊を通して信仰者の中に臨在され、働かれるのです。

(4)地上におけるキリストの歩みの意義
 最後に、地上におけるキリストの歩みはただ一回限りの出来事ですが、キリストの生涯は神の御心に完全に適った唯一の出来事です。それゆえ、永遠の意義を持っています。
 キリストは旧約聖書の時代に、神の民に神の言葉を語った預言者とは異なり、究極的な神の言葉を語られました。その理由はキリストが「御子なる神」であり、本来的に「神の言葉」である方が「人間」となられた方であるからです。従って、キリストは旧約聖書の律法やその他の教えに対しても主権者としての立場で、何が本当に神の言葉であるかを明らかにし、その他の教えは既に過ぎ去った不完全なものとされました。
 それゆえ、キリストの言葉と行動と性質とが永久に変わることなく、神の性質を完全に啓示しています。この一度限りのキリストの生涯において、神は御自身を人間に完全に啓示されました。
 同時にキリストは人間として神を知り、神に従う人生を全うされました。このようにキリストはご自身の言葉を実行されましたので、実行に裏付けされたキリストの言葉がわたしたちを生かすのです。
 それゆえ、父なる神はキリストを死人の中から復活させ、主とされましたので、キリストの地上の生涯は決して過ぎ去らない永遠の効力を発揮するようになりました。
 実に地上でのキリストの有限の歩みが永遠の意味と力を持っていますゆえに、復活されたキリストは聖霊を通して一人一人の中に働かれ、ご自身の地上における歩みを新しい仕方でクリスチャンの人生の中に再現されるのです。
 これが救い主としての現在のキリストの働きです。この働きによってわたしたちの有限な人生が永遠の意義を持つのです。
 最後に復活のキリストの働きについて、もう一つ重要な点があります。死人の中から父なる神によって復活させられたキリストは今や天地万物の主権者となられました。それゆえ、キリストはクリスチャンの心と存在の中に働いておられると同時に、クリスチャンを取り巻く社会的、経済的、政治的な様々な状況、言い換えればすべての状況を支配しておられる神様です。それらすべての面で、キリストはご自身の目的を実現される唯一の支配者です。このことをわたしたちは常に心に留めている必要があります。
 実際、キリストは神の御手をもって、クリスチャンの生活を守り、導いてくださる方です。それゆえ、わたしたちは、自分の生活のすべての面で、わが思いでなく、主の御心がなりますようにと祈りつつ、キリストに従い、神の意志と命令を実行することが必要です。
 そうすることによってのみ、キリストの性質を映し出す新しい人間として、この地上の人生を生きることができるのです。これこそ神様がわたしたちのために定められた人生の意味です。



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